CMソング、番組テーマソングなど、
手がけた楽曲は、なんと1000曲以上。
一説には2000曲とも言われている。
「浪速のモーツァルト」は
いかにして生まれたのか。
好きなことやってお金がもらえる。もう病みつきですわ
2000曲って、アホ言うてもらったら困りまっせ。最近は5000曲作ったって言うてますがな。ここまでくると誰も調べられんから、それでええんですわ。
私が音楽に目覚めたのは中学3年生のときです。ちょうどそのころ戦争が終わりましてね。肺結核でずいぶん前に亡くなっていた一番上の兄の形見のアコーディオンをなんとなく弾いてみたんです。私はハーモニカをやっていたんで、アコーディオンの楽譜も読めたんですよ。それで、ちょこちょこっと弾いていたら、姉が「うまいやん」ってほめてくれたんです。それが嬉しくて、アコーディオンを弾き始めました。
アコーディオンっていっても、プロが弾くようなものとは違います。おもちゃのアコーディオンです。それを学校に持って行って、いつも友達に聞かせていましてね。
高校に入ってからはバイオリンがうまい男がおったんで、彼とバンドを組みました。それが藤岡琢也。後に彼は俳優になりました。
それで、何日か練習して3曲ほど持ち歌ができたので、お金持ちの家のダンスパーティに行って演奏しましてね。関学(関西学院)でしたから、金持ちがぎょうさんおるんですわ。なかにはアカンのもおりましたけど、大抵は結構持ってまっせ。それで、その家におじゃまして曲を弾かしてもらったんですわ。でも、持ち歌3曲でっしゃろ、壊れたレコードみたいに3曲を繰り返して、そのうち「お前ら、もうええわ!」ってことになるんです(笑)。でも、これが結構なお金になったんですよ。自分たちの好きなことをやってお金がもらえる。こんなええ話ないでしょ。もう病みつきですわ。それでこの世界に入ったんです。
ミナミのキャバレーで、夜明け前からピアノの練習
それからは、向学心が一気になくなりましてね。大学に行く気はさらさらなかったものの、親が泣くので、当時誰でも入れた理工学部に籍だけ置いて、ミナミのクラブでアコーディオン弾いてましたわ。当時は戦後の混乱期ですからね、人材不足でしょ。楽器弾く人も少なくて仕事がいろいろとあったんですよ。
とはいえ、おもちゃのアコーディオンしか持ってなかったから、お客さんが楽しそうに踊ってらっしゃるのを見るにつけ、心が痛みましてね。プロ用のアコーディオンを手に入れようと、いろいろと算段しました。だけど当時のお金で40万円。どうにもなりませんわ。それでアコーディオンからピアノに変更したんです。ピアノならダンスホールに常設されてますからね。
それからは、毎日朝から晩までミナミのキャバレーでピアノの練習です。夜明け前から出向きましてね、夜中もずっと張り付いて練習ですわ。若い人、よく聞いてくださいよ。人生には、それくらい打ち込む時期がなかったらアカンということです。それもできれば若いうちがいい。年をとったら、何をするにもめんどくさくなりますからね。
それに若い時分に苦労をすると、思わぬところで道が開けていくもんなんですよ。実は、作曲の仕事がたくさんくるようになったのも、30歳までの10年間、死ぬほどピアノを練習していたからなんです。
バンドマンから作曲家へ。30歳を境に
『出前一丁』『かに道楽』など、
CMソングの名作を次々と生み出していった。
キダ・タロー黄金時代の幕開けである。
徹夜なんてざら。一日に6曲作ったこともある
初めての作曲は、18歳のときでした。「パラマウント」というキャバレーが、何周年かの祝いの席に、お客さんから詞を募集しましてね。その詞に曲をつけてもらえませんか、と頼まれたんです。まあ本当のところは、バンドマスターから「お前、試しに曲をつけてみい」と言われたんですが(笑)。
それから、ちょこちょこと依頼がきて曲を作るようになったんですけど、いちばん大きなきっかけは、朝日放送が主催していた「CMスポットコンクール」でしょうな。
ちょうど30歳でしたかね。当時、たまに朝日放送に呼ばれては歌番組の伴奏をしてたんです。そのときの担当プロデューサーが、お金を集めるために「CMスポットコンクール」というのを始めましてね。テレビ局の営業が企業に出向いて、「CM作りませんか」と呼びかけるんです。それでCM制作の依頼がくると、作曲の仕事をどんどん私に回してくれたというわけ。
なんでそんなおいしい仕事が回ってきたのか。理由は、編曲ができたからです。今は分業になっていることが多いようですが、昔の作曲家は編曲もできないといけなかったんです。はっきり言って、作曲は誰でもできまっせ。でも、編曲は難しい。できる人はなかなかいません。
私はピアノをやってたから、いろんな楽譜を読めたし、実際バンドでも編曲の仕事を任されていた。それで、CMの仕事がじゃんじゃん入ってきたんです。
それからはバンドそっちのけで、部屋にこもって曲をバンバン作りましたわ。1日に6曲つくったこともあります。曲が浮かばないだの、スランプだのなんて、思ったこともありません。そんなこと、よう言うてられませんわ。仕事をこなすだけで精いっぱいでしたからね。
楽しい経験もいいけど、涙が出るような辛い経験こそ貴重
心に残るCMソングを作るコツですか。社長の気持ちになって、曲を作ることですね。社長は、商品を売りたい、もうけたいと誰よりも思ってまっしゃろ。売りたいという思いが一番強い人の気持ちになって作れば、みんなの心をぐっと引きつけるものができますがな。
後はもう、ひねり出しです。最初は誰でも、「自分はものすごい才能の泉を持っとる」と思うてるんですわ。私もそうでした。でも、実際お金をもらってやってみると、「泉じゃなくて、水たまりやった!」と気付くんです。その少ない水を泥ごと、ガーとすくい上げる。それでも、足りなかったら掘って掘って水をかき出すんです。
それを可能にするのは経験値ですわ。今、79歳になってつくづく思うのは、もっといろんな経験を積んでおけばよかった、ということです。私は10年間、一つのバンドにしか所属しておりませんでしたやろ。いろんなバンドに移りながら切磋琢磨して、経験値を上げていけばよかったと思っとりますねん。楽しい経験もいいけれど、涙が出るような辛い経験は貴重です。そういうあちこちで積んだ経験というのがね、いざというときや、どうにもならんほど苦しいときに役立つんですわ。
今の時代、不況やなんやでリストラされまっしゃろ。無理やり外に出される人も多いかもしれません。でも、新しい職場で経験を積む、いいきっかけをもらったわけですから、むしろ喜ばしいことかもしれませんよ。
ただ、誤解しちゃいけません。いい仕事が見つからない、この職場、向いてない、なんていう理由で、仕事を転々とするのがいいというわけでは、ありませんからね。これも嫌、あれも向いてない、なんてやってたって、いつまでたっても何にも身につきません。転々としていいのは、何か一つ食べる術が身についてからです。
最近は「自分のやる仕事じゃない」といって、何にもできないうちから辞めてしまう若い人、たくさんいるようですけど、みんな自分を高い所に置き過ぎなんですわ。
仕事がうまくいかなくて落ち込んで病気になってしまう人もそう。目標が高過ぎですねん。私なんか、目標低いでっせ。低―く低―く、低空飛行でここまできましたから、落ち込むことなんか、ありゃしません。
そもそもヒット曲なんて、狙ってできるもんじゃありませんからね。これは傑作や思うても、全然当たらんかった曲、なんぼでもありますよ。『プロポーズ大作戦』も『ラブアタック』も、私の代表曲みたいになってますけど、抜群にできがよかったわけではありません。数多く作ってたら、たまたま番組が当たって有名になっただけですよ。
なあんて、多分に謙遜もありますけどね。まあ、そのくらい自分を低く見ておけ、ちゅうことです。
やっぱり、鳥の目線で自分を見ることが大切なんですなあ。え? このセリフはすでに谷村新司君が使ってますかいな。そりゃあ、あきませんなあ(笑)。
「犬は、人間の1億倍の嗅覚を持つといわれていますが、世界一臭いチーズを嗅がせるとどうなるのでしょうか。気になるので調べてください」など、実際に視聴者から寄せられた疑問や依頼に対し、探偵が体当たりで解決していく関西の名物番組。深夜の放送枠にもかかわらず、高視聴率を取り続けていることでも有名。司会は西田敏行氏、秘書は岡部まり氏。探偵は北野誠氏、桂小枝氏、長原成樹氏、石田靖氏、間寛平氏、松村邦洋氏、竹山隆範氏、たむらけんじ氏。キダ・タロー氏はこの番組で最高顧問を務めている。主な放送時間帯/朝日放送:金曜23:17〜、テレビ神奈川:木曜20:00〜、東京メトロポリタンテレビ:金曜23:00〜など
- EDIT/WRITING
- 高嶋千帆子
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 宮田昌彦
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