2014年2月、6年ぶりに
ある外資系企業が東証マザーズに上場、
大きな話題を呼んだ。
眼科医の窪田氏が2002年にシアトルで設立した
バイオベンチャーの「アキュセラ」だ。
なぜ彼は、眼科医の道を捨て、
起業家に転身したのか。
20代は学者、30代は臨床医、40代は起業家。変化を恐れない先に成功が
僕の人生は、冒険の連続なんです。20代は学者、30代は臨床医、40代は起業家と、自分の信念を貫きいろんなことに挑戦してきました。変化を恐れない。その結果が今なのだと思います。
転機は29歳の時。慶應義塾大学の医学研究科に在籍し、暗室にこもって網膜に関わる病気の原因遺伝子を見つける研究を続けていた僕に、神様が贈り物をくれました。それが緑内障を引き起こす原因遺伝子「ミオシリン」の発見でした。この発見で国内外に自分の名前を残すこととなり、研究者だった僕の人生が大きく動き出しました。このまま研究者を続けていれば、どこかの大学教授にはなれる可能性が高いと言われました。日本の一般的なキャリアの積み方でいうと「これで安泰」です。でも、僕は違う道を選んだ。疾患の原因を突き止めることが必ずしも治療法につながるわけではないことを実感し、一人でも多くの眼科疾患患者を治療するため、これまで十分と言えるほどに経験を積んでいない手術の道を究めようと、臨床医の道を選びました。
選んだのは、虎の門病院。優秀な臨床医が集まっている病院です。手術の腕を磨きに入ったものの、最初のころは通常10分で終わる手術に1時間かかるなど、悔しくて恥ずかしい思いをたくさんしましたよ。それでも2年経つと同じ手術が10分でできるようになった。僕が優秀だからではありません。ひたすら練習に練習を重ねたからです。
研究者と違って、臨床医は患者さんに直接触れる仕事です。手術の腕が上がるとともに、研究者とは違うやりがいを見つけました。患者さんが治っていくことに幸せを感じるようになったんです。「人の役に立つ喜び」です。同時に、治療法のない眼疾患が多いという事実にも直面しました。もっともっと多くの人を治したい。日増しにその思いは強くなっていきました。
そんな中、緑内障原因遺伝子の一つ「ミオシリン」を発見した功績が認められ、ワシントン大学に招聘された。臨床医を辞め、網膜疾患の治療につながる研究をするという新たな冒険の旅に出ることを決意したのです。
環境に応じて、自分自身が変化していくことが大事
網膜疾患の新しい治療法を発見して、多くの人を救いたい。できれば世界中の人を。その気持ちが強かったとはいえ、最初から起業して新薬を開発しようと思っていたわけではありません。まずは、研究者としてできることを模索しました。
古巣の慶應義塾大学に拾ってもらった後、勃興していた再生医療の研究をするため、ワシントン大学への留学を決意。研究を続けるなかで、神経細胞の培養技術に手ごたえをつかみました。もしかして網膜疾患の新しい治療への貢献ができるかもしれない。そこで思いついたのが起業です。周りは反対しましたよ。起業大国アメリカと言えども、バイオベンチャーで成功するのは難しいと思われていたんです。
その後、オリンパスが出資してくれ、一端は経営が順調だったものの、設立から3年経って、ビジネスモデルに大きな行き詰まりを感じたんです。それから事業戦略を転換し、よりハイリスクハイリターンな方法をとりました。手持ちの自己資金が尽きる2年間で新薬を開発しようと考えたんです。新薬候補となる化合物を見つけるのに2年という期間が非現実的であるということと、ビジネスモデルの変換に賛同できない社員もおり、半数は退職してしまった。しかし、何とか達成できたのは、研究者時代の経験があったことと環境に応じて自分自身が変化を受け入れていったからです。
このように、僕のキャリアは変化の連続でした。今の仕事は楽しいけれど、これからもっとワクワクすることに出会えるかもしれない、といつも思っていますよ。
2002年、シアトルの自宅の地下室で、
起業をした窪田氏。
資本金は100万円だったという。
その後数年間で、会社は大きく成長し、
新薬の開発も最終段階に突入した。
何が幸運をもたらしたのか。
飛びぬけた才能がない人こそ、自分だけの「ユニークネス」な道を探そう
成功の秘訣を挙げるとするならば、「前例のないことをやる」ということ。そして「あきらめない」こと。人のやっていない土俵に上がってみるんです。みんなと同じ山を登るより違ったことをやったほうが、あきらめさえしなければ成功する可能性が意外と高い場合がある。競争相手が少ないから当然ですよね。そしてそのほうが面白い。どんなことにもユニークさを出すことはとても重要だと思います。
だからこそ僕は、「20代は学者、30代は臨床医、40代は起業家」というキャリアを歩んできました。変化を好むという性質も前提にありますが、大学に残ってひとつの分野で研究だけを続ける道はライバルが多すぎた。凄まじい才能を持っている人はそれでいいかもしれませんが、僕は自分をそういうタイプだとは思っていないから、いつだって自分ならではの「ユニークネス」な道を探すんです。実際に「お前は研究一本でいかなくてよかったな」と研究者時代にお世話になっていた恩師の先生に言われることもありますよ(笑)
もうひとつ、成功の秘訣は、ひたすらあきらめずに頑張ることしかない。僕がいろんな分野で成果を残せたのは、多才だったからではありません。むしろ、自分に何かの才能があるなんて思っていません。ただ、ひたむきに努力したんです。そういう意味では、始める前に、自分がひたむきになれるかどうかを自問したほうがいい。
そもそも僕が眼科医になったのも、「眼」が好きだったからです。「眼」って、その生きものすべてを表すでしょう。小さいころから昆虫や小動物の目を観察するのが好きだったし、人間の眼にはもっと興味を持った。だからこそ、どんどんのめりこんでいったんです。
成長のグラフは直線ではない。ある日突然、飛躍した自分を感じられる
よく、一番困難だったことは何ですか、と聞かれますが、実は大変な思いをした経験は覚えていないんです。起業して新薬を開発するまでの道のりが決して順風満帆というわけではありません。経営危機に陥ったこともある。でも僕は、困難をすぐに忘れてしまう性格なんです。過去に起こったこともいいことしか覚えていません。だから、次から次へといろんなことに挑戦できたのかもしれませんね。
日本の若い人は、安全地帯を意味する安定を好み困難を嫌う人が多いと聞きますが、もったいないなと思います。変化の先に達成感があり、人生の喜びもある。成長もその先にあるんです。毎日に変化を感じなくなったら「ああ、次の段階に行くサインだな」と思わないと。良い負荷があってこそ人は成長します。
あとはプロセスを楽しむことも重要です。結果がすぐに出なくとも、大きな成長をすぐに感じることができなくとも、「今日は一歩前進できてよかった」と思って、今を楽しめばいい。それを繰り返していると、ある日、自分がぐんと成長していることに気づきます。成長のグラフは直線ではない。S字カーブのような曲線なんですよ。
窪田良著
全世界に1億2700万人の患者がいると言われる「加齢黄斑変性」。その治療薬を開発している窪田良氏の半生をつづった本。「ゲノム研究」「眼科医」「起業家」という3つの領域を極めた窪田氏のひたむきで真摯で明るい生き方、考え方が詳細に書かれている。
「成長はある日突然やってくる」「苦手なことは他流試合で乗り切る」「想定外こそ、面白い」「環境に適応するには、捨てることも重要」「クロストレーニングがブレークスルーを生む」「天才と変わり者は紙一重」「本質的な問いが新たな道を切り開く」など、ビジネスに即使える内容が満載な一冊だ。
日経BP社刊
- EDIT/WRITING
- 高嶋ちほ子
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 和田佳久
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