40歳からのセカンドキャリアを成功させた4つの理由と、企業が変わるべき2つのルール

photo by CRISTIAN BORTES
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 僕は19年ひとつの会社に勤めた後、辞めて自分で商売を始めて、12年生き延びてきた。
 突然、会社を辞めたのは42歳のときで、僕のセカンドキャリアはまさにそのとき始まった。
 最初のキャリアは大手百貨店の社員。家庭用品で売場を経験し、のちに営業企画などを担当した。
 2つめのキャリアは、アンティーク着物のネット販売業。
 当時の百貨店にはちゃんとしたネット販売の部門はなく、着物のこともほとんど何も知らなかった。
 共通点は、どちらも小売業であるということだけである。

 その話だけを書けば、おそらく僕のセカンドキャリアへの転身は「なんだ、大手小売から古着屋へ落ちぶれただけか」ということになるだろう。
 だけど、百貨店で先が見えず、何のために生きているのか分からないとまで絶望した僕が、この仕事でまさに生き返って、楽しく仕事をさせていただいている。
 正直に書こう。
 現在の僕は、あのまま会社に残っているより、収入面でもはるかに恵まれている。
 小さな事業(年商2億円程度)だけど、すべては自分の腕でやりくりして、自分の信じることだけを一生懸命にやっている。
 それは、扱い商品や、扱い高の多寡を超えた充実感をもたらしてくれている。
 加えて、嫁や、会社に加わってくれた娘との時間も増えて、家族とのコミュニケーションははるかによくなり、笑い声が多くなった。
 会社と家は車で10分ぐらいなので、通勤に汗を流す必要もない。
 収入だけでなく、生活の質が格段に向上したのだ。

 僕の書いた記事に、Twitterで「二流の経営者」という反応があったのだが、「経営者・起業家」としての僕は「二流」どころか「五流」だと自覚している。
 だけど、問題は「経営者・起業家」としてどうかということではなく、「あきらめず、自分の納得のいく人生を送っているか」どうかだと思う。
 前にも書いたように、僕は会社人としては失敗した。
 だが、セカンドキャリアに転身したことに関しては成功したと思っているのである。
 誰が何と言おうと。

多くの人がセカンドキャリアを始めることができれば理想的だ

 学校を卒業して企業に入り、みんな一斉に走りはじめる。
 やがて20年もすれば、将来取締役になる見込みがあるわずか一握りと、そうでない人との違いが鮮明になってくる。
 そうでない人にとっても、人生はまだまだ長い。
 そもそもその人にとって、その会社、その仕事が合ってなかったのかもしれないし、運が味方しなかったのかもしれない。
 さまざまな理由で、その会社での先が見えたとき、転職なり独立なりして、多くの人がセカンドキャリアを始めることができれば、理想的だと思う。
 残りの長い人生をあきらめとため息で過ごすのではなく、誇りをもって新しいチャレンジに挑戦するのだ。
 人生はそれができるほど、十分に長い。

 だけど、現実には、それはなかなか難しいことであるようだ。
 僕はたまたまうまくいったけど、会社を辞めた知人の話を聞いても、いい話はあまりない。
 もちろん、うまくいっている人もいる。先輩のひとりは介護事業に転身して重役になっているし、同期の女性はいつの間にか一部上場企業の取締役になっている。

 リクナビNEXTジャーナルの読者の皆さんに向けて、キャリアに関する自分なりの考えを何度か書かせていただいた。
 今回は、中年期にセカンドキャリアを始めることについて、僕自身の経験を踏まえて書いてみたいと思った。
 ささやかな成功談なので、話が陳腐な自慢話に聞こえてしまわないか不安なのだけど、僕が自分のセカンドキャリアをうまく始めることができた理由を、自分なりに書いてみたい。
 それが誰かの参考になれば嬉しく思う。
 加えて、そういう個人を支えるべき企業はどうあるべきなのか。熱い希望を込めて書いてみた。
 セカンドキャリアを得られる可能性が高い社会へ。
 そのためには、個人も企業も変わらなければならないときだと思う。

photo by LOGAN ADERMATT
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僕がセカンドキャリアにうまく転身できた4つの理由

1. 新しいもの好きだった

 パソコンやインターネットなど新しいものが好きだった。
 仲間を見ていると、年とともにそういった新しいものへの感度が鈍っていったが、僕はかなり興味のあるほうだった。 自分で簡単なHPもつくってみた。
 ビジネスのノウハウには、不変なものと、どんどん変わっていくものがある。
 たとえば、小売りのノウハウは不変だけど、ネットの環境はどんどん変わっていった。
 40歳ぐらいでその変化についていけるというのは、大きな武器になるのだと後でわかった。
 実際、そこにどんどん新しいビジネスが生まれたのである。
 不変なノウハウだけを深めても、そこで勝負がついてしまっているなら、セカンドキャリアにはあまり役に立たない。
 不変なノウハウに、最新の技術や動向を付加できるなら、いつでもニーズは発生する。
 年をとっても、好奇心をもって新しいものをどんどん取り入れていくことが、必要だと思う。

 今は介護の業界で重きをなしている先輩が、その会社に転職したのは20年近く昔のことだ。
 当時の僕には、その先輩の決断の是非がよくわからなかった。
 でも、先輩には介護事業の将来性がはっきり見えていたのだと思う。
 中高年がセカンドキャリアを築くうえで、新しいもの、社会の変化に敏感でいることはかなり重要なことだと思う。

2. 好きなことを続けた

 僕の場合、小説などを読むのが好きだった。
 英米文学が好きで、原書で読んだりしていたので、結果的に英語の勉強を続けていたことになる。
 百貨店の仕事では英語はあまり役に立たなかったが、セカンドキャリアでは、当初海外向けの販売専業であったため、大いに役立った。

 本業以外に何か続けることのできる好きなものがあると、セカンドキャリアの武器になると思う。
 どんなことでも1万時間の鍛錬を行えばマスターできると言われている。たとえば、中国語だって10年あれば使えるようになるだろうし、その気になればたいていのことはマスターしてしまえるはずだ。

 もちろん、本業も10年ぐらいめちゃくちゃ仕事をした時期があった。そのとき、僕の場合は「小売り」について多くのことを学んだ。
 不変のビジネスノウハウを得るという意味では、そういう時期も大切だったんだなと思う。

3. 何でも自分で勉強する癖があった

 学生時代からそうだったが、何かを学ばなければならないとき、教室に座って、与えられた教科書を開いて、先生が話すことを聞く、ということが苦手だった。
 いつも自分で本を読み、参考書や問題集を自分でやってみる、というのが僕のやり方だった。
 そうやって学ぶ方法から考えて、何でも自分で学んでいく姿勢が役に立った。
 僕がセカンドキャリアで新たに学んだことは数え切れない。着物、アンティーク、骨董商売、HTML、ネットショップの商売のやりかた……。

4. 自分がもっと役に立つ場所があるはず、と信じた

 40歳ごろ、自分のファーストキャリアの先が見えたと思ったとき、諦めてそのまま会社にいさせてもらうこともできた。
 しかし、僕は僕の人生をそのまま終わらせる気はなかった。
 必ず、自分がもっと役に立つ場所があるはずと信じた。
 そして、会社を辞めてセカンドキャリアに飛び込んだ。

 さて、僕の周囲はそのとき、僕が独立して成功するとは誰も思わなかった。
 大事な点なので、ちゃんと聞いてほしい。
 世界でただひとり、嫁を除いて、周囲の人たちは誰も、僕に自営業で身を立てる力があるとは思っていなかった。

 今いる場所で輝けと言う。でも、その言葉がいつも正しいとは限らない。
 もし、その場所で輝けないなら、どれだけがんばっても輝けないなら、やはり、それはその環境があなたの持ち味に合っていないのかもしれない。
 プロ野球選手でも、放出された先でいきいきと働きだし、再び輝きを取り戻す例が数多くあるではないか。
 環境を変えて同じ「野球」という仕事を続けている人ですらそうなのだ。環境が変わり、仕事が変わり、仲間が変わり、そしてあなたも変われば、そこはあなたが輝ける場所になる可能性がある。

 「おまえは、この会社じゃあまり役に立たない。独立して稼ぐほどのチカラなどまったくないし、どこへ行ってもたいして役に立たない」という僕の人物評をつくったのは、周囲の人たちであって、決して僕ではない。
 それを受け入れてしまえば、セカンドキャリアに飛び込む勇気も失せてしまう。
 受け入れるかどうかは、あなた次第だ。
 少なくとも僕は、周囲の見込みをひっくり返したし、実は多くの人が、その置かれた環境ゆえに発現していない、十分に開花していない、周囲の人が知らない能力を秘めていると、僕は信じているのだ。

photo by JONAS NILSSON LEE
photo by JONAS NILSSON LEE

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企業が変わるべき2つのルール

 さて、長い自慢話につきあわせてしまったが、僕の場合かなりの幸運があったことは自覚している。
 たまたま最初に始めたビジネスがうまくいったので、なんとか移行がスムーズにいったのだけど、たいていの中高年にとってそれが簡単ではないことはわかっている。
 しかし、企業も、やがては中高年を余らせてしまうとわかっているのだから、僕や多くの中高年がセカンドキャリアにスムーズに転身できるような仕組みをつくってほしいと思う。
 現状のまま、すべてを個人の責任にするのは、あまりにも酷だ。
 40歳ごろは、転身にぎりぎりの年齢であるとともに、子供の学費など最も負担の重い時期でもあるのだ。
 転身を促すには、企業も変わる必要がある。

1. 「副業の禁止」の廃止

 とにもかくにも、まず「副業の禁止」というルールを変えていただきたいと思う。
 僕は「副業」ではなく「サイドプロジェクト」あるいは「パラレルキャリア」という考え方を良いと思っているのだが、現状では会社人は「サイドプロジェクト」ひとつ試してみることもできない。
 たとえば、木工を趣味とする人が椅子をつくりためて、展示即売会を実施するようなことだ。
 たとえば、NPOを立ち上げてチャリティーイベントを行い、発展途上国に学校をつくるようなことだ。
 何か本格的なことをしようとすると、その対価としてお金が付随することは当然のことだと思うのだが、「副業は禁止!」となると、そういったことができなくなる。

 中高年の多くは「自分が本当にやりたいことをやれ」と言われても、「やりたいことがわからない」人が多いという。
 それは、たぶん仕事以外の何かに、本気で取り組んでいないからだと思う。
 自分に何ができるのか、自分は何が好きなのか、動いてみなければわからない場合が多い。
 アクションをして、初めて見えてくるものも多いのだ。
 たとえば、僕は小売の世界で何かをやるしかないとは思っていたのだが、実際にセカンドキャリアとして「アンティーク着物」を選んだのは、机上で何かを読んで決めたわけではなく、何をやるか悩み抜いて、町を歩き回った末に、路上で巡りあったのだ。
 実際に動いてみなければ、僕は決してそれに到達しなかったに違いない。

 副業の禁止規定がなくなって、多くの人がサイドプロジェクトに取り組むようになれば、セカンドキャリアは見えやすくなると思う。
 また、セカンドキャリアへの移行も、よりリスクの少ないものとなるだろう。

2. 新たな長期休暇制度

 ある程度の長期休暇が、5年、10年ごとの節目で取れるような仕組みがあればよいなと思う。
 定年が60歳から65歳に延びたとすれば、5年はエキストラで最後につくと考えがちだ。
 だが、働くべき期間が延びたのではなく、5年間の休みが取れて、働く時間は同じ。単に終わりが5年後になったと考えればどうだろうか。
 その期間を有給休暇にするのか、無給にするのかは議論が必要だろうけど、1年なり、2年なりの長期休暇が取れるとすれば、その間に、何かまとまったことを学ぶことができるではないか。
 たとえば、中国語やプログラミングを本格的に学んで、セカンドキャリアの新たなスキルとすることができるのだ。
 そういった休暇の取り方は、セカンドキャリアへの転身を考えない、その会社で先頭を走っているような人たちにも、クリエイティブなヒントを得る面でも、健康面でも大きなメリットになるだろう。


 上に書いたようなことが実現できれば、セカンドキャリアを目指す個人にとってだけでなく、企業側にも大きなメリットが生まれるはずだ。
 サイドプロジェクトからはさまざまなアイディアが本業にもフィードバックされるだろうし、長期休暇による社員の健康面への効果も良いものになるだろう。

 みんなの寿命は長くなり、逆に、企業や製品の寿命はどんどん短くなっている。
 テクノロジーの進化と社会の変化は急激である。
 僕らの常識、「このように働くべき」という考え方も、ほんとうは簡単に変えることができるはずなのに、最も頑固に、今までの考え方に固執して、僕らの働き方を変える、最も大きな障害となっているのである。

 個人も企業も変わって、ひとりでも多くの人が納得のいく人生を送ることができる、セカンドキャリアへの転身ができる社会が来ることを、心の底から祈念している。

著者:Ichiro Wada (id:yumejitsugen1)

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1959年、大阪府生まれ。京都大学農学部卒業。大手百貨店に19年勤務したのち、独立。まだ一般的でなかった海外向けのECを2001年より始め、軌道に乗せる。現在、サイトでのビジネスのほか、日本のアンティークテキスタイルの画像を保存する活動を計画中。

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