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リクナビNEXTジャーナル

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【疲れた心に】インドで出家した僧侶が教える「ムダな反応」の止め方

かしこい仕事術 ピックアップ

  いつも生活に追われていて心にゆとりがない、家庭や職場で人間関係のストレスがある、失敗が続いて落ち込んでいるなど、私たちが日頃抱える悩みは多種多様だ。また、インターネットを通じてありとあらゆる情報のシャワーを浴び続けてしまう現代人にとって、何事にも動じない平常心を保つことはより困難になっている。

 そんな世相を反映するように、インドで出家し日本の宗派に属さない「独立派」の僧侶が昨年7月に出版した書籍「反応しない練習」(角川書店)がロングセラーとなっている。著者の草薙龍瞬氏は、古代インドの賢者ブッダの教えにもとづき、心のムダな反応を止めれば、悩みや苦しみから抜けられると同書で説く。怒りや妄想など「ムダな反応」を阻止する方法について同氏に聞いた。

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草薙龍瞬

僧侶、興道の里代表。中学中退後、16歳で家出・上京。放浪ののち、大検を経て東大法学部卒業。政策シンクタンクなどで働きながら「生き方」を探求しつづけ、インド仏教指導僧・佐々井秀嶺師のもとで出家。ミャンマー国立仏教大学、タイの僧院に留学。現在、インドで仏教徒とともに社会改善NGOと幼稚園を運営するほか、日本では宗派に属さず、実用的な仏教の「本質」を、仕事や人間関係、生き方全般に渡って伝える活動をしている。

 

現代人は「テキトー反応」で心が疲れやすくなっている

——現在売られているビジネス本の多くが「アンテナを張り続ける」「競争社会を生き抜く」といった内容であるなか、「反応しない練習」というタイトルの本が半年で6刷まで増刷されているのは興味深いです。なぜ今、「反応しない練習」が必要なのでしょう。

そもそも反応というのは、仏教の世界では「煩悩」や「漏れ」と呼ばれています。人間は外の世界に触れたとき、腹が立ったり、欲を持ったり、過去を振り返ったり、先行きに不安を覚えたりなど、本来必要のない「反応」をしがちです。仏教では、人間の心は「漏れる」もの、つまり反応するものという理解があり、それを「煩悩」と呼んでいます

 今の世の中は「反応せざるをえない状況」が溢れています。仕事においては、利益をあげるためにスピーディーに判断しなくてはならないという大前提があります。また、昔ならぼーっとしていられた余暇の時間も、現代はスマホやパソコンなどの情報テクノロジーで埋め尽くされ、商品やサービスに関するネット広告や、リツイートやフェイスブックのシェアなど、大量の反応を次から次へと強いられる時代です。

 つまるところ、五月雨式に、数珠つなぎでやってくる刺激に「テキトーに反応」し続けることになり、心が疲れやすくなっています。とくに適当にスマートフォンを閲覧しはじめた結果、あっという間に長い時間が過ぎさって、休んでいるようで休んでいないという状況が多発するのは、現代人特有の問題です。

 そもそも心は反応することしか知りません。だからこそ、心の性質を理解し、「反応しない練習」を続けることが大切なのです。昔は刺激が少ない分、反応も少なくて済みましたが、今は刺激の絶対量が違います。もしその状況に流されて、反応するがままに生きていれば、よからぬ妄想や怒りに駆られて、心の疲労やストレスは溜まる一方ではないでしょうか。

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そもそも心が満たされることはない

——心には元来どのような特徴があるのでしょうか。

 心は「反応する」ことがそもそもの性質なので、反応を止められることを何よりも怖れます。心にとって反応を止めることは死のようなもの。何にでも反応しつづけることが、実は一番楽なんです。そんな「やめられない、止まらない」心の性質を、仏教では「執着」と呼んでいます。

 しかし、いくら反応しても、心が絶対的に満たされることはありません。人間の心は生存欲、承認欲、食欲、性欲といった欲から始まり、その欲が満たされれば満足だし、満たされなければ怒りを感じます。ただいずれにせよ、反応を止められない心は、必ず求め、転がり、渇き続ける定めにあるのです。

 なので、一瞬の欲を満たして、一時的に満足を得ても、それは永久には続きません。「この条件を満たせば、あなたの承認欲は完全に満たせる」「これを叶えれば、あなたは永久に成功を味わえる」ということは元来ないのです。こうした心の性質を、仏教では「心の渇き」「渇愛(かつあい)」と表現しています。

 人間は、もともと承認欲や所有欲を持っていますし、社会は、それらの欲を満たす形で発展してきました。だから現代においても、人は欲を満足させようとして、社会が作り出す商品やサービスを追いかけ続けています。たしかにそれは、経済を成り立たせている必要な部分ではあるのですが、ただそこにあるのは、ほとんどが「欲の満足」です。実は、欲の満足は、「心の満足」とは違います。世の中の流れに、欲に任せてただ反応するだけでは、決して心は満たされないのです。

 そのあたりの大きな勘違いというか、「やみくもに反応し続けている」現代人の生活のおかしさに、そろそろ気づいてみようというのが、この本を書いた目的でした。

ストレスのもと「雑念」の正体

——現代人にとって、ムダな刺激とは、どういうものでしょうか?

 一言でいうなら、「心にとって不快な刺激」です。ただ不快な刺激にはけっこう幅があって、怒りや不安や、過剰な欲望を刺激してくる映像や情報はもちろんのこと、「同時に複数のこと」をやる生活習慣も、不快な刺激に当たります。たとえば「歩きスマホ」がありますね。驚かれるかもしれませんが、あれも仏教的には、心が不快な刺激を受けている状態です。

 というのは、人間の心は元来、「ひとつの反応をしている」状態が、最もラクで自然な状態なのです。歩きスマホのように、歩きながら電子情報に反応するというのは、それだけで「心が半分ずつに分断」している状態といえます。これは「モヤモヤ」とまではいかないかもしれませんが、「テキトーな反応」に心が引き裂かれているという点で、ほんとは快ではないのです。

 つまり、「ながら作業」や「同時に複数の反応」というのは、心にとって、ストレス・雑念の素なんです。そうした状態を改善して、心をスッキリ保つには、「一点集中」が大事になります。ひとつのモノゴトだけに心を注ぐことです。

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——20代30代に多い、そのほかの弊害は?

 「とりたてて今悪いことはないのだけど、このままでいいのかと思ってしまう」といった不安の声を、20代30代の方からよく聞きます。「とりたてて問題がないなら、そもそも問題はないではないか」という話なのですが、当人たちはそうは思わず、ずっとモヤモヤ感が拭えずにいます。ただそれは、まさに人間の「求めて止まらない心」が生み出す「妄想」状態であって、大した意味はありません。暇つぶしの延長みたいなもので、ネットサーフィンやスマートフォンをいじるのと同じくらいの「テキトー反応」にすぎません。

 ちなみに、「テキトー反応」として現代に多いのが、「自分の承認欲を満たそうとして、あれこれと判断してしまう心」があります。例えば、あの人はいい人だろうか、悪い人だろうかと考える。私の人生は成功だろうか、失敗だろうかと思いをはせる。ツイッターのフォロワー数や、フェイスブックの「いいね!」の数に一喜一憂する。こうした「自分や他人の価値をあれこれと判断する心」を、仏教では「慢」と呼びます。もともと人間の心に潜んでいる「承認欲」が作り出す、あまり意味のない反応の一種です。

 人間は誰しも、優越感と劣等感の間を彷徨っているものですが、こうした承認欲を満たしたいがための価値判断には、キリがありません。「自分が優れている」「あの人よりマシ」という判断が続くことはありえないし、そうした判断で反応しているかぎり、心の安らぎや喜びはいつまでも得られません。逆に判断することを止め、あるがままに物事を受け止められるように日々練習を続ければ、自分の価値にこだわるがゆえの高ぶりや落ち込みといった不毛な反応は、徐々に消えていくでしょう。

「反応しない練習」の第一歩は、自分の心の状態を整理すること

——「なんとなく不安」「なんとなくこのままでよいかと思う」など、自分の心の状態が自分でもよくわからない場合の対処法はありますか。

 自分の「心の状態を理解する」習慣が身につけば、見通しはよくなると思います。その理解の仕方は、大きく分けると2つ。まず1つは、今の心の反応が、「感覚」なのか「感情」なのか「思考」なのかを見る方法。そしてもう1つが「欲」なのか「怒り」なのか「妄想」なのかを見る方法です。そうして自分の心をよく理解しながら、「マインドフルネス」と一般に言われている「感覚に戻る練習」をするようにします。

 

心を整理する3ステップ

1.感覚・感情・思考のいずれかに分ける――ムダな感情・思考に流されないように気をつける。

2.欲・怒り・妄想のいずれかに分ける――これらの反応に「気づく」ことが、悩みを増やさないコツ。

3.肉体の感覚に意識を向ける――呼吸中の腹部の感覚や、足の裏の感覚を感じとる。

 

 お気づきかもしれませんが、これらは「自分を見つめる」心がけです。仏教では、「自分の心をよく理解して、ムダな反応を増やさない」ことを、第一に考えます。

 そのためには、「自分の輪郭」をはっきりさせることが、大事になります。でないと、刺激に溢れる今の世の中においては、止めどなく妄想を繰り返して、収拾がつかなくなります。十分幸せな状態なのに「何かが足りない」と不満を募らせたり、どこまでも欲や不安や妄想を広げたりすることは可能です。しかし、忘れてはならないのは、自分の動ける範囲で幸福・納得を得ることなのです。「自分の輪郭」を飛び越えて、「もっとこれが必要だ」とか「今以上に何かをしなければ」などと考えてストレスを溜めてしまうのは、正しい考え方とはいえませんよね。

 まずは自分の1日の時間をどう生かすか、どれだけ「快」、つまり楽しさや充実感を大切にして、不快を溜めこまない工夫をするかを考える。1日1日を快く生きていくことに集中する。時間も活動範囲も限られている人間には、元来それしかできないはずだし、そうした生活スタイルが達成できれば、それ以上の幸福はありません。そのために、仏教が教える「心の状態を理解すること」や「マインドフルネス(感覚への意識)」が必要なのです。

 

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「反応しない練習」心得

1.一点集中を心がける

——日本の企業はマルチタスクや同時進行を要求される場面も多く、また全体を見通して仕事をすることも重視します。どうすればムダな反応に振り回されずに、一点集中できますか。

 仏教的に言うと、「全体を見る」ことは正しい理解です。自分の仕事、役割、これからしなければいけない作業や抱えている問題を把握することは、社会を渡っていく前提として必要です。ただし、脳も体もひとつしかないので、「同時進行」は、仏教的にはありえません。

 では、どうしたら多くの作業を素早くこなせるようになるか。これに関しては、作業ひとつひとつの精度に着目して、生産性や効率をあげていくしかないと思います。まずは全体を見て段取りを決めます。1日に与えられた労働時間のなかで、まずはこれ、次はこれと、それぞれ「一点集中」を積み重ねていきます

  「忙しい」が口癖になっている人たちは、目の前の作業をやりつつ、別のタスクが脳内を常に漂っていて、「そういえばあれもこれも残っている」と一点集中できていない状態が意外と多いもの。とはいえ、ひとつひとつの工程に一点集中することで、その忙しさは改善できるはずです。

2.記憶という名の妄想に反応しない

——嫌な過去の記憶を忘れることはなかなか難しいものです。過去を忘れて、前に進めない状況や集中できない状況から脱するにはどうしたらよいでしょう。

 過去を忘れるというのは、仏教的には「記憶に反応しない」ことです。もちろん過去は過去として存在するし、相手に嫌なことをされた・言われたといった苦い記憶は残ります。しかし、それはあくまで記憶、つまりはアタマに湧く妄想でしかありません。記憶という名の妄想に反応しなくなれば、苦しみは軽減します。

 たとえば、3日前、Aさんとトラブルがあったとしますね。ただ、その出来事は記憶にすぎません。それを「今日のAさんはまったく新しい人で違う人」と思えるようになったらどうでしょう。「過去のAさんは、もういない。さて今日のAさんはどんな人だろう」と、まっさらな心で向き合うのです。難しいと感じるかもしれませんが、「過去は記憶にすぎない。つまりは妄想」と気づく練習をすれば、だんだんできるようになっていきます。この心がけは、過去を引きずらず、また人間関係を改善するうえで、とても効果的です

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3.苦手な人と接する際は「自分の心を見る&ではどうすればいいかを考える」

——上司であれ、家族であれ、相手の負の感情に巻き込まれそうになったり、飲み込まれそうになったりしたときは、どうすればよいですか。

 相手と向き合っているときに、自分の胸のあたりに意識を向けます。ドキドキしている、怒りを感じている、ストレスを感じている、緊張しているなど、「心の状態をまず理解する」のが基本です。理解しようと心がけるだけで、その反応から抜け出せることがあります。

 もし向き合っている相手が仕事関係者であれば、その次に考えることはたった1点、「では、どうすればいいのか」ということだけです。相手の言い方やトーンには反応せず、「ならば、どうすればいいのか」だけを考えます。結局、感情で反応することは仕事には不要です。自分の心を理解して、動揺しないで、「必要な判断」だけできるように練習するのです。

4.肉体の感覚に意識を向ける

——負の思考を瞬時に取り除く対処法はありますか?

 先ほどお伝えした「感覚に意識を向ける」ことが、負の感情や思考に効きます。実は、「感覚」と「感情」と「思考」というのは、異なる「心の領域」であって、「反応の種類」としては、まったく別物なんです。実はこれ、日本人になじみの深い「般若心経」にも書いてあります。アタマに湧く「思考」という領域には、必要なことを思い出す、判断する、予測するといった有益な反応だけでなく、心を不快にする「妄想」も起こります。 そうした妄想に心が囚われたときは、心を「感覚にシフト」するようにします。たとえば、呼吸中の鼻先の感覚や、歩いているときの足の感覚に意識を向けるのです。「座禅」の正体は、まさにこれ。感覚に意識を向けている間に、心の性質は「無常」、つまり変化して消えていくものですから、「思考」がもたらすストレスも消えていくというわけです。

 ストレスが溜まったときに「体を動かそう」という人は多いと思いますが、実はこれも同じ原理で、体の感覚に集中することで、心をニュートラルな状態に戻しているのです。散歩、ヨガ、お風呂、スポーツなどは、すべて同じ効果を持っています。感覚に意識を戻して、感情や思考をリセットし、ストレスを緩和させているのです。

 仏教は究極のメンタルヘルスです。現在、Google社が企業研修として活用しているマインドフルネスは、2500年前にブッダが発見した「感覚を意識することでムダな反応をリセットする」方法そのものです。だから、これから散歩やスポーツをやる際は「体の感覚に意識を集中する」ことをぜひ心がけてください。たとえば駅まで歩く間に、足裏の感覚に意識を向け、「右、左、右、左」と足踏みを続けます。きちんとやれば、それまで心を占めていた妄想や怒りの感情が弱くなります。そうやって心の状態をクリアでニュートラルな状態に戻すのです。

 心の状態を日々観察する習慣をつけていくと、私たちをふだん悩ましている「反応」が、いかに他愛ない、執着するに値しないものかがわかってきます。「さっき心を占領していた反応はどこかに消えて、今は違う反応に囚われている」ことが見えてくると、「今湧いているムダな判断や妄想やストレスも、そのうち消えてしまうのだろうな」と、気楽に受け止められるようになるのです。

 こうして、自分の心の状態を、「これは感覚」、「これは妄想」、「これは怒り」と、ひとつひとつチェックして、自己理解の経験値を積みかさねていけば、次第にムダな反応に囚われなくなり、気持ちの切り替えも早くなります。相手の話をよく理解することも、感情に振り回されずに、「ではどうすればいいのだろう」と冷静に考えることも可能になります。

 

 結局、自らの心の状態を正しく理解するという習慣こそが、ムダな反応をせず、仕事や生活の質を上げるための最高の秘訣なのです。

 

取材・文 山葵夕子 写真 前田賢吾(L-CLIP)