シェフは、全員タイ人の本場の味と、まるで現地にいるような雰囲気も味わってもらおうと内装にもこだわりを持つ、ビジネスパーソンに人気のタイ料理店があります。現在海外含め10店舗以上のタイ料理店を展開している株式会社SUU・SUU・CHAIYOO(スースーチャイヨー)社長・川口氏は、「元・外務省」というキャリアの持ち主です。
なぜ「外交官」を辞め、飲食業界に飛び込んだのか? その背景には、海外駐在中に培われたグローバルな視点がありました。川口氏のキャリアを紐解きつつ、仕事観や今後の展望についてうかがいました。
プロフィール
川口 洋(かわぐち・よう)
株式会社SUU・SUU・CHAIYOO 代表取締役
1969年、兵庫県生まれ。神戸大学 法学部を卒業後、1992年に外務省に入省。約5年半にわたり中東諸国に駐在する。帰国後、2003年に退省。 2004年に独立し、株式会社SUU・SUU・CHAIYOOを設立。現在都内に13店舗、バンコクに1店舗、タイ料理店を展開している。9歳と4歳の2児の父。
バックパッカーで世界40か国以上旅して、外務省に入省。駐在先の出会いが転機をもたらした
―川口さんのファーストキャリアは外務省でしたが、もともと外交に興味があったのでしょうか?
そういうわけでもないんです。海外に初めて行ったのは、大学に入った19歳の時。文化の違いを感じるのが面白くて、その後在学中だけで数十カ国以上行きました。
そのうち、就職について考えるようになった時も、海外で働きたいなぁと。外務省を選んだのも、入省後1年間日本で働くと、海外へ行けたからだったんです。
―なるほど。そして、狭き門を突破して入省されたんですね。外務省では、どんな仕事をされていたのですか?
入省後、まずは専門的に学ぶ言語を選べるので、アラビア語を選択しました。もともと世界史が好きで、歴史ある場所に興味があったんです。中東専門家になるのと、ODA(政府開発援助)の仕事をしたいと思っていました。最初は、研修でシリアに赴任しました。一般の家庭にホームステイして、アラビア語を勉強していたんです。
当時は、ちょうど湾岸戦争のあとで、日本の立場は、アメリカ・EUとある中ではニュートラル。中東和平に向けて動き出してる時でした。現地の人との架け橋となるよう、尽力しました。
―最初は、中東を希望されていたんですね。そこから「タイ」へ興味が移ったきっかけを教えてください。
海外生活の4年目に、オマーンへ異動になったんです。日本大使館の近くに、タイ大使館があって、職員とよく交流していたんです。タイ人の国民性は、明るくていいなと思いました。
また、そのころ出張のために、初めてバンコクに行ったんです。タイスキなどタイ料理が流行っていたし、中東ヨーロッパと違って、日本人はちやほやされることが多く、そこに魅力も感じました(笑)
―興味が移っていくプロセスはわかります。でも、外務省を辞めてまで、タイという国にこだわるほど、強い興味には見えないのですが…。
実は、入省したときから、「いつか独立したい」とは、漠然と思っていたんです。
そこで、とりあえず準備をしようと、日本へ帰国後に商工会議所主催の創業塾に通うことに。それでも最初は、アジアの雑貨を売ろうかと考えていたんです。
日本でしばらく勤務したあと、次の赴任先が再び海外だったのですが、希望通りではなかったので、思い切って「独立」しました。
―そこから、タイの料理店に変わっていったのですか?
当時、海外赴任で駐在していた中東って、娯楽がそんなになかったからか、友人が家を訪ねてくることがしょっちゅうありました。しかも、全力でもてなしてくれる文化だったんです。砂漠に客人が訪ねてきたある男が、貧乏で何ももてなすものがないため、唯一の財産であるラクダを潰し提供したら、客人の訪問目的が、そのラクダを買うことだったという逸話があるくらい。
なので、私も、家に人が訪ねてくるときは、BGMにこだわったり、料理を出すタイミングを思案したり…といろいろやりました。それが楽しくて、忘れられなかったんですよね。人と直接のつながりがあり、接待して喜ばせるのが面白いと気づいて、ならば料理店だと思ったんです。飲食業ということに関しては、経験はなかったのですが…。
「タイ」料理ということについては、神の啓示(笑)。正直、なぜタイ料理に決めたかはわからないです。ほとんど迷いなく頭の中に舞い降りてきた感じです。
▲今回の取材場所「クルンサイアム」。装飾にもこだわり、異国情緒あふれる店内で食事を楽しめる
タイ料理店をオープンするまでは、1年半の他店舗で修行
―退職後からオープンまでのブランク期間は、どのように過ごされていたのですか?
経験がないので、まずは1年半、修行をしようと考えていたんです。タイ人従業員比率が一番高いタイ料理チェーンの会社に入社し、新橋のタイ料理店で店長をさせていただきました。その後は、アルバイトをかけもちしていた時期もありますね。
―アルバイトまでされていたんですか!? 外務省のキャリアを考えると、相当勝手が違うように思えるのですが…。
正直なところ、想像以上に違いましたね。外務省を辞める前は、そこまで不安はなかったんです。大使館での仕事柄、イレギュラーな状況には慣れていて、むしろそれにこたえるのがモチベーションのひとつにもなっていたので…。だから、アルバイトという状況にもわくわくしていたというか(笑)
ただ、実際働いてみると、戸惑うことばかりでした。未経験でというのもあるのですが、もちろん仕事に慣れていない。
店長をやっていた店では、初日から料理を出すのが遅くて、お客様に叱られ、「もう二度と来ません」と言われたり、アルバイトしていた店では、タイ人やミャンマー人のコックさんが職人気質で性格がキツく、包丁を投げられたこともありました。働く人も、お客様も前職の時とは違うんだと痛感しましたね。
―「独立の夢」が折れそうになりませんでしたか。
折れはしなかったのですが、心持ちを変えました。改めて腹を括ったんです。組織や他人のせいにはもうできないので、全部「自分のせいなんだ」と思うようになりました。そうしたら、多角的に考えられるようになっていったんです。そこを意識したら、ラクになりました。立ち仕事で1年半に20キロ体重は減りましたけど(笑)
最終的には、赤字店を黒字店にして実績を残せるようになりましたし、大変でしたが、やっぱり楽しかったですね。
人と比較をせず、見方や考え方を変え、行動していく
―川口さんは「好き」を大切にここまでお仕事をされていったんですね。ただ、ビジネスパーソンの中には、やりたいことがうまくいかずに、悶々としている方もいると思うのですが…。
私がひかれたタイ人の魅力って、「今を生きてて過去や未来で悩まない」ところなんです。絶対に自己卑下しないんですよね。自己卑下は、人と比較することから始まる気がします。だから私も、何においても「比較はしない」と、決めようと努力しています。
ほかの人と比較してしまい、自分の現状がよくないと思うのはつらいですし、逆に人を馬鹿にすることにもなりかねない。
例えば、「飲食業のオーナー」は経営者なので、店舗数や売り上げを比べる傾向があります。僕は飲食店2店舗やってる、ウチは100店舗…など。確かに、店舗数の多さは、その人の結果で、それだけお客様の満足を勝ち取り、また、雇用も生み素晴らしいと思います。でもあまり比較が過ぎると店数が少なくて自分を卑下したり、逆に店数が多くてほかの人を軽くみるような感じにもなりかねないと、私は思っています。
もし、何か好きなことでビジネスを始めたいと思っているのならば、
(1)自分のやりたいこと・好きなこと (2)自分のできること(過去の経験など) (3)会社や社会から求められていること
この3つの輪をとにかく広げていくことを意識することでしょうか。特に若いときは自分のやりたいことをやって、また、なんでも素直に果敢に挑戦することで、その輪が広がっていきますよね。ある程度、歳がいったら、自分がやりたいことだけやるのでなくて、会社や社会に求められていることも意識していくべきなのだと思います。
私も居心地いい仲間とだけ一緒にいるのではなく、ビジネス交流会等に行って、自分よりもっと経験ある経営者に会い、今でも意識的に枠を広げています。もらったアドバイスは素直に聞いて、自分の中で違和感あることでも半信半疑ながらも、チャレンジしています。
自分が好きなこと、正しいと思うことだけをそのままやり続けても、大きな進歩はないですから。
―「好きなこと」で目標設定する場合のポイントはあるんでしょうか?
まずは、なりたいもの・やりたいことを「ちゃんと決めること」ですが、これが一番難しいと思います。決めてしまえばあとは、過程をこなすだけ。決まっている人は、幸せです。私は、タイ料理を世界に普及していくと決めました。決めていなかったときは、つらかったです。
日本人は、大きな目標を立てるのが苦手かもしれませんです。西洋人は、根底にイデア論(イデアという理想世界から現実が投影されている、人間は、生きている間に、それに近づいていく)的な考え方があり、大きな目標へのアプローチが得意です。小さい改善の積み重ねはもちろん重要ですが、大きなイノベーションのためには、物事のあるべき姿をまず決めて、それに向けてアプローチしていく。それを、私も意識して行っていきたいです。
あとは、ポジティブに考えるようにしています。すべての面において、物事には良い面と悪い面がありますよね。日本では雨が降ると「いやだなぁ」と思う人が多いですが、中東は砂漠地帯なので雨が降ると喜びます。だから、「雨は美しい」と言うんです。
視点が変われば見え方も変わります。今いやだなと感じる仕事であっても、やりがいのある仕事だと思うことができるかもしれません。そのためには視点を増やす努力は必要で、いろいろな人に会ったり、旅行に行ったり、読書したり、あまり一つの視点で気持ちを入れ込み過ぎず、気を散らしたほうが良いと思っています。
▲社員が毎年更新する「夢ノート」。冊子になっており、全員で共有できるように日本語とタイ語で書かれている
―最後に、今後の展望について教えてください。
今は、人の育成と、社内の人間関係をもっと良くすることに力を入れています。お互いのことをよく知ること、会社のあらゆる情報を共有すること、一緒に過ごす機会を増やすことなどに注力しています。例えば、日本人、タイ人問わず、社員全員の「夢ノート」を作っています。内容は、夢・やりたいこと、言われて嬉しい言葉、言われると嫌な言葉…etc.今は冊子なんですが、今後アプリで全員がいつでも見られるようになる予定です。
そして、海外展開を考えています。タイ料理は色んな食材を使っているので、和食と比べても、世界中のあらゆる層・宗教の人にも受け入れられて、よりグローバルになれる可能性が高いと思います。
2年後にはロサンゼルスに出し、いずれは世界中に店舗を出したいです。急がないですが、着実にわれわれのミッションであるタイ料理の普及に命をかけていきたいです。
自分の気に入ったタイ料理をたくさんの人に紹介して、喜んでもらいたいんですよね。タイ料理を通じて世界中が笑顔で喜びあふれるお手伝いができればいいなと思っています。