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“ヒーローエンジニア”を探せ!vol.17 デジタル一眼レフ市場を築いた キヤノン「EOS」設計者
独創的発想で活躍している若手エンジニアを探し出して紹介するこのシリーズ! 今回登場するのは、拡大するデジタル一眼レフ市場をまさに作り上げてきたキヤノン「EOS」シリーズに、一号機から設計者として携わってきたエンジニアだ。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/設楽政浩)作成日:08.08.20
“ヒーローエンジニア” キヤノン株式会社 イメージコミュニケーション事業本部 カメラ開発センター 大上哲史さん
初のデジタル一眼レフとなったEOSD30から、基板設計を担当
1998年の入社と同時に配属されたのが、デジタル一眼レフの開発チーム。当時、まだ業界ではデジタルの一眼レフは市場に出ておらず、まったく初めてのチャレンジが進められた。担当したのは、カメラ内部の基板設計。一眼レフカメラのさまざまな機能、性能、スペック、さらにはコストを大きく左右する心臓部のひとつ。初のデジタル一眼レフとなったEOSD30、プロ用のEOS-1D、デジタル一眼レフ市場を変えたEOS Kiss Digitalの開発に参加。以後はEOS-1Dシリーズの開発に従事している。
思い切った転職活動が幸運を呼び込む
 大学院での専攻は微細加工でした。修士論文は、多結晶CBMホイールの切削性能。子供のころから機械いじりが好きで、高校、大学はバイクや車にハマって。モノづくりに興味があったんですよね。父も兄も大手電機メーカーに勤務していて。後に弟も入るんですが。ずっとそのメーカーの商品に囲まれて育って、当たり前のように就職先に選んだんです。それでカーオーディオをやりたいと希望を出して。好きだった車に近い分野だったので。

 仕事はパネルの機械設計。早く自分で設計してみたいとウズウズしていました。ところが長い研修が終わって仕事が始まると、あまり自分で手を下さないんです。自分が線を引くことは少なくて、どちらかというと外注に出して調整役をする、という雰囲気。これは、自分が求めているものとは違うな、と思って。もしかすると、たまたま自分の担当した仕事がそうだったのかもしれないし、他部門に異動すればやりたいことに近い仕事ができたのかもしれないんですが、自分で決断したんでね。自分で設計ができる会社に行こうと。そうでなければ、力がつかない、と。

 転職活動は求人誌をパラパラめくることから始めました。仕事キャリアは3年ほどですから、自分がどのくらい通用するかわからない。でも、とにかく応募してみようと。そこで見つけたのが、機械設計を募集していたキヤノンだったんです。カメラは精密機器ですし、技術にこだわりのあるメーカーというイメージがあった。独自技術があって、ほかにないものを作ろうとしている。ここなら、自分の力もつけられるし、面白い仕事ができるんじゃないかと。

 幸運だったのは、ちょうどデジタルカメラが出始めたころで、その設計者を募集していたこと。そして入社して、一眼レフのデジタルカメラを作るチームに配属された。思い切って転職活動をしたことで、ものすごくいいタイミングでキヤノンに入れたんだと思うんです。
思い切り設計に没頭できた。理想の環境だった
 前職ではメカ設計でしたが、キヤノンでの担当は基板設計に。知識がまったくありませんから、最初は何をしていいのかわかりませんでした。分厚い電気の本と格闘して、自分がどういうことをやるのか理解して。そもそもデジタルカメラの基板とは何か、それを学ぶために1カ月コンパクトカメラの部署にもお世話になりました。それから、使ったことのない電気CADを使い始めて。

 チームに戻ると、新しいCADをそろえるところから始まりました。ところが、一眼レフの基板はコンパクトよりも複雑なんです。いろいろな機能がありますから、基板はコンパクト2、3台分くらいのボリュームがある。特に光学系がうまくレイアウトできなかったんですね。今となってはデバイスも小型化していますが、当時は使えるものが限られていました。コストも意識しないといけない。それこそ撮像センサーをどうするかを議論するところから始まりました。何しろ、デジタル一眼レフは世の中にない。答えはないわけです。

 いきなり設計の仕事に入って、気がつくと、あまり外に打ち合わせに出たりしない自分がいました。自分たちで線を引いて内部で設計する。それがキヤノン流の仕事。だから、思い切り設計に没頭できました。自分の求めていた環境がそこにあった。みんなの雰囲気もよかった。技術者集団という感じで。みんな細かいところにこだわりがあって、線を一本引くにしても、その意味を語るんです。ちゃんとそこに想いがあって、自分の考えがある。だから、議論をすれば活発にいろんな意見が出るし、自分の担当していないところにも意見が出てきたりする。そういう空気はすごくうれしかったですね。

 ただ、世の中にまだないものを作るわけですから、どのくらいのものを作ったら、市場に受け入れられるかわからない。決まったのは、3つのキーワード。快速、快適、高画質。それから当初ずっと言っていたのが、ストレスフリー。いい写真が撮れるだけではなく、カードに書き込む時間、ボタンを押してからシャッターが切れるまでの時間、そういう待ち時間というストレスを極限までなくしていこうと。
考えられないようなコスト目標だった「Kiss」
 ひとまずはこうしようと思想が決まって設計がスタートして、2回の試作まで進んだところでした。途中でいきなり開発がストップになったんです。これではやはり大型すぎる。もっと小さくしよう、と。それでゼロから設計をやり直しました。幸いだったのは、最初だっただけに開発期間もそれなりにあって、熟考ができたこと。試作回数も多くて、いろんなチャレンジをして。

 基板設計も大変でしたが、メカ設計やファーム設計もみんな苦労していました。でも、試作を重ねるたびにいいカメラに仕上がっていって。そうやって試行錯誤して生まれたのが、キヤノン初のデジタル一眼レフカメラ「EOS D30」だったんです。立ち上げまで約2年。本当に苦労しましたが、その構成は後の基本の形になっていくんです。

 世の中に出たときは本当にうれしかった。もちろん、買いました(笑)。中級機種で30万円以上だったんですけど、これはどうしても欲しかった。まだキヤノン以外、デジタル一眼レフが出ていないころ。世の中にないものを作るのに携わった喜びがありましたね。街でときどき持っている人を見かけると、本当にうれしくて。

 その後、最上位機種の「EOS-1D」に携わって、「EOS Kiss Digital」の開発プロジェクトに加わりました。後に大ヒットするんですが、この開発がまた大変で。低価格機を作る、とにかくコストを削る、と決まったものの、当時では考えられないようなコスト目標を立てたんです。最初の「D30」が30万円台。次の「1D」が70万円台。これを10万円台にするわけですから。小型化、低価格化、しかも性能を落とさない。どうすれば実現できるか。銀塩カメラ、コンパクトカメラなど、いろんなところから集まったチームで議論していました。

 このときも基板設計は一度決めたレイアウトを、これではダメだとやり直ししました。その前が最上位機種の開発でしたから、まったく違うコンセプトで設計をしていたんですね。それで、同じ考え方をそのままもっていったのでは作れない、とわかって。それこそ毎日ウンウン考えていました。2カ月くらいは考えていたと思う。上位機種を作っていたときに、こうしたらどうだろう、ああしたらどうだろうと、実現はしなかったけれど書きためていたアイデアも思い出して。それで思いついたのが、複数枚あった基板を集約して1枚にまとめてしまうことでした。

 ほかの担当者も、それぞれの立場で知恵を振り絞っていました。部品点数を減らす。形を変える。レイアウトを変える……。これで小さくならないならこうしてみよう、という連続。みんな苦労していましたね。でも、ミッションが厳しかっただけに、燃えました。本当にやりがいがあった。だから世に出たときには、本当にうれしかった。持っている人が圧倒的に増えましたし。ほらほら、あれを作ったんだよ、って妻によく自慢していましたね(笑)。
競争も熾烈。負けられないという気持ちは強い
 その後は再び最上位機種の「EOS 1D」シリーズの開発チームに戻って、すでに4機種を世に送り出しました。「EOS Kiss Digital」で身についたコスト意識はここでも大きく生きるんですが、何より問われるのは信頼性。上位機種の信頼性は絶対に譲れない。妥協は絶対に許されないんですね。プロの方が使われるわけです。たとえ小さなミスでも、プロの方が仕事を失ってしまうようなことが起こりうる。絶対にそれは避けなければいけない。機能、性能、品質は徹底的に厳しく作っています。実際に2台目、3台目、4台目と、聞こえてくるお客さまの声を積極的に取り入れて開発しています。画質や性能やもちろん、より使いやすいという面も強く意識しています。

 デジタル一眼レフの世界は、いいものが出せていないとお客さまが離れてしまいます。やはり厳しい世界です。常にいいものを作っていかなければいけないし、それを先頭切って提供していかなければいけない。最初にキヤノンが出して、それからほかのカメラメーカーさんが出されて、その相乗効果でマーケットは大きくなりましたが、それだけ競争も熾烈。負けられないという気持ちは強いです。

 基板も、線の引き方ひとつで信号処理速度が変わってくる。配線があちこちあったりすると、抵抗が大きくなったり、ノイズを外から受けたりして求めるスペックが出せなくなる。いかに短く太く配線できるか、レイアウトや、常に進化していく配線技術や、材料にいたるまで、新しい技術のために、常にアンテナを張り巡らせていますね。

 デジタル一眼レフは、使ってもらえばそのよさがわかります。実際、やっぱりいいね、気持ちいいね、と言ってもらうのがうれしい。これをもっともっと多くの人に味わってほしいんです。
ヒーローの野望 どんな人でも心地よく簡単に使える高性能カメラを
 今までずっと設計をやってきましたが、最近では後輩を指導する機会も増えてきました。自分で設計をするのもやりがいのある仕事ですが、後輩や周りの人たちに、設計の楽しさを伝えたり、自分が培ってきたノウハウを教えていくことも、とてもやりがいがあると最近は強く感じています。

 自分の手で線が引きたくてキヤノンに転職して設計をしてきたわけですが、設計の仕事をしていると、今までに考えもつかなかったようなことが、ポッと浮かんだりするんですね。それをうまく設計に盛り込めたときは、やっぱりものすごくうれしいんです。そしてそれが周りの人に納得してもらえるものになれば、またうれしい。設計の醍醐味って、本当に大きいと思っているんです。

 後輩にはノウハウ以外にも伝えたいことがあります。それは、心がけ。まずは自分が欲しいモノを作る意識をもってほしいということです。誰かに言われたからやるのではなく、自分からこういうカメラを作りたい、こんなコンセプトをもったカメラを世に送り出したい、自分が欲しいという気持ちをもつ。これがあるのとないのとでは、仕事に向かう意欲が変わります。自分に興味がわかないとやらされ感が生まれる。それでは楽しめない。新しい発見もないし、成長もないと思う。

 私の究極の目標は、人を選ばず使えるカメラを作ること。ターゲットを選んで作るカメラではなく、どんな人でも心地よく簡単に使える高性能カメラを作ってみたい。難しいと思います。でも、難しいからこそ、目指す価値があると思うんです。
ヒーローを支えるフィールド 生みの苦しみが大きいから、充実感も大きい
 入社間もないころ、勉強にもなるから、とキヤノンのカメラを一人で分解する機会があったという。わかったのは、思っていた以上に部品点数が多かったこと。再び組み立てることは、自分一人ではできなかった。そして、配属されたデジタル一眼レフ開発チームを見渡して驚く。あの複雑で部品点数の多いカメラを、たったこれだけの人数で設計するのか、と。キヤノンの設計者の実力と、大胆に難しい仕事を一人の設計者に委ねていく会社の風土を、そのときに実感したという。

 そして開発が始まってわかったのは、キヤノンの開発風土。とにかくコミュニケーションが活発なことだ。担当など関係なく、どんどん意見が飛び出してくる。それだけ仕事に対して思い入れが、こだわりがあるということ。だからこそ、自分も言いたいことが言える。若くても、ぐっと気持ちを秘めるような必要はない。どんどん自由に発言していいのだと思ったという。

 ただ、カメラの世界の奥深さも、同時に味わう。意見が言えるから、「よし、自分でもやってやろう」と、自分なりに新しいと思ったこともぶつけた。こんなボタンはどうか。こんなスイッチはどうか、と。だが、残念ながら通らないこともあった。操作性を高めるための機能、さらには手になじむグリップやカメラの形状は、それこそ数十年にわたって徹底的に洗練されたものがあったからだ。そして自分でもだんだんその意味がわかっていった。伝統が作ってきたそのレベルのすごさというものに。

 新しいものを、よりいいものを世に送り出したい。その気概を誰もがもっていると感じる、という。そして、妥協というものがない、と。キヤノンの開発の仕事は厳しい。一人ひとりが生みの苦しみと格闘している。だが、だからこそ世の中に出たときの充実感は、途方もなく大きいのである。
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宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ 宮みゆき(総研スタッフ)からのメッセージ
今回のインタビューで印象的だったことが2つ。自分の業務範囲を超えていいものを作るための意見の交し合いと、自分の手をかけた製品が、量販店や街角で使っている人を見かけることがうれしかったと語る大上さんの笑顔。実はキヤノン本社の取材は、今回が初めて。まぶしいくらい緑が美しく、建物内もキレイでした。環境・風土って、エンジニアには大きなモチベーションになるんだなと実感した取材でした。

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