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社員から個人事業主へ。会社と個人の新たな関係性を示す タニタ「日本活性化プロジェクト」が“雇用ありき”の常識を変える

株式会社タニタ
取り組みの概要
社員を対象に、雇用から業務委託契約をベースとした「個人事業主(フリーランス)」に切り替える取り組み。希望する社員は誰でも手を挙げることができ、会社と合意に至れば個人事業主として独立し、会社から業務を受託できる。独立時の不安を軽減するため契約期間を3年間として仕事の安定性を確保し、雇用時に会社負担だった社会保障費分を固定報酬の基礎に含める。個人事業主同士の互助組織である「タニタ共栄会」を通じてオフィス環境を利用することも可能。 2017年に8人の社員が独立してスタートし、この8人は初年度に手取り収入が平均28.6%増加した。2019年現在は3期目となり、これまでに計18人がこの仕組みを利用して独立した。
取り組みへの思い
会社の重要な仕事をパートナーとして依頼し、独立して自由にやってもらうことで、結果的に長くタニタと付き合っていってほしい。会社と個人が依存し合うのではなく、対等な信頼関係を持って働く方法として、日本の“雇用ありき”の常識を変えたい。
受賞のポイント
1.従来の日本の雇用システムに一石を投じる画期的な取り組み
2.安心して独立できる環境が新たなチャレンジを生みだしている
3.「社員か個人事業主か」という生き方を自分で選べる

会社と個人の「対等な信頼関係」を目指して

2019年、日本を代表する大手製造業トップが記者会見で「終身雇用の維持は難しい」と発言し話題となった。そして、株式会社タニタは雇用のあり方に関する議論に一石を投じる新たな取り組みを進めていた。希望する社員が、雇用契約から業務委託契約に切り替えて個人事業主(フリーランス)になれる「日本活性化プロジェクト」だ。

経営本部 社長補佐/二瓶琢史さん

独立することで、結果的に長くタニタと付き合ってくれるのでは

個人事業主となった元社員は、タニタに勤めていた際の業務を基本にして仕事を受注する。独立後に仕事を失わないよう、契約期間は3年間を保証される。社員時代に会社が負担していた社会保障費分も報酬設計に組み込まれ、個人事業主同士の互助会組織である「タニタ共栄会」によって社員時代と変わらずオフィス環境を使うこともできる。

裏を返せば、タニタにとっての経済的メリットはほぼない。それどころか、独立して自由に仕事を選べるようになった元社員が、結果的にタニタの仕事をほとんど担当してくれなくなってしまうリスクもある。なぜタニタはこの取り組みを始めたのか。

「日本活性化プロジェクト」を着想した代表取締役社長の谷田千里さんは、創業家の3代目として2008年に就任した。リーマンショックが経営に少なからず影響を与えた時期だった。

プロジェクト運営の中心人物である二瓶琢史さん(「経営本部 社長補佐」のタニタ名刺を持って活動)は、「会社と個人の新しい関係性を模索していた」と当時を振り返る。

「会社経営は山あり谷ありですが、悪いときには良い人材も離れていってしまうものです。本人のロイヤリティが高くても、家族から『辞めてほしい』と言われるかもしれない。そのトリガーとなるのは経済的な理由です。だから、経営状況に左右されない重要な仕事をパートナーとして依頼し、独立して自由にやっていただくことで、結果的には長くタニタと付き合ってくれるのではないかと考えました」

二瓶さんはまた、当時務めていた総務・人事責任者の立場からもこの取り組みに可能性を感じていたという。

「従来の雇用制度の限界を感じていました。雇用だと『人材は100パーセント会社のもの』というニュアンスが強く、それが行き過ぎると会社と個人の依存関係が強すぎる状態になってしまう。会社は社員がいてくれて当たり前だと勘違いをするし、社員は毎日出社してさえいれば給料がもらえるという甘えが出てくるかもしれません。挑戦しない人たちの集団になると、会社は成長できません。対等な信頼関係を目指したいという思いがありました」

この仕組みは「会社から社員へ『成長と奮起をうながすメッセージ』でもある」と二瓶さんは語る。

実際に手を挙げる人に対しては二瓶さんが窓口となって相談に乗り、2017年の開始から現在までに計18人が独立した。3年契約を保証して会社が覚悟を見せている分、独立する側も「1年で辞めます」というわけにはいかない。個人の側にも覚悟が問われるのだ。

新たなルールや常識を作る側にも回りたい

しかし、プロジェクトに対しては社内外から疑問の声が投げかけられた。社長以外の役員陣が最も懸念していたのは人材流出だったという。説明に回った二瓶さんは、「10年、20年の時間単位で見たときには、タニタとの取引が細くなったり太くなったりしながらも、雇用より長い関係性が続いていくのではないか」と説得していった。

外部からは「ブラックだ」「違法ではないか」という指摘もある。希望者に限るとはいえ、社員を業務委託に切り替えるという方法はブラック企業を生む温床になるのではないか? そんな懸念は根強い。タニタでは独立した元社員が会社からの指揮・命令系統を外れ、稼働時間と場所を指定されることなく業務を受託できるように徹底している。この仕組みを正しく運用するために、絶対に外せないポイントとなる部分だ。

「ルールを守ることはもちろん、新たなルールや常識を作る側にも回りたい」。この仕組みを形にしていく中で、二瓶さんは何度も社長と語り合ったという。

そして二瓶さん自身も独立した。

「実行するなら、まず自分がやることが大前提だと思っていました。担当としての使命感もありますし、人事施策を進める中で感じていた『雇用による依存関係から抜け出したい』という思いが自分自身にもありました。また、独立することで個人としても経済的なメリットが見出せそうだと感じました」

こうして会社を辞めるときに、二瓶さんはプロジェクトを進めやすいように「社長補佐」の業務を受託した。

二瓶さんが社員時代と比べて大きな変化を感じているのは、経費への考え方だという。

「社長は普段、社用車を使用しませんし、会社には役員専用車もありません。ただ社長補佐という仕事柄、いざというときには社長を乗せて移動できるようにもしたいと思い、経費で車を購入したんです。自己責任のもとでこうした決断ができるのはうれしいですね。社員時代は決済を取るのがわずらわしいこともあって(笑)、ダイナミックな決断がしづらかった。今は必要だと思えば自分ですぐに決断できます」

こうしたメリットは、「発注側」であるタニタの社員にもある。社内で仕事を依頼する際は部署間でのやり取りや調整が発生し、煩雑になりがちだが、社外の個人事業主へ依頼する場合は1対1でスピーディーに進められるからだ。

「個人事業主として独立している人たちと対等に仕事をする効果なのか、タニタ社員にとってもプラスになっていると思います」

「ずっとタニタとつながっていたい」。独立を果たした人たちの現在

日本活性化プロジェクトによって独立した社員には、どのような変化がもたらされたのだろうか。実際に個人事業主となった2人の元社員に話を聞いた。かつては独立を縁遠いものとしてとらえていた2人。そんな姿に影響され、タニタでは若手社員の間に意識の変化が見られるようにもなっているという。

ブランド統合本部 新事業企画推進部/久保彬子さん

「10年間営業ひとすじ」のキャリアから個人事業主へ

久保彬子さん(「ブランド統合本部 新事業企画推進部」のタニタ名刺を持って活動)は、2007年に新卒入社して以来、ずっと営業畑を歩んできた。2017年に日本活性化プロジェクトに参加して独立し、それまでの営業経験を生かしながら、新商品の企画・開発に携わっている。

「もともと社外の人との交流も多く、女性の先輩でフリーランスになった人や、大企業内で子会社を作った人などの話を聞いてあこがれていました。日本活性化プロジェクトの募集を知ったのは2016年の秋頃。『パラレルキャリア』『人生100年時代』という言葉がより身近に感じられるようになった時期で、自分自身のキャリアに変化を持たせたいと考えていたので、思いきって手を挙げることにしました」

それまでの10年間に営業だけをやってきた久保さんには、社外の先輩たちにあこがれつつも、「自分に何ができるのか」という不安もあったという。「営業職のフリーランス」をやるイメージは持てなかった。そんなときに登場した日本活性化プロジェクトは、それまでの営業の仕事をベースにしながら独立できる、うってつけの方法だった。

現在は新商品開発の一環で、健康への関心が薄い人にも商品を届けるために異業種とのコラボレーションを進めている。社内外を自由に行き来する現在の立場にぴったりだと久保さんは話す。個人事業主として、新しい業務を受託する際には適切な報酬額を交渉することも忘れない。

「以前から『定年に縛られたくない』という思いもありました。他人に決められた年数や時間、職種に縛られたくないんです。今後はさらに経験値を高められるよう、タニタ以外の仕事もやっていきたいですね。それでもタニタという会社が好きなので、ずっとつながっていくと思います」

開発部 主席研究員/西澤美幸さん

仕事の自由度も家族との関係も変わった

1992年に入社し、世界初の体脂肪計開発にも携わった経歴を持つ西澤美幸さん(開発部 主席研究員のタニタ名刺を持って活動)もまた、日本活性化プロジェクトに手を挙げた1人だ。

25年にわたりタニタの開発部門の最前線で働き、スペシャリストの主任研究員として活躍。社員時代に外部から声がかかるようになり、国のプロジェクトなどにも参加していた。

「もう一歩飛躍したいという思いがありました。意見は尊重してもらえるし、開発部門はとても居心地のいい場所なのですが、独立することでさらに自由に挑戦し、世界を広げたいと考えていました」

独立後は、予想していた以上に講演の依頼が増えたという。

「社員時代も開発部として年に1〜2回は受けていましたが、個人事業主になってからは、海外からのお誘いにも自己判断で即答できるようになりました。最近は『リケジョの生き方』といったテーマの講演も引き受けています。個人として活動することでテーマの幅が広がりました。そうして外部で得た知見をタニタにも持ち帰っています」

変化が起きたのは仕事だけではない。家族との関係も変わった。

「個人事業主になった頃は子どもが小学校高学年で、学校のPTA役員を務めていたのですが、仕事との両立もしやすくなりました。今では子どもに『ママはこんな仕事をしているんだよ』と実際に働く姿を家でも見せられるようになりましたので、子どもが私を見る目が変わり、少しは自慢できるママと思ってくれているようです」

そんな西澤さんは現在、「泊りがけの豪華な健康診断プラン」への申し込みを検討しているという。健康リスクへの対応も自分の裁量次第。「だからこそしっかり投資しようと思うんです」と話す。

こうして個人事業主として活躍する人たちの姿をタニタ社内で見られるのも、会社と個人の新たな関係性を目指す日本活性化プロジェクトの特徴と言えるだろう。入社後の若手社員へプロジェクトの説明をする二瓶さんは、前向きな反応を感じていると話す。

「これまでに独立した社員でいちばん若い人は入社2年目でした。覚悟が問われますが、門戸は広く開かれています。ちなみに、日頃から私のもとへ個別に説明を聞きに来るのは2〜3年目が多いんですよ。若い人たちはもう、終身雇用というものを最初から前提にはしていないのかもしれません」

日本の雇用の慣例に風穴を開けようとするタニタの取り組みは、本当に「新しいルールや常識を作る」きっかけとなっていくのかもしれない。

(WRITING:多田慎介)

※ 本ページの情報は全て表彰式当時の情報となります。

第6回(2019年度)の受賞取り組み