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No tech No life 〜この技術とともに在り〜 Vol.1 日本発の世界標準「ノートPC」の24年史
新しい技術を生み育てるのは、エンジニア。同時に、エンジニアを育てるのは、技術そのもの。その人なしにはありえなかった技術の歩みが、その技術なしではありえなかった技術者人生とともに語られる技術史連載。第1回は日本が誇る「ノートパソコン」の開発24年史。
(文/大河原克行 総研スタッフ/根村かやの イラスト/岡田丈)作成日:08.01.24
Part1 日本の技術で新たな製品ジャンル「ノートPC」が生まれた
1989年、第一号製品登場
 ノートパソコンは、日本が生んだ傑作ともいえる製品ジャンルだ。
 もともとポータブル型のパソコンは、机の上に設置するデスクトップパソコンに対して、膝の上でも利用できることから、「ラップトップパソコン」と呼ばれていたが、日本のパソコンメーカー、部品メーカーが得意とする軽薄短小技術の採用により、小型軽量化が進展。これに伴い、持ち運びが可能なA4サイズのパソコンPCや、B5サイズのパソコンを、「ノートパソコン」として区分して呼ぶようになった。今では、ほとんどすべてのポータブル型パソコンをノートパソコンと呼んでいる。
 まさに、日本が誇る軽薄短小技術が、パソコンの小型化、モバイル化を実現し、世界標準にしたともいえる。

 ノートパソコンの第1号機は、1989年に登場した東芝のDynabook J-3100 SSだといわれる。製品発表という観点では、セイコーエプソンのPC-286NOTE exectiveが、Dynabookの発表よりも約20日間早かったが、出荷が10月となったことで、7月出荷のDynabookが第1号に位置づけられよう。
T-1100
東芝が発売した世界初のラップトップパソコンと呼ばれるのがT-1100。日本市場には投入されず、欧州で最初に発表されるという点でも異例のものだった。CPUには80C86(クロック周波数5MHz)を搭載し、メモリは、最大512キロバイトだった。
 東芝のJ-3100 SSに名付けられたDynabookという名前は、さらにさかのぼること12年前の1977年に、ゼロックス・パロアルト研究所の研究員であったアラン・ケイ氏が提唱した、「ダイナミックメディア」を語源にしている。ケイ氏は、近い将来には、誰もが電子機器を持ち歩く時代がくると予測。この電子機器を「ダイナミックメディア」としたのだ。
 そして、多くのパソコンメーカーが、ダイナミックメディアの実現に向けて取り組んできたことを示すように、当時のDynabookには、「みんなこれを目指してきた」というキャッチコピーが使われた。

 Dynabook事業を率いていた元東芝取締役兼執行役員専務の溝口哲也氏は、当時から「誰でも、いつでも、どこででも、なんにでも」という言葉を用いて、このDynabookを紹介。20年前から、今でいう「ユビキタス」を表現し、「これが、夢のパソコン」としていたのを思い出す。
市場を席巻した「夢のパソコン」
 Dynabookの当初半年間の出荷台数は計画の2倍規模となる12万台。市場規模が年間150万台という時代には驚くべき数字だ。そして、当時は、NECのPC-9800シリーズが市場を席巻しており、IBM・PC/AT仕様において、その牙城に最初の風穴を開けた製品だともいえよう。

 本体価格19万8000円という設定とともに、クレオから「BUSI COMPO」と呼ばれるワープロ、表計算、データベース、通信ソフト、スケジューラの5本をセットにしたオフィススイート製品が登場。しかも、価格は4万円という当時としては異例の低価格。いずれか1本の購入なら9800円という魅力的な設定となっていたのも追い風となった。Dynabook初期ユーザーの約半数が量販店で購入し、しかも、その8割がBUSI COMPOを同時購入していったという状況からもそれは明らかだろう。
 さらに、東芝では、その後1年で約200本のDynabook対応ソフトを品ぞろえすることに成功。ソフト不足というIBM・PC/AT互換市場の課題を解決してみせた。
日本のノートPC技術史:(1)1984〜96
ノートPC技術史 IT技術史
1984
[NEC]PC-8401A
NECが開発した初のA4サイズノートPC
モトローラ社、32ビットMPU「68020」を発表
1985
[東芝]T-1100
世界初のラップトップ投入、欧州で大反響(4月)
IBM社とマイクロソフト社がPC用次期OS開発で提携
1986
[東芝]T-3100
16ビットラップトップ(1月)日本ではJ-3100として投入
[NEC]PC-98LT
同社PC-9800シリーズ初のラップトップパソコン。640×400ドット液晶ディスプレイに3.5インチ FDD1台を装備、バッテリで最大約4時間駆動ができた
UNIXワークステーションが相次いで製品化(パナファコム、カシオ計算機、ソニー、オムロンなど)
マイクロソフト社がアスキーとの提携関係を解消
1987  
日米政府が国際VAN自由化で合意
1988
[NEC]PC-98LT LV21
PC-9800シリーズのソフトが使用可能
UNIX標準化の国際団体「OSF」が発足
1989
[東芝]DynaBook J-3100 SS001
世界初のノートPC(7月出荷)。PC/AT互換機採用。全世界販売累計100万台達成
[エプソン]PC-286NOTE excective
6月7日発表、出荷開始10月
[NEC]PC-9801N
東芝のDynabookのヒットに刺激されて投入した初のノートタイプパソコン(10月発表)。
ノートパソコンという呼び方も、この機種から広がった
[IBM]PS/2 P70
ラップトップ/通称「ミシン」
昭和天皇が崩御。「平成」に改元
日米政府、半導体関税撤廃で合意(日米半導体摩擦が終結)
消費税を導入
中国で天安門事件
コンピュータウイルス「13日の金曜日」で被害が多発
サンフランシスコ大地震
ベルリンの壁崩壊(東西冷戦の終わり)
[東芝]T1000SE
米国発売モデル。ダイナブックの語源となった「ダイナミックメディア」を提唱したアラン・ケイ氏のサインが入った貴重な1台
T1000SE [IBM]PS/2 P70
重量は約8kgもあったが、電池駆動の「ポータブル」パソコン
PS/2 P70
1990  
パソコンの89年度国内出荷額が初めて1兆円を突破
1991
[NEC]PC-9801NC
世界初のカラーノートパソコン
[アップル]Macintosh PowerBook 100
Macintosh PowerBookシリーズの販売を開始
NTT、異種コンピュータ接続インタフェース統一仕様「MIA」を発表
EC閣僚理事会、「コンピュータプログラムの保護に関する指令」を最終採択
1992
[東芝]DynaBook 486-XS
世界初のカラーノートPC。256色表示のTFTカラー液晶を搭載
[東芝]DynaBook EZ
アプリケーションプレインストールの先駆け。ワープロ、表計算などアプリケーションをROMに内蔵
[IBM]ThinkPad 700C(日本名:PS/55note C52 486SLC)
ノート型パソコンを「ThinkPadシリーズ」として発表(10月)。当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。トラックポイントを装備した初のノートPC
PKO法成立
OECD「情報システムセキュリティガイドライン」を採択
産業構造審議会・情報化人材対策小委員会、「2000年のソフトウェア人材」を発表
雇用調整助成金制度/中小企業信用保険法でソフトウェア業を対象業種に指定
1993
[IBM]ThinkPad 550BJ
世界初のプリンター内蔵ノートPC
[IBM]ThinkPad 220
初のウルトラポータブル(サブノート)。重さ 1kg、単三アルカリ乾電池でも駆動可能。
[アップル]Macintosh PowerBook 165c
STNカラー液晶を搭載。PowerBook初のカラー化
政府、新総合経済政策で5つの情報化関連施策を公表
国内パソコンメーカーとソフト会社約70社、「OS/2コンソーシアム」を設立
産業構造審議会、ソフトウェアの適正取引についてのガイドラインを作成
1994
[東芝]DynaBook EZ Vision
TVとつなげてゲームやサウンドが楽しめる「マルチメディアPC」
[東芝]DynaBook SS433
世界初、FDDを内蔵したB5ファイルサイズPC。サブノートという新たなジャンルを確立。1.95kg
[IBM]ThinkPad 755
内蔵型CD-ROMドライブ搭載。ランチボックスと呼ばれる筐体デザイン
[アップル]Macintosh PowerBook 520, 520c
ノート型で初めてトラックパッドを採用
通産省、アウトソーシングに関する認定制度を創設
電気通信審議会、「21世紀の知的社会への改革に向けて」を答申
日本電子工業振興協会、「ソフトウェア開発モデル契約」を作成
政府、「高度情報通信社会推進本部」(本部長:内閣総理大臣)を設置
1995
各社からWindows95搭載ノート発売。[東芝]DynaBook GT-R590、[NEC]98NOTE Lavie PC-9821Na12など
[IBM]Palm Top PC 110
背広のポケットに入るA6ファイル・サイズの超小型パソコン。愛称「ウルトラマンPC」
[IBM]ThinkPad 701C
折り畳み式キーボード
[富士通]FMV-BIBLOシリーズでノートPC市場に参入
阪神・淡路大震災
オウム真理教・麻原教祖を逮捕
Windows95発売、ウィンドウズ・フィーバー
中小企業庁、「情報化促進アドバイザー事業」を開始
1996
[IBM]ThinkPad 560
2kgを切ったA4ファイル・サイズのポータブル・スリム・ノート。 筐体にカーボンファイバーを採用
[東芝]Libretto 20
世界最小・最軽量(840g)のミニノートPC。ノートでも、サブノートでもない、手のひらに乗る「ミニノート」という新カテゴリを確立
[パナソニック]レッツノートシリーズでノートPC市場に参入
電子ネットワーク協議会、「パソコン通信の利用をめぐる倫理問題に関するガイドライン」を発表
文部省とNTT、全国の小中学校計1000校のパソコンに通信機能を持たせる共同計画を発表
通産省、「不正アクセス対策基準」を告示
「ガリバー」の追撃
 東芝の好調に慌てたのが、当時、パソコン市場で「ガリバー」と呼ばれるほど圧倒的シェアを誇っていたNECである。
 社内では、「Dynabookの発表から3カ月以内に、これをキャッチアップする製品を市場投入せよ」との指令が飛んだ。パソコンの開発を3カ月で行うのは、尋常なモノづくりではない。だが、NECにはパソコントップメーカーとしての意地があった。

 開発を担当したのは、米沢日本電気。現在のNECパーソナルプロダクツ米沢事業場である。
 このとき、開発を第一線で担当したNECパーソナルプロダクツの神尾潔執行役員は、「パソコンの開発では国内でトップを走ってきたという自負があった。だが、Dynabookによって、東芝にやられたという、なんともいえない屈辱感を味わった」と振り返る。

神尾潔氏
神尾潔
NECパーソナルプロダクツ株式会社
執行役員
 神尾執行役員は、米沢日本電気が、まだ米沢製作所と呼ばれ、NECの下請け工場だった時代から勤務。一時は、NECのコンピュータ事業の総本山である府中事業場に出向して、大型コンピュータのOS開発に従事。その後、米沢日本電気に戻り、現在まで、パソコンの開発に携わっている。
「ここで、東芝をたたける製品をつくらなければ、その後の市場の広がりが予想されるノートパソコンの市場を取られてしまう。それをやるのは自分たちしかいない」
 神尾執行役員の想いは、米沢日本電気の設計開発チーム全員の想いでもあった。
日本のノートPC技術史:(2)1997〜2007
ノートPC技術史 IT技術史
1997
[IBM]ThinkPad 770
14.1型カラー液晶と内蔵型DVDドライブを搭載
[ソニー]VAIO NOTE 505
初代VAIO。薄型のB5サイズモバイルノート
[パナソニック]レッツノートAL-N2
光学式トラックボールを搭載
政府、高度情報通信社会推進本部に「電子商取引等検討部会」を設置
動燃原子力再処理施設が爆発事故
「コンピュータ西暦2000年問題関係者省庁連絡会議」を設置
1998
薄型化、軽量化がいっそう進行する。[東芝]DynaBook SS 3000(B5サイズ、19.8mm、約1.19kg)、[東芝]DynaBook SS 6000(A4サイズ、23.5mm、約1.79kg)など
マルチドライブ化が進む。[IBM]ThinkPad 600(FDD、DVD内蔵)、[NEC]LaVieNX LW23D/53C(FDD、CD-ROM内蔵)、[パナソニック]レッツノートCF-A44(着脱式ドライブ)など
カメラユニット搭載機種登場。[ソニー]VAIO C1、[パナソニック]レッツノートCF-C33など
[NEC]VersaPro NX VA26D/WX
ノートパソコンでは初のBTO対応商品
政府、総合経済対策を発表(総事業費16兆6500億円。情報通信関連は総額7500億円を計上)
民間金融機関と郵便貯金、日本デビットカード推進協議会を設立
ERP/CRMなどニューアプリケーション市場が広がる
1999
ワイヤレス通信機能搭載機種登場。[NEC]LaVie NX LB33H/12CW、[パナソニック]レッツノートCF-A1など
[アップル]iBook
iMacと同じデザインコンセプトを踏襲
郵政省、「日本インターネット決済推進協議会」を設立
携帯電話の普及4割を超える
(普及累積台数5411万台)
2000
初めてノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る
[NEC]LaVie S LS800J/56DH
TV受信・録画機能標準搭載
コンピュータ西暦2000年問題、世界的にクリア
情報家電インターネット推進協議会が発足
2001
[シャープ]メビウス PC-MT1-H1(MURAMASA)
12.1型液晶搭載モデルで、世界最薄、最軽量(当時)を実現。16.6mm(最薄部)、約1.31kg
[IBM]ThinkPad s30
Wi-Fi対応のワイヤレスLANモジュールとダイバーシティアンテナを搭載したウルトラ・モバイル
アメリカで同時多発テロ。ニューヨークWTCビル崩落(9.11)
米エンロン社が不正経理で破綻。SOX法制定のきっかけ
2002
[パナソニック]レッツノートCF-R1
約960gと大幅に軽量化、駆動時間約6時間
[富士通]
世界で初めて環境負荷の少ない「植物系素材プラスチック」部品をノートパソコン「FMV-BIBLO」に採用
[東芝]Dynabook SS 2000
使いやすいボディデザインと高耐久性、ロングライフ機動力を追究
みずほ銀行、システム統合でシステムトラブル
米連邦議会で「上場企業会計改革および投資家保護法(SOX法)」が成立
ITスキル標準(ITSS)を経済産業省が策定・公表
2003
[パナソニック]レッツノートCF-W2
シェルドライブ内蔵
政府が電子政府構築計画を策定
2004
[東芝]Qosmio E10
TVに匹敵する高画質を追求するノートPCをQosmioシリーズとして投入
サンフランシスコで第1回「Web2.0カンファレンス」開催
2005
IBMがPC事業部門をレノボ・グループに売却。ThinkPadのブランドと研究開発は同グループで継続
[IBM/レノボ]ThinkPad X41 Tablet
コンバーチブル型のタブレットPC
[パナソニック]レッツノートCF-W4
耐100kg級の頑丈設計
[東芝]Dynabook SS LX/MX
衝撃、水濡れ、漏洩などからデータを保護する機能を強化
電子文書法施行
個人情報の保護に関する法律(個人情報保護法)全面施行
みずほ証券、ジェイコム株誤発注で約400億円の損失
東京証券取引所でシステム障害が発生、証券取引を中止
2006
[アップル]MacBook Pro
Intel Core Duoを搭載
[パナソニック]レッツノートCF-Y5
キーボード完全防滴
[ソニー]VAIO type A
ブルーレイディスクドライブを搭載
[レノボ]Lenovo 3000
レノボブランド初のノートPC発売
ライブドア事件
経済産業省IT戦略本部が「IT新改革戦略」「重点計画2006」を策定
トリノ冬季オリンピック開催。女子フィギュアで荒川静香が金メダル
産学連携「情報大航海プロジェクト」スタート
安倍内閣が発足
2007
[富士通]FMV-BIBLO LOOX U
Windows Vistaを搭載した手のひらサイズのモバイルPC
[東芝]Dynabook SS RX1
最薄部19.5mmは光学ドライブ搭載機種として世界最薄(発売時点)
Windows Vista発売
経産省、「情報システムの信頼性向上のための取引慣行・契約に関する研究会」最終報告書を発表
Part2 世界3大開発拠点のキーパーソンが語る「あのころ」
1989年、夏〜秋の凝縮された3.5カ月
 ノートパソコンの開発にあたって、NECが初めて導入したのが、「逆線表」というものだ。
 開発作業工程を示す通常の線表は、仕様検討、回路設計などのスケジュールから書き始め、そのゴールとして、出荷日が決まるというものだ。だが、逆線表では、まず最初に出荷日を決め、そこからさかのぼって、生産、調達、設計のスケジュールを決定していく。右から左に書くものを、左から右に書くのである。しかも、NECの場合は、それを3.5カ月間に凝縮した形で線表を引いた。

 実は、米沢日本電気では、1984年に、PC-8401Aと呼ぶ製品を世に送り出している。これが98ノートの原型ともいえるものだ。「これこそが世界初のA4サイズノートPCといえる製品」と、開発を担当したNECパーソナルプロダクツの柴田孝エグゼクティブアドバイザーは語る。
柴田孝氏
柴田孝
NECパーソナルプロダクツ株式会社
エグゼクティブアドバイザー
 さらに、86年にはPC-9800シリーズ初のラップトップPC「PC-98LT」を開発し、88年にはPC-9801LV21を開発。こうした経験が、それまでのラップトップパソコンに比べて大幅に小型軽量化したノートパソコンを、短期間に開発するノウハウとして蓄積されていた。

 開発を率いていた元NEC専務取締役の戸坂馨氏から、ノートPC開発の命令が、米沢の開発チームに下ったのは8月のこと。逆線表には、11月24日に出荷を開始するという最終点が書かれ、そこからさかのぼって、最初の作業となる仕様検討、回路設計が、8月17日から開始すると記された。
世界に挑戦する緊張感・危機感
 このとき、事業部と開発現場の調整役を果たしたのが柴田氏である。
「あらゆる意思決定と業務遂行、問題点への対策を迅速に行わなくてはならない。どの部署の報告が遅れている、どんな項目の決定が遅れているといったことをとらえ、毎日のように改善を要請した。過去に経験したことがない緊張感と危機感をもって臨んだプロジェクトだった」と語る。
 柴田氏も米沢製作所時代から同社に勤務し、NECの伝送事業の基幹拠点である我孫子事業場で、電子交換機の開発に取り組んだ経験をもつ。米沢日本電気と、NECの事業部を結びつける役割を果たすには最適の人物であったといえよう。

 開発を進めた結果、米沢日本電気は、見事予定どおりに3.5カ月のスケジュールで、98ノート(型番PC-9801N)の出荷を達成した。
 発売されたPC-9801Nは、一気に巻き返しを図る。年度末までの約5カ月間で5万台の出荷を予定していたものが、結果としては10万台に到達。翌年にはPC-9800シリーズ全体の約3割を占めるほどの製品に成長した。
PC-9801N
NECが開発開始からわずか3.5カ月で市場投入したPC-9801Nは、通称「98ノート」と呼ばれた。CPUにはV30(クロック周波数10MHz)を搭載したA4ファイルサイズのノートPCで、重量は2.9kg。
「ノート」と命名
「このときの経験は、その後の自信につながっている。自分を高めていくためには、高い目標を設定し、それにチャレンジすることが大切だと感じた」と、柴田氏は、技術者として自信を深めたプロジェクトであったことを明かす。また、神尾執行役員も「大きな目標への挑戦は怖さを感じるもの。だが、それを越えたときに、世界が認めるようなものを残すことができる。そこに技術者としての醍醐味がある」と語る。

 ちなみに、98ノートという名称に決定したのが、パソコン事業を率いていた元NEC専務取締役の高山由氏だ。
「ブックは最初から情報が書き込まれている。それに対して、ノートは気軽に情報を書き込めるまっさらなもの。ユーザーが自分が必要とする情報を入力して使うのがパソコン。われわれが開発した製品は、持ち運びながら、情報を書き込めるノートの名称のほうがピッタリくる」と、その命名理由を語っていた。
 いまや、ノートパソコンという呼称が一般的になっている。それは、この高山氏の発想が発端になっている。
1992年、「3大拠点」の時代へ
 ノートパソコンの世界3大開発拠点として、「青梅」「米沢」「大和」の3カ所があげられる。
「青梅」は、Dynabookが生まれた東京・青梅の東芝青梅工場、「米沢」は、98ノートが誕生した山形県米沢のNECパーソナルプロダクツの米沢事業場。そして、最後の「大和」が、神奈川県大和市にあるThinkPadの開発拠点である日本IBM大和研究所である。
 現在では、IBMがパソコン事業部門をレノボ・グループに売却。ブランドは、IBMからレノボに変わったが、それでも、大和を拠点としたThinkPadの研究開発は継続的に続けられている。そして、ThinkPadの父と呼ばれる内藤在正副社長も、レノボ・ジャパンに移り、日本IBM時代同様にThinkPadの開発で陣頭指揮を執っている。

 ThinkPadの第1号機は、1992年に発売したThinkPad 700Cである。
 日本でThinkPadの開発が始まる前、内藤副社長は米国のIBMに赴任していた。パソコン事業部門では、PS/2という新たなアーキテクチャーのパソコンを開発しており、日本でもこれに準拠したPS/55という製品の開発が始まっていた時期だ。
「IBMとしても、PS/2をベースとしたポータブル領域の製品投入が企画されていた。そんな中、私が、突然、米国から日本に呼び戻された」と、内藤副社長は、大和でパソコンの開発に携わるきっかけを振り返る。

 そのとき、電池駆動のポータブル機器として開発されていたのが、PS/2 P70という製品だ。ランチボックスタイプというカテゴリーに属するポータブルパソコンだが、「重量は8kg。社内ではミシンと呼ばれるほど大きなものだった」という。
 だが、形状からは推測できないものの、電池駆動でどこにでも持ち運べるという点において、このミシンが、ThinkPad開発のベースになっているのだ。
 このミシンのコンセプトに加えて、IBMのデザインコンサルタントであるリチャード・サッパー氏が掲げた、「シンプルな外観、効率的な形状、ソフトブラック塗装と対比される赤いトラックポイント」というThinkPadのデザインコンセプトを盛り込み、さらに、当時、液晶技術をもっていた大和研究所、ハードディスク技術をもっていた藤沢といった、社内の先端技術リソースを活用し、これらの機能を、A4サイズの筐体の中に埋め込んでいったのが、ThinkPad 700Cとなる。
内藤在正氏
内藤在正
レノボ・ジャパン株式会社
研究・開発担当 取締役副社長
700C
ビジネス向けノートPCの代名詞として高い人気を誇るThinkPadの第1号機が700C。10.4インチという、当時としては大型のTFTカラー液晶ディスプレイを搭載している。またハードディスクも着脱式を採用。堅牢性にも十分配慮された設計となっている。
プロのツールに必要な条件
 ThinkPadのデザインコンセプトは、日本の松花堂弁当に例えられる。箱の外観はシンプルだが、開けてみると驚くような興味深い機能が満載されているという、シンプルと驚きのコラボレーションを実現したものだからだ。
 そして、ThinkPadは、自分が常に持ち歩くことを前提とし、存在することを感じさせない「透明感」を演出したものでありたいと、内藤副社長は自らの考え方を披露する。持ち歩くのに、必要以上に重さを感じると、それは透明とはいえない。「どうしたら、存在を感じさせないですむのか。ThinkPadはそこにこだわった」という。

 ThinkPadの基本コンセプトは、「プロのための道具」である。
「パソコンのプロではなく、仕事のプロが、仕事の道具として使うことを目指したのがThinkPad。生産性や競争力を高め、ビジネススピードを加速する道具でなくてはならない。ディシジョンメーカーのために、どんな場所からでも、必要な情報をキャッチし、さらに自ら情報を発信するツールとして、携帯性をより高めていかなくてはならない」と内藤副社長は語る。

 プロのための道具としての携帯性を追求するうえでは、堅牢性が重視される。内藤副社長は、さまざまな耐久試験は破壊領域まで行うということを、社内に指示している。「保証した数値をクリアするのではなく、どこまでやったら壊れるのか、どんな事象で壊れるのかといった点を知ることが、より信頼性の高い製品を作ることにつながるからだ」
 データ損失は、ビジネスにおける生産性を最も阻害するもの。プロの道具である限り、パソコンが壊れても、データを保証する構造にこだわったのもThinkPadならではのものだ。加速度センサーを採用した「ハードディスク・アクティブプロテクション・システム」を搭載しているのも、データ保護を最優先に考えるThinkPadだからこその取り組みだ。
「これは絶対に人には負けない」というものを
 では、内藤副社長は、技術者としてどんな心構えで製品開発に取り組んできたのか。
「素晴らしい技術者や製品を参考にするのはいい。だが、自分がそうなりたい、同じものを作りたいという目標は間違っているのではないか。自分はほかの人のコピーにはなり得ない。自分はなにができるのか、自分にしかできないことは何か。それらを見つけることが、技術者としての自信につながる。20〜30代であれば、自分が担当した仕事のうちのひとつでいいから、これは絶対に負けないというものを作ってほしい。
 確かに、若いときに突き詰めた技術も、数年たてば陳腐化して使いものにならなくなる。だが、物事の根本論理は同じ。新たな技術を理解するベースとなる。人には負けないといえるものを、とことん突き詰めてほしい」
 これがプロのツールとしてのノートパソコンを生み出した内藤副社長の技術者としてのスタンスだといえよう。

 日本から生まれたノートパソコンは、全世界へ広がりを見せている。
 現在、日本においては年間出荷台数1400万台のうち、約6割がノートパソコンだ。そして、米国においても約5割をノートパソコンが占めるようになっている。
 米国で生まれたパソコンは、日本の技術によって、ノートパソコンという領域へと踏みだし、それが今や世界的な潮流となっているのである。
次回の掲載は2月21日、「組み込み技術の17年史」(仮題)です。
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根村かやの(総研スタッフ)からのメッセージ 根村かやの(総研スタッフ)からのメッセージ
2007年7月から6回連載した「日本の技術クロニクル」に続く技術史シリーズ第2シーズンです。各回ひとつの技術テーマを採り上げ、当時を知るキーパーソンが、その歴史と現在、未来への期待を語ります。6回で6つのテーマ、どの分野の技術史が登場するか、ご期待ください。

このレポートの連載バックナンバー

No tech No life この技術とともに在り

技術を育てるのはエンジニアであり、エンジニアを育てるのは技術。その人なしにはありえなかった技術を、その技術なしではありえなかった技術者人生とともに語ります。

No tech No life この技術とともに在り

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