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“ヒーローエンジニア”を探せ!vol.15 三洋電機「HIT太陽電池」で世界トップ変換効率に挑む
太陽電池技術で世界に知られる三洋電機。今回登場いただくのは、世界最高水準の性能を持つ「HIT太陽電池」の開発者。太陽光発電の素子「セル」の高効率化、低コスト化を、10年以上に渡って、全力を注いできたエンジニアだ。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:08.06.24
“ヒーローエンジニア” 三洋電機株式会社
ソーラー事業部
技術部 技術2課 課長
羽賀孝裕さん
1969年、京都府生まれ。大阪府立大学工学部電子工学科卒。92年に三洋電機に入社し、太陽電池部門に配属。フィルム状のアモルファスシリコン太陽電池の技術開発を経て、97年から「HIT太陽電池」の技術開発に。太陽光発電の素子「セル」の高効率化、低コスト化に取り組む。07年秋より、モジュール化の技術開発を担当。
HIT太陽電池
1975年から太陽電池の研究を推し進め、80年に第一世代のアモルファスシリコン太陽電池の商品化に世界で初めて成功したのが三洋電機。97年には、結晶シリコンと独自のアモルファスシリコン技術を融合させた独自構造の第2世代「HIT太陽電池」の量産を開始。最近では、世界最高となる22.3%の変換効率を実現させ、世界を驚かせた。技術の追求によって「世界初」「世界一」に挑戦し続け、太陽電池では、世界に知られるブランド。「HIT太陽電池」は、地球環境問題やエネルギー問題が注目される中、ヨーロッパを中心に大ヒットしている。
「HIT太陽電池」のさらなる高効率化、低コスト化に挑む
量産が始まった97年から「HIT太陽電池」の素子「セル」の技術開発チームに。量産を手がける事業部と研究所との連携も行いながら、高効率化、低コスト化に貢献した。コストに大きく影響するシリコンウェハの薄型化では、かつての300ミクロンが今や半分程度になっている。05年から管理職に。07年秋からは、セルを配線、電圧を直列につないでいき、最終的に人間大ほどのガラスで封止する後工程のモジュール化を担当。十数人のメンバーを率いて、効率向上、低コストのためのテーマを抽出、技術開発に挑んでいる。
仕事は、いきなり試作から始まった
 環境問題に興味があったとかではなく、太陽電池をやってみたいと思っていたんです。昔から発電に興味があったから。今も覚えているのは、小学校の夏休みの工作で、空き缶と自転車のライトの発電機を利用して水力発電の仕組みを作ったこと。空き缶の底を切って、かまぼこの板の先に貼り付けたものを何本も取り付けた水車を回す。これを発電機につないだら、ランプが付いた。これは驚きでした。

 普通の自然のエネルギーで無尽蔵に電気ができる。要するに、道具を除けばタダでできるわけですよね。発電って、すごいな、と。ちょうど就職するとき、太陽電池がすごく注目されていて、当時のトップメーカーだった三洋電機に行くんだとすぐに決めたんです。

 派手なイメージがありましたけど、入社した頃はまだ事業部も小さくて。人数も少ないし、売り上げも小さい。あのときのことを思えば、よく会社が将来性を見越して事業を続けさせてくれたな、と思います。この技術が花開くのは、それからずいぶん先のことでしたから。

 太陽電池の原理はシンプルです。太陽電池はP型とN型と呼ばれる半導体で作られていて、これに太陽光が当たると光電効果により電子(マイナス)と正孔(プラス)が発生します。電子はN型半導体に、正孔はP型半導体に移動して、そこで、この半導体の両側に抵抗を接続すると、電流が流れます。このとき、アモルファス太陽電池ではアモルファスシリコンの膜が高品質であるほど、効率よく電気を作れます。ところが、微量な不純物が膜に影響したりして、品質、発電効率を上げるのが難しいわけです。

 入社した頃は、電卓や時計といった民生用のセルが商品化されていました。私が担当したのは、これとは別に新しい製品づくりに挑むこと。曲げたりできるフィルム状の太陽電池の開発です。高分子材料をベースにしたフィルムで、カバンなどの曲面に貼り付けられるような太陽電池ができないか、と。

 面白かったのは、いきなり試作から始まったことでした。ガラスに高分子材料をコートして、それにアモルファスシリコンの膜を形成する真空装置があって、配線して……。理論や原理も、作っているうちに身についた感じですね。わけもわからずやっているうちに、感覚として体に入っていったんです。
蓄積があるからできることがある
 ただ、第一世代の太陽電池では、なかなか品質を上げられませんでした。実用的なものを作るのは難しくて。サンプル供給はするものの、値段と折り合いがつかなかったりして商品にならない。苦しかったですね。それでも、かなり好きなようにやらせてもらえたのは、本当によかった。たくさん特許も出しました。いろんなアイディアも出させてもらって。後にひとつだけ、商品化が実現します。それは、大手メーカーの携帯電話への搭載でした。わずかなバッテリー補助の役割でしたが、これはうれしかったですね。

 第二世代の「HIT太陽電池」は90年から研究所で開発が進められていました。97年に量産が決まり、開発した研究者自らが事業部でチームを作ることになり、このとき一員になりました。最年少でした。研究所の人と一緒に仕事をするなんて当時はまだほとんどなくて。刺激になりましたね。いろんな話を聞いて、すごいなぁと思って。

 ただ、HIT太陽電池も当時の生産での変換効率はまだ17%程度。これは、他社の太陽電池と変わらない数字。後に20%を超えて世界一になるわけですが、そこまで行くのは、苦労の連続でした。そしてこの数字を上げるために、研究者は自ら事業所に来たわけです。

 第一世代では、ガラス基板の上にアモルファスシリコン膜だけを積み上げました。「HIT太陽電池」は、単結晶シリコンの両面に極めて薄いアモルファスシリコン膜を積み上げます。アモルファスシリコンを使うことで、他社の構造に比べて非常に欠陥の少ない構造となり、効率は大きく上がる、というのが基本のアイディアです。しかも三洋電機には、そのアイディアが実現できるだけの、アモルファスシリコンに関する世界最高レベルの技術がありました。

 実際、アイディアはシンプルですが、太陽電池のトップレベルの研究機関でさえ、この技術を実現することは難しいと聞いています。技術の蓄積、ノウハウの蓄積があるからこそできることがある。それを改めて知ることになりましたね。では、シリコンウェハにアモルファスシリコンを積層して高品質な太陽電池を作るためにはどうするか。いくつもの仮説がすでにありました。シリコンの表面をきれいにする、光の入射するシリコンにできるだけ光を入れられるよう、遮るものをできるだけなくす……。そして、これをどう実現するかが、チームの仕事でした。
問題こそが新たなヒントを知るチャンス
 それこそ当初は本当に手作りでした。シリコンをいかにきれいに洗浄するか。自分でちょっと怖い薬品を使って魚屋さんみたいな恰好で、手でジャブジャブ洗っていた時期も。こうやってみたらどうか。ああやってみたらどうか。いろんなアイディアを出して、やってみて。実験装置を作ってみて。誰もやったことのない新しい技術の開発です。もちろん問題、トラブル、品質低下、出力低下の連続。思いもよらないことが次々に起こる。でも、だんだんわかっていきました。当初は「嫌だな」と思えたこうした問題こそが、品質向上や高効率のヒントを知る最大のチャンスであるということに。

 実際、トラブルが起きて、その原因を徹底的に分析して、そこから効率を高めるためのヒントにつなげたことが何度もありました。例えば、高効率化に重要なあるプロセスがあるのですが、この量産が当初難しかった。実際、量産しても品質は安定しませんでした。次々に不良が起こる。

 あるとき、製造トラブルが起きたんです。作業者が誤った操作をしてしまって。監督者は怒ったんですが、驚くべきことが起きていた。誤った作業で、ものすごく品質の高いものが出来上がっていたんです。どうしてそうなったのか。すぐに原因を突き止めようとしました。そこで、同じトラブルを何度も再現してもらって。それを工業的にどうすれば再現できるかを考えて。

 研究所から専門の研究者に来てもらって、毎日のようにテストをやってもらった時期もありました。それで半年くらいかけて、ようやく工業的に安定してできる方法を見つけたんです。結果的に、ほぼ100%、目指す性能を実現することができた。

 何かアクションを起こせば、必ず効率にも変化が出る。毎日のようにいろんな取り組みをして。そうすると、少しずつ高効率になっていく。一時期は経営陣までもがこの効率アップに注目して、毎日のように数字を知りたいと連絡が入っていた時期がありました。会社も期待している。みんなも期待している。しかも、自分の手で効率の高いものを生み出すチャンスがある。

 ちょうど30歳くらいは猛烈なハードワークをしていましたね。仕事が面白くて仕方がなくて。島根の工場とさらに100km以上離れた外注メーカーと、当時事業部があった淡路島を一日で回っていたこともありました。とにかく早く実験してみたくて。重たいセルを運んでいて、腰にきそうになったことも。偶然にも翌日から夏季休暇で、大事には至らなかったんですけどね。
研究所とのいい関係からどれほど学べたか
 高効率の達成が話題になっていたところに、ヨーロッパで一般家庭用の太陽光発電への国の補助政策が始まり、「HIT太陽電池」は爆発的に売れることになりました。事業の拡大と、世界トップを誇った高効率化に、少しでも自分が貢献できたことはとてもうれしいことでした。では、どうしてそれができたのかといえば、トラブルを恐れずポジティブに受け止めたこと、それから、まわりの人から貪欲に知識を吸収したことだと思っているんです。

 とくに研究所の方から、どれほどたくさんのことを教えていただいたか。やっぱり自分にはないものをたくさん研究所の人は持っています。いつも何でもどんどん聞いていました。素直に聞けば、何でも教えてもらえて、それが自分の大きな力になりましたね。

 2007年の秋からは、セルではなく、モジュール化の担当になりました。ここでも研究所と常にタイアップしながら仕事に取り組んでいます。セルでは、かなりギリギリまで高効率化と低コスト化を推し進めました。でも、モジュール化はまだまだやれることがあると思っています。

 ほとんど三洋電機のオリジナル技術だったセルに比べ、モジュール化はいろんな技術の組み合わせになる。いろんな国のいろんなメーカーと関わる可能性があるし、いろんなところに技術の芽は転がっている。いろんなところにヒントがある。もっと視野を広げて、貪欲に知識を吸収していかねば、と思っています。

 すでに海外のベンチャー企業とタイアップしての技術開発も始まりました。私自身もすでにアメリカ、ドイツ、デンマーク、ハンガリー、中国と行かせてもらいましたが、部下にも積極的に国内外の展示会などに行ってもらっています。そのために必要になってきたのが、語学。今、一生懸命に英語に取り組んでいるところです。ただ、海外に行っても英語を使っても、スタンスは変えたくないですね。これまで、ものすごく泥臭くやってきました。その姿勢は、今後も貫いていきたいんです。
ヒーローの野望 日本の小さな村に太陽電池を敷き詰めたい
「HIT太陽電池」は、世界最高水準の変換効率を実現しました。一般家庭で家の中の電気をまかなうだけでなく、太陽光発電で作った電気を電力会社に売ることもできるようになった。だからヨーロッパで大ヒットしたわけですが、大きな課題がまだあると思っています。それは価格です。一般住宅用であるにもかかわらず、まだまだ高いのは残念ながら否めません。これを将来的に、半分以下にはしたいんです。シンプルな構造、安い材料など、そのための技術に取り組んでいきたい。誰もがすぐにでも欲しいと思えるような商品にしていきたいんです。

 三洋電機の研究所では今、薄膜シリコン系太陽電池という第三世代の研究が進められています。コストに大きな利点のある太陽電池ですが、この次世代の低コスト太陽電池と、そして今の高効率HIT太陽電池と、会社としては2本の柱があります。いずれにしても、たくさんの人に魅力を感じてもらえる事業にしていきたいんです。

 そして究極にあるのは、例えば、日本の小さな村に産業を作ること。私の故郷は京都の丹後半島の真ん中にある小さな寒村でした。幼稚園から中学まで、学校では1クラス、10人に満たない人数。実家のまわりには田畑も山もいっぱいある。でも、大学を卒業した若者が故郷に戻って就職するような産業は残念ながらありません。

 もし、故郷の田畑に太陽電池を敷き詰めることができれば、と思うんです。それは産業になるかもしれない。そうすることで、人口の減る地方の村の発展に貢献することができないか、と。自然エネルギーには、まだまだいろんな可能性が秘められていると思っています。
ヒーローを支えるフィールド 技術者自身がワクワクし、楽しみながら作っていける環境
 新入社員時代から、かなり好きなようにやらせてもらった。その印象がとても強いという。上から「これをやれ」とか「それだけやりきればいい」という言われ方をされたことは、ほとんどない。むしろ、「自分で考えたことをやってみろ」「どんどん提案して自分でやってみろ」という空気が強かったのだそうだ。それは、彼が所属した太陽電池を手がける部門が、かなり小さな規模から急激に成長していったことも関係しているだろう。組織も、小さな組織から数倍の組織へと変わっていったのだ。

 今はかなり一人ひとりのミッションも明確になってきているという。昔ほどの自由さはおそらくないと本人も認める。ただ、そうであったとしても、かつての自分が味わえたような仕事スタイルを、上司としてはできるだけ実現したいと考えているという。若いメンバーの提案にできるだけ耳を傾ける。海外の展示会など、アイディアをたくさん手に入れられるチャンスを増やす。技術は至るところにある。それを量産に組み入れるには2、3年かかる。自分で技術を見つけ、量産という最後の部分まで関わり、成果を出す。そんな成功体験を得る機会をたくさん作ってあげたい。羽賀さんはそう考えているという。

 もうひとつ、羽賀さんが入社前からこだわっていたのは、体を動かす環境がちゃんとあるか、ということだったらしい。「入社したとき、最初にテニスコートがあるかどうか、確認していました(笑)」。運動は仕事と大いに関係する、と羽賀さん。実は多忙から30歳くらいでテニスを一度やめてしまったそうだが、その後再び始めた。翌日の頭の冴えの違いを改めて認識したらしい。実は、まわりにもスポーツ好きが多い職場。今、自身がはまっているのはジョギングだ。昨年ウォーキングから始め、今年はフルマラソンにチャレンジしてみたいそうである。
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宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ 宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ
取材で見せていただいたセルが、予想以上に軽くて薄いんです。これで発電できるのかと驚いてしまいました。日本中の高層ビルの屋上はすべて太陽電池になればいいのに。そしたらかなりの発電量になるんだろうなぁという発想は、きっと素人だからなんでしょうね。

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