「働き方」も、個性の一つになっていく時代。これからを生き抜くために、“欠かせない視点”とは?

多様な価値観が共存している現在、働き方の選択肢も増えてきました。

一方で、自分の価値観に合った働き方を見つけても、実際に「キャリアチェンジ」することに、不安を感じる人は、まだまだ多いのではないでしょうか。

一社でキャリアを築くことが当たり前だった20年以上前から、「異業種、異職種間の転職」と「副業」でスキルアップを図ってきた宮本さん。そのキャリア変遷で得たのは、「座学と実践の繰り返し」という仕事の流儀でした。

「仕事をするなら、“不確実さ”を楽しむ精神的余裕が必要」と語る宮本さんの軌跡をたどりながら、変化の激しい今の時代をフレキシブルに生き抜くコツをお聞きしました。

プロフィール

宮本 聡(みやもと・さとる)

1972年静岡県生まれ、東京都在住。大学卒業後、鉄道会社、地域金融機関、不動産仲介会社、中間支援NPO、マンションデベロッパーなど、各種業界に従事。営業コンサルティング兼ファンドレイジングアドバイザーの肩書きを持ちながら、現在は、復業した株式会社シティインデックスにて海外不動産事業マネージングディレクターを務める。株式会社リビルド社会貢献部長、認定特定非営利活動法人ACE理事公益財団法人ふじのくに未来財団理事、一般財団法人共益投資基金JAPAN理事などを兼務。さまざまな業種に携わる中で、経営管理修士(MBA)、認定ファンドレイザー、1級ファイナンシャル・プランニング技能士、宅地建物取引士、不動産コンサルティングマスターのほかにも多数の資格を取得。

30歳で初めての転職。新卒で一度戻った地元を離れ、スキルアップして再び東京へ

―鉄道会社・金融・不動産・コンサルティング…。さまざまな業種を経験してこられたんですね。

そうですね。ただ、私が社会人になった1994年は、一社で勤め上げるのが当たり前という時代でしたから、さまざまな業種を経験するとは、考えてもいませんでした。

東京の大学に進学したものの、大都会での生活になじめず、卒業後は実家のある西伊豆に戻り、地元の鉄道会社に就職しました。その時は、定年までその会社に勤めるつもりでいたくらいです。

―そうだったんですね。そんな宮本さんが、鉄道会社から転職されたのはなぜですか?

鉄道会社では7年かけて駅員、車掌を経て、運転士になるまで勤めたのですが、景気の悪化から、その会社での自分のキャリアの展望が開けなくなりました。それに強い危機感を抱き、転職を決意しました。

ちょうど子どもが生まれるタイミングでしたし、転職先は安定を求めて地元の金融機関を選びました。それが最初で最後の転職のつもりで、当時の自分にとっては思いきった決断でした。まさかその後、再び転職するとは夢にも思ってもいませんでしたよ(笑)

―運転士から金融機関の営業と、全く違う業界、職種への転職ですが、相当の覚悟と努力が必要だったのでは?

少しでも早く金融の仕事を理解するために、必死で勉強しましたよ。30歳での転職でしたから、先輩の中には19歳の人もいて、やりにくさを感じていたのは事実です。

それを払拭したいのもあって、とにかく仕事で結果を出すためにあらゆる知識をインプットしようと、資格もいくつか取得しました。結果的にその金融機関では、数年でトップの営業成績をおさめるようになっていました。

―異業種、異職種の転職だったにもかかわらず、ちゃんと成果も出されたのですね。その後、東京の会社に転職されていますが、何がきっかけだったのでしょうか。

勉強を続けながら「営業」という仕事をどれだけ極めても、西伊豆の小さな町でできることは限られていて、なんとなくゴールが見えてしまったからです。転職先で、一定の評価を受けて自信を持てたことで、「都会で力を試したい」と思うようになりました。

そこで、東京で転職活動をスタートさせ、ここまでの自分のキャリアを一番高く買ってくれた不動産仲介業の会社に営業として入社を決めました。家族を養っている立場ですから、自分の年収を落とさず探したら業界や職種・社内制度など選択する余地はありませんでしたね。人口の少ない西伊豆と違って、大きなフィールドへの挑戦でしたが、ダメなら地元に戻ればいい、当時はそれくらいのスタンスでした。

異業種を渡り歩き培ったのは、顧客をサポートするための問題解決力


▲「経歴をなぞるとバラバラのように見えても、やっていることのベースは同じ」と話す宮本さん

―またしても異業種への転職となったのですね。再び未知の業界への転職となり不安はありませんでしたか?

そうですね。不動産に関する知識はゼロからでした。働きながら業界の勉強を重ねていきました。しかし、前職での営業のノウハウはしっかりと発揮できていた自信がありました。顧客の本質的なニーズにこたえるための経験はそれまでにもしっかり積んでいましたからね。

その不動産会社で、とても印象に残っているエピソードがあるんです。あるお客様が、他社と比較しながらじっくり物件探しをされていたのですが、最終的に他社に紹介された物件を「宮本さんから買いたい」と、あえて私を選んでくれたんです。理由をお聞きすると、「宮本さんは、私に合わない物件は『やめておきましょう』とはっきり伝えてくれて、信頼をおけた」と話してくださって。これは、嬉しかったですね。

「ニーズに合っていないと判断したらお勧めしない」背景には、常に「顧客が抱える問題の解決をサポートしたい」という思いがあったからだと思っています。思えば、最初に就いた鉄道会社のころから変わらず磨き続けてきたスキルだと気がつけた瞬間でもありました。

―運転士(車掌)をされていたころから、営業に職種を変わっても、大切にされていることは変わらない。「顧客課題の解決をサポート」の視点を持たれていたことで、そのスキルを異業種・異職種でも活かせたということですね。

はい。その後も複数の業種を経験したのですが、どの会社でもこのスタイルは変えていません。費用と価値観のバランスをみながら、そのお客様にはどの商品が合うか合わないかを見極めることが大切です。合わなければ決してお勧めしませんし、合えば必死で勧めますよ。たとえ押し売りだと思われてもね(笑)

「仕事の切れ目が、縁の切れ目」なんて古い話

―その後、複数の肩書きを持たれていますよね。まだそこまで働き方として“複業(パラレルキャリア)”浸透していない中、どのようないきさつでスタートされたのかをお聞かせください。

独立を考えていたころ、いくつかの会社からオファーをもらっていた中で、会社を経営する友人から「他社の半分しか報酬を出せない。だから週の半分だけ来てくれ」と誘われました。それを聞いた時、「そんな働き方も面白いかもしれない」と思ったんです。

その半分だけの仕事で、一応食べていける最低限の報酬は確保できたので、残りの半分の時間を使ってやりたい仕事をいくつか平行してできるのなら、やってみようかと。

個人事業主としてコンサルタントの仕事と、もともと交流のあったNPOの人たちのアドバイザーをスタートさせました。そこで初めて、私の中で「複業(パラレルキャリア)」という発想が生まれたわけです。

―もとの仕事で縁のあった方々とのつながりも続いているようですね。

そうですね。私の転職のきっかけは、どれも仕事が嫌になったからではなく、いつも、その仕事の中で次にやりたいことが見つかったから、なんです。泣く泣くお別れするという形で職場を離れてきたので、仕事の切れ目が縁の切れ目なんて言葉は、私には全く当てはまりませんよ。初めて就職した鉄道会社の仲間とも、ずっと縁が続いていますしね。古巣から仕事の声がかかることもあります。

―各業界で培ってこられたのは、スキルだけではなく、人の縁もあるのですね。

お金という報酬をもらうことがすべてではない
〜「やりたいこと」はボランティアでスタート、という選択

―仕事をする上で、新たなフィールドに飛び込む時は、果たして自分がそこで仕事ができるのかと、不安になってしまう人も多いと思いますが…。

「できること」と「やりたいこと」の軸は違う、ということをしっかりと認識しておくとよいと思います。

転職でも複業でも、それから副業にしても、お金を稼ぐことが目的なら、まずは、自分が「できること」を選べばいい。「やりたいこと」より「できること」を優先し、実際に誰かの役に立つことで、次のステップにつながりますから。

私が地元を離れ、転職した当時は、家族を養うことが目的でした。だから、「当時の自分にできること」を優先したんです。人とは違った経験をすると誰でも不安になるものですが、そうして思い切った選択肢の先で経験を積んだことで「できること」が増えていったんです。

―なるほど。それでは、新たに始める「やりたいこと」のハードルは、どう乗り越えたらよいのでしょう。

もしも「やりたいこと」が報酬をもらえるレベルに達していないと感じるのなら、無報酬でやってみる、のはどうでしょう。例えそれがボランティアでも、自分にとって勉強になれば価値がありますし、本業にも活きてきます。

その時の損得勘定だけに振り回されることなく、失敗を恐れず挑んで欲しいですね。自分が決めて行動したことは必ず身に付きます。そして、「迷ったらやる」と決めておくこと。迷いがある時はやりたい気持ちが半分はあるわけですから。

「不確実を楽しむ余裕」があれば仕事はもっと豊かになる

―初めての転職の時から数えて、その後もたくさんの資格を取得されましたね。実際に仕事をしながらも、座学で資格を取って良かったことを教えてください。

資格取得自体というよりも、資格を取るための「勉強のプロセス」が役に立ったと思っています。資格試験では、実際の業務には直接影響しないことまで出題されます。その業界を知らない人間からすると、試験の内容は体系的に整理された知識で、一般常識と照らし合わせてそのロジックを理解することができる良さもあると思います。

―新しい業界を体系的に理解するために、ロジックと実践の掛け合わせが大事だということですね?

その通りです。私は、仕事のスキルアップには、“座学”と“実践” 、言い換えると“抽象化”と“具体化”の繰り返しは必要不可欠だと思っています。

目の前の具体的な仕事ばかり追いかけていると、毎度その時限りの勝負で終わってしまい、次に活かせません。座学で抽象化した知識を学び、学んだことを仕事で試す、すなわち具体化するのです。そしてまた、仕事で経験したことを抽象化してみる。具体化と抽象化を行き来することで、応用の効くスキルが身につき、実践力も向上します。

―さまざまな業種の経験は宮本さんのキャリアに役立っていますか?

数多くの転職経験は武器になっていると僕は思います。一つの会社にとどまっていると、どうしてもその会社の常識と社会の常識がイコールになりがち。
しかし、異業種に移ると、それがイコールではないことがよりクリアに見えてきます。
異業種を経験することで多様な価値観を体感し、さまざまな視点を持つことができました。

―宮本さんのお話をうかがっていると、仕事との付き合い方、選択の仕方が増えたような気がします。

個人の力は小さいものです。

世の中の変化にはどうしたってあらがえない。それでも生き延びなきゃいけない時、いろいろな視点を持つことができて、いろいろな自分になれるほうが、変化の大きい時代を生きていく上では、きっと有利になると思います。

―短期的な視点で判断することなく、自分で選択したアクションなら、失敗も含めいずれ自身のキャリアとして結実するのでしょう。

取材:Loco共感編集部 大曽根桃子

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