日本最大のクラウン集団「プレジャーB」の
代表を務める大棟氏。
2008年には、「クラウン(道化師)」の頂点を競う世界大会で金メダルを受賞した。
大学卒業後、鉄道会社に勤めていた彼が、
なぜ、クラウンの道を選んだのか。
僕はクラウンに向かない性格。だから、やろうと思った
クラウンになったのは、たまたまです。鉄道会社で駅員をしていたころにクラウン養成講座に通い始めたのがきっかけなんです。目的は、「人を楽しませることが苦手」というコンプレックスを克服するため。ですから、もとの性格は全然クラウン向きじゃない。でも、だからこそクラウンの技を身につけることが自己啓発になると思ったんです。
まあ、大げさなものじゃないですよ。駅員の仕事ってオフがはっきりしているんです。残業もゼロでしたしダイヤ通りに1日が終わる。人の命を預かる仕事ですから、無理のないように休みもしっかり確保される。時間があるな、自己啓発でもしようか。そこでたまたま目にしたクラウン養成講座に参加してみたというだけなんです。
実際生で触れてみて、あらためて自分にはクラウンなんてムリだと思いました。人前で笑われるのが恥ずかしかったですし、勉強しないといけないことがあまりにも多くて。1つ扉を開いたと思ったら、その奥にまた扉がある。いつまでも勉強が終わらない。でも、そうしているうちに、プロになるほどのめりこんでしまったんです。
その後、鉄道会社を辞めて、クラウンを本業にしました。別にクラウンがやりたくて会社を辞めたわけじゃないんです。会社を辞めようと思ったとき、たまたまクラウンという選択があっただけ。職種にこだわりはなかったし、憧れたクラウンもいなかった。そういう意味では、クラウンに対して冷めていたと思います。でも、今ではクラウンの仕事がすごく好きだし、天職だと思っている。一生懸命やれば、どんな仕事も天職になるんじゃないかな。
どんな仕事も一生懸命やれば好きになれる
僕は何でもやり始めたらのめり込むタイプなんです。鉄道会社の仕事も、一生懸命やっていましたよ。「あいさつ駅員現る」って新聞に載ったこともありますから。僕が担当していた駅は、朝と夜で3000人ずつ乗降客がいたんですが、全員の顔を覚えるために、1人ひとり、お客の顔を見てあいさつをした。そしたらいつしかお客さんのほうもあいさつしてくれるようになって。街中にあいさつの連鎖がおきてすごくいい雰囲気になったのを覚えています。ほかにも「機関車トーマス」を使ったキャンペーンを企画して、遊園地の来園者が対前年比で141%も増えた、なんてこともありました。
一生懸命やることが、僕は好きなんです。これは学生時代にしていた陸上競技で身につけたものだと思います。陸上競技って、頑張ったら頑張った分だけ数字で成果が現れるでしょ。昨日よりも今日、今日より明日って、だんだん数字がよくなっていくのが楽しかった。まるでゲームみたいでした。「一生懸命頑張る」というゲーム。それで夢中になって、棒高跳びの選手としてオリンピックを目指そうかというくらいの成績を残していました。
そうやって一生懸命やれば、どんな仕事だって楽しくなると思う。もし仕事がつまらないのだとしたら、それは一生懸命やってないから。やらされてやっていても、つまらないでしょ。前のめりにやれば、どんなことでも面白くなっていくんです。
でも、会社では浮いちゃいましたね。当時の鉄道会社はダイヤと同じで、決められたことをきっちりこなすことが最優先。僕みたいな社員は、周囲と合わなくなってしまったんです。僕はもっといろんな仕事に挑戦したいのに、これ以上会社にいても頑張れないことがわかりました。会社を辞めて、クラウンを本業にした理由はそれですね。ある日、上司に酒の席でいわれたんです。「お前のような人間は、会社を辞めて1人でやっていけばいいんだよ」と。僕に協調性がないことを叱ったのか、それとも励ましてくれたのか、未だにわからないんですが(笑)。
他人の期待にこたえることで自分の殻を破れる
僕はもともと運動神経がある程度よかったから、人前でショーをしてお金をもらえるようなスキルは、割合すぐに身につきました。でも会社を辞めてプロになって、6年ぐらいは自分の殻を破れなかった。ジャグリングもできるしマジックもできる、パントマイムもアクロバットもできるようになったのに、まだ本当の意味でクラウンではなかったんです。
クラウンにとって一番大切なのは、「人の下に潜る」ことです。すごいパフォーマンスをするクラウンを観客が見上げるのではなくて、クラウンを見下してもらう。だからクラウンのパフォーマンスは、どこか「ずっこけ」ていて、意図的に隙を作るんです。要は、「上から目線」でクラウンを見て欲しいんです。笑いをとるときも、大爆笑よりも、むしろ失笑、苦笑がクラウンには似合うんです。
僕は、人の下に潜ることができませんでした。人に笑われるって感覚にどうもなじめなくて。照れくささもあったと思う。でもそれができないと、いいクラウンにはなれない。
殻を破ることができたのは、僕が結成したクラウン集団「プレジャーB」のメンバーのおかげでした。あるパフォーマンスで、僕が変なことをするほど面白くなるという役を任せてくれたんです。彼の期待にこたえようと自我を捨てて頑張ったら、すごくいい舞台になったんです。
自分で目標を立てようとすると、嫌なことをどうしても避けてしまいますよね。でも、彼はそんなことおかまいなしに僕に期待してくれた。その期待にこたえてみたら、子どもたちの反応がまるで変わった。やっと下に潜る面白さがわかったんです。自分の殻を破るときってこんなふうに、他人が外から破ってくれることもある。勧められたことに乗ってみるっていうの、大切だと思います。
2004年から、病院で闘病中の子どもたちの
前でパフォーマンスを始めた。
日本における「ホスピタル・クラウン」の草分け的存在だ。
金メッキでも死ぬまではがれなければ、純金になる
ホスピタル・クラウンはめちゃくちゃ「いい活動」ですけど、自分でそう言うのはめちゃくちゃ恥ずかしい。それに、病院でやるからといって特別意識を変えるということはないんです。僕たちはプロとしてクラウンとして、子どもの笑いを引き出す手伝いをしているだけなんです。
でも、ホスピタル・クラウンの仕事は、クラウンという仕事をする上で大切なことを僕に改めて考えさせてくれました。初めてホスピタル・クラウンとして病院に行ったのは、アメリカでなんですが、あまりに空気が重くて、病室に入れもしなかったんです、そこは、子どもの死が日常にある場所でした。病気の子どもたちに対して何かできると思っていたのは、僕のおごりだったんです。
いつもクラウンとしての軸を持たないといけません。クラウンにとって、子どもがどんな病気かどうかは関係ない。例えば、顔見知りの子どもが亡くなった時でも、隣の病室でパフォーマンスをします。少しでも引きずったら、クラウンとしての軸がぶれていることになります。僕らが落ち込むことは、子どもの前では許されません。
とはいっても、感情移入をして、疲れてしまうことがあります。でも僕はこの活動を続けていくと決めてるんです。もう後には引けないという思いもある。だって本も書いて、ドラマ化もされちゃいましたし(笑)。子どもたちに「ありがとね」なんて言われたら「また来るね」なんて言っちゃうし。
だから、力まず淡々とやっています。これからずっと続けていくんですから、呼吸をしながらやらないと。マラソンと同じです。100mなら息を止めて走りますが、マラソンはそれでは続かない。自分のペースでゆっくり走ることが大事ですよね。それこそ、「かわいそうな子どものために」って気負っていた時期もありましたが、だんだん力が抜けて、今はムリのないフォームになっていると思います。
こんなことを言っているから、ごくまれですが「偽善者」って言われる事があるんです。一瞬へこみますが、ああそうだなと思う。僕はいい人間じゃないけど、いい人間になりたいんです。そしたら、いい人間のまねをするしかないなと。それに、僕のパフォーマンスを見てくれる人にとっては、僕がどういう人間かは関係ない。今目の前に素敵な空気ができたという事実があれば、それでいい。僕は、永遠なる偽善者でいいんだと思ってるんです。たとえ、それが金メッキでも、死ぬまでメッキがはがれなければ純金と変わらない。やり続けるってそういうことだと思うんですよ。
大棟耕介著
どうすればお客様が満足し、喜んでくれるのか。芸を見せつけるだけで満足するのではなく、あくまでお客を主役として引き立てるクラウンのパフォーマンスには、あらゆるサービス業に通じる「おもてなし」のマインドがあふれている。本書は、「時間差サービス」「B級サービス」「引きのサービス」ほか、レストランやホテルでの接客や営業職、経営者などにもきっと役に立つクラウン流おもてなしのテクニックが初公開されている。
こう書房刊
- EDIT
- 高嶋ちほ子
- WRITING
- 東雄介
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 栗原克己
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