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山田太郎氏@ネクステック、山下達雄氏@ヤフー、他 できるエンジニアに学ぶ「転職の心得7箇条」
カリスマと呼ばれているエンジニアや、その分野においては名をはせているエンジニアの中には、転職経験のある人もたくさんいる。そんな彼らは転職する際にどんなことに注意したのか。美しい転職をするための秘訣を彼らから探ってみたい。
(総研スタッフ/関洋子)作成日:07.12.26
2008年度に向け、自分のキャリアを振り返ってみよう
 2007年ももう残りわずか。あと5日で2008年が始まる。一年の計は元旦にあり──ということわざもあるように、年末年始の休みは、これからのキャリアについて考えてみるのにいい機会かもしれない。
 今、自分が携わっている仕事は本当にやりたい仕事なのか。また目指している方向に進むステップになっているのか。キャリアパスの考え方は人それぞれだが、これらのことをひとつずつ、検証していくのもひとつの手である。今の会社で自分の目指すものが得られないのであれば、転職を前向きに考えてみるのもいいだろう。
 日本ではようやく転職に対するマイナスイメージが払拭されてきたとはいえ、転職回数が多いとあまりよくない印象をもつ企業も多いため、転職をステップアップのひとつの手段としてなかなか活用しきれていないようにもみえる。
 そこで今回は、その分野では名をはせている4人のエンジニアのキャリアの考え方を紹介する。いずれも転職経験がある彼らは、転職をどのようにとらえて、現在のポジションを得てきたのだろうか。
4人のカリスマエンジニアたちの転職事情
  Case1.山田太郎氏@ネクステック 転職するかどうかは「BS(貸借対照表)とPL(損益計算書)」で考えよ
山田太郎氏
ネクステック
代表取締役社長
山田太郎氏
career
25歳(1993年)
慶應義塾大学経済学部卒業後、外資系コンサルティングファームA社入社
26歳(1994年)
有名DBを扱うITベンダーに転職
27歳(1995年)
外資系コンサルティングファームB社に転職入社
32歳(2000年)
3次元CADベンダー米国本社に転職。副社長就任
33歳(2001年)
ネクステック代表取締役社長就任
現在の仕事
製造業専門のコンサルティング会社ネクステックの代表取締役。早稲田大学大学院商学研究科(早稲田大学ビジネススクール)客員准教授、東京大学大学院工学系研究科(工学部)非常勤講師、北京航空航天大学名誉教授として、若手技術者の育成も積極的に行っている。
これまでの経歴
1993年慶應義塾大学経済学部卒業後、外資系大手コンサルティングファームに入社。製造業向けのコンサルティング部門に配属。コーディングや開発というSE的な仕事に携わることが多かった。外資系DBパッケージの総代理店だったITベンダー、外資系コンサルティングファームを経て、2000年1月外資系3次元CAD大手ベンダー米国本社副社長に就任する。2001年3月、ネクステックを設立、現職に就く。
転職のきっかけ外資系コンサルティングファームA社→有名DBを扱うITベンダー
外資系大手コンサルティングファームではコンサルタントの業務というより、むしろSE的な仕事に携わりました。製造業向けのデータベースの構築業務に従事するうち、データの重要性に気が付き「データベース技術者になりたい」と思うようになりました。それが転職のきっかけです。某ITベンダーを選んだのは、当時サイベースがいちばん優れたRDBMSだったから。データベースを極めるのなら、ここしかないと思ったのです。
ITベンダー→外資系コンサルティングファームB社
DBエンジニアとしてのスキルアップを狙っての転職でしたが、携わったのはERPパッケージ。日本法人を立ち上げたばかりだったので、さまざまなことを任されました。それが大きな転機となりました。マーケティング活動や営業をする中で製造業への知識を深める一方、現場を自分の目で見て回る機会を得ることができました。このころから私の「得意分野」が確立。必死の勉強のかいがあって、他社からマークをされるほど売り上げを上げました。ヘッドハンティングの話を受けて大手外資系コンサルティングファームへの転職を決意しました。
外資系コンサルティングファームB社→3次元CADベンダー米国本社
入社してすぐにマネジャーになりました。ここでの経験がネクステックのビジネスモデルを生み出すきっかけとなりました。ERP導入で問題を起こすのはマスターデータで、製造業にはこれをマネジメントする仕組みやシステムが存在していませんでした。会社としては汎用性を重視していましたが、お客様が本当に求めているのは専門性であることに気が付き、専門部署の立ち上げを会社に進言しましたが、実現しませんでした。この矛盾を感じていたときに3次元CADベンダー米国本社の副社長にとの誘いがあり、迷うことなく承諾しました。
転職する際に障壁となったこと、苦労したこと
 これまで転職を3度しましたが、特に障壁になったものや、苦労したことなどはありません。
転職で得たもの、失ったもの
 1回目の転職では、製造業におけるデータの重要性を知りましたし、3度目の転職では世界でも有数の大手3次元CADベンダー米国本社の副社長という最高のキャリアを得ることができました。このように得たものはたくさんありますが、転職で失ったものは特に思いつきません。
 転職で失ったものがあると考える人は、PL(損益計算書、ここでは年収を指す)だけを見ているのではないでしょうか。年収はしょせん、その会社の評価でしかなく、市場の評価ではありません。それだけで会社を選んでしまうと、こんなはずじゃなかったと思うのです。転職の際に重視するのはバランスシート(BS=貸借対照表、ここでは経験などの資産を指す)です。今の会社にいるとどれだけ資産(技術や人脈など)が蓄積でき、資産(いい仕事や経験)があるのかを検討するのです。この両者がうまくいかないとき、つまり自分自身を高められるような環境を維持できないと判断したときに転職を考えるといいと思います。そして次にいく会社についても、どんな資産が得られそうか、BSを検討することです。
山田氏にとってキャリアにおける転職の位置づけ
 自分自身の資産を高めるためのひとつの手段です。しかし、今の会社の中でも成長する機会があるのならば、自社に転職するつもりで、安易に会社を辞めるべきではないと思います。
 どんなに忙しくても3年に一度ぐらいはキャリアを見直してみることをオススメします。そして35歳になるまで(管理の仕事が増えてくるまで)に自分の中でひとつ、売れるもの(専門技術)を定め、それを常時磨くこと。その努力ができなければ、チャンスをつかむ機会は極端に減ってしまいます。転職は縁のもの。悩むんだったら、転職しないほうがいい。今の会社、新しい会社双方をよく見て、自分が成長できる機会がどちらにあるのか考えるのが重要です。今の環境を変えたいという、ただそれだけで後ろ向きにリセットボタンを押すような転職は勧めません。
 
  Case2.山下達雄氏@ヤフー 自分のやりたいことに携わりたいなら、常時アウトプットする癖を身につけよ
現在の仕事
Yahoo!JAPAN研究所のメンバーとして、Webにおける自然言語処理技術の研究、およびWebサービスの適用に携わる。ブロガーとしても知られ、個人ブログを開設したのは1995年。それを見れば山下氏の人となり、技術者としてこれまで歩んできた履歴がひと目でわかるようになっている。
これまでの経歴
1991年広島大学総合科学部総合科学科に入学。情報系を専攻し、自然言語処理技術に出合う。95年奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科に進学し、自然言語処理技術の研究に携わる。2000年、大手ITベンダーに就職、研究所で機械翻訳ソフトの開発に携わる。仕事に一区切りついた2005年9月、ヤフーに転職。2007年4月、Yahoo!JAPAN研究所設立に伴い、同所の研究員となる。
転職のきっかけ大手ITベンダー→ヤフー
 Webにおける言語処理技術の研究に思いっきり携わりたいと思ったのが、きっかけです。入社以来私が携わっていた仕事は、機械翻訳ソフトの開発。2005年は、それまで自分自身が担当してきたモジュールが製品に組み込まれ、メンテナンスフェーズに入ったという仕事がひと段落した時期だったのです。またそれと前後するように、インターネットが一般にも広がり、爆発的に普及していました。「Webならより多くの人を便利にすることができる。チャレンジしたい」と考え、社内転職も含めベストな会社を探し、ヤフーに決めました。
 ヤフーを選んだ理由は、Web専業のサービスプロバイダであり、大量のデータをもっていることと、この分野が未開だったことです。今、転職すると存分に自分の能力を発揮できるフィールドがあると考えました。
山下達雄氏
ヤフー
Yahoo!JAPAN研究所 R&D
山下達雄氏
career
28歳(2000年)
奈良先端科学技術大学院大学修了後、大手ITベンダー入社
33歳(2005年)
ヤフーに転職
転職する際に障壁となったこと、苦労したこと
 仕事の区切りがついていたこともあり、転職の際に苦労したことはありませんでしたね。実は一区切りした段階で、新しい部署に異動していたのですが、そこには自分のやりたい仕事はありませんでした。上司も「やりたいことができる環境なら、そこに移ったほうがいい」と理解を示してくれたのです。
 また仕事を後の人にうまく引き継げるようドキュメントやプログラムソースを整理して、いつでも人に渡せるような形にしておいたことも、転職がスムーズにいった要因でした。私は常に自分が携わった仕事について、後の人に残せる形にまとめておくことを心がけています。
転職で得たもの、失ったもの
 転職して得たものはいっぱいあります。まずはWeb業界の人脈が得られたこと。第二に実際にサービスを提供している現場の人たちからニーズを聞けること。第三は社内にはWeb技術に関する資料も大量に蓄積されており、すぐに手に入ること。これまではインターネットで検索してもなかなか得られなかった資料が、容易にすぐ手に入るのは技術者としてうれしい限りです。
 また転職を機に、自宅も引っ越し。都心に近くなったため、社外イベントに参加する機会も増え、いろいろな人たちとコミュニケーションがとりやすくなりました。
山下氏にとってキャリアにおける転職の位置づけ
 転職とは環境を変えて知識を得るためのひとつの手段です。私は会社員としてではなく、フリーランスの研究者として自分自身をとらえています。だから転職の際も「自分はヤフーの助けになるのか」ということを考え、それができると考えたから転職しました。転職は本当に自分の技術が生かせるフィールドを探す行為でもあるともいえるでしょう。
 アウトプットする癖をつけることが重要です。私の就職先、転職先選びの鍵はブログでした。そこで知り合った人との縁で、入社したのですから。やりたいことをやれる場所を見つけるには、自分がどんなエンジニアなのか相手に知らさなければなりません。それを容易に実現できるのが、ブログなのです。自分のキャリアを振り返り、将来を考えるためにも、継続してアウトプットする場を構えることは、技術者として必要だと思います。
 もうひとつが社外のイベントに積極的に出かけ、社外の人との出会いを増やすこと。視野が広がり、オススメです。
 
  Case3.藤本真樹氏@グリー 転職後にどれだけ頑張れるか──それが転職満足度につながる
藤本真樹氏
グリー
取締役
最高技術責任者
藤本真樹氏
career
18歳(1997年)
大学在学中よりITベンチャーでアルバイトとして働き、大手ネットワークインテグレータに派遣
22歳(2001年)
アルバイト先のITベンチャーに入社
24歳(2003年)
Webコンサルティングベンチャーに転職
26歳(2005年)
グリーに転職
現在の仕事
SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)「GREE」を運営するグリーのCTO。プラットフォームの開発の管理だけではなく、一メンバーとして開発にも携わっている。ひとりのエンジニアとして、PHPなどのオープンソースコミュニティに参画している。
これまでの経歴
大学1年生のときからITベンチャーでアルバイトとして働く。1997年、同社から大手ネットワークインテグレータに派遣され、アプライアンスサーバシステムの構築に携わる。2001年上智大学文学部卒業後、バイト先であったITベンチャーに入社。2003年2月Webコンサルティングベンチャーに転職。大手ネットベンチャーの仕事を通して知り合った現グリー社長の田中氏に誘われ、グリーの立ち上げにかかわる。2005年6月に社外取締役に就任。2005年12月、グリーに転職、現在に至る。
転職のきっかけ●ITベンチャー→Webコンサルティングベンチャー
 オープンソースコミュニティで知り合った人に誘われ、転職を決めました。前職の会社は居心地がよい会社で、携わっていた仕事も大勢の人が使う通信事業者のサーバソフトの開発などだったので、やりがいもあり、当時は転職したいという気持ちはわきませんでした。しかし何度も誘われているうちに、「これだけ誘われているんだから、なんとか手伝いをしたい」と心が動きました。何度も誘われてなかったら、転職はしなかったかもしれません。
●Webコンサルティングベンチャー→グリー
 転職のきっかけは、Webコンサルティングベンチャーに入社して半年ぐらいたったときに担当した、大手ネットベンチャーへのコンサルティングです。メーン担当者になった私は週2、3日は大手ネットベンチャーに常駐。そこで現グリー社長の田中と知り合い、グリー立ち上げの際に、技術面を助けてほしいと言われたのです。Webコンサルティングベンチャーは社員一人ひとりが個人事業主という感覚で、仕事の時間配分など、個人の裁量に任されていました。時間的な余裕もあった私は、「グリーの内側を見てみたい」という興味もあり、現職と掛け持ちでグリーの仕事を引き受けることにしました。コンサルタント的な立場で携わっているうち、「自分自身もプレイヤーになってこのフィールドで力を発揮したい」という思いが強まり、グリーへの転職を決めました。
転職する際に障壁となったこと、苦労したこと
 1回目の転職のときは、大学時代からのアルバイトから数えて約5年間勤めた会社で愛着もあり、居心地もよかったこと、しかも自分自身に明確な転職の意思がなかったため、「どうして転職するのか」と自分自身に問いかけ、心の整理をつけるのに1〜2週間かかりました。
 2回目の転職は自らの意思での転職。信頼関係がきちんと築けていたのか、経営陣は転職を応援してくれました。
転職で得たもの、失ったもの
 私は転職を、学校の卒業と同じようなイメージでとらえています。成長するために、外の世界に羽ばたくんだという考えです。だから新しい会社に転職した後は、そこで最大限に努力します。転職後にどれだけ頑張れるかで、転職後に得るものも大きくなりますし、得るものが大きければ、失ったものを振り返ることはないはずです。
藤本氏にとってキャリアにおける転職の位置づけ
 自分自身を次のステージに進めるためのひとつの手段ですね。転職すると仕事も立場もガラリと変わります。そこで一生懸命頑張れば、成長が実感できます。
 まずはどういうエンジニアを目指すのか、イメージをもつことです。あるひとつの技術を極めていくのか、仕事のとれる技術者になるのか、漠然としたイメージでもいいので描くことですね。私は22歳のとき、32歳の自分をイメージしました。その姿に近づくようなキャリアを歩んでいると思います。
 また外に目を向けることも大事ですね。会社の中で同じことばかりに携わっていると、いつのまにか世間では通用しない技術者になっていることもあるからです。オープンソースコミュニティなどに参画して、世界中の人たちと触れ合うことも、キャリア設計のよい参考になるのではないでしょうか。
 
  Case4.前村昌紀氏@JPNIC 転職を安易に考えるな。じっくり考えてから行動に移せ
現在の仕事
JPNIC(日本ネットワークインフォメーションセンター)IP事業部長として、IPアドレスの管理とIPアドレスに関する政策に従事している。今の最大の課題はIPv4アドレス枯渇に関する検討とその対策で、多忙な日々を過ごしている。
これまでの経歴
1991年、九州芸術工科大学芸術工学部(現九州大学芸術工学部)音響設計学科を卒業後、国内大手メーカーに入社。94年に同社インターネットサービスの立ち上げに参加する。99年12月に同社を退職し、外資系通信事業者に転職。2004年に同じ外資系大手通信事業者の日本研究所に転籍。2007年1月同社を退職し、JPNICに着任、現在に至る。96年よりJPNICのIPアドレス部会委員となり活躍。2000年にはAPNIC(アジア太平洋地域のIPアドレス管理団体)の理事に選出された。
転職のきっかけ●大手メーカー→外資系通信事業者
 大手メーカーではインターネットサービスプロバイダのネットワーク構築に立ち上げから携わることができましたが、徐々にもっと大きなネットワーク、グローバルなネットワークを扱いたいという気持ちが強くなってきました。また、グローバルインターネットの運営という仕事のうえで、英語でのやり取りや交渉がとても重要であるにもかかわらず、それができる人がとても少ないということにも気づきました。英語が得意だった私はそこを伸ばすことで世の中の役に立てるのではないかと思い、外資系の機器ベンダー、通信事業者などの中から外資系通信事業者を選びました。
●外資系通信事業者→JPNIC
 JPNICには大手メーカー時代から外部委員として携わっていました。外資系通信事業者に転職後も関与はどんどん増す一方で、また仕事の重要性も上がっていく一方でした。しかも外資系通信事業者での仕事は、本国に役に立つためのもの。「日本のため」の仕事がしたいという気持ちと、JPNICでの活動の重要性が上がったことが相まって、転職を決意しました。
前村昌紀氏
JPNIC(日本ネットワークインフォメーションセンター)
IP事業部長
前村昌紀氏
career
23歳(1991年)
九州芸術工科大学芸術工学部卒業後、大手メーカー入社
32歳(2000年)
外資系通信キャリアに転職
36歳(2004年)
外資系通信キャリア日本研究所に転籍
39歳(2007年)
JPNICに転職
転職する際に障壁となったこと、苦労したこと
 1回目の転職の際は、引き継ぎのための資料づくりがそれなりに大変だった覚えがありますが、それ以上に苦労はしませんでした。当時の上司や同僚のおかげだと思います。
 ただ、転職を決めた後に母に報告したときには天地がひっくり返ったように動揺されてしまいました。当時既に亡くなっていましたが、父が公務員だったこともあり、大会社で勤め上げて安定した生活を送ってくれるというイメージが強かったようです。2回目の転職を実現する2年くらい前にも、一度移ろうかと考えたことがありましたが、妻の反対にあい断念しました。2007年に転職したときは、JPNICでの活動が多くなってきており、移った後のイメージがやっとつくようになったのか、賛同してくれました。ただ、母の説得には苦労しました。「勤め上げる」ということに対するイメージが強い世代のため、2回も転職というのは「ひとつのところに長く居られない」というふうにしか見えないようです。根気強く説明するしか手はないようです。
転職で得たもの、失ったもの
 転職で得たものの第一はまったく違うタイプの同僚と交流できたこと。外資企業には中途入社者も多くさまざまなキャリアパスを経た人がいますし、グローバルチームにはさまざまな人種の人がおり、刺激になりました。もうひとつは英語で仕事をするという環境。特に2年間所属したアジア地域セクションでは上司がフランス人で、やり取りをする同僚はアジア一円の営業部隊でした。この間で英語力はかなり強化されました。
 失ったものの第一は、少しずつ立場が上がっていくことで得られるスキルや経験。転職して3〜4年後に大手メーカー時代の同期を見ると、着実に上の立場で仕事をしていました。小さな外資企業現地法人ではこういう人事制度はなかなか成り立ちません。また、外資系通信事業者に所属していたときは個人的な技術スキルで仕事する機会はあっても、ロジックを固めて上層部を論破して自分の仕事を進めるという経験は得られませんでした。
前村氏にとってキャリアにおける転職の位置づけ
 より人のために役立てる場所を探すこと。
 転職をする人は、次の職場でのキャリアが現在のものよりもよくなることを想定しています。しかしその前に、自分のキャリアを今の職場でもっと発展させる方策が本当にないのか、転職しようとしている職場は本当に自分が想定したように良いのか、また何より、より見通しが立ちにくい新しい職場で新しいキャリアを育てて行くだけの意思が自分にあるのか、じっくり考えることが大切だと思います。
 
後悔しない転職をするための「転職の心得7箇条」とは
 今回紹介した4人のエンジニアに共通しているのは、「転職して後悔はない」という点である。彼らの声を参考に、みなさんが後悔の残らない転職をするための、転職心得7箇条を紹介したい。
転職の心得7箇条
 転職を考えている人だけではなく、転職を考えていない人も、これらはエンジニアのキャリア設計にも役立つ心得。この7箇条を行動のヒントにしていただき、2008年を悔いなく充実して過ごせることを、願ってやまない。
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2004年2月に、ソーシャル・ネットワーキング・サービス (SNS) 「GREE」を公開、日本だけでなく米国・欧州などグローバル展開を進め、世界で億単位のユーザー数を目指すソーシャルメディア事業をはじめ、ソーシャルアプリケーション事業、プラットフォーム事業、広告・アドネットワーク事業等を展開しています。続きを見る

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関洋子(総研スタッフ)からメッセージ 関洋子(総研スタッフ)からのメッセージ
もうあと5日で2008年。今年も終わりです。つらいことや苦しいことがあった一年でも、年が明けると気分は一心されるもの。今から、来年はどんな1年になるのだろうとワクワクしています。あっ、どんな1年になるのだろうではなく、どんな1年にするのか。ぜひ、お正月休みは、自分のキャリアについて考え、来年から上記心得を実践してみようかなと思っています。

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