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日本初ハッカー 和田英一が描く、ちょっと変わった「絵」とは?

エンジニア魂 リーダーインタビュー
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「日本で最初のハッカー」と呼ばれる和田英一さん。東京大学名誉教授でIIJ技術研究所所長をされながら、今でも第一線のプログラマです。

お持ちになったのは山のようなHappy Hacking Keyboards。昔からの腕前で絵を描くことが趣味とおっしゃいますが、当然のように普通の「絵」ではありませんでした。

キーボードこそ必需品。ハッカーのために作られた、Happy Hacking Keyboard

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―和田

えっ、Happy Hacking Keyboard(HHKB)を知らないの?このボロボロなのが1号機で、今のもの(Professional)とはキーの押し加減が違います。

こっちは無刻印のキーボード。Happy Hackする人はタッチタイピングだから、もともと文字は必要ないでしょ。それで以前、キーボードを作っている株式会社PFUが、文字刻印前のキートップを欲しいという人に配ったのです。それが好評で製品化しました。

― 既存のキーボードにはずっと不満があって、HHKBを開発されたとか。

―和田

キーボードによってキーの配置が微妙に変わるのは何とかならないのかという論説を、PFUの技術誌(1992年2月号)に書きました。それがきっかけで共同開発が検討されてね、自分で考案した原寸大の模型を持っていった。

私はUNIXユーザーだから国際版の配列で、ファンクションキーやテンキーなどプログラミングに不必要なキーはすべて取ったものです。

キーピッチは19.05mm(3/4インチ)だから、15個のキーがある最上段は幅285.75mm、縦は5段で95.25mm、周囲にマージンをもたせるとちょうどA4の半分のサイズになる。それで、「A4版長手半裁のキーボードが欲しい」と主張した。最初は「売れないかも」と難色を示されたけれど(笑)。

― まさにプログラマのためのキーボードですが、HHKBの評判はどうでしたか?

―和田

1996年12月に1号機ができ、WIDEプロジェクトの研究会に持参したら、「カッコイイ」「しびれる」なんて感想ばかり。今では各界で第一線の人たちが持ち歩いているし、東大の教育用計算機センターの機種入れ替えのときにも採用されて、約1400台が入ったかな。アカデミズムの世界でユーザーが多いようです。

発売当初は3000台くらいは出るかと言っていたけれど、10年間の総出荷台数は20万台を超えたそうです。

― どうしてそこまでキーボードにこだわるのですか?

―和田

PCメーカーにとってキーボードは付属品だから、生産価格の安さが重視される。でも違うのです。

HHKBのキャッチコピーにもありますが、アメリカのカウボーイは旅の途中で馬が死ぬと馬はそこに残していくけれど、どんな砂漠の中でも鞍は自分で担いでいく。馬は消耗品だけれど、鞍は体になじんだインタフェースですからね。それと同じでパソコンは消耗品、キーボードこそ大切なインタフェースなのです。

プログラミングでアニメーションを描くのが大好き

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― プログラミングで絵を描くことがご趣味と、Webサイトにありました。

―和田

この3Dメガネを掛けて、画面の地球(画像中央)を見てください。立体的に回転しているでしょ。赤と青の線でアナグリフ(立体動画)を描いたんだけれど、シアトル→東京→シカゴ→アムステルダム→シアトルを結んだ線が見えます。

これは2005年11月に、インターネットの最高伝達速度を記録した回線。WIDEプロジェクトにインターネットの伝送状況を図解するnetvizという研究グループがあって、そのプロジェクトのひとつでしたことです。本当はインターネットの回線のどこが太くてどこが細いかまでを描きたかったけれどね。

― ……すごいですね。

―和田

プロジェクターに映っているのは、パラメトロン計算機PC-1のシミュレータ(画像右)です。私がプログラムライブラリの開発に携わって1958年3月に完成、64年まで稼働していたPC-1の動きを説明するのに使います。

下の方は紙テープでプログラムを読み込んでいる様子で、上のライトの点滅で計算をしているのがわかる。

もう50年ほど前になるけれど、当時は自然対数の底のeの値を1000けたまで計算するのがはやっていてね。1+(1の階乗分の1)+(2の階乗分の1)+……と続けて、(460の階乗分の1)くらいまで足すと1000けたの精度になる。その計算をしているんです。

― 先生はパラメトロン計算機のプログラミングで、プログラム本文の一部と文字コード変換テーブルを兼ね合わせてサイズを圧縮させ、現在では日本初のハッカー作品と言われています。

―和田

修士論文を書いた50年代からプログラミングを始めたんだけれど、最初はメモリのないパラメトロン計算機しかなかった。

そこで紙テープを読み込ませて、一部を計算処理した紙テープが出てくると、またそいつを読み込ませて計算が進むいうプログラミングを考えてね。2×2の行列の掛け算くらいはできるようになった。

PC-1ができてからはプログラムに熱中して、その最初が有名になった入力ルーチンです。

― もうひとつ何かを見せていただけますか?

―和田

これはPostScriptで描いたキーボード(画像左)なんだけれど、タイピングとルロイ・アンダーソンの「タイプライター」という曲がシンクロしているのです。「チン!」という音はリターンキーが押される音。

こうしたさまざまな絵を描くのが私の趣味で、絵というよりアニメに近いかな。大好きです。

ウェアラブルなPCでプログラミングをしたい

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― プログラミングにはどんな言語をお使いですか?

―和田

マシン語やCも使ったけれど、今ではほとんどLisp、それとPostScript。だから、LispとPostScriptさえあれば私はハッピーになれる。それらの言語を選んだ理由は、慣れてるからかな(笑)。

Lispはガーベジコレクション(使用したメモリ領域を自動的に回収して再利用する)が面白いよね。

ただ、さっきみたいにメモリを消費していく様子を動きにして見せないと、今の人に面白さは伝わらないのかもしれませんね。

― 今の若いプログラマを見て思うことはありますか?

―和田

特にはないなあ。ただ、昔はメモリが少なかったから作れるものが限られていて、512ワードの中にすべての計算を詰め込まなくてはならなかった。今は何万行も書けるけれど、自由になった分だけバグも増えてしまう。

プログラムをコンパクトにまとめる、モジュラーに作る、思い切って機能を捨てるなどの工夫があってもいいと思うね。

― いつもお聞きしているのですが、今後の夢は何でしょう?

―和田

1964年に情報処理学会が主催した「夢のシンポジウム」があって、20代、30代の若手エンジニアがたくさん集まったのです。IBMのシステム360が出た年でね、私は「世界中の計算機をつなぎたい」「自分専用の計算機が欲しい」と夢を語った。

70年代のマイコンとインターネットで2つの夢がかなったから、今はウェアラブルな計算機が欲しいかな。メガネがディスプレイになるとか、服にキーボードが付いているとか。もうすぐ出るような気もするけれどね。

エンジニアプロフィール:和田栄一さん(75歳)

1931年生まれ。東京大学物理学科卒業後、同大学院の高橋研究室でパラメトロンコンピュータのプログラムライブラリ開発を担当。当時のテレタイプの文字コード変換表をプログラム本体に組み込んだ入力ルーチンは、プログラムを短くし、同時に処理速度も上げたもので、日本初のハッカー作品と呼ばれる。東京大学助教授、同教授、マサチューセッツ工科大学準教授などを務める。1990年ごろに大学院生と「和田研フォント」を開発し無償で提供。1995年よりPFU研究所と共同でハッカー向け「Happy HackingKeyboard」を開発し、多くのプログラマの称賛を得る。
東京大学名誉教授、IIJ技術研究所所長、工学博士。

取材・文/総研スタッフ 高橋マサシ 撮影/平山諭 作成日:07.01.29