「給料は下げたくない」と移住を断念してしまうのは、“もったいない”かもしれない|東京のキャリアウーマン、豪雪地帯で地ビールを作る

多くの企業、人、情報が集まる東京。便利だけど、せわしなく、「いつかは東京を離れて暮らしたい。でも東京を離れたら仕事はどうしたら…」。そんなことを頭の片隅で考え続けている人もいるでしょう。
今回は、38歳で東京暮らしを手放して、新潟県十日町市でゼロから仕事を作り上げていった髙木千歩さん。前編(→)では、東京から十日町市に移住し、「地域おこし協力隊」として農産物の販売を行うものの、それでは事業としては成立しないことが分かります。そしてとうとう協力隊としての委嘱期間満了。髙木さんはどんな決断をしたのでしょうか。

妻有(つまり)ビール株式会社 髙木千歩(たかぎ・ちほ)さん

新潟県十日町市生まれ。都内で暮らしていた2011年の東日本大震災で帰宅難民となり、都市の脆弱さを痛感したことをきっかけに両親の祖父母宅がある十日町市への移住を決意。同年10月に「地域おこし協力隊」に委嘱され「孫ターン」。2014年以降、クラフトビールを提供するレストランALE beer & pizza(エール・ビア・アンド・ピッツァ)を仲間4人と立ち上げ、その後十日町市では初めてのブリュワリー、「妻有(つまり)ビール株式会社」を設立。

起業か就職か、決断の時

―いよいよ「地域おこし協力隊」の委嘱期間満了の2013年。どう決断したのでしょうか?


この時すでに、どこかに就職するのではなく、今の地域組織で築いた仲間や関係性を生かして起業することを決めていました。そこでプランを練り直し、物販ではなく、自分が飲食店を経営して野菜を買う立場になることを思いつきました。
しかし調べると、なんと十日町市は飲食店超激戦区。何か飛び道具がないと生き残れない。そこで、仲間4人で当時珍しかったシカゴスタイルのピッツァとクラフトビールを提供するレストランを開店しました。

 

―独自の商品ラインナップを設けたのですね。

クラフトビールは会社員時代から大好きで、「好き」からスタート(笑)。最初は、静岡県や三重県などのビールが良く売れました。しだいに観光客が増えると「地元のビールはないの?」とリクエストが続いて新潟県のビールも置くように。そしてとうとう「十日町のビールはないの?」と。そんな声が1件や2件じゃないんです。「ないんですよね」と答えることが悔しくなってきました。

 

―そして、地域名の越後妻有からネーミングした「妻有(つまり)ビール」の製造に取り掛かるんですね。

いえ、最初は「誰かがやらないかな」と思っていたんですけど、誰もやる気配はない。それで、とりあえず事業予算を調べてみようと、暇を見つけてビール醸造場を訪ねて回りました。
ある時、クラフトビール醸造ではレジェンドと言われる醸造家、丹羽智さんが手がける甲府のアウトサイダーブルーイングに行く機会がありました。数々のビアコンテストで金賞を受賞しているので、大きな施設を予想していたら、なんと商店街の空き店舗に醸造施設が入っていました。限られた敷地にびっしり並んだタンク。こういうやり方があるんだなと驚きました。
見学しながら丹羽さんに根掘り葉掘り質問をしたところ、すべて丁寧に教えてくださいました。業者を紹介してもらって仮見積もりをとってみたところ、やはり多額な資金が必要なことがわかりました。すでにレストラン開設直後で自己資金はほぼゼロ。

「うん、これはお蔵入りにしよう!」


誰かがクラフトビール作りを始める時に資料として渡して応援しよう、そう思って資料はそっと戸棚にしまいこみました。

一度はあきらめたビール作りが動き始める

転機は、前職の上司と東京で飲んだ時でした。レストラン経営の報告をすると、元上司が「次は何をやるんだ?」と。何か答えなければとぐるぐる考えて、クラフトビールのことを思い出しました。
「クラフトビールです。全く資金もないし夢物語ですが、いずれ十日町市でビールを作れたらと思うんですよ」と話していました。

すると非常に興味を持ってくれて、「事業計画を書いて持って来い」と…。それで実際に事業計画書を書いてみると、課題は資金だけではなく、醸造免許取得やクラフトビール事業者の4割はトントンか赤字なことなど、リアルな課題が次々に見えてきました。元上司に事業計画書をプレゼンした時には、「かなり大変な事業だ」とアピールしたつもりでしたが、すでに元上司はやる気になっており(笑)、「わかった。俺と、もう一人お金出す人を見つけてくるから。残り3分の1の資金は自分で調達しろ」と。

 

―その時はどんな気持ちでしたか。

「えーっ!」と思いました。「クラフトビール、やりたいな」と言っているときはめちゃくちゃ楽しかったんですが、いろんなリスクが見えてきて、自分には無理かなと思っていたところに、「やるぞ」と言われて。「ああ大変なことになってしまった、困ったな」と正直思いました。ただもう、後にはひけない思いもあって、覚悟を決めました。

そして経営していたレストランからは離れ、ビールだけに打ち込みました。まずは資金集め。十日町市のビジネスコンテスト「トオコン2016」に出て、第二創業部門賞・女性起業家賞を受賞し、補助金として100万円の支援を受けられることになりました。会場に来ていた銀行の融資担当の方が「うちで貸しましょう」と言ってくださって、なんとか資金の1/3を調達。その後アウトサイダーの丹羽さんのもとで醸造の知識、技術を学ばせていただき、醸造免許の取得へむけて書類を提出するプロセスへと進み、十日町市の地ビール「妻有ビール」を作ることができました。

予算よりも上振れしてしまった施設整備費用は、クラウドファンディングで170名の方に209万円の支援をいただきました。それ以外にも、地元の方や飲食店の方々から、現金で支援いただいたり、ペンキ塗りや差し入れなど労力や現物提供で支援いただいたり。フェイスブックでつながっていたお会いしたことのない近隣の町の方々が駆けつけて手伝ってくれたことも。
多くの支援してくださった一人ひとりの顔が浮かぶから、いいものを作りたいという強いモチベーションになっています。ここは自分ひとりの場所じゃなくて、みんなの場所。それが苦しい時も踏ん張る力になっています。もし私に十分な資金があって、順風満帆だったら、ここまで頑張れていないと思います。

地方だからこその面白さ

―素晴らしいチームを作られたんですね。それも地方の良さでしょうね。そのほかに髙木さんが感じる地方暮らしの良さや楽しさは。

現金で換算できるもの・こと以外のやり取りがすごく多いと思います。いただきものをもらう、手伝って協力するというやりとりがすごく多い。ここには、お金だけでは測れない、お金を介さない経済やもののやり取りがあります。

東京から十日町市にくるときに、協力隊の報酬の額面だけ見て「大丈夫かな?」と思ったと最初に言いましたが、本当に大丈夫でした。いざ来てみると、近所の方たちが一人暮らしの私を心配して、野菜だけじゃなくて料理も家の玄関に置いていってくれる。しかも名乗らずに(笑)。近くの温泉に500円で入れるし、近所でバーベキューやキャンプができる。朝、窓を開けて「ああいい雪が降った」と思ったらスキーに行ける。
生活にも遊びにもお金がかかる東京の暮らしとは、コストの考え方が全然違うと思いました。

なので、仕事探しの段階で「都会と同額のお給料がないと移住できない」と思っているとしたら、もったいないのかもしれません。
また年齢に関しても同様で、「この年だと無理かな」と思っていても、案外、受け入れ先は気にしていないことも。それぞれタイミングがあると思うので、最初から自分でリミットを決めなくてもいいのではないかと思いました。

―東京との違い、とまどいはどのようにして解決していましたか?

よく「田舎に行って、静かに暮らしたい」という人がいますが、都会で暮らした方がよっぽど静かに暮らせると思います。そのくらい、田舎って静かに暮らせないところなんですよ(笑)。いろんな人と関わるから、一人になれない。寂しいなんてことが一切ないんです(笑)。
地域コミュニティの住民としての役割があることも、東京との大きな違いだと思います。草刈りとか、会合とか、みんなで何かしましょうという機会が圧倒的に多いんです。

「朝イチに草刈ね」と決まったら、会社の感覚で言えばだいたい9時くらいかな、と思うじゃないですか。それがこっちの朝イチは5時半なんですよ(笑)。
そういったその土地の慣習というか、生活の流れのようなものは、独自のものがあるんだと思います。まずはそこに積極的に関わって、地域の人たちと仲良くなっていくことが大事だと思います。私の場合は、祖父母や親戚はいましたが、同年代の知り合いがいない中で移住したので、協力隊という助走期間でいろんな関係を作れたことが、とても大きかったです。

特に十日町市のような豪雪地帯では、雪かきなどはみんなで協力して助け合って生活しています。その助け合いとネットワークがあるから暮らしていけるんです。自分ひとりで生きているわけではないこと、地域の皆さんとコミュニケーションを取って、地域に貢献していくというマインドも大切にしています。ビジネスや仕事自体も、地域の関係性の中で存在しているんだと思っています。

 

妻有ビールFacebook

インタビュー・文:野原 晄 撮影:studio HATOYA

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