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リクナビNEXTジャーナル

キャリア・ビジネスの情報満載【リクナビNEXTジャーナル】

「大企業」でくすぶるより、「ベンチャー」で夢中になりたかった…――楽天“自由すぎるサラリーマン”仲山進也さんの「奇跡のキャリアプラン」

日本最大級のネットショッピングモール「楽天市場」を運営している楽天株式会社に「自由すぎるサラリーマン」と呼ばれている社員がいるのをご存知だろうか。

楽天の正社員でありながら、出社の義務がない勤怠フリーかつ、楽天以外に仕事をしてもいい兼業フリーで、実際に「仲山考材」というご自分の会社も経営し、さらには横浜Fマリノスとプロ契約をしている。

そんな規格外の働き方を実現しているのが仲山進也さん(43歳)だ。仲山さんはどのようにして「自由すぎるサラリーマン」になったのか。これまでのキャリアと独自の仕事観、働き方をじっくり語ってもらった。

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【プロフィール】
仲山進也(なかやま しんや)
1973年北海道旭川生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。シャープを経て、楽天へ。初代ECコンサルタントであり、楽天市場の最古参スタッフ。2000年に「楽天大学」を設立。楽天が20人から1万人の組織に成長するまでの経験をもとに人・チーム・企業の成長法則を体系化、社内外で「自走型人材・自走型組織」の成長を支援している。2004年、Jリーグ「ヴィッセル神戸」の経営に参画。2007年に楽天で唯一のフェロー風正社員(兼業フリー・勤怠フリーの正社員)となり、2008年には仲山考材を設立、オンライン私塾やEコマース実践コミュニティ「次世代ECアイデアジャングル」を主宰している。2016年からJリーグ「横浜Fマリノス」でプロ契約スタッフ。著書に『あの会社はなぜ「違い」を生み出し続けられるのか 13のコラボ事例に学ぶ「共創価値のつくり方」』『あのお店はなぜ消耗戦を抜け出せたのか ネット時代の老舗に学ぶ「戦わないマーケティング」』(ともに宣伝会議)、『今いるメンバーで「大金星」を挙げるチームの法則 『ジャイアントキリング』の流儀』(講談社)など。
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【就職活動期】司法試験に落ちて大学5年生で就職活動

──まずはこれまでのキャリアについてお聞かせください。就職活動の時にはどんなことを考えていましたか?

北海道旭川の高校を卒業後、推薦で慶應義塾大学法学部に入りました。学生時代は漠然と検事になりたいと思い、司法試験の勉強をしていました。というのも、子どもの頃に友達と遊びでサッカーをやっていて、みんなが飽きないようにルールをチューニングするということが好きだったので、世の中のルールというものを勉強してみたいと思ったからです。司法試験に受かると裁判官か検事か弁護士になれるということで、自分は人を裁くほど偉くないし、原告側か被告側につくかで主張が180度変わる弁護士もしっくりこない。悪いことは嫌いだったので、何となく検事がいいかなと。そんな、確固たる意志もない、漠然とした動機でした。

初めての司法試験は、1次試験の自己採点で1点足りなくて不合格でした。どうしようか考えて、試験はやめて就職活動をすることにしました。そもそも僕は試験が嫌いだったということを思い出したんです(笑)。受験しなくてもいいように学校の勉強はちゃんとやって、大学に推薦で入ったのでした。浪人して司法試験の勉強だけして過ごしているという自分のイメージが浮かばないなと。あと、結構がんばった結果が1点だけ足りないというのも、「こっちの道じゃないよ」という天からのメッセージかなと思ったりして(笑)

とはいっても4年生の時は就職を全く考えていなかったので何の就職活動もしておらず、さらに当時は就職氷河期の真っ只中。まわりから、就職活動するなら新卒じゃないと内定はもらえないよと言われたので、親にお願いして自主留年させてもらうことにしました。それでやっと就職活動を始めたのですが、当時は本当に無知もいいところで、メーカーと商社の違いすらもわかっていない、恐るべきダメダメ就活生でした。友人たちはみんな卒業しちゃったので一緒に就職活動する友人もおらず、取りあえず見よう見真似で会社四季報を読んだり、誰でも知ってる有名会社にOB訪問に行ったり応募書類を送ったりということを始めました。

 

「ありがとうと言われる仕事はできますか?」と聞いて面接官に笑われる

──当時、就職に関してどのような思いを抱いていましたか? 例えばやりたいことを仕事にしたいという思いは?

全くなかったです。好きなことといえばサッカーしかなかったのですが、サッカー関係の会社に就職したい、と目標にするようなこともなく、ご縁があった会社、こんな僕でも拾ってくれる会社に入れればいいな、くらいにしか考えていませんでした。自分がどんな仕事に向いているのかもわからないし、そもそも仕事ってどんなものなのかもわからなかったので。

面接で「質問は?」と聞かれたときは、「人に楽しんでもらえて、ありがとうと言われるような仕事がしたいのですが、できますか?」という、ものすごく青い質問をしていました(笑)。

実はそれには原体験があって。大学時代に自分で主催した「ミニサッカー大会」がそれです。学部でゼミ対抗のソフトボール大会があって、サッカー大会はなかったので委員会の役員に「ミニサッカー大会もやりましょう」と提案してみたのです。そうしたら、「やりたければ勝手にやれば」と冷たくあしらわれたので、じゃあ勝手にやりますよと思って(笑)。自分で借りられるグランドを見つけて、ハンドボールのゴールにビニールテープでネットを手作りしたりして開催したところ、すごく盛り上がったんです。終わった後、ある参加者が「今日はめちゃめちゃ楽しかったよ。ミニサッカー大会をやってくれて本当にありがとう」と握手を求めに来てくれました。そのひと言がめちゃめちゃうれしくて。

それで、業界・業種や仕事内容うんぬんよりも「人に楽しんでもらえて、ありがとうと言ってもらえる仕事がしたい」と思うようになったのでした。ただ、就活の面接時に「そういう仕事はできますか?」と質問したら、ほとんどの面接官の人には「フッ」と鼻で笑われました。どうやら仕事というのは、ありがとうなんて言ってもらえないもののようだな、と知りました。

いろんな業界の人の話を聞くうちに、どうやら自分はメーカーが好きそうだなと思うようになりました。仕事の仕方として、単なる歯車的なのはイヤで、全体像がわかった上で自分なりに工夫したいと思っていたので、物を作って売るところまで全部、一気通貫でやってるメーカーがよさそうだなと。また、メーカーの人は落ち着いた雰囲気の人が多く、自分もテンションが高いタイプではないので波長が合いそうだなとも感じました。

結局、50社くらい落ちまして、ありがたいことに3社から内定をいただきました。最後は大手電機メーカーか、家業と関連のある大手アルミサッシメーカーで悩んだのですが、当時、片方がマンチェスター・ユナイテッドの胸スポンサー、もう片方が鹿島アントラーズの胸スポンサーだったので、「やっぱマンチェスター・ユナイテッドだろ!」と電機メーカー入社を決めるという、いい加減な選択基準でした(笑)。

 

【1社目】大手電機メーカーに就職するもモヤモヤな日々

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──入社後はどのような仕事を?

配属されたのは、奈良県にある、複写機とかプリンタを作っている事業本部の本部長室でした。本部長室は経営企画・経営管理がメイン業務ですが、僕の主な業務は「その他諸業務」。業界紙から業界動向や競合他社情報をコピーして回覧用資料を作ったり、社内報やプレスリリースの原稿をつくったり、契約書のチェックをしたり、経営計画の資料をつくるお手伝いをしたり、経営方針発表会の会場設営でイスを600脚並べたり。

ちなみに、配属初日に「君には法務業務をやってもらおうと思っている。本部長室には教えられる人がいないので、来週から本社の法務室に社内留学にいく手配をしてあるから」と言われました。いきなりイレギュラーな感じのスタートです(笑)。大阪の本社で半年間勉強させてもらって、奈良に戻りました。

しかし、しばらく仕事をするうちにモヤモヤし始めました。もともと、「全体像を把握したいので、まずは営業や製造の現場をしばらく経験してから企画を考える仕事がしたいです」と面接の時に言っていたのですが、いきなり配属されたのが経営企画の部署で。千数百人規模の事業本部で、現場のことがわからないままに資料を作っているのが、何となく地に足が着いていない感覚というかしっくりこなくて。さらに残業時間にも上限があるので、19〜20時くらいには仕事が終わっていました。「もっと思いっきり働いて早く成長したいのに……」というモヤモヤ感、全体像がわからず夢中になれていないというくすぶり感を抱えながら日々働いていたという感じです。

 

「こんな成長速度でいいのかな……」

──では辞めようかなと思ったこともあったのですか?

いえ、辞めたいと思ったことは一度もなかったです。まだ入社したばかりで仕事は学べることばかりだし、上司や先輩はすごく仕事ができる人達だし、とにかく3年はやろうと思っていたので。でも「こんな成長速度でいいのかな……」とモヤモヤしていたんです。

同じ奈良配属で仲のよかった同期も僕と同じようなモヤモヤを抱えていて、よく一緒にくすぶりトークをしていました。僕が「どう最近?」と聞いたら、彼が死んだ魚のような目で「んー、全然」と答えるのがお決まりのパターンみたいな感じでした

でもその同期は2年目に会社を辞めて、なにやらわけのわからないインターネットのベンチャーに転職して東京に行ってしまいました。その後、電話で話したときに、「どう最近?」と聞いたら間髪入れずに「うん、楽しい!」と答えたんです。「あれ? お決まりの挨拶が不成立?」と心がザラッとして、「なんかずるい」と思いました(笑)

そのままモヤモヤしながらくすぶり続けて3年目に突入した1999年4月の中頃の深夜にその元同期から電話が掛かってきて「そろそろどう?」「え、なにが?」「うちの会社、人足りてないんだよね」と。転職のお誘いでした

3年間は転職するつもりがないことを告げたのですが、ゴールデンウィークにちょうど上京する用事があったので、久々に会うことになり、3時間ほど彼の話を聞きました。でも僕はインターネットに関しては全く疎かったので、事業や仕事の話を聞いても何をやっている会社なのか、全然わかりませんでした。

「まあ3年はやろうと思ってる」と言うと、彼がボソッと「今、社員が15人くらいなんだけど、社長が年末までに60人に増やすと言ってる。仲山が3年経ったら、来年の4月か……20番目と100番目って違うだろうな」と言いました。確かに、と思い、同期に「社長には会えるかな?」と聞いたらその場で電話してくれて、3日後に社長の三木谷さんという人と会えることになりました。

 

10分ほどの雑談で転職決定

──面接で三木谷さんとはどんな話をしたのですか?

それが面接というか10分ほど雑談しただけだったんです。聞かれたのは「休みの日は何してるの?」とか、「ネットで買い物したことある?」とか。ないですと答えると、「今日中に買い物しといて」みたいな(笑)。それで10分後、三木谷さんが「じゃ、よろしく!」と右手を差し出してきたので、「あ、はぃ」と中途半端な返事をしながらも思わずその手を握ってしまいました。

こうして当時エム・ディー・エム、後の楽天株式会社に転職することになったのでした。今僕がどんな仕事をしているのか、これから楽天でどんな仕事をするのかや、転職後の給料の話はすることもないままに、成り行きで(笑)。

 

──一般的に転職を決意する時って仕事内容や年収は重要な条件になると思うのですが、そういうことを一切考慮せずに、たった10分の雑談でよくわからない会社への転職を決めちゃうというのもすごいですね。

元同期とは互いに「もっと思いっきり働きたいよね」と話していて、働くことの価値観が似ていると思っていたので、「あいつが楽しいなら自分も楽しいはず」と思えたからではないかと。ちなみに給料に関しては、その後送られてきた書類でちょっと上がることがわかったのですが、東京での家賃を差し引くとほぼ変わらない感じでした。

 

くすぶったままで居続けるほうがリスキー

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──せっかく入った大企業を辞めるのはもったいないとか不安だなとは思わなかったんですか?

思わなかったです。周りの人には「一部上場企業からそんなわけのわからないネットベンチャーによく転職できたね」と言われますが、逆にくすぶった状態で居続けるほうがリスキーだと思ったので

 

──確かに現在働いている会社から離れることのリスクばかり考えて、留まるリスクにはあまり目を向けない人って多いですよね。

そうですね。僕にとって大切なのは「今日一日、朝起きてから夜寝るまで楽しく夢中で過ごせたかどうか」なんです。単なる刹那主義ではなく、その状態が長続きすることも大事なので、明日以降が今日より楽しくなりそうな仕込みができたかどうかも「楽しさ」に含まれます。だから仕事に夢中になり切れず、モヤモヤしながら2年ほど過ごしているという危機感の方がよっぽど大きかったので、僕にとっては大きい会社から小さなベンチャーに移るリスクというのは感じていなかったんです。

※第2回<部長に出世するも「白旗宣言」。自ら志願して“平社員”に戻る…>はこちら

※第3回<自由すぎるサラリーマン、誕生。でも実は「自由はめんどくさい」>はこちら

※第4回<組織の中で自由に働くコツは「KPIになっていない仕事」をすること>はこちら

文:山下久猛 写真:守谷美峰