それまで知らなかった外の世界を知ることが、キャリアチェンジのきっかけになったという人は少なくありません。今回お話をうかがった原正幸さんもそのひとり。2回に分けてお届けする記事の第1回として、小・中学生向けのプログラミング教室を運営する原さんが、かつて大企業に勤めていた頃に「そんな過激なことは考えもしなかった」と語る「起業」に踏み出すまでの道のりをお伝えします。
プロフィール
原 正幸(はら まさゆき)
日本電気株式会社(NEC)に入社後システムエンジニア、ビッグローブ株式会社での商品企画を経て独立し、大手企業の新入社員教育などに従事。子どもが生まれたことを機に、子どもの未来教育を行う株式会社プロキッズを設立。東京都港区と茨城県つくば市に子ども向けプログラミングスクールを開校し、国立名古屋工業大学の非常勤講師も務める。
目次
「定年まで勤め上げる」と疑いなく信じていた大企業サラリーマン時代
――最初のキャリアはシステムエンジニアとのことですが、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?
大学院で通信ネットワーク関係の研究をしていたので、その流れでNECに入社しました。入社後8年ほどは、通信キャリア向けのシステム開発を行っていましたね。その後の5年間は、当時NECの傘下に入っていたビッグローブに社内公募で希望を出して異動したんです。
ビッグローブでは、それまでのエンジニアという仕事ではなく、商品企画として、MVNOモバイル通信サービスの新規事業の立ち上げなどに携わりました。もしかすると、一般の方には「格安SIM」という言葉の方が伝わりやすいかもしれません。
当時は、モバイル通信サービスを提供するのは通信キャリアくらいで、それ以外の事業者がモバイル通信サービスを提供しているケースは少なかったと思いますが、商品設計やマーケティング、サポート体制の構築からサプライチェーンの構築など、本当に幅広い仕事をさせてもらいました。
――ビッグローブへの異動を希望した理由はなんだったのでしょう?
NECの仕事はBtoBの仕事で、顧客から要望に対して技術で解決するものでしたが、BtoCの仕事もやってみたいという好奇心があったんです。個人に向けたサービスは、自分の、“消費者としての”意見を活かせるかもという想いがあり、異動しました。
実際に異動してみると、NECとビッグローブは系列会社だったものの、社内の文化は全く違っていたんですよね。NECはやはり大企業というイメージ通りでしたが、ビッグローブはフラットな雰囲気で発言もしやすかったんです。人によるでしょうけど、私にはビッグローブの文化は合っていたと思います。
――当時から起業したいという想いは秘めていたのでしょうか?
それが、まったくなかったんです(笑)。私の父も定年まで一つの会社を勤め上げた人間ですし、NECでは、まわりに転職する人も少なかったですから。ときどき転職する人を見ると、「珍しい人もいるもんだな」と思って眺めていました。起業なんて過激なことは、考えてもみませんでしたね。
あっさりと崩れた、「社長賞を獲得した自分」への過信
――それでは、起業に至る最初のきっかけは何だったのでしょうか?
ビッグローブ時代の上司から言われて、ベンチャー企業が多く集まるイベントにたまたま出席したことですね。
そのイベントでは、当時発売されたWindows7を使って、アイドルグループの「アイドリング!!!」をいかに世界一の人気アイドルにするかというアイデアコンテストも行われ、ベンチャー企業の経営者が多く参加していました。
彼らベンチャーの起業家は、私と同世代や年下の人もいたんですが、驚くほど仕事が早く、優秀だったんです。実は社長賞を何度も受賞したこともあり、多少自信もあったのですが、「自分は井の中の蛙だったんだな…」と実感しました。
その経験があってから、さまざまな外部のイベントに参加するようになったんです。とはいえ、まだ相変わらず起業するとは考えていなかったんですが、「どういう人が外の世界にはいるんだろう?」という好奇心のまま動いたという感じです。
ただ、こうしたイベントに参加して色々な人と知り合ったことで、「起業」というものへの心理的なハードルが下がったのは確かです。たとえば、iPhoneのアプリを作って個人で事業をしている方と知り合ったのですが、その方は本当に、普通の人だったんですよね(笑)。起業する人って、自分とは違う特殊な人だと思っていたんですが、実はそんなことないんだな、と気づきました。
どんなキャリアチェンジをするかを決めずに36歳で退職を決断
――現在は子ども向けのプログラミング教室を運営されていますが、退職された時点で計画されていたのでしょうか?
退職したのは2015年4月でしたが、当時は今のような子ども向けの事業をするとはあまり考えていませんでした。退職自体も、計画通りというわけではなく、タイミングは偶然だったんですよ。というのも、当時、ビッグローブが買収されまして、私たち社員は、「NECに戻るか、ビッグローブに残るか」を選択しなくてはならなかったんです。そこで、私はいずれも選択せず、退職する旨を申し出たというわけです。
――では、急な退職だったんですね。ご家族や会社の方の反応はいかがでしたか?
実は当時結婚したばかりで、子どもも生まれる予定があったんですが、妻からはとくに反対されませんでした。とはいえ、当時は、「独立したら仕事をお願いしたい」という話はいくらかいただいていましたが、ずっと生活できるだけの仕事が確保できていたわけでもなかったんですよね……。ある程度見切り発車でしたが、妻は「やってみたら」と応援してくれ、今はうちの会社を手伝ってもらっています。
会社の人たちの反応はさまざまですが、上司は私が決めたことだからと応援してくれました。とてもありがたかったです。
家族が増えるタイミングでしたから、周囲の人からはもしかしたら「大丈夫なの?」と思われていたかもしれません。ただ、はっきりと退職に反対する人はいなかったと記憶しています。
子どもが生まれて思い出した、“教育への熱意”がビジネスにつながる
――それでは、プログラミング教育をビジネスにしようと決めたきっかけは何だったのでしょうか?
退職後しばらくは、個人事業として、知人のつてで大手の事業会社向けにプログラミングなどの新人社員研修をしていました。そこから、対象を子どもまで広げたのは、やはり自分の娘が誕生したことが大きい理由です。
娘がこれから生きていく世界は、ITが今以上に当たり前の世界になっていくので、いずれ教えたいと思っていましたが、自分が思い描くような教室が見つからなかったんです。大学時代からITを学んでいたので、だったら自分でやってみようかな、と思いプロキッズを創業しました。
実は、私は大学時代に家庭教師をしていて、子どもに教えることは昔から好きだったんです。そんなことは会社に就職して忘れていましたが、娘の誕生によって思い出しました。ですから、娘がいなければ、おそらく今のようなビジネスをしていなかったと思いますね。
大きな組織から離れたからこそ、圧倒的なスピードと成果で勝負
――起業してみて、どのような変化がありましたか?
びっくりするくらい自由になりました。朝起きて会社に行かなくても怒られませんからね(笑)。仕事とプライベートの垣根が低くなりましたし、自分の性格と合っていると思います。
仕事の面でも、自分たちの力次第でアイデアをすぐに実行できるスピード感があるので、楽しいです。大企業だと、何をするにも多くの人の決裁などがあるので、なかなか進みませんからね……。とくにITの世界では、会議室で長い時間議論するよりも、さっさとユーザに使ってもらってブラッシュアップした方が早いですから、仕事のスピードは重要です。
もちろん、自由になった代わりに、これまで会社の人がやってくれていた事務作業や新規顧客の開拓などもすべて自分でなんとかしなくてはなりませんから、大変な面はあります。それでも、今の仕事のスタイルが身についたので、もう前の職場には戻れないな、と感じています。
仕事を依頼したり、逆に受けたりするのも、即断即決するように心がけています。私はコワーキングスペースでも仕事をしていますが、ここで知り合った人と雑談しているうちに仕事が決まって、翌日に仕事に着手することもありました。
こんな風に人のつながりが仕事につながる場面は非常に多いです。ただ、仕事を継続して依頼してもらえるかは、私の頑張り次第だと思っていますから、依頼をいただいた仕事は、120%の力を出して期待を上回れるように努めています。それが最大の営業だと思っていますから。