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エンジニア人生最大のターニングポイントは?いつ踏み出した?
吉岡弘隆、武部雄一、白石俊平が語るギーク・キャリア
異動、独立・起業、転職、技術コミュニティの主催、技術フェロー、エヴァンジェリストなど、多様化するエンジニアの働き方。それらを体現してきた3人のギークエンジニアが、新たなキャリアを踏み出したターニングポイントとエピソードを紹介する。
(取材・文/総研スタッフ/宮みゆき 撮影/佐藤聡)作成日:12.09.26
「ギーク年表」公開!ギークエンジニアのターニングポイントとは

 2012年8月に開催されたリクルートエージェント「Web CAT Studio」主催のエンジニア向け勉強会、「ギークのターニングポイント 〜『踏み出す』すべを、彼らに学ぶ〜」。楽天の吉岡弘隆氏、DeNAの武部雄一氏、オープンウェブ・テクノロジーの白石俊平氏、3人のギークエンジニアによって、これまでのエンジニアとしてのキャリアやターニングポイントが語られた。なぜ、彼らは“次”のキャリアに踏み出せたのだろうか。

ギークエンジニアのターニングポイント(1) 吉岡 弘隆氏
吉岡 弘隆氏
吉岡 弘隆氏

 僕が生まれたのは1958年、今年の誕生日で54歳です。初めてコンピュータに触ったのは1971年、慶応義塾中等部の夏のコンピュータ講座に参加したときですね。そこでアセンブリ言語と出合いました(TOSBAC-3400)。16KWの中型機で、チンプンカンプンだったのに、ワクワクしたのを覚えています。夏の暑い時期に、日吉の校舎でパンチカードを夢中でいじっていました。

 高校では数学研究会に入り、FORTRAN、BASIC、COBOL、LISPなどのプログラミング言語をかじりました。なぜか大学のコンピュータを使うことができたのですが、1分単位でCPU代金を払うという課金制。まあ、数十行程度だったので問題ありませんでした(笑)。

 大学は工学部です。理系だと医学部か工学部しか選択肢がなく、医学部は無理だったので、消去法で工学部に進みました。電子計算機研究会に入り、TRS-80を個人輸入で購入。400ドルのTRS-80を、時給400円のセブンイレブンのバイトでためて、海外送金してまで買ったんです。でも結構注文が殺到していたらしく、半年くらい待ちました。

 1984年にDEC(日本ディジタルイクイップメント研究開発センター)という会社に入りました。コンパックに買収されて、いまはありませんけどね(※現在はヒューレット・パッカード (HP) )。入社後は日本語COBOL、VAX Rdbの開発に従事しました。転機が来たのは1989年です。1年間、米国本社に出向し、Rdbの国際化プロジェクトに参加することになりました。ガチで向こうのエンジニアとやり合ったのはいい思い出です。それと文字コードの標準化活動に参加できたのもよかったです。私の場合は、日本語の文字コードの「JIS X0208:1990」でしたが、標準化はみなさんにもぜひ経験してほしいですね。世界中のエキスパートが集まるから、とてもいい勉強になります。いまならHTML5あたりが、まさにそうだと思いますよ。

 その後オラクルに転職、技術部マネージャーとして入社します。ラッキーだったのは本社へ出向し、Oracle8の開発に従事できたこと。当時のOracle8は、社運のかかったプロジェクト。米国オラクルには3年半いましたたが、メチャメチャ面白かった。自分のエンジニアライフのエポックメイキング的な出来事でしたね。シリコンバレーの空気にも触れられました。1998年にNetscapeがソースコードを公開したので、それを仕事が終わった後に読むのが趣味でした。

 2000年に同僚と社内ベンチャーを立ち上げ、ミラクル・リナックスを設立しました。オープンソースの世界に触れ、Linuxはすごいと思ったことが大きかったですね。ほぼ同時に、コミュニティ活動に興味をもちはじめ、カーネル読書会を月一回開催するようになります。セミナー+懇親会の勉強会形式をつくり出して、もう100回くらい開催してきました。2009年10月にはリーナス・トーバルズも参加してます。

 2009年、楽天に転職しました。Hacker Centric Cultureを作るのがミッションです。いいサービスは素人がつくるのではなく、プロがつくるもの。Googleや、Twitter、Facebookのような会社には、人件費を安く抑えて利益を高く出すという文化ではなく、ハッカーが世界を変えるという文化が共通してあります。優秀な人をどうやって集めるか、世界に影響を与えるサービスをどうつくり出すか。そのためにHacker文化を根付かせたい。現在は、そのための戦略づくりや、社外・社内勉強会やコミュニティ活動などをやっています。

ギークエンジニアのターニングポイント(2) 武部 雄一氏

 1977年生まれです。幼少時代は富山県の田舎に育ちました。かけっこが速かったため、最初で最後のモテ期が訪れました(笑)。友達の家でパソコンを使ったゲームに触れたのですが、ファミコンのほうが面白くて興味を示せませんでした。中学・高校時代は陸上で国体・全中・インターハイに出場。高校では、キャプテンとして県大会で二競技優勝、チーム総合優勝に導きました。コンピュータは情報処理の授業で基礎を学び、COBOL言語での入出力などの単純な処理を習得しました。試験ではだいたいほぼ満点をとってましたね。

 1997年に、進学か就職か迷った末、大手電力会社へ就職。親に負担を掛けたくないし、大学で学びたいことも思いつかなかったからです。しかし、仕事が死ぬほどつまらない。人間関係も楽しくない。人生をこのまま浪費したくないと思い、周囲を裏切るのは心苦しかったが、一年で退職しました。

 楽器屋などでアルバイトしてお金をためて上京。高校のころも得意だったし、給料もよさそうだという動機から、システム開発の道へ進みます。入社時適正チェック(IBM独自CAB試験)の結果が良く、未経験ながら一発採用。COBOLを使った開発現場で3年程働きました。COBOLでは美しいプログラミングを書けないことに限界を感じ、Java+Webに転向します。さらに、Webの各種プロトコル、LL系言語、Linuxなどを習得しようと考え、LinuxをベースとしたNW構築、Web、DB、Mail、DNSなどのconfiguration、アプリケーション開発など独学で学びました。同時に、顧客折衝力や、プロジェクト推進力などを伸ばして、エンジニアとしての総合力も徐々に身についてきました。

 2007年に、「大規模な自社サービスに関わって技術力を向上したい」「優秀な人達と仕事を通じて自身をスケールアップしたい」と考え、DeNAに入社します。さまざまな企業を訪ね歩いた中で、直感で「ここは間違いない」と判断しました。入社後は、モバオク、Mobage、Yahoo! Mobage、ソーシャルゲームなどの開発を経験。エンジニアとしてのキャリアも開発エンジニア、リードエンジニア、マネージャーと、業務の管轄と責任の範囲が広がっています。

 現在は、エンジニアの採用・育成がメインミッションです。日々、さまざまな事が起きますが、みんなと協力して乗り越えています。DeNAは、開発力のみならず、「論理的思考力」「顧客志向」「分析結果からのロジカルな戦略立案」「早くて精度の高い意志決定力」など、ビジネス面でも必要な能力を鍛えられる環境だと思っています。

武部 雄一氏
武部 雄一氏

ギークエンジニアのターニングポイント(3) 白石 俊平氏
白石 俊平氏
白石 俊平氏

 僕の学生時代は、母親がスパルタだったので、言われるがままにやりたくもない勉強やらバイオリンやらやらされました(笑)。小学生のころはガリ勉イメージですね。私立中学に入学したら、母の締め付けが緩くなり、唯一の取りえの成績もガタガタになってしまったんです。今日はみんなお酒を飲みながら車座になってグタグタな会になると思っていたので、バイオリンを持って来ちゃいました(笑)。18歳までしかやってないけど音程は取れるし、絶対音感があるので、楽譜がなくても弾けます!
(このあと、爆風スランプのランナーを演奏! 素晴らしい演奏でした)

 実は学生生活では、パソコンには全く触わらなかったんです。IT業界を志望した動機は、仕事にしないと一生パソコンとか知らずにいそうだったから。SE派遣会社に就職したのも修羅場を経験したかったからです。修羅場を乗り越えたら成長感を感じるし、自分が強くなれる感覚を味わいたかった。このころ、結城浩さんの本に影響を受けて、Javaとオブジェクト指向が好きになりました。

 1〜2年単位でベンチャーを転々とし、2007年にフリーのテクニカルライターに転身。初の書籍執筆(『Google Gearsスタートガイド(技術評論社)』)を経験します。あまりお金にはならないことを除けば、知的好奇心が満たされる楽しい仕事でした。GoogleがどんどんAPIを出していたこともあり、はてブがどんどん付いて気持ちよかったですね。

 2007年から「読書するエンジニアの会」を開催するようになりました。月に一回集まって、特定のテーマについて読書した結果をおしゃべりしたり、飲食しながら共有する会です。もうすぐ50回になりますが、腐女子、ハーレクインロマンスなどいろいろな本を取り上げています。さらに2009年、Googleの準公式コミュニティとして「html5j.org」を始動します。Google Gearsで得た知見がHTML5に集約されていることを知り、オフラインアプリーションの知識やノウハウを活かすためにはこれしかないと思ったのです。

 自社サービス開発、投資家との起業、社会起業などを志し、2010年にオープンウェブ・テクノロジーを立ち上げました。初の自己資金による起業です。失敗も多かったのですが、技術に加えて、「人を動かす」ことの楽しさを知った時期でした。2012年の初めからはシーエー・モバイルのフェローとして就任。Web界隈でのさまざまな活動が、実を結んだ形になりました。

自分の一回きりの人生で後悔したくない。心は嘘をつかない

 続いて、3人のパネルディスカッションに。事前に用意されたテーマは「踏み出したエピソード」「エンジニアのキャリアについて」「仕事術について」「スキルアップについて」「登壇者同士で聴いてみたいこと」。ここでは、会場の拍手と登壇者たちの関心が高かった「踏み出したエピソード」についてのディスカッションを紹介。

白石

僕はまず武部さんの話を聞きたいですね。大手の電力会社に就職して家族や親戚は喜ばれてたと思うんです。それなのに、高校を卒業したばかりの1年目で、なぜ辞める決意ができたんですか?

武部

自分の一回きりの人生で後悔したくなかったんです。給料はよかったし、ボーナスも年に4回も出てました。でも、ルーチンワークしかしていないのに、こんなにもらっていいのか疑問を抱いた。もっと経験を積みたかったし、20代と30代は輝いている人生にしたかった。

吉岡

それを10代で気付くというのがとてもすごいと思う。人生に正解はないけど、そこで踏み出せるのがすごい。

白石

僕がフリーになったきっかけは、自分で自分の人生をドライブしたかったから。結局、フリーエンジニアになっても斡旋された仕事を言われるままにこなすのは同じ。だから何のあてもないけど辞めました。そしたらフリーライターの仕事がきたんです。僕の人生は、あてがなくても踏み出したら何かが降ってくる。

吉岡

結局、踏み出すときは心の中にもやもやを抱えているとき。2000年にミラクル・リナックスを立ち上げたのは、オラクルに不満があったわけではなかった。バグを直す作業は面白かったけど、これをずっとやるのかと思うとワクワクしなかった。そんなときに、やんちゃな連中がLinuxの会社をつくると言い出した。最初は止めるほうだったのに、いつの間にか面白いんじゃないと思うようになり、ミラクル・リナックスを設立しちゃった。会社をつくったときは100mを全力疾走したときの満足感がありましたね。ミラクル・リナックスは楽しかった。何百回Oracleをインストールしたかわからないけど、とにかく面白かった。

武部

踏み出すきっかけが「ワクワク感」というのは同意。心は嘘をつかない。DeNAで働き出したころのワクワク感はいまでも鮮明に思い出せるし、いまも変わらない。逆にしんどいと思い始めたら、やばいシグナルだと思ってます。

吉岡

アジャイルの世界では、朝に全員でプロジェクトの進捗状況を共有する。ニコニコカレンダーというものをつくり、毎日それに笑顔、怒る顔、泣き顔を貼る。これでそのプロジェクトのテンションがわかるんです。リーダーはそれを指針にしていかにニコニコを増やすか考えるのがミッション。朝起きて早く仕事したいと思ったほうがいいものができるに決まってるから。

白石

ワクワクすることはたいてい新しいこと。つまり、どんなに楽しくてもだんだん飽きるはず。飽きと新しいことを始めるときの折り合いはどうやってつけてます?

吉岡

僕は飽きっぽい(笑)。でもカーネル読書会を続けられた理由は、やっぱり楽しかったから。10年以上ワクワクしている。不思議な感じがする。もっと言えば40年間コンピュータに飽きないでいる。日々変化しているところが飽きるのを防いでいるのではないかと思いますね。

白石

参加者の中にもやもやを抱えている人がいると思います。何かアドバイスはありませんか?

武部

DeNAは自社サービスなので、自分でアイデアを出し、さらに自分でつくることができるという点では恵まれている環境だと思う。一方で、地味で単調な仕事も嫌いではないんです。プログラムの単純な改修とか。「誰よりもうまくやれる」という変な自負があって(笑)、終わった後は自己満足的な達成感を得ていますね。

吉岡

英語が話せるようになりたければ、試しに使ってみるなどしないと何も変わらない。半歩踏み出してみる。大それたことなんてしなくていい。もやもやしているときは、AをとるかBをとるか迷ったら、もうAをとればいい。それで「あちゃー」と思ったらそれは自分が失敗した事だから、一応は納得できる。

白石

僕は岡本太郎さんの「迷ったら危険な道を行け」という言葉を信じてます。

吉岡

DEC在籍時、希望退職を募集するような状況で、とどまるかあてのない転職か迫られたんです。で、僕は後者を選んだ。当時オラクルは全くの無名企業でした。いまでも覚えているのは、本社に行ったときに、自分の技術力が通用するのか心配だった。それでもとりあえずは通用した。自分で選んだんだから、どうにかするんだと思ったから。当時はすでに妻子持ちでしたが、単身で行きました。もやもやという意味では、オラクルで開発ができなかったことですね。自分の技術者魂がまだ全然なくなっていなくて、本社に開発の仕事があると言われたときは、ノータイムで承諾しちゃいました。

武部

吉岡さんの尊敬するところは、年齢やステージに関係なくチャレンジするところ。僕も妻には心がワクワクしなくなかったら転職するからね、と言ってあります。

吉岡

ミラクル・リナックス設立時、経営の経験はなかったが、いまこれをやらなかったら絶対後悔すると未来の自分がいまの自分に語りかけた。それでも弱気になってたときに、妻から「あなたオープンソースの会社つくりたかったんでしょう!?」と言われ、グサッときたことがあるんです。テンションの高さを理解してくれたのが嬉しかった。

あと、エンジニアは若い方がいいという風潮に強い違和感があります。経験を還元していかないと社会としてももったいないと思うんです。ただ、変化の激しいところでは成功体験が足を引っ張るのは事実。unlearn(学びほぐす)をうまくして彼らにキャッチアップしていく必要がある。成功をどうやって自分で否定するかが、これからのWeb系企業の鍵になります。もちろん、楽天も見習う必要がある。成功を肯定的に否定することが重要だと考えています。

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