「全職員、残業ほぼゼロ」で専門職人材が「入職待ち」。 “スタッフファースト”の思いが、介護施設の働き方を根本から変えた
社会福祉法人あいの土山福祉会 エーデル土山
「全職員、残業ほぼゼロ」で専門職人材が「入職待ち」。 “スタッフファースト”の思いが、介護施設の働き方を根本から変えた
社会福祉法人あいの土山福祉会 エーデル土山滋賀県甲賀市土山町。のどかな郊外に立地する介護施設「エーデル土山」には、業界の働き方の常識を真っ向から疑い、「全職員、残業時間ほぼゼロ」「ここで働きたいと“入職待ち”をする人が続出」という驚くべき状況を作り出した施設長がいる。
廣岡隆之さん(施設長)がケアワーカーとしてエーデル土山に入職したのは1998年のことだった。
その頃は長時間労働が常態化し、残業が月100時間を超える職員もいた。エーデル土山は過去に労働基準監督所からの是正勧告を受けたこともある。まだ働き方改革という言葉がない時代、それは介護業界では珍しい話ではなかった。施設の離職率は40%を超え、「このままでは利用者さんの安全を確保できない」「最悪の場合、施設が潰れてしまうかもしれない」と危ぶまれる状態だったという。
「スタッフファーストの職場を作るしかない」
30代に入り、事務局長を務めるようになった廣岡さんは、法人本部への働きかけを決意した。プライベートでは1歳の子どもを抱え、保育士としてフルタイム勤務をする妻とともに時間のやり繰りをする日々。「夫婦で『どうにかして子どもと向き合う時間を作らなきゃ』と深刻な会話をしていました」と当時を振り返る。
このままだと法人も自分も潰れてしまう。だから事務局長として、何とか改善したかった。特別養護老人ホームの仕事も、会社のことも好きだったからこそ、エーデル土山という場所をブラックにしたまま去っていきたくはなかった。
しかしスタッフファーストの取り組みを提案すると、法人本部の理事会からは「そんなに人にお金をかけたら経営が成り立たない」「そもそも設備投資にお金を出せるのか?」といった慎重な意見が相次いだ。
「まずは人件費をコストととらえる感覚を見直してもらう必要があると思いました。対人援助の仕事は、人をコストとしてとらえていたら成り立ちません。『疲れ切っているスタッフが人に優しさなど提供できるわけがない』『施設が生き残るには、スタッフファーストしかない』と言い続けました」
事務局長の立場であれば、足元の就業規則を改訂する権限はある。しかし付け焼刃のように施策を打ち出しても、根本的に状況を変えられるとは思えなかった。
「だからこそ自分自身が経営視点を持ち、法人本部を動かしていかなければならないと思っていました。こんな山間部にある施設で、しかも不人気な介護業界で、働く人が集まらなければ経営は成り立ちませんから」
人に投資をすれば、要介護度が重い方も受け入れられるようになる。それは施設の収入増につながり、さらに人を集め、投資し、収益を上げるという好循環を生み出せる。一方では無駄を削ぎ落としていく努力も惜しまなかった。利用者の生活に支障のない範囲で水道光熱費の無駄を削減し、設備メンテナンスや清掃、ホームページ運営など外注先に任せていた仕事も、可能な限り内製化していった。
こうして年度を追うごとに結果が出るようになると、理事会の雰囲気も少しずつ変わっていったという。スタッフファーストによって結果を出す。この事実を明らかにすることが、エーデル土山の働き方改革における一丁目一番地だった。
こうして2012年、廣岡さんを中心として、スタッフが健康に無理なく働けるようにするための「人材確保対策・労働室」が立ち上がった。
具体的に廣岡さんが改革した事柄の中には、介護施設の現場に共通する課題も多い。「腰痛」はその代表例といえる。エーデル土山でもかつては利用者を1日に何度も人力で抱え上げていたため、スタッフのほとんどが腰痛を抱えている状況だった。そこで導入したのが電動移乗リフトだ。
しかし現場のスタッフは、すんなりと受け入れたわけではない。
「介護の現場は『利用者さんのためになりたい』と心から考えている職員ばかりです。そのため、『機械で利用者さんを釣り上げるなんて非人道的ではないか』という反対意見もありました」
なぜ機械を使う必要があるのか。廣岡さんはその理由を、「トーキング」と呼ぶ1対1の面談で、一人ひとりに丁寧に説明していった。
「『僕たちはスタッフのことを大切に思っているし、みんなが腰を痛めて仕事ができなくなると社会的にも損失なんだよ』と伝えました。その上で、全体では『ノーリフティング』を合言葉にして、人力での移動を禁止しました」
残業削減も大きな課題だった。そこで着手したのが、自分たちの仕事を俯瞰して見るために日々のスケジュールを書き出すこと。利用者と関わっている「食事介助」や「入浴介助」などのほかに、直接関わっていない間接業務も多いことが明らかになった。
「介護記録作成やシーツ交換、タオル畳みなど、山のように間接業務がありました。こうした仕事は高齢者雇用や障がい者雇用を行ってワークシェアし、介護スタッフが直接業務に集中できるようにしていきました」
廣岡さんは一連の改革のポイントを「一律にやらないこと」だと話す。一律に方針を周知しようとするのではなく、個別のトーキングで語りかけ、理解を促していく。一見遠回りのように思えるが、実はこのほうが早いのだという。
「例えば、『私は残業が増えてでも、もっと利用者さんの役に立ちたい』というスタッフもいます。残業を増やすわけにはいかないので、個別に利用者さんとのイベントを担当してもらうなど、直接的な関わりを持てる業務を増やしていきました」
廣岡さんだけでなく、管理職層も月に1回のペースで部下とのトーキングを実施する。その際には、プライバシーに配慮しながら家族や家庭の状況も聞くようにしている。内容に応じて、家庭状況に合わせた働き方を提案するためだ。子育てパパのスタッフが「最近、妻の機嫌が悪いんです」と話しているようなら、働き方を見直せないかを一緒に考える。本人に健康上の不安があれば、夜勤を減らすなどの対応もすぐに行う。
こうしたきめ細やかな対応ができるのは、施設としてしっかり利益を出し、余剰人員を配置できているからだ。セクションに関係なく、いろいろな部署を回るフリー職員が必ずいる。さらに介護士長もフリーで動きながら、マネジメントに集中できる体制を取っている。
岩田秀信さん(介護福祉士長)は、エーデル土山におけるマネジメントの変革を最前線で体感している1人だ。
「専門職の業務を切り分け、介護職員が直接業務に専念するまでは、間接業務のために1日あたり1〜2時間の残業が発生していました。業務を切り分けたことで、利用者さんとの関わりを増やすことにもつながりました。現場で働くメンバーが利用者をしっかり見てくれているから、管理職である自分はスタッフにしっかり目を向けられるんです」
岩田さん自身にも余裕が生まれ、スタッフ一人ひとりの希望に応えていく発想を持てるようになったという。
2年前、岩田さんは妻をエーデル土山の職員として招き入れた。長時間労働が常態化していた以前なら考えられないことだった。
「看護師を目指している娘も、将来はここで働きたいと言っているんですよ。夏休みに見学に来て、『利用者さんもスタッフさんも笑顔だった』と感想をくれました。親の立場で見ても、『エーデル土山で働くなら大丈夫だな』と不安なく勧められますね」
藤本千恵美さん(介護福祉士)は、週4日働く時短のデイサービス職員としてエーデル土山に入職した。子どもは小学生で、夫は24時間交代制の消防士。いずれは介護福祉士の資格を取って正規職員になりたいと思っていたが、夜勤に対応するのは現実的ではなく、半ばあきらめかけていたという。
「そんな思いをトーキングで話したんです。すると、夫の勤務体制を考慮して柔軟にシフトを組んでもらえることになり、フルタイム勤務で特別養護老人ホームの仕事ができるようになりました」
正規職員になってから日は浅いが、肉体的な負担が軽く、子どもが大きくなっても長く続けられる働き方だと感じている。「少なくとも定年までは働きたいですね」と展望を語ってくれた。
長時間労働の是正や従業員の心身の健康増進に取り組むべき企業は、介護業界に限らず数多く存在する。施策ばかりが先走って形だけの働き方改革にならないようにするためには、何が必要なのか。
廣岡さんがポイントとして挙げるのは「入り口」だ。
「設備を変える、人を増やす、働き方を見直すといった導入の段階で、『個別に』『背景を含めて』『スタッフファーストの思いとともに』伝えていくこと。それができれば、絶対に進んでいくと思います」
個別化という点では、エーデル土山は社員旅行さえも個別化している。「みんなで一緒に同じところへ行きたい」という人ばかりではない。そこで経営側からさまざまな旅行プランを提案し、好きなメンバーで自由なプランを選べるようにした。このように、事業者側が個別に施策をカスタマイズすることが重要だと廣岡さんは指摘する。
10年前には40パーセントを超えていたエーデル土山の離職率は、直近は7〜8パーセントで推移している。介護業界では考えられなかったことだが、今では「入職待ち」の人も多いという。エーデル土山で働きたいと考える介護福祉士や看護師といった専門職人材が、募集枠に空きが出るまで待っている状態なのだ。
そんなエーデル土山には、同業界の他の法人や施設から次々と視察依頼が寄せられるようになった。廣岡さんは「2019年だけでも約40回の視察、研修依頼がありました。北海道から鹿児島まで、さまざまなところから打診があります」と打ち明ける。
廣岡さん自身が外部へ出向き、講演や直接的なレクチャーを行う機会も増えている。「介護業界はハードな職場」というイメージが覆される日も、遠くないのかもしれない。
(WRITING:多田慎介)
※ 本ページの情報は全て表彰式当時の情報となります。
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