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我ら“クレイジーエンジニア”主義 vol.8  これは飛行機?時速500kmの未来列車“エアロトレイン”開発者、小濱泰昭
常識に縛られない発想で、未来技術を切り開く今回のクレイジーエンジニアは100%自然エネルギーだけで走行可能、ボディに付いた翼の揚力や、地面効果などの最先端流体力学を用いた時速500kmの未来列車“エアロトレイン”の開発者、小濱泰昭氏だ。
(取材・文/上阪徹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:06.03.08
クレイジー☆エンジニア
東北大学大学院教授
流体科学研究所
流体融合研究センター
センター長 小濱泰昭氏
 列車というべきか、飛行機というべきか。この未来列車には、翼が付いているのだ。まずは、ボディの両わきに付いたプロペラで列車を加速させる。すると、翼に発生した「揚力」が列車を浮上させる。さらに、翼と地面の間に空気が高速で流れると「地面効果」と呼ばれる反発力が発生する。この「揚力」と「地面効果」で地上10cmほどを浮上するというエアクッション作用が、超高速での浮上走行を可能にするという仕組みだ。最高時速はリニアモーターカー並みの500km。  しかも、驚くべきは、「揚力」や「地面効果」の活用によって、消費電力が新幹線の3分の1以下になるという。エネルギーは、「ガイドウェー」と呼ばれる専用路に設置された太陽電池パネルと風力発電のみで賄えるため、100%自然エネルギーで走れる。さらに、コイルやレールの敷設も不要で建設費も安くすむ。環境面でも、コスト面でも魅力的なこの夢の未来列車“エアロトレイン”を発想、開発したのが小濱氏だ。
高校時代に見たアメリカの衝撃、飛行機との出会い
 子どものころから機械いじりが好きで、メカに興味をもっていましたが、もうひとつ大好きだったのが、乗り物。最初はバス。当時は木炭のバスでね。私の故郷、岩手県の小さな漁村は、釜石市から1時間半もかかった。その間、いつもバスの助手席に乗っていました。どうして、ハンドルには遊びがあるんだろう、なんてことを思いながら。以後も、鉄道、自動車……。今も乗り物は大好きですね。

 父が外交官で、高校時代(17歳)に1年間アメリカで暮らしたことがあります。1962年7月、飛行機に乗るために行った羽田に、わざわざ岩手から見送りが来てくれる。そんな時代です。飛行機はダグラスDC-8。途中、ウエイク島とハワイで二度の給油が必要でした。今みたいにいきなりアメリカ大陸まで飛べる飛行機はなかった時代です。

 田舎から出てくると、東京は大都会なんですよ。でも、シカゴに着くと、東京はすぐに吹き飛んでしまいました。そこは当時の日本と比べると、夢の国だったんです。広大な飛行場に、曲線を描くようにハイウエーが走っている。それからずーっと後のことですが、私がアメリカに暮らしているころ、母が遊びに来てくれたことがありました。サンフランシスコからモントレーへと車を走らせていると、2時間ほど母はじっと黙って外を見ているんです。そしてポツリと言った。「勝てる訳ないよな、こんな国と戦争して……」と。私が高校生の頃に持った感想も同じようなものでした。夢みたいな生活を現実にしている人々がいる。ものすごい科学技術の国がある。まさに、世界観が一変してしまったんです。

 そしてこのとき、とりわけ興味をもったのが飛行機。日本に戻ってからは、飛行機を研究したいと思いました。それで大学院修士課程ではジェットエンジン内翼列の研究を、大学院博士課程では翼や機体表面の流れと衝撃波の干渉に関する研究をするんです。卒業後の職業やらキャリアなんかを考えてこのような研究分野に進んだわけではない。とにかく飛行機にかかわる研究が、面白くてしょうがなかった。
超音速の基礎研究から方向転換。そして、回転円盤流にのめり込む
 大学院の博士課程のときに出合ったのが、超音速の空気力学でした。ちょうどその2年前にアポロが月に行きまして。宇宙旅行の道具としての飛行機というものにも興味がわきましてね。それで当時の日本ではまだだれもやっていなかった、音速の22倍という空気の流れを実験室で実現して衝撃波と物体表面流との流れの干渉を写真で撮影することに成功したんです。ロケットにとっては、衝撃波は飛行の壁になる邪魔者。その邪魔者をいかに制御するか。超音速飛行に関する基礎研究が私の研究テーマとなり、これで博士号を取りました。

 ところが、助手のポストを探そうとしてもこの分野では見つからない。そこで、亜音速、音より遅い飛行機の研究にテーマを変えました。助手のポストがそこにしかなかったからです。もともとこんなふうに主体性のない人間(笑)。助手になってからも、言われるままにやっていただけでしたね。そしてその後、回転する円盤の表面の流れに興味をもち始めます。回転円盤流です。空気の流れが作る複雑な構造が面白くて、のめり込んでいきました。
知らない間に、ドイツで自分の論文が評価されていた
 第二次世界大戦中、世界で初めて軍事配備されたジェット戦闘機「メッサ‐シュミット262」を開発したのはドイツでした。この機体は世界初の双発ジェット戦闘機(1942年、750km/hを達成)として実践配備もされたのです。ドイツは航空力学の最先進国だったんです。ナチス時代には、V-I、V-IIという世界初のミサイルも研究開発され、実践配備されていた。そしてそのドイツの航空力学研究のメッカの一つが、ゲッティンゲンという古い歴史の町にある航空研究所。DFVLR-AVA(ドイツ航空宇宙研究所)と呼ばれていた近代流体力学の天王山みたいなところです。この研究所は、東北大学の流体科学研究所の前身「高速力学研究所」を1943年に創設した沼地福三郎先生が、戦前3年間学んだ研究所でもあり、私もいつかはこの研究所に行って学んでみたいと夢見ていました。

 そのような夢をかなえるために1983年、旧西ドイツの国費留学制度「アレクサンダー・フォン・フンボルト財団」に応募したものでした。かなりの難関で、一回では合格しないと覚悟はしていました。しかし驚くべきことに、研究所から喜んで受け入れるとの返事が届いたんです。しかも、ドイツの雑誌に投稿、掲載されていた私の回転円盤流の実験と計算の研究を、すごく高く評価していてDFVLR-AVA研究所でも参考にしているという。仰天しました。「なんで、オレを知ってるんだ?」ですよ。ところが、研究していた回転円盤流は、実は飛行機の後退翼表面の摩擦抵抗を小さくするための重要な基礎研究だったんです。私の研究がそのような実用面で重要であった。当時私はそんな重要な研究であるとは、まったく知りませんでした。

 それまでは、興味をもったことを研究していただけでした。ところが、このときに初めて気づくんです。応用面の価値のある論文は高く評価される。応用とつながることが大事なんだと。何とも遅まきながらの認識でしたね。(笑)。
エアロトレイン
 
エアロトレインのイメージスケッチ。両わきに付いた電動ダクテッドファンで推進、翼に発生する「揚力」で機体が浮上、翼と地面の間に空気が高速で流れ、せき止められるときに生まれる「地面効果」と呼ばれる反発力がエアクッション作用を生み、浮上走行が可能になる。左右との壁と案内翼との間でも地面効果を発生させ、左右の非接触も確保する。三方が固体壁面に囲まれた凹型のガイドウェー内を高速浮上走行する新交通システム。「地面効果」などで空気を味方に付け、徹底的に効率を良くすることで、風力発電や太陽光発電などで得た自然エネルギーのみで走行することができる。2020年には、350人乗りで時速500km走行の有人機体の完成を目指している。
回転円盤流
 
小濱氏が撮影した回転円盤流。円盤が回転するときの空気の流れだ。これは、アメリカのスタンフォード大学の流体力学の教科書でも使用されている。助手時代に関心をもった研究だったが、この円盤流を応用した空気の流れが、飛行機の後退翼表面の流れの抵抗を小さくするうえで、重要な研究だったのだと小濱氏は後に知り、それが流体力学の先進国・ドイツへの留学につながっていく。
拡大写真を見る
水面滑空艇
 
小濱氏が“エアロトレイン”を発想する際、ヒントになったのが、水面滑水艇。そもそも「地面効果」は古くから知られており、第二次世界大戦当時、航空母艦に艦載機が着陸する際に突然揚力が増し、飛行機が浮いてしまって着陸しにくくなることがわかっていたという。この「地面効果」を利用した水上の高速艇に関する研究開発は早くから行われていたが、水面を地面効果で浮上走行する水面滑空艇の場合、水面への接触が重大事故につながることで現在までいまだ一般的な乗り物として受け入れられていない。写真は、旧ソビエトで開発されていた軍用艇「カスピアンモンスター」。
 小濱氏は1984年から2年間、ドイツ留学を果たす。ドイツ側から準国賓並みの待遇を受け、アレキサンダー・フォン・フンボルト奨学研究員としてDFVLR-AVAに迎え入れられたのだ。そして留学先のドイツで、“エアロトレイン”のヒントをつかむ。研究所での実験のパートナーが片手間にやっていた実験「水面滑空艇」だ。飛行機でもない。船でもない。低空で水面上を飛ぶ、見た目はまるで飛行艇だ。衝撃が走った。こんな乗り物があるのかと。

 以来、図書館に通って独学で調査を進めた。ドイツで学んだことの一つには、研究成果は社会に対して何かの形で確実に反映されるべきものという考え方。小濱氏の研究は飛行機を作るための基礎研究である。ところが、日本には飛行機を作っている現場はない。そのせいか論文はドイツやアメリカでは評価されるのに、日本では評価されることはあまりなかった。なんとか飛行機を作ることができないか。そのヒントが、水面滑空艇だった。そして1987年、帰国してからそれが“エアロトレイン”へと結実していく。
 
悪あがきをあきらめようとしたら、仙台駅のホームでひらめいた
 水面滑空艇は面白いと感じましたが、水面を走るのは難しいかもしれないと思っていました。波に接触すれば、大きな衝撃がある。これで果たして実用化できるかと。帰国間もないころは、それこそ四六時中、水面滑空艇の考え方を生かして、飛行機が作れないかと考えていましたね。そしてある日、仙台駅のホームでひらめいたんです。目の前にはコンクリート構造の上にレールがあって、左右には線路と囲む形で防音壁がありました。ここを走らせたらどうかと。レールを取り除けば空力浮上の乗り物エアロトレインに使える。U字形のガイドウェーを作れば、上下も左右も地面効果が生じて非接触で走行できる。そうか、飛行機で新幹線だと。

 当時学会で発表しましたが、ほとんどよい反応はありませんでした。また好き勝手やってるヤツがいるよ、くらいなもの(笑)。ただ、私の中では情熱はどんどん膨らんでいきました。そもそも飛行機を作りたい。それが実現できるわけですから。しかし、現実には、たくさんの壁が立ちはだかっていました。例えばガイドウェー構造をどこに作るのか。建設費用を一体、どこから調達するのか。ひとまずは要素研究で風洞を使ったり、計算機を駆使して要素研究に取り組んでいました。しかし、まだ概念の域を出ることはできませんでした。

 年を取ると、運命を感じる出来事が増えていくものなんですね。いくら自分で悪あがきの努力をしてもダメだったものが、一気に変わったりする。そのひとつが、宮崎県にあったリニア実験線の、山梨県への移転でした。JR総研(財団法人鉄道総合技術研究所)が宮崎県日向市のリニア実験線の跡地を有効利用する希望者を探し始めたのです。まさに私のコンセプトのガイドウェーにぴったり。これは使えるとすぐに宮崎に飛びました。願ってもないチャンスが降ってわいたのです。
キャンピングカーで1680kmを何度も往復した日々
 1998年流体科学研究所の支援もあり、すこしだけ多くの予算を獲得、四苦八苦して何とか1号機を設計、製作、宮崎での実験がスタートしました。マスコミにも少し取り上げられて注目はされましたが、何しろ予算が潤沢にあるわけではない。仙台から宮崎までの交通費からして大出費です。今も覚えているのは、交通費と宿泊費の節約のために中古のキャンピングカーを手に入れ、学生たちを乗せて仙台から宮崎までの1680kmを何度も往復しました。そして涙が出るくらいうれしかったのは、地元の方々の温かいたくさんの差し入れでした。寝るための畳や布団、なべ釜や食器、そして食料がまたたくまに集まってくるのでした。

 そして2000年、小渕内閣のもとで「ミレニアム・プロジェクト」が始まりました。われわれもこのチャンスを逃すまいとプロジェクトチームを編成して申請しました。選定されれば、3億の予算が付く。この1000年に一度の極めて稀なチャンスが再び私たちの前に降ってきたのでした。本当に幸いなことに採択され、本格的な研究開発ができることになったのですが、認められた金額はずっと査定されて1億2000万円ほどでした。しかし、この予算のおかげで第2フェーズの研究開発へと進み、時速150kmでの無人走行をゼロエミッションで実証することができました。次なる目標は、6人乗り時速350kmの達成です。そのためには5年の歳月と30億円の資金が必要です。

 今だから正直に言いますが、宮崎で実験を始めたころは、「机上の空論で論文を書いて済ませておけばよかった」と思ったこともよくありました。ゼロから何かを創り出すのは本当に大変です。実際に理論を実践に移してみるとうまくいかないことがたびたび起こるわけです。しかし、この挑戦のおかげで、壁をクリアしたときの喜びの大きさも知ることができた。今では、壁にぶつかることは楽しみなくらいですからね。今度はどうクリアしてやろうか、とワクワクする。すっかり図々しくなりました(笑)。

 実験で最も印象的だったのは、推進力をもたないグライダー的モデルとして製作したART001 号機を初めてガイドウェーに運び込み、車で押して走らせようとしたときですね。計算上は非接触で走るはずですが、本当にそうなるか実は不安もありました。マスコミの取材者もいたし、リニア開発の関係者も見学に来ていました。ところが、いざ走らせてみるとあっちに翼の端が引っかかり、こっちに引っかかり、浮上してくれない。見学者の表情を見ると、「こんなの、浮くわけないじゃないの」という顔をしている。目の前が真っ暗になったものでした。しかし走行実験を繰り返すうちに夕方になりました。夕なぎの時間帯に風がやんだんです。すると1号機は、まるで生き物の鳥が小さく飛ぶようにすーっと、ふわっと浮いて飛んでくれた。まるで生き物みたいに!車に同上していた人々からも歓声が上がりました。これはイケると確信した瞬間でした。
ヒマな時間がないと、独創的なアイデアは出てこない
 「あり得ない」「できるわけがない」と言う人もいた“エアロトレイン”がここまできた最大の理由は、あきらめないでしつこくやってきたことでしょう(笑)。そしてもうひとつ、この技術は社会に還元されなければならないと、途中から強く感じるようになったことです。回転円盤流の研究がうまく応用されれば、飛行機の燃費は25%向上できるといわれています。成田からロサンゼルスのフライトには140tの燃料を積んでいますが、35tもの燃料が節約できる。しかし、われわれの研究成果を採用して得られる「層流制御」という革新的な技術も、経済的には画期的でも、環境面で考えると焼け石に水にすぎないんです。せめて10分の1以下の効率にしないと。しかし、既存の乗り物の燃費を10分の1にするのは絶望的です。となれば「環境の世紀」に、われわれは新しいものをゼロから作っていくしかない。

 私は今も乗り物が大好きです。小型飛行機も操縦します。だから自問自答する。スリリングで、大きな喜びを与えてくれるダイナミックな乗り物を、なんとかしないと、と。地球環境の破壊は間接的には、科学技術者の責任です。だから今度は、お返ししなければならない。あらゆる乗り物を、順次環境に負担をかけないものに変えていかなければいけないと思うんです。そしてそれは、日本人に課せられたテーマのひとつでもあると思います。日本はこれからもモノづくりで国を支えていくしかない。アジアの国が台頭してきた今、日本人は日本人でなければ作れないものを作る必要がある。例えば、驚くほど効率のいいもの、環境に負担をかけないもの。そういうもので先導していく必要がある。あくまで独創的な技術にこだわるべきなんです。

 実は2005年7月に、宮崎でNPO法人を立ち上げました。目的は、環境技術で社会貢献すること。しかし、この法人には、もうひとつの目的があります。それは、第一線で働くエンジニアや中間管理職に、ヒマな時間を作ってあげたいんです。なぜか。ヒマな時間がないと、独創的なアイデアは出てこないからです。走ってるだけじゃダメなんです。どこかで立ち止まって、やることがない、これはイカンぞ、というくらいの状況に置かれないと。自分の実体験がそうでした。

 留学先の当時の西ドイツでは、金曜の仕事は午後3時で終了、土・日に働くなんてとんでもない、というのが研究者の常識でした。土・日も仕事に出ていたらドイツでは本当に離婚問題になります。では、なぜ土日も働く日本人よりも成果を出していたか。ゆとりが独創を生んでいたからです。実際、私もこのゆとりのおかげで“エアロトレイン”を生み出せたと思っています。あまりに慌ただしい毎日から抜け出してみる。それも、いい仕事をするための大事なヒント。それをたくさんの人にわかってほしいですね。
エアロトレイン
 
1998年製作のART(Adaptive and Refreshing Technology)001号機のエアロトレインモデル。当初は後ろから自動車で押し、リモコンでマニュアル遠隔制御し実験していた。実験場になったのは、宮崎のリニア実験場。エアロトレインの実験のために、ガイドウエー500mのコイルが撤去された。車体を浮上させるという点は、リニアモーターカーも同じだが、強烈な磁気反発力で浮かせるリニアに対し、エアロトレインは空気で浮かせる。電磁波や磁気シールドなどの課題はなく、経済面、エネルギー面以外の安全面でも魅力は大きい。
エアロトレイン
 
2000年製作のART002号機のエアロトレインモデル。無人で時速150kmゼロエミッション走行に成功している。速い乗り物には大きな魅力があるが、速度の二乗で急増する流体抵抗をいかに低減するかが最大の問題。その解答がエアロトレインだと小濱氏。地上10cmほどを浮上させるために必要な「ガイドウェー」の建設だけで済むため、建設費もリニアより格段に安く抑えられる。
小濱氏
 
エアロトレインには、高校生や大学生の関心も高いという。「やっぱり実践学が面白いんです。カッコイイ飛行機はCGでいくらでも作れるけれど、そこには性能はない。実際にやってみると、失敗の連続で大変ですが、実践学であり、自ら実験もするから、学生も数年でみるみる成長して、たくましくなりますね。問題点の見方も、それぞれ個性がある。若い人なりのモノの見方に、私もはっとすることがよくありますから」。
profile
小濱泰昭(こはま・やすあき)
東北大学大学院教授

1945年、岩手県生まれ。69年、東北大学工学部機械工学科第二学科卒。71年、同大学修士課程修了。74年、同大学博士課程修了。工学博士。現在、同大学院教授。同大学院工学研究科航空宇宙専攻にて講義(複雑系境界層論ほか)を担当。研究は、複雑系境界層の乱流遷移メカニズムの解明と制御。日本機械学会、日本流体力学会、日本航空宇宙学会、アメリカ物理学会などに所属。環境親和型高速輸送システム「エアロトレイン」の開発研究のほか、航空宇宙技術研究所やJR各社、重工業メーカー各社とともに航空機や高速新幹線に関する研究開発にも携わっている。仲間と小型飛行機を共有し、休日には、自ら操縦桿を握ることもある。そのほか、ヨット、自動車など、たくさんの乗り物を楽しむ余暇の達人でもある。
http://www.ifs.tohoku.ac.jp/kohama-lab/top-j.html
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最初に飛行機と新幹線が合体したエアロトレインを見つけた瞬間は、何コレ、夢とか空想の乗りモノ?というのが正直な感想。でも調べてみると、2020年には実用化を目指しているし、500kmもの高速で、新幹線の1/3の省エネなんてスゴイ!かっこいい! そんな覆された第一印象から8時間後には取材が決定。5日後には仙台に飛んでいきました。クレイジーエンジニアたちが毎回聞かせてくれる「とんでもない発想が浮かんだ瞬間」や、「予想もしない転機が訪れたチャンス」の話はホントに励まされます。今回は特に、小濱先生の「ヒマな時間がないとアイディアは生まれない」というアドバイスを受けて、来月はのんびり休みたい。そんな計画を密かに立ててます。
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