伝統工芸を使って副業に挑戦。「チャンスは“私らしさ”の中にあった」 ――“水引デザイナー ”としてのあゆみ

近年、“働き方改革”のひとつとして、副業を認める企業が増えてきました。

しかし、さまざまなスタイルの働き方ができるようになったとはいえ、副業をスタートさせても、うまくいくイメージがないという方も多いのではないでしょうか。

小松慶子さんは、故郷の長野県飯田市の伝統工芸品「水引」に可能性を感じ、IT関連会社に勤務しながら水引を使った副業を開始、ついには起業に至ります。小松さんがスタートさせた副業が本業になっていく過程をうかがいながら、「働き方」に対する考え方の変化をご紹介します。

プロフィール

小松慶子(こまつ・けいこ)

長野県飯田市生まれ、東京都在住。ネット通販会社に就職後、東京のIT関連企業へ転職。会社勤めをしながら紙のギャラリーショップ・西荻紙店のインターン生になる。イベント開催を機に故郷の長野県飯田市の伝統工芸である水引に着目、副業として水引を使った作品の制作活動を開始する。自由大学クリエイティブ創業スクールに通い、2015年オリジナルブランド「紙単衣 -kamihitoe-」を立ち上げ、翌年、第2回飯田水引コンテストで飯田水引協同組合賞受賞。2017年の製品開発プロジェクトに携わったのをきっかけに、飯田市内にある水引製造販売卸会社と提携する。2018年会社を退職し、東京都・東小金井のシェアフィスでアトリエショップをオープン。現在水引デザイナーとして活躍するかたわら、Webデザインの仕事も続けている。

インターンをきっかけに故郷の「水引」と“再会”、周囲のイメージとのギャップにビジネスチャンスを感じる

―どんなきっかけで副業を始めたのでしょうか?

はっきりと「副業をしよう」と思って始めたわけではなく、きっかけはインターンへの応募です。

もともと東京でIT関係の仕事をしていたのですが、福岡へ転勤になりました。福岡では、フリーランスで働く人にお会いできる機会が多く、グラフィックやWebのフリーランスデザイナーとたくさん関わる中で「フリーランスの働き方ってこんなにも楽しそうなんだな」と感じたんです。再び東京に戻った後、「福岡の時のようにデザイナーと知り合いたい、仕事以外でも人脈を作りたい」とインターネットで検索して、紙のギャラリーショップである西荻紙店のインターン募集を見つけ、応募しました。

―会社にお勤めのまま、インターンもなさっていたのですか?

そうです。インターンの仕事が、主に土曜日の店番だったので働きながらでも可能でした。

いよいよインターンが終了するというときに、常駐のデザイナーから「最後にインターンだけで作品を作って販売するイベントをしよう」と提案があったのです。周りは美大出身者や、在学中の人が多くクオリティーの高いものを作っていたのですが、私は紙のことはよくわからない…。「彼らとかぶらず、見栄えがよく、紙で作れるものは何か」と考えたときに浮かんだのが和紙のこよりでできている「水引」でした。それも故郷の長野県飯田市の水引。飯田の水引は国内シェアが日本一なのですよ。一般的に水引というとご祝儀袋のイメージですよね。でも私にとっての水引は、小学5年生のときに地元の水ひき工芸館で見た「1m、2mもの大きなオブジェ」だったんです。

―1~2mもの大きなオブジェ!それが水引ですか?全然イメージができないです…。

そうですよね(笑)。「大きなオブジェ」と「ご祝儀袋」。私とほかの人とのイメージにギャップがあることに気づいたとき、「私しか知らない水引があるんだな、何か私でもできることがあるかもしれない」と思いました。それで立体の水引を作り、イベントの試作品として西荻紙店のデザイナーに見てもらったのです。「これが水引なの?」「面白い素材を見つけましたね!」と言われ、「プロにとってもまだ新しい発見になりうる、まだ気づかれていないのかもしれないんだ」と、水引の可能性を感じました。

▲イベントの試作で作った立体水引。ご祝儀袋とはイメージが大きく異なり、アートとしての可能性を感じます

▲実際にイベントで販売した伝統結びのアクセサリー

―イメージのギャップという“すきま”にビジネスチャンスを感じたのですね。そのまま水引で作品を作り続けてデザイナーに?

いえ、当時はデザイナーとして作り続けようとは全然思っていませんでした。

ものづくりは小さいころから好きで、社会人になってからも折に触れていろいろ作ってはいたのですが、美術を専門に勉強したわけではなかったので。むしろ、「プロのプロダクトデザイナーに飯田の水引に可能性を感じてもらい、使ってもらえれば」と素材として紹介し、広めていくことをやりたかったんです。飯田の水引を広く使ってもらえれば、飯田の水引産業の活性化にもつながりますので。そのために基本になる結び方など紹介している動画をYouTubeで見ながら、作品を作り続けていました。

―水引作品の制作は作品を売るのが目的ではなく、素材を紹介するためのプレゼンテーションだったのですね。

▲水引で作られたお茶セット。ご祝儀袋のイメージからは想像もできません。

「飯田の水引」の認知度を上げる!
―ミッションを定め、「水引デザイナー」として副業に本腰をいれる

―2015年3月に西荻紙店のインターン終了後も、インターン先で水引のワークショップを開催なさっていますね。周囲の反応はいかがでしたか?

インターン先から声をかけられて、その年の7月にイベントでワークショップを開催しました。やはり東京では、ご祝儀袋の用途でしか水引を知らない人が多くて、アート素材としての水引に好感を持っていただけましたね。その反応を見て「もっとたくさんの人に興味を持ってもらおう、飯田市の水引のすごさをわかってもらおう」と、伝統的な形だけではなく、面白い形を自分で考えるようになり、オリジナルブランド「紙単衣 – kamihitoe –」を立ち上げました。オリジナルのモチーフを作るのは得意なのです。

―だんだん副業の域を超えてきたような気がします(笑)。ワークショップを開いた翌月から創業スクールに通われていますが、「水引で起業したい」というお気持ちからですか?

「会社をやめて独立したい」という気持ちがどんどん強くなって(笑)。「フリーランスの人たちは、自分の適性を理解して自然体でいいものを作ることができている」という印象があり、5~6年前から漠然とその働き方に憧れていました。当時、私もWebデザイナーとして独立したかったのですが、最新の技術や流行をずっと追い続けるのは苦しくなりそうと感じていたのです。

そんな時に水引と出会い、周囲の反応もいいことから「故郷と関わる私のパーソナルな特性を活かせるものを見つけた」と思いました。そこで土日を使って創業スクールに通いました。

―創業スクールでは、起業のノウハウを学ばれたのですか?

もちろん実務的なこともありましたが、主に学んだのは“パッション”の活かし方です(笑)。「自分の過去の原体験から棚卸をして見つけた“好きなこと”をやれば続けられる」と学んだのです。私の場合、小5の夏休みに自由研究で調べた水引が“故郷の誇りに思えるもの”としてずっと心の中にありました。これが私の原点ですね。

ですから、スクール修了時に作成するビジネスプランでは、当然「飯田市の水引」をテーマにしました。「2027年リニア中央新幹線の長野駅が飯田市にできるまでに、シェア日本一である飯田の水引の認知度を上げること、水引産業の新たな可能性を広げること」を事業計画化し、私の副業のミッションとして掲げたのです。発表した事業計画が全国の創業スクールコンテストへ提出するクラス代表プランに選ばれたことで自信がつき、創業スクール修了後からさらに真剣に取り組み、2016年から京都のお寺に水引を使ったお守りを納めるようになりました。

―それまで断片的だった飯田水引にかける想いを言語化し、具体的な計画をたてることで、夢ではなく現実的なものになさったのですね。副業のミッションの内容がいわば地域課題の解決ですが、地元のプロジェクトにも参加なさっていますね。

少しずつ活動していく中で、「故郷の飯田市と何かできたらいいな」という想いが募っていき、飯田市の中小企業のセミナーに参加しました。その時お会いした方々をFecebookでフォローをして細くつながっていたら、2017年に飯田市で行われたスパイラル水引開発プロジェクトに声をかけていただいたのです。

水引のシェア日本一を誇る飯田市において唯一、手作業で水引を作っている会社が新たな手法で水引を作るというプロジェクトです。私はこの“スパイラル水引”を使ったアクセサリー作りを担当させていただきました。それまでは特に肩書きはつけていなかったのですが、メディアにも紹介されるということで、ここで初めて「水引デザイナー」という肩書きを名乗りました。

―せっかく知り合えた方々とのご縁をその場限りにしておかないことが重要なのですね。

環境を用意して声をかけていただいていることばかりで、人とのご縁に感謝する日々です。最初は水引が仕事になるとは思っていなくて、声をかけていただいたら報酬関係なく、すぐに返事をしてやれることをやっていました。「できそうだな」と思ったことはチャレンジしていましたね。


▲転機となった「スパイラル水引」。これまでの水引は単一線状のものしかありませんでしたが、複数の色を螺旋状に組み合わせることで、より豪華になり強度も増すので用途が広がります。

「始めるなら今がチャンス」
―会社を退職し、水引デザイナーを本業に

―だいぶ副業が本格的になってきましたが、本業にできそうな手ごたえをいつごろ得られたのでしょうか?

スパイラル水引のプロジェクトに参加させていただいたときからだと思います。飯田市の水引業者さんと提携できたことで、量産体制が取れるようになりました。自分ひとりでは数百個しかできなくても、量産では何千、何万個と作ることができます。これは大きかったですね。

―作れる単位が違いますね!でもこれだけ副業の割合が大きくなると、本業とのバランスを取るのが難しくなりそうですね。

当時、副業ができる会社でしたし、社長にも了承を得ていたのですが、社内の一部で「好ましくない」との声があったのは事実です。そんな中、スパイラル水引のプロジェクトに携わり業者さんからの問い合わせが増え、会社員だと不便なことが出てきました。

例えば、平日にオンタイムで打ち合わせができなかったり、サンプルができてきても確認するのが夜になるというタイムラグがあったり。
業者の方にご迷惑をおかけしてしまいますし、水引の作業を夜中までやることになると、体力的にもつらくなってしまう。得られるお金が増えたとしても、心が豊かでないとやりたかったことも楽しめなくなってしまいます。

そこで、2018年の春、本業の仕事の節目が来たタイミングで退職しました。
水引で一定の収入が得られる目途がついたことが大きかったですね。

―思い切りましたね!一定の収入を得られるようになったとはいえ、毎月安定した収入が得られる会社勤めをやめてしまうことに不安はなかったですか?

会社を辞めても「身につけたスキルがなくなるわけではない」と考えたとき、「会社員じゃなきゃいけない」という恐さみたいなものがなくなりました。Web制作の仕事もフリーランスとして続けています。企業に勤めていると作れない時間もあり、必要に迫られたんですよね。そこで「満を持してフリーランスでやってみようかな」と。それに「年をとるほど変化がこわくなってしまうかもしれない、失敗してもまだやり直せるし、始めるなら今がチャンスだ」とも思ったので…。

―現実的になんとかなりそうと思ったから進んでみた、ということですね。退職と同じような時期にアトリエ兼ショップをオープンさせていらっしゃいますが、同じようなお気持ちからでしょうか?

私は行動より先に考えてしまうタイプなので、殻に閉じこもってしまわないようにオープンなスペースでやっていこうと思いました。倉庫や作業場を確保しないといけないし、水引にしてもWebにしても室内でできてしまうフリーランスだからこそ外に出る機会を作らないと。創業支援ベンチャーが運営する小金井市にあるPO-TO(ポート)というシェアオフィスに入りました。

今はショップ運営とともに、水引作品のInstagramやネットショップの運営、ワークショップの主催をしています。企業との取引も増えました。

―水引デザイナーを本業になさった今でもWebデザイナーのお仕事は続けていらっしゃるのですよね。それはどうしてでしょうか?

Webの仕事も続けることで新しいツールや知識が入ってきますし、人に会うことで思いつくことがあると思っています。仕事の選択肢はたくさんあったほうが生きやすいですし、今後も続けていくつもりです。

本業や生活で忙しい日々、副業を始めたり、軌道に乗せたりするのはなかなか難しいのが現実です。今回のインタビューで、小松さんはご自身を見つめながら得た“秘訣”を教えてくれました。

好きなことは変わらない。ほかの人からみたら大変なことでも、自分にとっては違う。だからこそ続けられるのです。

「好きなことをまずは副業に…」と考えてもうまくいくイメージを持てない場合もあるかもしれません。でも、いったん立ち止まって自分の原点まで深く見つめなおすことで、今まで気がつかなかった道が見えてくるものかもしれません。

文:Loco共感編集部 望永いずみ

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