「好き」を仕事にしてわかったこと。シルク・ドゥ・ソレイユのステージから見えた風景

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リクナビNEXTジャーナルをご覧の皆様、こんにちは。シルク・ドゥ・ソレイユで縄跳びアーティスト(パフォーマー)をしている粕尾将一です。

自分は小学生の頃から好きだった縄跳びを仕事にして今年で5年目になりました。みなさんの中にも「好き」を仕事にしたい、「好きなこと」で働きたい、と考えている方が多いと思います。この仕事をしていると「好きなことを仕事にするにはどうすれば良いですか?」「好きなことを仕事にして毎日ハッピーですか?」という質問を頻繁に受けます。

たしかに仕事を始めてすぐは毎日が楽しさに溢れてました。ところが仕事を続けていく中で、「好き」を仕事にしてしまったゆえの苦しみや同僚との衝突を経験しました。実際に「好き」を仕事にするのは、楽なことばかりじゃありません。

今回は自分の経験をもとに、「好き」を仕事にしたことで苦労した「仕事のジレンマ」について紹介したいと思います。

■ 「好き」を仕事にするメリット

【最大の強みは無茶を楽しめること】

もちろん「好き」を仕事にすると良いことがあります。特に練習や作業が苦にならないのは大きなメリットです。

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シルク・ドゥ・ソレイユはアーティストに新しい動きや技に挑戦させることで有名です。なぜなら慣れた動きだと緊張感が伴わず、客席に演技のリアリティが届かないから。自分も演技創作の段階で、随分と無茶振りをされました。

新しい動きには当然練習が必要です。しかも信じられないスピードで創作は進んでいくので、昨日まで使っていた流れが全てボツになることも日常茶飯事。新しい動きを練習してはボツになる、日の目を見なかったアイディアは数えきれません。

ただ跳ぶのが好きでたまらなかった自分には、練習は全く苦になりませんでした。むしろ次々新しいことに挑戦できる日々にワクワクさえしていました。もっとやりたい、もっと練習したい。アイディアがボツになるのは寂しい反面、次は何が出来るのだろうという好奇心が圧倒的に勝っていたのです。

しかし、もし縄跳びを「単なる作業」と考えていたら耐えられなかったと思います。あれこれ注文をつけられて、必死に練習したのに翌日にはボツにされる。かと思えばまた別の課題を投げつけられ、再び練習を繰り返す。きっと気が狂いそうになったことでしょう。

■ 「好き」を仕事にするジレンマ

【「好き」同士からガラリと変わった環境】

シルク・ドゥ・ソレイユに入るまでは、殆どの時間を縄跳び関係者と過ごしていました。ライバルも競技のチームも皆、縄跳びに詳しく心から愛している仲間ばかりでした。しかしショーの現場は違います。縄跳びに詳しいのはメインで縄跳びをする2名のみ。他の同僚は誰一人として詳しい人は居ませんでした。

すると、これまでの方法が一切通用しなくなるんです。

縄跳びに詳しい人なら「あ、うん」で理解できることを、逐一説明する必要があります。場合によってはお手本を見せて練習してもらうことも。今までは一言で済んだことが、ここでは何日も掛かって当たり前。また大量の質問も飛んできます。なんでこっち?、なんでダメ?、なんで、なんで……。縄跳び人には常識でも、初めて縄跳びに触れる同僚には疑問が尽きないのです。

縄跳びが好き同士の環境に慣れていた自分。葛藤とモヤモヤは日に日に増えていきます。

【経験と知識が、周囲にこだわりを押し付けていたことが原因?】

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シルク・ドゥ・ソレイユに入った段階で自分は縄跳び歴が8年。国際大会にも出場し様々な経験と知識を取り込んできました。しかし、むしろこの「経験」と「知識」が仇になるとは思いませんでした。

「好き」な分だけ、こだわりが生まれます。この技はこう動くべき、あの技はツマラナイ、その技は絶対に盛り上がる。デビュー当初の自分は、こうした「こだわり」の塊だったのです。

ショーの演技でもこだわりを捨てず、常に自分の求める方向に押し進める。たとえ周囲に不満が生まれようと、自分の考える最善こそが縄跳びアクトの最善であると信じて疑いませんでした。こうした姿勢と態度は、次第に周囲との溝になって現れ始めます。

縄跳びのアクトは自分達以外にも多数のアーティスト(パフォーマンスをする人のこと)が出演しています。ときに彼らもロープを持ち、演技の重要な役割に入ることも。縄跳びは操作感覚が大切なスポーツです。数日練習を止めればあっという間に感覚は鈍ります。感覚の鈍りは直接ミスに繋がるため、自分はアクトに出演する他のアーティストにも入念な練習を要求しました。

ですが彼らはあくまで縄跳びに協力しているだけ。彼らにも練習が必要な専門アクトがある。加えてさほど縄跳びに興味もない。こだわりの塊だった自分には、こうした彼らの気持ちを理解することが出来ませんでした。

程なくして他のアーティストから不満が噴出。ある女性アーティストは面と向かって「もう縄跳びはしたくない」と突き放してきました。これも全て「こだわり」を押し付け、彼らの苦労や気持ちを理解しようとしなかったのが原因でした。

どうしても「好き」には思い入れがあります。ですが強すぎる思い入れは周囲に迷惑をかけます。あなたの居る世界では常識かもしれませんが、同じことが一般社会でも常識とは限りません。むしろ「好き」のフィルターが掛かることで、非常識なことも平気でこなしている可能性が高いです。

自分の場合は「毎日練習」が常識でした。たしかにミスを起こした場合は練習が必要です。でも、毎日理由もなく練習ができるのは「好き」が根底にあるから。「好き同士」なら通用しますが、これを一般に求めるのは単なる押し付けでしかありません。

【「こだわり」の押付けでは仕事にならない】

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こだわりを押し付け続けた結果、徐々に同僚と険悪なムードになりました。コミュニケーションが減っていき、お互いにイライラが募る日々。今思えば、僅かなズレが失敗に繋がる縄跳びアクトにとっては致命的な状況でした。

ここまできて、ようやく「ヤバイ」と感じました。周囲との関係改善をしない限り、アクトが良くなることがないと気付いたのです。

そこでまず「こだわりの正体」を丁寧に自己分析しました。すると、こだわりの多くが競技選手時代に刷り込まれた思い込みだった事に気付きました。

毎日練習するのは自信を維持するためです。休憩中もライバルが練習している!という強迫観念から逃げるため、練習を欠かさなかったぞ!という自信を守るための儀式に過ぎなかったのです。仕事として縄跳びをする今、この儀式は意味を果たしません。

こうして仕分け作業を行い、どうしても「縄跳びアーティストとして譲れないこだわり」だけをあぶり出しました。

すると少しずつですが、同僚の声が耳に入るようになりました。無用のこだわりでシャットアウトしていた彼らの思いを、素直に受け止めることが出来るようになったのです。実際にステージで演技をするのは彼らです。当事者にしかわからない不便や苦労があることを、この時初めて知りました。失敗や練習の責任を押付けるのではなく、共に問題に寄り添う姿勢が大切なのだと痛感した瞬間でした。

■ 「好き」を仕事にする難しさ

【「仕事」に求められる成果と責任】

練習は全く苦にならない一方で、仕事には成果が求められます。試合で演技を失敗しても自分の成績が下がるだけです。でもこれとショーで失敗するのとは大きく意味が違います。縄跳びアクトの評価が下がれば同じ演目に出演している同僚にも迷惑をかけます。またラヌーバ*1を見に来たお客様の評価が下がればショー全体、引いてはシルク・ドゥ・ソレイユの評価にも繋がります。

アーティストは毎年、契約更新をしてショーに出演します。この判断をするのが上司からの業務査定。1年間を通してのパフォーマンスが評価される瞬間です。自分の演技がショーに貢献できているか、評価に値するクオリティを維持できているか、来年も契約が貰えるか……。

以前、新たに契約を貰ったアーティストが来ました。体操競技出身の彼はトランポリン専門として呼ばれたのです。ショーに来てから1ヶ月ほど過ぎた頃、彼の顔が曇っていました。トレーニングが思うように進まず、要求されたアクロバットが習得出来ないとのことでした。

ショーの現場に来てから2~3週間は専門アクトの練習をします。同じアクロバットではありますが、競技とサーカスでは要領が違うのです。先ほどの彼も競技で素晴らしい成績を残していました。世界トップと言って過言じゃないレベルです。それでもサーカスアクトに馴染む事ができず、仕事として要求された技が習得できない。プレッシャーが彼を押し潰していました。彼はその数週間後、契約打ち切りで本国に帰って行きました。アーティストにとって、結果と能力が伴わないことは仕事を失うことを意味するのです。

彼以外にも、契約更新で涙を流したアーティストも少なくありません。以前は練習するもしないも全て自分次第でした。しかし今は、疲れていようが体調が悪かろうがショーはやってきます。自分の意思だけでなく「ショー」という縛りのもとに練習をせざるを得ない状況が巡ってくるのです。

調子の良い時も悪い時も、ショーは待ってくれません。もちろんミスを100%避ける事は出来ませんが、演技が直接の評価につながります。ある日突然仕事を失うリスクは常に忘れてはいけません。

【「好き」が「飽き」に変わる時】

大好きな趣味(=「好き」なこと)を仕事にできれば、どんなに毎日が楽しいかと考える人が多いと思います。確かに最初は毎日が楽しいですが、この楽しさが何年も続くかと言えば話が違います。

たとえば趣味で毎週末やっていたことを仕事にしたとしましょう。これが仕事になった瞬間、配分が週5日に変わります。仕事としての成果も必要になるため、好きな時だけやるというワケには行きません。

すると「好き」なことが「飽き」に変わるタイミングがやってきます。アーティストにとってステージに立つことが日常。華やかに思える世界も回数を重ねれば慣れていき、初めの頃ほどの魅力を感じなくなっていきます。この時、「好き」は「飽き」へと変貌していくのです。「好き」のモチベーションだけで何年も続けられるほど、日常は甘くありません。

この仕事とて綺麗ごとだけでは済みません。いつもヤル気全快、毎日が夢の中、ではないのです。たとえば、同僚に15年以上も同じショーで出演を続けているアーティストがいます。15年間続けることが、どれだけ大変な事か想像がつきません。なぜならどこかのタイミングで必ず「飽き」を克服し、その努力を15年間も継続してきたからです。

ただ「飽き」は決して悪い事ばかりではありません。なぜならそれは「好き」がしっかりと日常に溶け込み、仕事として生活の一部になった証拠だからです。でも「飽き」を続けるのは難しい。だから「飽き」を昇華し、再び「好き」を呼び起こせるような工夫が不可欠なのです。

たとえばラヌーバだと、ショーの1回目と2回目の合間時間に多くのアーティストがトレーニングをしています。専門のアクトを練習する人もいれば、まったく別のアクトに挑戦する人もいる。過去には縄跳びに挑戦したい!というアーティストもいて、一緒に練習をしたことがあります。

また、ある程度ショーで経験を積み次の仕事へ旅立つ人も多いです。この5年間で約半分のアーティストが何らかの事情で入れ替わりました。彼らは皆、同じサーカスという仕事を続けています。しかしあえて別の環境へ自らを放り込み、「好き」の新鮮さとモチベーションを回復させているのです。

【「好き」だから「楽」とは限らない】

インターネットが発達した現代は「好き」を仕事にできるチャンスが増えています。自分もシルク・ドゥ・ソレイユに入ったキッカケはYouTube動画とWeb申し込みでした。

「好き」を仕事にするのは素晴らしいことだと思います。でも本当に大切なのは仕事にしてから。「好き」を仕事にするよりも、その仕事を長く続けていくことの方が何倍も重要なんです。

もしあなたが「好きなことなら毎日楽しくて楽できる」と考えているなら、悪いことは言わないので止めておきましょう。仕事にする段階でも大変な苦労があり、さらに仕事として継続するにはもっと苦労が待っています。これらは「好き」=「楽」という程度では乗り越えることができません。

まずは自分の胸に手を当てて確認しましょう。それでもなお「好き」を仕事にしたい情熱があるなら、ぜひ挑戦してみてください。そこには「好き」を仕事にした人にしか見えない風景が広がっています。

著者:粕尾将一 (id:shoichikasuo)

粕尾将一 (id:shoichikasuo)

シルク・ドゥ・ソレイユアーティスト/なわとびパフォーマー/元アジアチャンピオン

縄跳び競技引退後、2010年より米フロリダ州オーランドのシルクドゥソレイユ常設ショーで縄跳びアーティストとして出演中。

2012年よりはてなブログで「なわとび1本で何でもできるのだ」を書き始める。ステージと違うようで、どこか似ている文字の表現にハマり中。

*1:筆者・粕尾将一が出演しているショーの名前

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