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我ら“クレイジーエンジニア”主義!vol.9 39歳でMIT教授に転身。まったくのゼロから「タンジブル・ビッツ」を生んだ石井裕
常識破り、型破りの発想をもったクレイジーエンジニアを紹介する第9回は、石井裕マサチューセッツ工科大学(MIT)教授を紹介する。直接手でデジタル情報に触って操作できるインターフェース研究で世界をあっと言わせた「タンジブル・ユーザーインターフェース」はいかにして生まれたのだろうか。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:06.04.12
クレイジー☆エンジニア
マサチューセッツ工科大学(MIT)
メディアラボ教授
石井裕氏
 アメリカのMITといえば、約60人のノーベル賞受賞者を輩出してきた世界トップクラスの研究実績を誇る。ここで10年以上にわたって教授を務めてきた日本人がいる。石井裕氏だ。所属するメディアラボは、パソコンの父として知られるアラン・ケイの言葉「未来を予言するベストの方法は、自らが未来を作り出すこと」をスローガンに、メディアテクノロジーのもたらす未来を描き出す研究を続けてきた。約30人の教授陣には、人工知能の権威であるマービン・ミンスキー氏ら、各分野を代表する研究者が名を連ねる。95年から教鞭を執り始めた石井氏は、その革新的な研究から世界的に知られる存在となった。直接手でデジタル情報に触って操作できるインターフェース研究「タンジブル・ユーザーインターフェース」だ。そんな彼のキャリアのスタートは、日本の電電公社(現NTT)だった。
ルーティンジョブ後、夜8時から自分で研究していた
 私の父は新聞社の計算機部門でプログラマをしていました。当時の一番いいメインフレームだったIBM360を扱っていて、家には関連のマニュアルなどもありました。父に連れられてマシンルームに行ったこともあります。いつか、こんなところで仕事をしてみたいと思いました。しかし、私の大学時代はまだ計算機専門の学科がありませんでした。一番近い電子工学科に進み、大学院から北海道大学に初めてできたコンピュータ系の学科、情報工学を専攻しました。電電公社から奨学金をもらっていたこともあり、あまり深く考えずに電電公社に就職します。以後、16年間、勤務していました。

 電電公社では、研究所でデータ通信システムの実用化に携わっていました。もともとオリジナリティのある仕事をして、世の中に貢献したいという非常に強いこだわりをもっていました。既存技術の改良ではなく、世の中に新しい流れを作りたい。そうすることで、自分のレーゾンデートルを見いだしたいと思っていたんですね。しかし、そういう研究ばかりができるわけではない。そこで私は、日々のルーティンのジョブが終わった夜8時以降にやりたい研究をしていたんです。一人でプログラムを書いたり、モノを作ったり、論文を書いたり。

 私が今も電電公社、NTTという会社に感謝しているのは、そうした未来を志向した研究もサポートしてくれるだけの懐の深さがあったことです。日常業務の終了後に行っていたサブマリン的な動きは、やがて実際のプロジェクトになり、いくつものユニークなシステムを開発しました。そのひとつが、「クリアボード」です。そしてこれが、パソコンの父、アラン・ケイの目に留まったんです。
MITでは、「それまでと同じ研究は続けるな」という発想で
「クリアボード」は、ブロードバンドネットワークのキラーアプリケーションのひとつとして、同僚の小林稔氏と開発しました。例えば会社の会議では、ホワイトボードが有用な会議のメディアになります。そこで、遠隔地にいる2人が、ガラス板を通して相手の顔を見ながら、さらにクリアな板の表面に絵をかきながら話ができるシステムでした。重要なのは、相手の視線が共同描画面のどこに向けられているかを容易に読めること。相手の視線も読み、それをコミュニケーションの中で活用できる。相手がどこに興味をもっているか、集中しているかがわかる。つまりは、異空間を感じさせないシームレスなコミュニケーションを実現するツールです。

「クリアボード」は、海外で高い評価を受け、やがて日本でも評価を得ました。面白いと思ったのは、注目のポイントが違ったことです。日本が技術の中身、回線スピード、仕様や価格などに注目したのに対し、欧米では「クリアボード」の裏にあるシームレスというビジョンに注目が集まりました。裏側にある哲学や美学に言及するコメントが非常に多かったんです。

 94年9月、私はアトランタの「ヴァンガードSCC」で、アラン・ケイに招待され、「クリアボード」を発表しました。終了直後、ケイが歩み寄ってきて、私はメディアラボに誘われました。自分の力を世界で試してみたいと思っていましたから、10分後には返事をしていました。そして95年、採用が正式に決まった席で、ネグロポンテ所長が言った言葉は私を驚かせました。「君が取り組んできた研究の面白さはわかった。でも、MITでは同じ研究は絶対に続けるな。まったく新しいことを始めろ。人生は短い。新しいことへの挑戦は最高のぜいたくだ」。新しいことを始めるのは大きなリスクです。過去の経験を生かしたほうが、ラクに決まっている。しかも当時、私は39歳でした。しかし、私は彼の言葉に奮い立ったんです。
「重力に抗する」。メインの考えや流れのまったく逆を行け
「タンジブル・ユーザーインターフェース」のコンセプトが生まれるまでには、3カ月ほどかかっています。MITに入ってからは、寝る時間と食べる時間を極限まで縮め、とにかく考え、周りの学生たちと議論し、コンセプトをまとめていきました。コンセプトづくりにあたっては、ストラテジーを決めました。ディファイ・グラビティ、重力に抗することです。重力があることは常識ですが、そういうものにあえてあらがう。今あるメインの考えや流れを当たり前と思わずに、それを根本的に疑って、そのまったく逆を行くんです。

 コンピュータの世界では、メインストリームのキーワードは、ビジュアルやピクセルであり、リモートコントローラーとしてのマウスやキーボードです。また、あらゆる用途に用いられるが、ユーザーはひとりが基本。私は、これとまったく逆を考えました。つまり、ダイレクトに触れられ、ある目的のために使え、複数のユーザーが同時に操作できる。こうして、コンセプトを練り上げていきました。

 もちろんコンセプトができた時点で、100%これでいけると確信があったわけではありません。最初から成功が約束されているようなコンセプトやビジョンなんてあるわけがない。リスクは当然ある。問われるのは、リスクがあっても、やる気があるかどうか、です。マウスの改良なら、マウス自体の成功が確立していますから安全。これはある意味、安心して研究できる。しかし、私はマウスに代わるもの、マウスを覆すようなコンセプトを提唱したかった。そしてリスクの大きさは、研究者として受け取れる果実の大きさも意味していました。
ミュージックボトル
 
「タンジブル・ユーザーインターフェース」が具現化したプロジェクトのひとつ、「music bottles」。ガラス瓶のふたを開けると、例えばジャズの音楽が聴こえてくる。人類が何千年と使い込んできたガラス瓶を、デジタル世界とのインターフェースに変えるプロジェクト。こうした遊び心あふれるプロジェクトが数多く実現している。「日本では、いつでもどこでもコンピュータにつながることがいいことだ、というムードがあるようですが、本当にそうなのか。四六時中、電子メールに追いかけられているのが幸せかどうか。効率、スピードといったアプローチではなく、エモーショナルプレジャー、エステティックプレジャーが、バリューになると私は思います」
ハンドスケイプ
 
三次元空間でベクトルを測り、無線でその測定結果を随時コンピュータに送れる「Hand SCAPE」。「タンジブル」プロジェクトは、テクノロジーだけでなく、デザイン、アートといった側面でも高い評価を獲得、デザインアワードなどでも多くの賞を受賞している。石井氏はコンピュータだけでなく、建築、デザイン、アートにも昔から強い関心をもっていた。「プロダクトデザインやインダストリアルデザインの人たちは、次の3つを重視しています。クリエイティビティ、エステティック(美学)、ユーティリティ。機能性以上に、こだわらないといけないものがあるんです」
ピンポンプラス
 
卓球台の中を魚が泳ぎ、ボールが当たる場所に水紋が走る「Ping Pong Plus」。プロジェクトが建築、デザイン、アートなど幅広い分野にまで及ぶのは、「タンジブル・ユーザーインターフェース」というコンセプトの強さゆえだ。「小さくしたり薄くしたり、早く、安く作ったりする研究も非常に重要で意味のあるものだと思います。しかし、まったく新しい概念をコンセプトから生み出すことも非常に重要なこと。たとえ、そのコンセプトが実用にまで至らなくても、そのコンセプトを生んだ価値そのものは、世界では高く評価されます。だからこそ、なぜこの研究なのか、という哲学的な思考が大きな意味をもつんです」
 このまったく新しいコンピュータのコンセプトについて、石井氏は97年春、「タンジブル・ビッツ」という論文で発表する。そのオリジナリティとユニークな実現アプローチ、さらには明快なネーミングは世界を驚かせ、高い評価を得た。この論文は、後にヒューマンインターフェース分野で最も引用の多い論文となる。その後、タンジブルという言葉はこの分野の研究者たちに広く使われ始め、多くの追随研究が学会で発表されるようになっていく。石井氏は、まさに世界に新しい波を作り出したのだ。そして99年には、「タンジブル・ビッツ」を具現化するキラーアプリケーションが登場し始める。例えばビルの模型と連動するセンステーブル「アープ」 (Urp)。タンジブルという名前とともに、そのコンセプトを生み出した石井氏の名前は世界に知られるようになる。そして、2006年4月には、国際学会のCHI (コンピューター・ヒューマン・インターフェース) より、新しい研究分野を開拓し続けてきた長年の功績と、研究の世界的な影響力が評価されCHIアカデミーを受賞。
 
宮沢賢治の肉筆原稿を見て感じた、「デジタルはこれでいいのか」
 実は「タンジブル」のオリジンのひとつには、日本の伝統文化があるんです。例えばソロバン。ソロバンの珠は、数字の情報を物理的な実体で表現できる。情報を直接指で操作して計算できる。ところが、現代のコンピュータはどうか。情報の表現はスクリーン上のピクセルで、マウスやキーボードを使って、間接的にしか操作できない。情報に物理的実体を与えて直接操作ができないという大きな難点があるんです。

 そしてもうひとつ、アメリカ赴任前に訪れた宮沢賢治博物館で受けた衝撃です。私は宮沢賢治の「永訣の朝」という詩が学生時代から大好きだったんですが、その肉筆原稿を初めて見ました。私が読んでいた文庫の中で、「永訣の朝」は等間隔の9ポイントの活字で表現されていました。ところが肉筆原稿は、書いては直し、消しては書き、が繰り返されていた。それは、彼の苦悩を静かに物語っていました。インクの軌跡を見つめていると、ペンを握る彼の太い指、ごつごつした手が見えてきました。しみだらけの原稿用紙には、彼の体の痕跡や苦悩のプロセスが塗り込められていました。

 こういう迫力が、標準化・電子化されたテキスト・コードではまったく伝わってこないんです。デジタルの世界は乾いていると思いました。「どれだけ情報を削ぎ落とし、圧縮できるか」という技術効率至上の考えが、「人間的なぬくもりや感動を伝える情報の中身は何なのか」という本質的議論に優先していた。デジタルの世界に欠けているもの。それが今の研究の思想につながっていったんです。
プレッシャーの強さ、競争の激しさが成果を生む大きな要因
 私がなぜ、こうした成果を挙げることができたのかと聞かれれば、真っ先に挙げられるのはプレッシャーの大きさでしょう。MITに来るとき、厳しい仕事になるだろうとは思っていましたが、実際には予想をはるかに上回る厳しさでした。深く考えもせず、メディアラボに入ったのは無謀だったと思ったほどでした。それくらい競争が激しかった。その最大の理由は、日本の大学にはない「テニュア(終身在職権)」と呼ばれる、教授を選別するシステムがあるからです。

 MITに在籍する教授には、最高レベルの研究業績が求められます。しかも、MITに職を得てから6、7年以内にその要件を満たしたことを客観的に証明できなければ大学を去らなければなりません。トップクラスの大学でテニュアを取れる可能性は2、3割程度。つまり、それ以外の人は生き残れない、大学を辞めざるを得ないということです。MITの元学長は私にこう言いました。「MITは最高の教授しかもたない。だから最高の学生を集められるのだ」と。

「世界にインパクトを与えたか」「パイオニアとして新しい分野を切り開いたと世界が認知したか」「その分野が本当に人類にとって重要か」など、テニュア取得には明快な基準があります。私は、着任5年目の2001年にテニュアを得ることができました。しかし、テニュアを取れば、のんびり自分の研究だけやっていられるのかといえば、そんなことはありません。研究成果を挙げ、学生たちを育てるだけでなく、スポンサー企業との密な協力を通して、大学で生まれたアイデアや技術を企業に移転し、社会に広く貢献していくことが求められます。

 そのための企業からの資金集めは、テニュアを取得した教授の役割。メディアラボも年間予算の大部分は企業からの出資金です。日本の大学関係者には驚かれますが、既存のスポンサーとのリレーションづくりはもちろん、新規スポンサー獲得のための営業活動も教授である私の重要な仕事なんです。
小さな成功に満足するな。小さな成功を守ろうとするな
 何かのプレッシャーがなければ、必死さは生まれないと思っています。自由に研究していい、と言われて、本当にいい研究ができるかどうか。忙しいからこそ必死になる。忙しさの中で必死にヒントを見つける。飽食の時代で恵まれすぎていることは、意外に不幸なことなのかもしれない。飢えがないからです。適度なプレッシャーがあるほうが、実はいいんです。MITには、世界中から学生が集まりますが、厳しい競争環境の中でみんな必死です。目の色が違う。

 私は、多くの日本人が弱いのは、「深み」ではないかと思っています。哲学、と言ってもいいかもしれない。例えば、なぜ、という質問に答えられるか。なぜ、その研究なのか。なぜ、自分は生きているのか。なぜ、自分という存在はあるか……。世界にどう貢献するのか、という大義をもっているかどうかです。MITの学生たちが目を輝かせるのは、自分が作った技術やアイデアが社会に貢献し、社会に残るかもしれないのだ、という事実を知ったときです。見つめている視点が高い。だから小さな成功に満足することはない。小さな成功を守ろうとすることもない。一度の成功で満足もしない。

 人生は長くありません。私は常に死を意識しています。自分が作った技術の行く末をどこまで眺められるかもわからない。結果の収穫ができるかどうかもわからない。ならば急がないと。MITを通して、これまで社会からもらった力をお返ししていかないといけない。そのためにも、今日一日が重要になる。

 力を存分に出したい、突出した成果を出したいと考えるエンジニアには、エンジニアであることを辞めよ、と言いたいですね。エンジニアというラベルを張った段階で、もう壁ができている。ビジネスマンであり、クリエーターであり、デザイナーであり、ストラテジストであり、アーティストでないと。大事なことは、エンジニアであることではない。社会にどう貢献するか、なんです。
I/Oバルブ
 
電球の解像度を高め、光と影を建築空間に投射する「I/O Bulb」。建築物の光や影が自由にシミュレーションできる。複数の会社などが、ごく自然にコラボレートできる。こうしたプロジェクトのアイデアは、石井氏のコンセプトをベースに学生たちも交えながら創出されていく。「美しくて、面白くて、役に立つ本当にいいアイデアでなければ採用されません。ものすごいスピードで何百とアイデアは出していきますが、90%はゴミ箱行き。残りの10%もほとんどがゴミ箱に行きます。われわれは天才ではないので、いきなり思いついたりしない。努力に努力を積み重ねて失敗して、その中から生まれるんです」
トライアングル
 
積み木に自由にデジタルの意味を与えることによって、多様なアプリケーションが可能になる「Triangles」。積み木をくっつけると、お互いにコミュニケーションを始める。ストーリーテリング、アート的表現など、新しい表現言語として使うことも可能になるという。「ビジネスの人、サイエンスの人、アートの人に「タンジブル」をトランスレートしていけるコミュニケーション能力も求められます。サイエンスだけ知っていればいい、ではダメ。それこそ販売促進まで含めた総合的な芸術として高めていかないといけない。それが新しいものを作り出す人間の役割だと思っています」
「タンジブル」の未来図
 
自分の手を離れた後も、「タンジブル」が世の中に貢献していくことに期待する。「今のピクセルはあらゆるものを映し出せる。しかし、タンジブルとなると物理的なモノを使うわけですから、色や固さ、形が決まっている。シグナルをコンピュータからモノに送って、色を変えたり、形や柔らかさを変えたりする技術は、今はない。しかし、何十年か後に、アトムハッカーたちが、そういう技術を生み出すかもしれない。それこそ、ナノ技術なんかを使ってね。ただ、間違えてはいけないのは、これまでのグラフィカル・ユーザー・インターフェースを打ち負かすのではないということ。お互いを補うものであるんです」
profile
石井裕(いしい・ひろし)
マサチューセッツ工科大学メディアラボ教授

1956年、東京生まれ、札幌に育つ。北海道大学工学部電子工学科、同大学院情報工学専攻修士課程修了。80年、電電公社(後にNTT)入社。86年〜87年、西ドイツのGMD研究所客員研究員。88年よりNTTヒューマンインターフェース研究所で、CSCW、グループウェアの研究に従事。92年、工学博士。CSCW、CHIなどの国際会議の常連となる。93年から1年間、トロント大学客員助教授。95年、マサチューセッツ工科大学準教授。メディアラボ日本人初のファカルティ・メンバーとなる。後に教授。趣味は、卓球、旅行、水彩スケッチ。著書に『タンジブル・ビット/情報の感触 情報の気配』『CSCWとグループウェア』『グループウェアのデザイン』ほか多数。2006年、国際学会のCHI (コンピューター・ヒューマン・インターフェース) より、長年にわたる功績と研究の世界的な影響力が評価されCHIアカデミーを受賞。
http://web.media.mit.edu/~ishii/
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アメリカの大学は、研究資金集めも教授の重要な役割なのだそうです。企業の経営者のように、スポンサー企業から資金を募り、学生をアルバイトで雇用して給料を払う。研究だけに没頭しているだけでなく、世にその技術の有用性を伝え、役立つ製品の形で届けなければ意味がない。その発想が、まだ日本では浸透しきれていないかもしれません。そこには、単に金銭だけではない、未来の技術進化につながる何かが生まれていくのだと感じました。「タンジブル」の未来図が楽しみでしかたありません。
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