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【メイドインジャパンの品位】倒産寸前の藍染絣工場から世界トップクラスのデニムメーカーに

 国産デニム生地のパイオニアとして業界トップシェアを誇る「カイハラデニム」。変貌自在の色合いや機能性を高めた生地を求めて、世界中の老舗メゾンが同社の拠点である広島県福山市を訪れる――。

 広島県福山市新市町。駅を降りると緑が一面に広がる、のどかな山間地帯だ。福山・三原・尾道は、造船や製鉄など、さまざまな日本の産業が入り混じる縮図のような場所として知られている。

 「もともと非常に独立心が強い地域なんです」と語るのは、デニムメーカー・カイハラ株式会社の貝原良治会長。日本三大絣の産地として知られていた新市町で、創業121年を迎える老舗繊維会社の4代目で、世界で最も藍色(インディゴブルー)の種類を知る人物と言っても過言ではないインディゴデニムの達人だ。

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▲リーバイスのビンテージ復刻日本製と貝原良治会長.

 カイハラ株式会社は1893年、手織正藍染絣の製造会社として誕生。世界で初めて絣織物の広幅生産に成功するなど、当時より果敢な技術革新に挑戦する社風が特徴だった。ところが戦後、高価な絣の需要は激減。1967年には円高不況のあおりを受け、倒産の危機に陥る。そしてデニム製造への思い切った事業転換が行われた。

 日本で初めて自社開発に成功したロープ染色機や社内一貫生産体制を武器に、メイドインジャパンの神髄を世界へ知らしめた。1973年にはリーバイスとの大型取引が始まり、以降、GAP、エドウィン、ユニクロなど、国内外のトップメーカーがそのクオリティを求めて、わざわざ工場まで足を運ぶ。今ではアメリカ、ヨーロッパのみならず、インドネシアやマレーシアなど、世界20数ヵ国と取引が行われている。

広島の山間地から名実ともに世界屈指のデニムメーカーへと成長したその原動力は一体どこからくるのだろう。その真相を探るべく、貝原会長に話を伺った。

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▲幾度も繰り返される備後絣の「染め」こそカイハラデニムの原点(貝原歴史資料館)

■ゴミこそ宝の山と知る

 デニムには、国境もなければ、気候も、季節も、性別も、宗教も関係ありません。その市場で、我々が量を追求しても勝てるわけがありませんし、価格競争にも負けてしまいます。日本で作って生き残ろうと思ったら、ハイエンド層を必然的に狙うしかありません。

 他国の同業者らは、いかに安く量を作るかで勝負しているために必然的にアイテム数が少なくなります。だからこそ、我々は新しいものをどんどん作って強みにしています。

 なんでもそうですが、モノというのは定番化してくると、ニューカマーが入ってきて、必ず価格競争になります。その競争に巻き込まれないためには、新しいものをどんどん作って、逃げ切らなければなりません。常に走っている? 確かにそうかもしれませんね。年間で約700点から約1000点のサンプルを作っていますから。これほど新商品の開発をしているのは、世界でも我々くらいです。

 とはいえ、すべてがそのまま出荷できるとは限りません。むしろすぐに使われないものがほとんど。1度でも使われるのは3割で、定番で出荷されるものとなるとさらに少なくなります。時代のニーズより早すぎるものもあり、原料価格によって、その年のリテールプライスゾーンにあわないケースも。

 けれど、その年は厳しくても、1年後や2年後に原料価格が下がって商品化が可能となる場合も多々あるので、そういったサンプルはすべてまとめて、5000種ほどを収納しているサンプル室(通称ゴミ部屋)に貯め、すぐにお客さまに見ていただけるようにしています。

 「ゴミこそ宝の山」と言いますか。こういうものが欲しいと言われたら、それだけのサンプルがあるからこそ、そのご要望に見合ったものを届けることができるのです。 

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▲通称ゴミ部屋とも呼ばれるサンプル室本社には5年分が保管されている

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▲高級デニムとして知られる赤耳が目印のヴィンテージ.通常の3倍から4倍、織りに時間がかかる

 

■最後はすべて人の目

 職人たちの手によって丁寧に作られる反物は、魂が注がれているわけですから生き物のようなものです。だからこそ、最終確認はすべて人の目で行います。よく海外の同業者から「ヨシ(貝原会長の呼称)、なんでここまでするんや。十分ええグレードで通るやないかな」と言われますが、やらずにはいられない。実際、イスラエルでは、軍事技術を利用し布地を検査する精密な機械がすでに生産されています。パーッと上から流しながら、生地の何メートルのところに傷があると発見してくれる優れた機械ですが、それでも使う気は起きません。

 織り上がったら100パーセント、人間の目で見るようにしている理由は、そうすることで2点、3点ある欠点をゼロにすることが機械と比べて可能だからです。それもこれも、お客さまにはパーフェクトなものをお渡ししたいから。織布の工程が終わって、表面のケバを取ったり、防縮を行う整理加工が済んだら、さらに100パーセント人の目で検査をします。紡績・染色・織布・整理加工と、すべての工程で最大限に人の目が入るようにしています。

 品質かつ、品位。それが我々のものづくりのプライドであり、考え方です。

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▲すべて人の目で最終チェックする

■着物問屋のサービス精神

 我々の販売方法ですが、お客さまのところへ直接出向き、値段も数量もすべてこちらが決めるダイレクトマーケティングです。たとえばお客さまから一年間契約してくれと言われれば、メーカーですからその場ですぐに契約することができますし、早く積んでくれ、多く積んでくれと言われても、できる限り対応します。それは大手商社にはなかなかできない、プライベートカンパニーだからこそできるサービスの強みです。

 サンプルを作る際も、「これだったら、リーバイスだ、ユニクロだ、エドウィンだ、GAPだ」というふうに、個々のブランドをイメージしながら作ります。個々のブランドに今足りないのは何か。何を足せばよりよくなるか。困りごとは何なのか。それを常に考えています。

 今のマーケットをよく見据えて、同じようなものをフォローしていたのではダメ。その次のことを予想しなければ、世界一にはなれません。そのためにはお客さまのさまざまな要望をとにかく聞き出すことが大切です。

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▲300有余台の最新鋭織機による高品質のデニム月産能力は世界でもトップクラス

 その好例として、日本のスーパーで安物ジーンズとして認知されていた「のびのびジーンズ」(ストレッチジーンズ)が、海外で爆発的にウケた時代がありました。

 アメリカのデニムは基本的にワーキングウェアです。今のような100ドルのジーンズがアメリカで売れる時代がくるとは、昔は想像もつきませんでした。だから、通常ワンウォッシュしてやわらかくするところ、アメリカ向けの製品は洗わずに、かたいままで出荷していました。そうやってコストを抑えて、かたいまま出荷したほうが、アメリカのニーズには合っていました。

 ところが1979年に、その常識が覆される出来事が起きました。日本で中年女性向けに売られていた「のびのびジーンズ」を試しに海外で売ってみたところ、爆発的なヒットにつながったのです。それまでのワーキングウェアから“ファッション”として新たな付加価値を生むことに成功し、それが今の高級デニム販売の基盤となっています。

 考えてみれば、外国人のほうがヒップ周りが大きいわりに、足はとても細いので「のびのびジーンズ」向きの体型と言えますよね。国内の輸出はほぼ弊社しか行っておらず、海外では同じようなものを作っていなかったから注文が殺到。当時は同一品番で月間200万メーター以上を生産していました。

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▲カイハラデニムのユニフォーム。下のジーンズは自由に好きなものを履ける

■「グローカル主義」を貫く

 ローカルに根づきながらも、考え方はグローバルでないと判断を見誤るという意味で、「グローカル」という言葉が使われることがあるでしょう。我々も例外ではなく、デニム市場はノンボーダーだから、もたもたしているとあっという間に海外に追い抜かれてしまいます。なので、常にグローバル視点でスピーディーな判断を心がけながらも、地域に貢献することを考えています。そのひとつが雇用です。

 我々の土地というのは、山間の過疎地です。放っておくと、どんどん就労人口が減ってしまいます。人口を減らさないために必要なのはまず働く場所。働く場所さえあれば、都会から若者がUターンで戻ってくることも可能です。地域の雇用を支えること。これは我々のポリシーであり、前提です。

 確かに海外に工場を置けば、大幅なコスト削減につながるかもしれませんが、我々は日本から逃げるつもりはないし、地域の雇用を支えていきたいと思っていますから、利益が出たらそれを地元の社員に還元したいと思っています。無論、大企業のボーナスよりは少ないかもしれませんが、夏と冬のボーナスに加えて、成績によってはさらに余計に支払うようにしています。

 社員のモチベーションを考えたら、税金に持っていかれるより、社員の報酬をあげたほうがよいでしょう。日本は法人税が高いので、1億円の利益を出しても5千万円は税金で取られてしまいます。ならば「1億円を社員に払ったほうがいいやないか」というのが我々の考えです。これは欧米の経理とは全然違いますね。向こうは「利益出たぶんをすべて配当せい」という考えですから。その点、我々はプライベートカンパニーだから、どないでもなります。報酬が売上に直結していると分かれば、当然社員もがんばる。月初には社員全員が先月の売上をわかるようにし、先月に生み出した付加価値がひとりあたりいくらだったと明かすことで、社員のモチベーション維持に努めています。

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▲紡績工場の様子原料であるコットンが舞い散らないよう湿度60度、温度26度を年中キープ

■能力ではなく組織力で勝つ

  うちのような過疎地帯には、一流大学出身の方はなかなか来ませんから個人の裁量で会社を盛り上げていくというのはちょっと違う。どこで勝つかと言えば組織力です。

 ものづくりに組織力は必要不可欠です。特に工場というのはルーティンワークが多いものですから、関係がギクシャクしやすい。それが起きないように、細心の注意を払っています。人の気持ちこそ品質管理をするうえで最も重要です。

 オールランドプレイヤーじゃないですけど、品位のある製品を生産し続けるには、自分のやっている前の工程、後の工程を、そこに携わるすべての人間が学ばなきゃならんわけですよね。紡績にとっては染色が、染色にとっては織布がお客さまという気持ちで、常にコミュニケーションを図って、意見交換や意思統一をしていかないと良いものは作れません。次の工程に出したら終わりということではないわけですから、人間関係のもつれで互いの苦情をまともに聞けなくなってしまうのは非常にまずい。気持ちが折れてしまったら、ミスを見過ごすことも多いですから。だから、顔を見合わせることがあったら、互いに挨拶をして、必ずねぎらいあうように社員たちには伝えています。基本ですが、大事なことですから。

 

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▲幾度も繰り返される染色染色槽に入れ、絞ると緑色になり、酸素に触れたときに藍色に

■無茶な注文こそチャンス

 お客さまからは日々、要望や苦情が届きます。それが我々の一番のモチベーション。たとえば、80点を取れば「A格品です」と言われる織物があるとします。そこで「いや、ダメだ。84点以上じゃないと」とスペックを上げて注文してくるお客さまがいれば、私はとにかく一番に受けてこいと営業に言っています。

 なぜかというと、我々ほどの品質管理ができているところは、もう世界にもほとんどないと思っていますから、現状のスペックをあげることによって余所から介入できないゾーンへ突き進むしか道はない。現場から「それはキツい」という声があがっても、他社がそれを可能にしたら我々はたちまち二番手になってしまいます。二番手では世界で生き残れません。我々の市場で、品質基準が上がるなら、常に我々が先頭を切っているという気概を持たないと。マーケット全体の品質基準が上がることは大いに賛成です。一度、下がるとどんどん下がっていきますから。

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▲各社から発売されているカイハラデニムを使用したジーンズ

■代々伝わる“ものづくり”の家訓を信条に

「桃李不言下自成蹊(桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す)」―これは史記の一節にある言葉です。桃やスモモは何も言わないけれど、ピンクや白の花が咲くじゃないですか。きれいな花が咲いていれば、自然と人が集まるから、木の下に小道ができる―。つまるところ、いいものを作ったら、お客さまが自然と来てくれるという意味です。創業者はそういう考えで妥協しないものづくりをしなさいと後世に伝えようとしたのでしょう。今では額縁に飾って、社訓のようにしています。

あと、代々経営者に語り継がれている言葉が「積善の家に余慶あり」。善を積んだ家には必ず慶びがやってくるから、誰かに何かをしてあげたとしても、すぐに見返りを望むな。自分の代には返ってこないかもしれないけど、それが次の代か、孫の代かには返ってくるかもしれないじゃないか。だから、とにかく善を積んでおけという教えです。私はこの言葉、好きですね。

 

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▲1つの生地につき4種のサンプルを用意左からバイオストーンブリーチ・バイオストーンウォッシュ・ワンウォッシュ・糊付け有

「ものづくりに限界はありません。100円で作って105円で売っているものがあったら、生産性の速度をあげて、98円で作って104円で売る。それがメーカーが商社と違うところです」と語る貝原会長。夢は今でも「デニムといえばカイハラ、藍といえばカイハラと、世界中の人にハミングしてもらえる企業に育て上げること」。

 そんなパワフルさと野心を持ち続ける貝原会長は「たぶん指を切ったら、藍色の血が噴き出しますよ。僕はそれくらい子どもの頃から藍色に染まってますから、僕の体から抜けっこない」とユーモアを交えて笑う。「幼い頃にオジサンたちが手作業でやっていたときの絣織りの時代から、すべての藍色の記憶は脳の細胞ひとつひとつにインプットされています」 

 幾度も繰り返される「染め」を経て生まれる、味わい深く、力強いインディゴブルー。それはカイハラデニムが歩んできた歴史そのものを表しているようだ。

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▲71歳になる貝原会長。夢と野望はまだまだ尽きない

 

文・撮影:山葵夕子