エステー会長、星野リゾート社長、スターバックスコーヒー元CEO…

あの経営者に直撃!「もし今22歳だったらどう動く?」

国内市場の縮小傾向、日本企業の急激なグローバル化などを受け、これからどんなキャリアを歩めばいいのかと悩む若手ビジネスパーソンは少なくないようだ。そこで、有名経営者3人に、「もし今、22歳という年齢に戻ったならば、どんなキャリアを選ぶのか?」を聞いてみた。日本経済に大きな影響を与えている経営者が、この2013年の世に「若手」だったとしたら、どんな働き方を選択するのか…。自身のキャリアを考えるヒントにしてほしい。

2013年3月13日

やれ海外だ、M&Aだとみんなが同じ方向を見ているときこそ「逆を張る」。
ごみビジネスや葬儀ビジネスなど、あえて人が行かない道を選びますね

エステー株式会社 代表執行役会長(CEO) 鈴木 喬氏

エステー株式会社
代表執行役会長(CEO)
鈴木 喬氏

僕は今、78歳。もし今22歳に戻れたら…なんて、嬉しくなっちゃう質問ですね。
僕が生まれたのは1935年だから、物心ついたときには戦争の真っただ中で、食べるだけで精一杯の世の中。大学を卒業しても、今ほど職業を自由に選べる状態ではなかった。でも今は、いろいろな企業が求人している。「選択肢の中から仕事が選べる」なんて、それだけで幸せだと思いますよ。
そんな中、もし就職先を選ぶとするならば…僕ならば「逆張り」の発想で、あえてみんなが選ばない道を選びますね。例えば、ごみビジネス。ごみをリサイクルして収益化するビジネスは、アメリカではすでに大きな市場になっている。日本でも早晩伸びるビジネスだと思います。あとは、お葬式ビジネスにも注目しています。高齢化社会だから、お葬式ビジネスが伸びるって、多分みんなわかっているけれど、なかなか飛びこんでいかないでしょう?

僕のモットーは「人の裏にこそ、行く道あり」。やれ海外だ何だって、みんなが同じ方向を向いているときがチャンスで、一人逆を向いてみる。だって、みんなと同じ方向を目指しても、その中で勝ち上がるのは大変だし、何も考えずに群れてその場所に安穏としていたら、みんなまとめてお陀仏になるのが関の山ですよ。
経営においても、「周りと同じことをやっていては危ない」と常に危機感を持ち、手を打ち続けてきました。バブル崩壊後、経営危機に陥った時は、年間約60出していた新製品を、たった一つに絞り込みました。全役員が反対する中、看板ブランドだった「シャルダン」を捨て、自ら発案した「消臭ポット」に経営資源を集中させました。消臭ポットは、当時の小売店の棚には女性が喜びそうなかわいらしい商品がなかったことから発想したんです。みんなが行かないほうに行く、みんなが考えないことを考える。失敗することもあるかもしれないけど、この発想が、最終的には幸運を呼び寄せると僕は思っています。

ちなみに、「成長市場か否か」ではなく、個人的な夢や憧れで言えば、建築家になりたいですね。帝国ホテルを作ったフランク・ロイドライトみたいな、世界に名だたる著名な建築家ね。会社には寿命があると言われていますが、建築物は残る。自分が手がけたものが後世にもずっと残り、語り継がれるような、そんなものを自分の手で生み出したいって思うんですよ。

鈴木氏プロフィール

すずき・たかし●1935年、東京生まれ。東京都立新宿高等学校を経て、59年一橋大学商学部卒業。父と兄がエステー化学工業(株)を設立していたが、「もっと広い世界で活躍したい」と日本生命に入社。年間契約高1兆円以上のトップ営業として活躍した。85年にエステーに出向。企画部長や営業本部首都圏営業統括部長などを経て、98年に社長就任。「消臭ポット」「消臭力」「脱臭炭」「米唐番」などヒットを連発。2005年には創業以来最高の純利益18億円を達成。07年社長を退任し会長に就任。しかし、09年にはリーマン・ショック後の危機を打開するため社長復帰。現在は代表執行役会長を務める。近著に『社長は少しバカがいい。 乱世を生き抜くリーダーの鉄則』(WAVE出版)。

人気業界、人気企業は避け、すぐにレギュラーになれる環境を選ぶ。
今ならば、「アイディアはあるが人材リソースが足りない」地方企業に注目します

株式会社星野リゾート 代表取締役社長 星野佳路氏

株式会社星野リゾート
代表取締役社長
星野佳路氏

私は今52歳になりますが、今まで30年間を振り返ってみると、20代より30代のほうが、そして30代より40代のほうが、明らかに「速く走って」いるんですね。若い時にもっと速く走る努力をしておけばよかった、そうすれば経営者としてもやれることが増えたのではないか、業績も規模も業界のポジションも今のものと変わっていたのではないかと、今さらながら思います。
例えば、今でこそ、北海道や沖縄など、全国でホテル・旅館事業を展開していますが、私が社長になった1991年は軽井沢のみ。そして、軽井沢から他エリアに踏み出すのに、10年かかっているんです。この10年は、会社を立て直すために必要な10年であり、後悔はしているわけではないのですが、今思えば半分の5年には短縮できたのではないかと。そうすれば、経営者としての私の「残りの時間」も5年増え、やりたいことにもっとチャレンジできたのではないかと思うのです。
だから、今もし22歳に戻るならば、スピードを重視してキャリアを選びますね。つまり、競合が多いところよりも、ライバルとなる人が少なくすぐにレギュラーになれる環境を選ぶほうが、早い成長につながり、将来にとってプラスになる。
例えば、みんなが集まる人気業界や有名企業は、それだけ目指す人が多いから「レギュラーを目指す人」も多いけれど、知る人ぞ知るニッチ産業や、地方の企業に目を向ける人はそう多くありません。私ならばそういう、競合が少ないビジネスを手掛ける企業や、ライバルとなる人が少ない企業を選び、一日も早くレギュラーを目指しますね。私は、「ポジションが人を育てる」と考えます。「成長業界か否か」は、個人の成長には関係ないと思いますよ。

特に「地方」は、若い方にはぜひお勧めしたい選択肢ですね。「地方に求人はあるのか」と言われるかもしれませんが、ビジネスアイディアがないわけではなく、人材リソースが圧倒的に足りないんです。既存ビジネスの拡大や、新規ビジネスの発案・立ち上げを任せられる若手人材がおらず、憂いている地方企業は実に多い。こういう企業に入社すれば、1年目から責任ある役割を任され、都心の人気企業の何倍も速く成長できるはずです。

これからの時代、「英語力は絶対」という風潮があります。確かに、私も重要だと思うし、英語ができることで海外で働くチャンスが生まれるなど、キャリアの選択肢も増えるでしょう。しかし、国内にもまだまだ「4番バッターになれる」場所はたくさんある。私が22歳に戻ったら、まずは国内、なかでも地方を、働く場所に選びたいと思います。

星野氏プロフィール

ほしの・よしはる●1960年、軽井沢の老舗旅館「星野温泉旅館」(1951年に株式会社星野温泉として法人化。1995年に星野リゾートに改名)の四代目として生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、1986年、米国コーネル大学ホテル経営大学院にて経営学修士号を取得。日本航空開発(現・JALホテルズ)に入社し、シカゴで2年間勤務。1989年に帰国し、家業である星野リゾートに副社長として入社するが、半年で退職。シティバンクを経て、1991年に再び星野リゾートに入社、代表取締役に就任する。現在は、各地の大型リゾート施設、温泉旅館を運営。「星のや」「界」「リゾナーレ」などのブランド展開に取り組んでいる。

人気業界も栄枯盛衰。どの業界や分野がいいかなんて、先は読めない。
どんな環境でも目の前の仕事に一所懸命取り組むことで、「自ら道を拓く」

リーダーシップコンサルティング 代表 岩田松雄氏

リーダーシップコンサルティング
代表
岩田松雄氏

日本における経済環境はめまぐるしく変化しており、人気業界といえども栄枯盛衰を繰り返しています。例えば、私が就活生だった1980年代は銀行が圧倒的な人気でしたが、その後、ご存じのとおりたくさんの銀行が他行に吸収されてしまいました。社会に出て30年が経ち、ザ・ボディショップやスターバックスコーヒーなど3社のCEOを経験した今でも、「これからどの業界、企業が伸びるのか」なんて、正直予想できません。
だから、今22歳に戻ったとしても、30年前と同様、まずは「自分が興味を持てる業界、企業」を選択しますね。伸びている業界=自分に合う業界とは限らないし、どんな業界、企業で働こうが実は同じで、「どういう意識・志を持って働くか」が大事だと思うからです。

私が大学卒業後に就職したのは日産自動車ですが、今でも車は大好きなので、22歳に戻っても自動車業界を選ぶかもしれません。自分にクリエイティブな才能があれば、ゼロから生み出す仕事、後世まで形として残る仕事に興味があるので、建築家に魅力を感じますね。「アラスカパイプライン」や「万里の長城」は月から見える唯一の人工建造物と言われています。こういうスケールの大きなものをこの手で作り出せたら幸せだろうなと思います。ただし学生時代技術の授業で製図をしたら、図面が汚く真っ黒になってしまった記憶があります(笑)。

今、社会人人生を振り返ってみて強く実感しているのは、「仕事の報酬は、仕事」だということ。目の前の仕事に一所懸命取り組めば、上司に評価されて、もっと大きな仕事がやってきます。それで成果が出ると、それが自分の自信につながります。これを繰り返すことで、社内で信用を得られるようになれば、さらに大きな仕事やポジションを任されるようになります。私も実際、それを体験してきました。
日産で、初めに配属されたのは、希望ではなかった生産管理部門。でも、「一所懸命やれば、いつか評価される機会があるはず」と、がむしゃらに仕事に取り組みました。当時の上司は、私が生産管理のプロを目指していると思っていたぐらい、専門書を読み、勉強も欠かしませんでした。その後、大阪の販売会社にセールス担当者として出向になったときは、さすがに少し落ち込みましたが、「販売でトップになれば、社長賞がもらえる。実力を数字でアピールできるチャンスだ」と思い直し、1日に100件のノルマを自分で決めて、飛び込み営業をかけました。そのときの努力と実績が後ろ盾となって、30倍の倍率を突破して社内留学制度にパスして米国にMBA留学することができました。そして、その経験をもとに外資系企業を経験し、経営者としてヘッドハンティングされ、今に至ります。振り返っても、今までの経験がすべて積み重なって、今の自分があると言い切れますね。

まずは、興味を持った分野に飛び込む。そして、目の前の仕事から逃げずに、一所懸命取り組む。経済環境が激変している今であっても、このスタンスを貫けば、自分の価値は発揮できると思っています。自分の社会人人生を振り返って、つくづく一所懸命に取り組む限りにおいて、無駄なことは何一つないと断言できます。

岩田氏プロフィール

いわた・まつお●1982年に日産自動車(株)入社。製造現場、セールスマンから財務に至るまで幅広く経験し、社内留学先のUCLAビジネススクールにて経営理論を学ぶ。帰国後は、外資系コンサルティング会社、日本コカ・コーラ(株)常務を経て、(株)アトラスの代表取締役として、3期連続赤字企業をターンアラウンド、(株)イオンフォレスト(THE BODY SHOP Japan)の代表取締役社長としての売り上げ倍増、スターバックスコーヒージャパン(株)のCEOとして業績向上等、“専門経営者”として実績を上げてきた。著書に『「ついていきたい」と思われるリーダーになる51の考え方』(サンマーク出版)など。

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伊藤理子
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栗原克己/刑部友康

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