




内向的な性格。
「根本的に芸人には向いていない」と
自分を分析する。
そんな彼がお笑いの道に
進むことになったきっかけとは。

友達がおらへんような人間が、人前で漫才をすることに
お姉ちゃんがお笑いのおっかけをしていたんです。その付き添いで吉本興業を運営する「心斎橋筋2丁目劇場」に舞台を見に行きました。それが15歳のときです。家にテレビがなかったので、漫才を見ること自体、そのときが初めて。しかも、生で見る漫才です。
ほんまにすごかった。なんじゃこのおもろいのはと。聞いたネタを覚えて帰って、紙にセリフを書き出してみたぐらいです。でも書いてみると、そんなに面白くないんです。しかも自分でネタを書こうと思っても全然思いつかない。
漫才師ってかっこいいな、漫才ってすごいなと思ったのが、そのときでした。だからといって舞台に立ちたいとまでは思いませんでしたけど。自分は友達全然おらへんような、おとなしい人間やったし。でもその後、転機となるようなことが訪れます。人前で漫才をすることになったんです。
中学校の修学旅行中にクラスで出し物をすることになって、「漫才でいいやん」て、誰かがいうたんです。でも、期日が迫ってきても誰もネタ考えへんまま。そしたら「石田はお笑い好きやで」って余計なことを言ったやつがおって…。そうして書いたのが、初めてのネタです。「心斎橋筋2丁目劇場」で見た芸人さんのネタをパクって、先生の口ぐせもちょっと入れてみたりして。
そしたら、全校生徒の前で大ウケやった。気持ちよかった〜。それまで笑いなんてとったことなかったから。実は、そのときのことはよく覚えてないんです。ほんまはややウケだったかもしれません。自分のなかでは大爆笑という記憶になってます。そのぐらい、嬉しかった。
中学校でお笑いらしいことやったのはそれ1回きりです。自分のお笑い熱はすごく複雑で。ウケたのは嬉しかったんですが、所詮はパクリでとった笑いですし、人前で騒げる性格でもないし。お笑いに対する気持ちは内にこもったままやったんです。
何か行動すれば、自分は変えられる
高校を卒業して板前の修業をしていたら、高校の同級生2人がやってきて「トリオでお笑いやれへんか」と。2人とも、高校時代ずーっと一緒に遊んでた奴で、あんなふうになりたいって尊敬するぐらい、むちゃくちゃ面白いやつらです。
そのおもろい2人に誘われたんかと思って、むっちゃ感動しました。だって僕、友達全然おらへんような、おとなしい人間やったし。おまけに「俺らネタかかれへんねん。石田は書けるやろ」って自分のことを頼ってくれて。それでネタも書くようになって、「心斎橋筋2丁目劇場」のオーディションを何度か受けました。
まあ、スベりましたね(笑)。結局、オーディションには全然受かりませんでした。じきにトリオは解散。それでまた、板前修業に気持ちを入れようかと。でも、板前はもうしっくりこなかったんです。心のなかに、変わろうとしている自分がいたというか。
オーディションの舞台に立っているときから、「俺、いま変わるポイントにおるな」って予感がありました。それまでずっと、自分の性格が嫌いやった。気持ちをなんで伝えられへんのやろと思ってた。伝えな、誰も笑わへんのに。でも、今何か行動すれば、そんな自分を変えられるかもしれない。そう思って、路上で1人コントを始めたんです。
「お笑い」だけがよりどころ。だから逃げなかった
路上で1人になったとたん、大きな声が出せなくなりました。それまでは、自分より面白い人間が側におるから安心できた。それが自分1人になると、本当に面白いこと言えるんか不安でたまらない。もう、こわくて。
そんなとき、今相方をやっている井上に一緒にやろうと声をかけられました。井上はそのころバンドをやっていたんですが、ちょうど解散したんです。でも、井上が入ってもやっぱり僕の声は出なかった。そんな調子で笑いなんてとれるわけない。酔っぱらいに説教されたこともあります。井上には「お前は話うまいから落語家になれや」。で、自分のほう指さして「お前はもう根本的に向いてないから、俺の下で働け」。まさかのヘッドハンティング(笑)。
もう辞めるって井上には言いました。でも井上は負けず嫌いやから。「負けたままでええんか。お前おもろい奴だったんちゃうんか」ってしつこいんです。そこからですね、笑いに対して本気になったんは。一週間で10本ネタ書いて練習して。知り合いがいないとこのほうが声も出しやすいと思って、路上をする場所も自宅から離れた神戸に移しました。漫才する前に何本もダッシュしたり、思いつくことは何でもやってみました。
そんなことを繰り返していたら、ついに、もうどうにでもなれ、という気になって。大きな声を出してみたんです。そしたら、笑ってくれる人がおるんです。人がどんどん集まってきて、すぐに3〜400人になりました。そして、やっと気がつきました。「ああ、俺ってちゃんと面白いもん作れてたんや」って。「ちゃんと伝えられへんだけやったんだ」って。
あのとき逃げずに済んだのは、お笑いだけがよりどころだったからだと思います。あのむっちゃ面白い2人が「お笑いやらへんか」って声かけてくれた。誰かに必要とされることなんて、それまでの自分にはありえへんことでした。笑いのおかげでやっと自信を持てたんです。



2000年にプロデビュー。
2007年まで新人賞を総なめし、
2008年にM-1グランプリ王者に。
漫才に向いていない石田さんが、
なぜ優勝できたのか。

負けて悔しく思うのは、勝つ力が身についた証
M-1には第1回から参加しましたけど、決勝の舞台に立っている自分が想像できないままに戦っていた。リアリティがないんです。だから負けてもなんともない。悔しい顔はしていても「決勝なんていけるわけないやろ」って心のどこかで思っていた。
でも2007年は違いました。サンドウィッチマンさんが敗者復活を勝ち抜いて優勝した年です。この時初めて「悔しい」と思った。決勝にいったサンドウィッチマンさんを見てたら、涙がばーって出て来て。「なんで俺らちゃうねん」って。
そのときに、やっとあそこに行ってもいい権利をもらったような気がしたんです。負けて悔しいのは、自分はあのステージに立つ器に成長できたからだと。僕は、自分たちがM-1に優勝するというリアリティを、やっと感じることができたんです。
明けて2008年は、M-1を獲るための1年でした。井上には「今までやってたスタイルの漫才は捨てる、新しい漫才を作るから付き合ってくれ」と言いました。井上は反対しましたけど、僕は二足のわらじが履けるほど器用じゃありません。それに僕には限界が見えてた。それまでのスタイルを続けても、過去のネタを焼き回すだけだとわかっていたんです。
そうやって作ったのが、M-1で見せたあのスタイルなんです。僕がぼけた後で太ももをグーで殴って反省する、それを井上がまたツッコむ。要はボケの二重奏です。普通の漫才の流れがありつつ、別の流れでもう一個笑いをとるという。あれは完全にM-1のためのネタ。決勝のステージで受けることだけを意識した競技用の漫才であって、営業では受けません。だから本番で受けるかどうか、むっちゃ不安でしたよ。でもM-1に勝つには、そこまでやらんと。
1年間漫才と向き合ったから、M-1王者になれた
2008年というタイミングもよかったんです。大阪から東京出て来たばかりで仕事がない。その分漫才と向き合う時間ができました。一個のネタをあれだけ作り替えたことはありません。M-1獲れたのは、漫才と向き合えたから。それだけだと思います。
すっごいマジメなんです、僕。芸人っぽくないってよく言われる。根本的なところではお笑いに向いてないと思います。目立つのは好きじゃないし、いつも自信がないし、だから絶対面白いと思えるものを作らないとこわいんです。
実際、芸人辞めたくなることもしょっちゅうです。ブラックマヨネーズさんとアンタッチャブルさんとNON STYLEとでレギュラー番組をしてたころなんて、いっつも収録終わりに吐いてましたもん。力の差が歴然として、なんも太刀打ちできひんから。昔の僕だったら、ここで完全に逃げてます。でも相方の井上はずっと頑張ろうとしてるし。それに僕、生む喜びを知ってしまったから、辞められないんです。自分の子どもなんですよね。ネタもそうですし、お芝居もそう。自分が思いついたことに対して愛がある。だから、僕はお笑いを辞められない。
死ぬまで笑いに関わり続けたいと思っています。ただ表現手段は漫才でなくてもいいとは思っています。だから、映画も撮るし、脚本も書いています。4月1日から始まる舞台「スピリチュアルな1日」では、初主演させていただきます。むっちゃ笑えるコメディですよ。
どんな形でもいいから、自分の中の役者としてのお笑いをみんなの前でお披露目して、認めさせてやりたいんです。もう、自分の中で楽しいだけじゃ嫌なんです。どんだけピアノがうまくても、家で弾いてるだけやったら悲しいでしょ。お笑いは自分の子どもですから、スベったときはごめんなって抱きしめてやる。でも、みんなの前には自信を持って送り出してやる。それが僕の生きがいなんです。


「スピリチュアルな1日」
石田さんが主演するホラー風味のヒューマンコメディ「スピリチュアルな1日」。心霊特集でオンエア予定だったドキュメンタリー映像に問題発生。石田さん扮するフリーのTVディレクターが急きょマンションに霊能者を招き、取り直しを試みる。ヤラセのはずのフィルムには、思わぬものが映り込んでいた…。「稽古をやっているときに悔しくなるくらい自分とは違った面白さを持った人たちが集まってつくっています。気持ちが落ち込んでいるときにぜひみてほしい舞台です。とにかく笑って笑って、その5秒後には胸がキュンとなる素敵な作品です」と石田さん。思いっきり笑いたいとき、落ち込んでいる気分を乗り越えたいときに観たい舞台だ。出演/石田明(NON STYLE)、須藤理彩、吉本菜穂子、菅原永二(猫のホテル)、諏訪雅(ヨーロッパ企画)脚本/小峯裕之(2008年度テレ朝新人シナリオ大賞優秀賞受賞)、 演出/板垣恭一 企画・製作/AMUSE
紀伊国屋サザンシアターにて2011年4月1日(金)〜4月3日(日)
詳しい公演情報・お問い合わせは(http://www.amuse.co.jp/stages/sp/)まで。
※<一部公演中止のお知らせ>
このたび発生しました東日本大震災の影響により、公演の上演に向けて協議、努力を続けてまいりましたが、3月30日(水)19時公演、3月31日(木)15時公演、18時公演の計3公演をやむなく中止とさせていただくことになりました。公演を楽しみにされておりましたお客様には深くお詫び致します。舞台機構を含めましたすべての劇場設備の点検を行い、その十分な安全性を確認させていただきまして、4月1日(金)19時公演より上演させていただく予定です。
- EDIT
- 高嶋ちほ子
- WRITING
- 東雄介
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 栗原克己


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