軽井沢の老舗「星野温泉旅館」の
四代目として生まれた。現在は、
経営難に陥った老舗旅館やホテルを
次々と蘇らせる星野リゾートの社長として
注目を浴びている。「観光のカリスマ」は、
どのようにして生まれたのか。
いったん継いだ星野温泉を、半年で退職
私の祖父は古いタイプの人間で、事業というものは代々受け継がれていくのが当然だというように考えていたようです。来客があるたびに「うちの跡取りです」と私を紹介するものですから、気づいたら私も周りの人間も、星野温泉旅館の後継者は私だと決め込んでいました。就職活動というものをろくに意識したことがないのは、そのせいですね。
学生時代、やっていたのはひたすら部活のアイスホッケーだけ。仕事といったら、“引退してからのアクティビティ”、つまり、ホッケーを引退した後の余暇にするもの、くらいのイメージしかありませんでした。でも、そんな意識で社会に出ては、さすがにまずい。そこで、アメリカにあるコーネル大学の大学院に留学しました。
そこで勉強したのは、ホテルやリゾートに関する観光学というよりも、経営そのもの。つまり、いい会社とは何か、いい経営者とはどんな人物か、といったことでした。ですから、1989年に帰国して星野温泉に入社した時には、「これからは副社長として、星野温泉をいい会社にするんだ」、そう決意していたんです。経営者の役割とは「組織を変革しながら、会社を成長させていくことだ」と思っていましたから。
ところが、私はわずか6カ月で会社を辞めてしまいました。さまざまな事情がありますが、一番の理由は、自分が思い描いていた「いい会社」と星野温泉に大きな乖離があったにも関わらず、それを修正できなかったことです。
当時の星野温泉は、大手企業がどんどんリゾートに進出してくる「観光の時代」を勝ち抜ける組織ではありませんでした。でも、そのこと自体にショックを受けたわけではありません。弱い組織は私たちマネジメントをする人間が強くしていけばいいんです。しかし、私が理想としていた「いい会社」は、星野温泉では必要とされていなかった。長い間、同族企業で優良経営をしていたこともあり、社内ではこのままの体制を続けていけばいいという声が多かったんです。
同族企業にも、長期的な経営戦略ができるなど、いい所はたくさんあります。でも、変革しなくては生き残れない問題もあったんです。特に、既得権益や公私混同に関しては、何としても改善したいと考えていました。しかし、現状をよしとする状況のなかで、自分は必要とされていないのではないかとますます感じるようになっていった。なかには私を支持してくれる社員もいたのですが、うまく改革が進められない中、味方してくれる社員の存在すら自分を苦しめていきました。最終的には、自分の改革が本気であることを示したくて、自ら身を引くことにしたんです。
他の企業とは違う、圧倒的な楽しさを社員に提供する
私が会社に呼び戻されたのは、1991年、31歳のときでした。1987年にリゾート法が施行されて以来、大型のリゾートホテルや旅館が次々と誕生していました。いよいよ老舗旅館があぐらをかいていられる時代ではなくなっていたんです。会社に戻るにあたり、私は全権を委任してもらうという条件を出しました。私が思う「いい会社」をトップダウンでかたちにできる態勢を整えるためです。
「いい会社」とは、フラットな組織文化を持った会社のこと。私はそう考えていました。それは今でも変わっていません。年齢やキャリアの長さ、担っているポジションにかかわらず、誰もが言いたいことを言い、意思決定の場面に参加できる。スタッフ一人ひとりが自ら課題を見つけ、考え、提案できる。そんな環境なら、誰もがのびのびと働けるんです。これが、強い組織です。
加えて「働いていて楽しい」ということも重要視していました。私は組織改革をするために、人材の確保を始めたのですが、これが思った以上に大変でした。有名企業と違い、私たちのような地方拠点の無名な会社には、普通に募集しても誰も入社してくれなかったんです。だったら、他の企業とは圧倒的に違うものを社員に提供し、それをアピールするしかない。それが「誰に気兼ねすることなく、言いたいことを何でも言える楽しさ」でした。
人を集めるのには、本当に苦労しましたよ。新卒向けの会社説明会にいくと企業のブースが並んでいますよね。こちらのブースには一人もいないのに、隣の企業のブースにはイスが足りないぐらい学生がいるんです。彼らに「イスを貸すから、後でこっちの説明会にも寄ってね」などと声をかける。そんな作業を地道に続け、入社してくれた人には、毎日のように「今日はどうですか?」「職場は楽しいですか?」なんて聞いたりして。1995年ぐらいまでは、顧客満足以上に社員満足が大事でしたね(笑)。
星野旅館の建て直しを経て、
各地のリゾート再生へと進んだ星野氏。
組織変革の場面では、
変化を嫌う現場からの反発が
常につきまとうという。
あるべき方向に向かって、最短距離を最速で進めばいい
私が社長になってからは、組織構造も就業規則も大きく変わりました。新たな企業文化になじめない人も、当然出てくることになります。中間管理職を中心に人が辞めていき、気がつけば100人いた社員が3分の1に減りました。
それでも残ってくれた人は、新しい企業文化を受け入れてくれました。人間って本来、変わりたくない生き物なんです。頭では変わらなきゃと思っていても、なかなか気持ちがついていかない。では、どうしたら新しい文化になじんでくれるのか。
それは、「この変革によっていい環境になる」と納得してもらうことなんです。「給料が減ります」と言ったら、スタッフみんなが反対するに決まっています。でも「言いたいことが言えるようになる」という変革に反対する人はいません。そう伝えたときのパートさんたちの反応は非常に面白かったんですよ。「私たち、今までも言いたいこと、言ってたわよね」と(笑)。でもそれは、休憩室でグチを言っていただけ。それを正式な議論の場に引き出すことが、改革をするリーダーの仕事なんです。そうやってはじめにパートさんたちを味方につけると、若い社員たちもすぐに味方になってくれます。
一方で、痛い目にあうのは中間管理職です。彼らは、一般社員よりもたくさんの情報を持っていることでステイタスを保つ場合が多い。でも、フラットな組織になると情報量に差はなくなる。すると中間管理職のステイタスは失われ、部下からは言いたい放題言われるという、きつい状況に追い込まれるということになりがちです。そのため、辞める人がいちばん出やすいのが中間管理職なんです。でも、そんな状況であっても、「いい環境になる」と信じてついてきてくれる人たちは、必ずいます。
もちろん、人が辞めていくのは大変苦しいことです。最初の改革で社員が3分の1に減ったときは、経営的にも厳しかった。それでも耐えていけたのは、きっと、そのときの私には守るものがなかったからなのでしょう。私は一度会社を辞めた人間ですし、失ってこわいものがなかった。これでダメなら仕方ないという思い切りのようなものがあったのだと思います。
それに私には、最初に星野温泉に入社して辞めるまでの6カ月間の記憶がありました。あのとき感じた強烈なフラストレーション。ひどい状態にある会社をみじんも改善することができなかったあのころと比較すると、ずっといい状態でした。少しずつではありますが、私が思い描く「いい会社」に向かって着実に前に進んでいましたし、私に共感してついてきてくれるスタッフは、必死で困難を乗り越えようとしていた。燃え上がるような一体感が、そこにはありました。あるべき方向に向かって、最短距離を最速で進む。それだけを考えていれば、歩みが揺らぐことはないんです。
日本のホスピタリティは世界に誇れるもの
日本の観光を世界に誇れるものにする。それが星野リゾートのこれからの使命だと思っています。まだまだ実現は遠いかもしれませんが、「日本の観光をヤバくする」という言葉を掲げて、地道に進めている最中です。
日本のリゾートの一番の問題点は、「地域ならではの文化や魅力を活かさない」ところにあると考えています。例えば、青森県の温泉旅館「青森屋」では、標準語を使わず津軽弁だけで接客をしています。こういう地域らしさを味わえることが、旅の醍醐味だし、本質だと思うんです。
海外に対しても、日本ならではの魅力を発信できていないのが現状です。もともと、日本のホスピタリティは世界的に高い評価を受けています。実際、海外の方に日本のイメージをたずねると、「ものづくりがうまい」に続いて「ホスピタリティがある」と答えます。ところが、ホテルやリゾートなどのサービス業界への評価は、日本は圧倒的に劣っている。私はそれが悔しいんです。この悔しさが、私の一番の原動力かもしれません。
日本のホスピタリティの特徴は、顧客との関係性にあります。西洋のホスピタリティはお客様が主役。ですが、日本においては迎える側が主役。「宿の御主人」なんて言い方をするのも日本だけです。宿の側の演出を楽しみに訪れるのがお客様なんです。
ハウスキーパーひとつとっても、西洋のそれとは180度違います。西洋におけるハウスキーパーといえば“マニュアルにそって部屋をきれいにする”人たちです。一方、私たちは“部屋をしつらえる”人たちがハウスキーパーだと思っています。
「しつらえる」とは、天気や季節、そしていらっしゃるお客様の状況に合わせて部屋をカスタマイズすることです。お客様は入室した瞬間に、その部屋をしつらえた人間の文化度を感じ取ることになる。それは、書道、華道、茶道など日本古来の作法を身につけていないと務まらない仕事でしょう。でもこれが、千利休の「茶の湯」から連綿と続く、日本ならではのホスピタリティなのです。
いつか世界に向けて、日本独自のホスピタリティを輸出してみせる。日本にはそれだけのポテンシャルがあると私は信じています。直近の課題は、季節の歳時記を知り、それを表現できるスタッフを育てていくことでしょうね。大変ですが、彼らもきっと楽しいと感じるはずです。自分の成長を実感できるわけですし、お客様に褒めていただくことも、やはりとても楽しいことですから。
人がイキイキと仕事をするには、「楽しい」と感じること、それがすごく重要なんです。働く人はみな、そんな場所を探すべきだと、私は思います。そして私たち経営者の務めは、そんな場所を作っていくことなんです。
- EDIT
- 高嶋ちほ子
- WRITING
- 東雄介
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 刑部友康
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