【印象づけには名刺よりつかみ!】“情報編集力”で人生を豊かに!教育改革実践家・藤原和博氏(後編)

 元リクルートフェローで、東京都で初めて民間人校長となった杉並区立和田中学校の元校長、教育改革実践家の藤原和博氏は、第21回東京国際ブックフェアの読書推進セミナー『本嫌いだった僕がなぜ読書家に?~聴かなきゃ損!あなたの人生を豊かにする「情報編集力」の秘密~』に登壇。

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▲東京国際ブックフェアでセミナー講演した“教育界のさだまさしさん”こと藤原氏

 前編では、大人が名作を強制することで子どもが本嫌いになる過程や、超便利社会において、正解はあらかじめあるものと考える「正解主義」について語った。後編は21世紀型成熟社会に対応するための「情報編集力」の養い方や自分プレゼン術、今後の教育の課題についてお伝えしよう。

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▲「みんな一緒」の時代から「それぞれ一人一人」の時代へ

≪3 .20世紀型成長社会⇒21世紀型成熟社会≫

『処生術』(新潮社・1997年)や『人生の教科書』(筑摩書店・1998年)を藤原氏が出版した90年代後半と現在では私たちを取り巻く環境は激変している。

「成長社会の価値観では、大きいことや安いことはひとえにいいことだった」と藤原氏は指摘。そんな時代のなかで、日本の教育は「正解を当てること=情報処理力」の向上を第一とした。正解の出し方が正しく、最終的に正しい正解を求めることができれば、優秀な公務員やサラリーマンとして世の中から認められ、生活も保障されたのだ。そういった成長社会では、情報処理力は武器となりえた。

 ところが、パソコンやスマートフォンの普及により、私たちをとりまく情報は著しく膨大化。「結果として、今は情報処理力よりも情報編集力が必要とされる」と藤原氏は語る。自分の頭の中にある記憶の中から正解をぱっと出せる力が情報処理力であるのに対し、情報編集力は、情報と情報の組み合わせを導き出す、いわば「つなげる力」だ。また、情報編集力に正解はない。ビジネスシーンに当てはめるなら、それはブレインストーミングに値する。

 しかしながら、教育現場はこの大きな変化に対応しきれていないという。情報処理力を使う場合と、情報編集力を使う場合では、そもそも脳の使い方が違うため、今の時代に対応できる情報編集力を育む環境を整えることは大きな課題だ。

 たとえば、これまで世の中になかったタイヤを考えてみる。食べられるタイヤ、空飛ぶタイヤなど何でもいい。大事なのは、正解を出そうとはせず、くだらない意見や可能性の低い意見、自分がバカに思える意見から始めること。そうしたほうが、より良いアイデアは浮かびやすい。逆に最初からかっこいい言い方をしようとすると、そこで行き詰まってしまうという。

 アイデアが浮かんだら、次にそれを誰かと共有し、化学変化を起こしてみる。人を目の前にし、先ほど考えたアイデアに、相手の知識・技術・経験を織り交ぜることでどのような化学変化が起きるのか。それを試すのがブレインストーミングであり、「つなげる力」だ。

「互いの脳と脳をまずはつなげるんです」と藤原氏。自分の脳を拡張して人の知恵を手繰り寄せることで、自分だけの技術や経験では不可能だったことを体感できるようになる。そうして、自分の頭をやわらかくすることで解決への糸口が見えるのだ。「問題を解決するために豊かな答えを出すには、頭がやわらかいほうがいい。これからの人生を豊かにするのは、まさにこの情報編集力であり、やさしくいうとつなげる力。和田中学校での成果も、まさにそのつなげる力の結晶でした」

 この情報編集力を養うのに、有効なのが読書と遊びである。読書はそれまでの自分の経験や知識にはなかった著者の脳と自分の脳をつなげることが可能だ。また、砂場遊びや陣地取り合戦など、子どもの遊びには予定調和ではないことが次から次へと起こり、「その場でできることをやる」という臨機応変さが必然的に養われる。一方、遊びが足りていないと、このつなげる力を育めないという。年齢を重ねれば重ねるほど、情報編集力を養うのは困難になるため、始めるなら早ければ早いほうがいい。

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▲相手の脳に残る自分プレゼン!

≪4 .情報編集力UPのための自分プレゼン術≫

 初めて人と会うシチュエーションで、社会人は当たり前のように名刺を渡してしまう。藤原氏はこれはやめたほうがよいという。なぜなら名刺を渡してしまうと、多くのひとが名刺の中だけで情報を処理してしまい、相手の情報編集力は働かなくなってしまうからだ。自分の情報を相手に残し、印象づけたいなら、相手の頭の中で情報が編集されなければならない。相手の脳とリンクするためのプレゼンテーションで重視すべきなのは、名刺を渡すことではなく「つかみ」なのだ。

 では、どうすれば瞬時に相手の脳と自分の脳をつなげることができるのか? 藤原氏が挙げている方法は下記の2つである。

1)キャッチフレーズ(つかみ)型

 一説によると、動物が「敵か、味方か」を見分けるのは、会って最初の3秒程度。とりわけ新しいコミュニティへ入っていくときに大事なのは、自分が敵ではないということをさっと瞬時に教えられるかどうかだ。そのための一番簡単な方法は、冒頭で藤原氏が実践したように、自分の顔が動物や有名人など何かに似ていれば、それをいじること。ただし、その場合は相手がその対象を知っていることが前提となる。小学生や外国人を前に「さだまさしと似ている」というのはリスクが高すぎるため、やらないほうが賢明だ。

 また、自分の役職が相手よりも高い場合は、自分のキャラクターのどこかを切り取って、思いつく失敗を打ち明けてみるのも効果的。珍しい名前の人は名前を、特徴的な顔立ちをしている人はそれをいじるのもよい。似ている有名人がいない、失敗が思いつかない、名前も顔も凡庸、性格も普通…と、何一つ自分のキャラクターで勝負できない場合は、家族やペットを使ってみる。「名刺を持っているひとは出したい衝動をグッとこらえて、まず最初にウケを狙い、それがウケなかったら名刺を渡すといい(笑)」と藤原氏は語った。

2)Q&A型

 また、脳と脳をつなぎ、情報編集力を育むのに有効なもう一つの会話術が、相手との共通点を探すこと。この力を養うのに有効なのがインタビューゲームだ。やり方は簡単。まずは二人一組でペアを組む。そして、どんな質問でも無礼講とし、個人的な質問を一方が徹底的に行う。インタビューされる側には特権があり、答えたくない質問には答えなくてよい。

 ここで大事なのが、インタビューする側は自分との共通点を探し、答える側も相手が自分との共通点を見つけやすいように助け舟を出す。そして、できる限りレアな共通点を見つけ出すよう互いに努めるのだ。そんな共同作業を経て、ちょっとうれしくなる共通点が見つかると、その後は打ち解けて、いくらでも話せるようになる。

 この方法は、職場でチームビルディングをする際に特に適している。縦横斜めの席の人同士で行うだけで、無限に絆が見つかり、飛躍的に関係がよくなるという。

「現代の職場はこういった個人的な会話が少なくなっている。特に生まれたときからパソコンや携帯がある若者世代ほどしない。下手すると隣の人ともメールでしかやりとりしない人もいるため、お酒の席ですら個人的な会話がおこらない」と藤原氏は語る。「今の若者はセルフエスティーム(自己肯定感)が低いので、自分が傷つきたくないから、人を傷つけるのがいやだという意識が強い。だから、飲みに行ったとしてもつっこんだ質問をほぼしない。なので、どんな質問をしてもよいというモードにして、20分から30分、徹底的にやらせる。それにより絆が無限に見つかっていく」

 実のところ長所や興味、好きなことなどプラスモードの共通点より、失敗や挫折、病気など、マイナスモードで共通点を見つけられたほうが、絆はより深まる。それが人間コミュニケーションの特性だ。その両方を行うことで、5つ6つ共通点が見つかるともう「結婚してもいい」(笑)という雰囲気にもなるそうだ。

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▲いざ、改革!

≪5応用問題・教育≫

 現在、藤原氏は佐賀県・武雄市で教育政策の特別顧問を務め、和田中学校で培ったノウハウをさらに進化させ、情報編集力を活用したダイナミックな教育改革を行っている。藤原氏曰く「日本はこのままでは義務教育が底割れする危なさがある」という。その現在の教育界を表す危なさを表したのが下記の図だ。

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▲何のグラフ?

1)教員の不足

 (1)のグラフは、上から50代・40代・30代・20代と、全国の小中学校に60万人いる教員の年齢構成を表している。この上の60代の団塊世代が実は最も多かったそう。これまで60代50代が多かった影響で、40代30代の教員が少数に。一番ベテランの学習指導といじめの対処を含めた生活指導の両方を担えるのが最も人数の多い50代で、あと10年するとこの層はいなくなってしまうのだ。3割もいるベテランが急激にいなくなるので、下の層はノウハウを十分に引き継げない。

 自治体はこの現状にあせり、20代の教員をたくさん採用しようとしている。ところが、都市部に関してはマスコミに叩かれ過ぎて、教員の人気が下がり、今の20代は教員になりたがらない。こうして不人気になっているところで採用数があがると、応募採用倍率が軒並み下がっていく。応募採用倍率が7倍を切ると、どんどん質が下がると一般に言われており、この状況下で教員の質が落ちるのは必然だ。昔は14~15倍の応募採用倍率を誇っていたのが、現在の東京・大阪の応募採用倍率は実質2倍を切っているとも言われている。この年齢構成からそういう問題が見えてくる。

2)学力の二極化

 一方、下の図は、勉強のできない子、普通の子、できる子の割合を示している。昔は普通の子が大半であったため、その大半の子がいる「真ん中」の平均値に授業レベルを合わせ、一斉授業を行っても大半はカバーできた。ところが今はクラスの半数の生徒が塾へ行く時代。半分の子は授業でやることをすべて分かっているため、向かって右側のカーブに寄っている。それにより、落ちこぼれてしまう子が増えており二極化が進んでいるという。  

 落ちこぼれるきっかけとなりがちなのが小学3年生からの算数。1年生2年生までは「いちご二つとりんご二つでいくつですか」と子どもたちの世界観に合ったことを教えられていたのが、3年生になるといきなり3/5や図形が出てくる。団塊世代なら兄弟が多く、自分に分け与えられるりんごが3/5しかなかったということはよくあった。ところが、今の子たちはほとんど一人っ子で、二人いても一人っ子のように育つため、下手すると自分一人でりんごが3つあるような環境のなかで育っている。となると、3/5という数字の概念が生活の中にない。コンビニでひとつずつ丁寧に袋分けされているお菓子を食べている子に、教科書に載っているような「羊羹を切って…」という説明は通じない。

 こうして山がふた山になっているにも関わらず、いまだ人のいない「真ん中」に向けて一斉授業をやってしまっているから、当然、授業の質は落ちていく。

「先生ひとりひとりの努力とは関係なく、構造的な問題で質が下がっていくんです。先生ひとりひとりがどう努力しても、こればかりはカバーできない。教員全体の質が下がっていくいっぽうで、生徒たちの多様性がどんどん複雑化している以上、若い教員たちに武器を持たせなくてはならない」と藤原氏は断言する。その武器こそICT教育だ。ICT教育とは、情報通信技術(ICT)の利用や活用法を授業の一環として取り入れた教育であり、またはICTを駆使した教育のことをいう。

 現在、佐賀県・武雄市で始まっている改革のひとつが、全児童にタブレットを配布して、算数と理科については10分程の動画を渡し、家で予習をさせてくる。翌日、予習の時点で分かった子が分からなかった子に教える「学び合い」を行うことで、分からなかった子たちの学力を引っ張りあげることができれば、学力差は縮まっていく。

 こうした「ビデオ予習型授業(反転授業)」を通じて、教室では、議論や実験、検証など、教室に集まらないとできないことや集団でなければできないことを教えるようにする。これにより先生たちの仕事も情報処理的な仕事はビデオに任せてしまい、「人間でなければ教えられないこと」に割ける時間を増やせるというのが藤原氏の仮説だ。

 同氏は現在、ある企業とともに、日本全国の各教科の各単元ごとに一番教えるのがうまい先生のビデオを撮り貯める「最高の授業net」プロジェクト(仮称)を進めている。「教えるのが一番うまい先生は各教科の各単元ごとでそれぞれ違う。もしかすると学校の先生じゃないかもしれない。それは塾の先生、予備校の先生かもしれない。『ごんぎつね』を読むのが一番うまいのは、秋田のあるおばあちゃんかもしれない」とその可能性は無限大で、一億総「先生」化運動とも呼べそうだ。著書『負ける力』(ポプラ新書)の5章では、そのように1億総教師化してビデオを撮り貯めることができれば、得意な教科は先生が自分で授業をやり、不得意な教科に関してはビデオ教材の力を借りる、明治以来140年続いた「一斉授業」を超える授業スタイルが定着しそうだ。

 テクノロジーの進化は私たちにさまざまな利便性を与えてくれているが、それにより、人間同士の「働きかけ」が少なくなったのは顕著だ。それを解消するために、いかに「情報編集力」を高め、情報を得られる者と、得られない者の二極化を防いでいくか。教育現場のみならず、超便利社会における大きな課題に気づかされた講演だった。

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取材・文・撮影=山葵夕子

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