「やれるもんなら、やってみろ」
友人のシゲタくんは、そう言ったのです。
「ええねんな、ほんまにやったるぞ。4、5人呼んで、帰り道でボコボコにしたるからな」
「だから、やってみろ」
それがいつだったか、はっきりとは覚えていません。おそらく中学1年生のころです。僕は生まれてはじめて、「勇気」というものを、この目で見たのでした。
「ボコボコにしたる」とシゲタくんに凄んだのは、Aくんという男の子でした。Aくんは、そんなセリフが似合うような格好に変身してしまっていました。額に剃りこみを入れ、前髪をリーゼントにし、太いズボンをはき、精一杯、足と胸を広げてシゲタくんを睨んでいました。悪い友達ができて、Aくんは変わってしまったのです。
そのときの言い合いの原因がどんなことだったかは覚えていません。些細なことで、シゲタくんにしても「まあいいか」と聞き流せるようなことだったように思います。
しかし、シゲタくんは、Aくんの暴力を背景とした脅しに決然と立ち向かって、挑発までしたのです。
僕はシゲタくんの勇気に驚きました。
僕には、とてもそんな勇気はありませんでした。
僕は自分のことを臆病者だと思っていました。
大学を卒業して会社に入ったとき、これからは「会社が自分の生活や自分自身を守ってくれるのだ」と思った覚えがあります。
そして、これからは「勇気」よりも、「勤勉」や「創意工夫」や「熱意」や「忍耐」が問われるのだろう、と思っていました。
それはある意味で正しかったのですが、すべてではありませんでした。30年以上も仕事をした僕がたどり着いた結論は、「会社にいようとどこにいようと、『勇気』を育てる必要がある」ということでした。
これは、入社時点ではほとんど想像できなかったことでした。このコラムでは「勇気を育てる」とはどういうことかを書いてみたいと思います。
■ 「やる」と宣言する勇気
仕事をしていると、自分が苦手なこと、自分がもっとも恐れていることも引き受けてやってみる、というケースがあります。
受けるか断るか、どちらも可能な状況のとき、「勇気」があれば挑戦できるでしょう。そして、自分の知らなかった力や可能性に気付き、次の挑戦にトライしてみるという好循環が生まれます。
ところが、苦手だからと挑戦を躊躇し、「勇気」を奮い起こせないと、成長のチャンスが逃げていくのです。
こういった勇気は、「できる人たち」がやっている仕事のスタイルに、如実にあらわれています。彼らは、ちょっとできそうもないことを「やる」と宣言してしまうのです。宣言する勇気を持っています。そして、苦しみながらも、それをなんとか形にしてしまうのです。その過程で飛躍的に成長していきます。
■ 自分自身や、チーム・家族を守る「勇気」
マネージャーになると、また別の勇気が求められます。
百貨店の売場のマネージャーだったころ、さまざまなトラブル処理にあたりました。もちろん、多くは自社の至らなさゆえ、お客さまに迷惑をおかけしたことに端を発しています。ですが中には、対処に躊躇するような場合もありました。
そのような場合、保安の元刑事さんなどに助けを求めたりもするのですが、彼らが最初から一緒についてきてくれることはありません。「殴られたか? なんやまだか〜。手出しよったら簡単やねんけどな」と言われます。
上司に相談し、状況を伝えておくことも必要でしょう。しかし結局は、自分で解決しなければならない場合が多いのです。
それまでは「会社に守られている」と思っていたのですが、マネージャーになって、そうした局面に立たされて初めて痛感しました。中学校のあのときと同じです。勇気を出して、自分の力で、自分自身や、自分のチーム・家族のことを守らなければならないのだと。
逃げることのできない立場におかれて、ようやく、僕のような臆病者も「勇気」を育てていくことになりました。
■ 失敗を隠さない「勇気」
あまり具体的なことは書けませんが、このようなことがありました。
僕は大きな失敗をしました。
そのまま黙っていると、メーカーから派遣されている店員Bさんの不注意のせいにされます。しかし、本当はその失敗は、僕の間違った指示のために引き起こされたものです。僕はそのとき、悩みました……。
「Bさんは普段から不注意が多い。この件が彼女の責任になったとしても、彼女自身の名誉は少し傷つくかもしれないが、致命的なダメージにはならない。一方、僕は……大卒の社員で、その失敗が自分の責任となれば、将来のキャリアに大きなダメージを与えるかもしれない……。このまま彼女に責任を取ってもことはできないだろうか……」
正直に言って、僕の頭には、そんな考えがよぎりました。でも、本当にそんなことをしていいのだろうか……。
邪な考えが頭をぐるぐると巡り始めた僕は、助けを求めて、尊敬する先輩マネージャーに相談しました。
売場の裏の、薄暗い避難階段に座って、先輩に事情を説明し、どうすべきか訊ねました。先輩にも答えはありませんでした。僕と同じように顔をしかめて、その状況に同情してくださるだけでした。
今から考えると大げさなのですが、僕はこのとき「もう出世は諦める」と決めました。そして、「彼女がやったことではない」「僕の間違った指示に従ってやったまでである」「その指示が社内のルールを逸脱していることを僕は知っていた」ということを、上司と経理に報告しにいきました。諦めてみると、なんだか、とてもすっきりしました。
もちろん、あのときの僕の決断は「勇気」というような高尚なものではありません。良心のある普通の人間なら、そもそも悩むのがおかしい、普通の決断に違いありません。
しかし僕には、当然のことをして、将来を諦めるという覚悟をするのに、たしかに「勇気」が必要だったのです。
ちなみにこの件は、自分のためにやったのではなく、良かれと思ってやったことだということで、不問に付され、僕が心配したようなことにはなりませんでした。
■ 大きな決断をするときまでに「勇気」を育てよう
僕の「勇気」は、いつも正しい方向に向いたわけではなく、間違った方向にも発揮されました。
係長として脂がのっていたころ、課長職になりたてのころ、尊大になった僕は、上司の意向を無視したり、公然と反論したり、大きすぎるものを求めたりしました。自分では、それが会社を良くするための「勇気」なんだと思っていました。いまでは、それは「勇気」とは異なる何かだったと思っています。
そうやって会社で仕事をするなかで、仕事のスキルだけでなく、「勇気」を育ててもらった、と思っています。
おそらく多くの組織人には、最大の勇気が試されるときが、仕事人生のなかで一度は来ると思うのです。
たとえば、組織ぐるみで不正なことをしているとを知ったとき。あるいは、本当はお客さまのためにならないことを続けているようなとき。「勇気」を奮い起こして、それを正そうとするのか、見なかったことにするのか、いったん膝を屈して次の機会を待つのか。
自分が信じるやり方、自分が大切にするものをあくまで守ろうとするのか、ほかの誰かから指示されたものを守るためにそれを放棄するのか。
その会社に定年までいても、それが自分の満足のいく人生になるはずがないと感じたとき、そのまま会社に残るのか、転職するのか、独立するのか。
大きな決断には、大きな大きな「勇気」が必要となります。
僕の場合は、「会社には居所がない」と思い、会社を辞めることにしました。その決断にはたしかに、大きな勇気が必要でした。
大きな決断をするときまでに、正しい「勇気」を育てておくことが、取りも直さず、自分らしい人生を生きるうえでもっとも大事なことではないか、と最近は思っています。
* *
最初に紹介した「やれるものならやってみろ」と言い放ったシゲタくんは、その後、一部上場企業で役員に出世しました。
彼の子供のころの勇気を知っている僕には、彼がその持ち前の勇気を強く育てて、会社で重要なポストを担うようになったのは、ごく当然のことのように思えるのです。
新入社員の皆さん、この暗闇に満ちた社会へようこそ。
ぜひ、仕事を通じて、あなたの「勇気」を大きく育ててください。
あなたの「勇気」は、やがて、煌々と光を放つ松明のように、多くの人々を導くことになるでしょう。
ほんとうに、おめでとう!
著者:Ichiro Wada (id:yumejitsugen1)
1959年、大阪府生まれ。京都大学農学部卒業。大手百貨店に19年勤務したのち、独立。まだ一般的でなかった海外向けのECを2001年より始め、軌道に乗せる。現在、サイトでのビジネスのほか、日本のアンティークテキスタイルの画像を保存する活動を計画中。
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