場所にとらわれない働き方を身につけ、共働き夫婦が地方移住に挑戦!

見渡す限りの青い空と澄んだ空気、雄大な山々――都会では味わえない豊かな自然の中で子育てをしたいと、地方移住を夢見るファミリー世代も増えています。しかし、その思いはあっても、「地方で新しい仕事が見つかるのだろうか?」と、移住をためらう人も多いのではないでしょうか。

今回は、夫婦共に東京でNPOの代表として仕事の拠点を持ちながらも、京都への移住を実現させた三木夫妻にお話をうかがい、「仕事を変えることなく、お互いが納得できる移住」のヒントを探ってみました。

人物紹介

三木由香里さん

NPO法人ArrowArrow」代表理事。中小企業向け産育休取得のコンサルティング事業や、女性管理職候補者向けキャリア研修、子育て期の再就職支援事業「ママインターン」を手がける。

三木智有さん

NPO法人tadaima!」代表理事。内閣府「男性の暮らし方・意識の変革に関する専門調査会」委員。家事シェアプロモーション事業を手がけながら、インテリアコーディネーターとして、“子育て家庭のためのモヨウ替え事業”を展開。

移住という人生最大のイベント。大切なのは「どこに住むか」ではなく「どういうプロセスで決断するか」

―三木さん家族の移住のきっかけとなったのは、以前、由香里さんが仕事で地方を訪れたとき目にした、“田舎暮らし”の光景だったそうですね?

由香里さん はい。自然に囲まれた田舎での生き方、田舎流の子育ての仕方にふれ、「東京でしかできないこともあるけれど、地方でしか経験できないこともたくさんある」と思ったのです。当初は夫の実家のある鳥取も選択肢にあったのですが、娘の保育先が私たちの働き方と合わない運営方針になって、もう一度考え直し、京都・京田辺市に移ることにしました。

―智有さんの実家がある鳥取だと、移住の理由もありそうですが…なぜ移住先を京都にしたのでしょうか?

由香里さん 移住したい気持ちを知り合いに相談したところ、その人が住んでいた京田辺市の話を聞き、興味を持つようになりました。京田辺市は京都府の南方端に位置し、大阪府と奈良県の県境に近い場所です。実際、京田辺まで足を運んでみると、家から一歩出れば見渡す限りの山々。「澄んだ空気のレベルが都会と違う!」と感じる、自然に恵まれた環境でした。さらにその自然と多く触れ合いながら保育を行う、私たちの理想にあった幼稚園にも出会えたのです。また、仕事のお付き合いのある大阪へのアクセスもよく、情報収集していくうちに“京都熱”がどんどん上がっていきました。

―由香里さんは、鳥取移住から一気に京都移住にスイッチされたのですね。智有さんは、移住先を京都に替えることについてどう感じましたか?

智有さん 鳥取移住に向け、家も見つけ、「地方移住するぞ!」ってSNSにも投稿していたのに、急に行き先がなくなってしまったのです。ハシゴを外され、「地方移住したい」という気持ちが宙に浮いていて、どこに持って行ったらいいかわからない状態でした。
でも妻は、とにかく地方移住のボルテージが上がっていて、自分の知らないところで情報収集し(笑)、移住をするにしても京都にこだわる理由が一つもない自分に、京田辺の魅力を語ってくれる…。
そんな中で立ち止まっていましたが、確信していたのは自分たちだったら場所がどこであろうと、仲良く楽しくやっていけるだろうということでした。ただ「場所を決めるまでのプロセスを一緒に踏まないと、どこに行ってもダメだろう」と考え、妻に伝えました。

―結果は同じでも、お互いに合意をどれだけ積み重ねていくかが大事だということでしょうか?

智有さん はい。ただ「京都がいい」という発想になんとなく合わせては、うまくいかなくなったとき、相手のせいにして、夫婦関係がこじれる原因なったりするかもしれないと思いました。そして「自分自身が移住に納得する理由とは何か」を自身に問いかけました。

―相手に合わせるだけだと「あのとき本当はこうしたかった」という思いが残りかねない。それが、何かのきっかけでうまくいかないことが起こったときに、相手のせいにする原因になるのかもしれない、ということですね。悔いを残さないため自身に問いかけ、移住に納得する理由は見つかったのでしょうか?

智有さん そうです。自分にとって一番大切なことは、“娘の教育環境”でしたから、その部分で納得できれば、「仕事はどうにかなるかな」と思い至りました。
私は、ちょうど執筆業が増えてきていたので、場所を問わずに仕事をできるタイミングでもありました。百聞は一見にしかずと、実際に現地を訪れて、娘の教育環境に納得できれば、京田辺への移住を決めようと、決断しました。

―判断に迷うときは、自分自身に問いかけ「何があれば決断できるか」の基準を決めておく、ということですね。

智有さん はい。それで、京都へ足を運び幼稚園を見学したところ、すぐそばに森がある自然豊かな環境と、広々とした園舎――“静”と“動”の空間が、バランスよく保たれた理想の教育環境でした。一緒に行った娘が園庭で楽しく遊び、その笑顔を見て、「ここだ!」と納得でき、移住を決断しました。

―由香里さんの移住したい熱意からすると、智有さんの決断までのプロセスは、じれったかったのではないでしょうか?

由香里さん ここまでの生活の中で、彼が頑固なのはわかっていましたから(笑)。夫にリサーチしたあらゆる京都の情報をプレゼンし、現地で見つけた理想的な幼稚園の説明もして、将来の事も踏まえてお互い納得いくまで話し合いました。そして最終的に「彼が決断を下すまでは、口出しをしない」と決めて、答えを待ちました。

―急かすことはせず、最後の“決断”というボールを智有さんに渡し、彼の思考が熟成されるのを待っていたわけですね。智有さんは無言のプレッシャーを感じつつ(笑)、納得できる決断へのプロセスを踏めた。お互いの性格を理解しているからこそできることなのでしょう。

智有さん 夫婦間での決め事は、お互い我慢したり妥協したりせず、とことん話し合うプロセスが大切だと思っています。
今回もこのプロセスを踏んだことで、夫婦ともに話し合いの軸として考えていたのは、「子どもにとってこれから何ができるのか」と「家族みんなが楽しく過ごせること」だということがわかり、納得できました。
移住を決断してからは、すぐに仕事や生活環境、住居などを整え引越の日を迎えました。

由香里さん 私、引越当日まで、住む家を見たことがなかったんですよ!家に関してのこだわりはないですし、夫の仕事柄、そこは全面的に任せたんです。

―ビジネスでいう、ビジョンやミッションの部分に夫婦で合意した上で、プロセスにこだわり、任せるところは任せる。いい関係を築いてこられたのですね。

三木さん宅の近くには広い公園がそこらじゅうにあり、家を出てすぐに山も見渡せるそう(写真はイメージです)

8,568通り、あなたはどのタイプ?

「子育て環境」を重視した地方移住で、仕事はどうしたのか?どうやって生活しているのか?

―子育て環境を最優先とし、自然豊かな京田辺へ移住が決まってから、仕事の調整となったのですね。お二人ともNPOの代表をされているので、会社員よりは自由度があると思いますが、活動の場が変わることの影響をどう対応したのでしょうか?

由香里さん  ArrowArrowの代表として中小企業向け産育休取得のコンサルティング事業や、女性管理職候補者向けキャリア研修など、コンサルタントや講師として全国を回る仕事なので、もともと東京にいる必要性は感じていませんでした。現在も出張に加え、前職の仕事仲間からのつながりで、ときどき大阪でも仕事をしています。
もちろん、東京にいるより「仕事の機会損失」はしていますが、そこは人生の優先順位を考えて、きっぱりと割り切っています。

―場所にとらわれずに働けるという自信を感じますね。その価値観はどのように得たのでしょうか?

由香里さん 普段から「ポータブルスキル(仕事に関わらずその人に備わったスキル)」という考え方を大事にしています。仕事を与えられたとき「相手が何を求めているのか?この仕事でどう組織に貢献するのか?」という部分まで考えた場合と、「ただこなすためだけの1タスク」として作業するかで、身につくものが変わってくるものです。
常に相手を思い、自分の成長を意識して仕事を続けていくと、さまざまなスキルが自然と身についていきます。そしてそれは、「“場所にとらわれない働き方”を叶える武器の一つ…ポータブルスキル」になっていくと思います。

―同じ仕事をしていても、意識をどう持つかで、自身のスキルになるかならないか決まるということですね。由香里さんのポータブルスキルは、具体的に何でしょうか。

由香里さん 私のポータブルスキルとは、専門職や資格のようなものではなく、「子育てと仕事を両立するためのノウハウ」「人とコミュニケーションをとることで紡ぐもの」「相手が求めている解決策を提案できること」でしょうか。

そうだとわかったのは、新卒で入った人材会社で、1日200件もの採用結果の電話をした経験があったからですかね。つらい仕事でしたが、「この電話一本で、私にできることがあるかもしれない」と考え、一本一本の電話の対応に精魂込めて取り組みました。
すると、私がかけた電話で「内定を決めた」と言われたり、不採用通知をした方と3年後に偶然お会いしたときに、「堀江さん(旧姓)が電話で言ってくれた話、覚えています」と言われたりしました。さらには、その仕事へのスタンスが認められ、新人のときに社内で社員奨励賞を受賞しました。このときに“仕事の本質”とは何かがなんとなく理解でき、自分のスキルを可視化することができました。

―このときにポータブルスキルに気がついたということですね。その後、病児保育のNPO法人へ転職されますが、そこで多くのワーキングマザーに会い、ポータブルスキルの一つである「子育てと仕事を両立するためのノウハウ」に着目するようになったのでしょうか?

由香里さん もともとNPO法人に転職する前の人材会社は、朝から晩まで土日もなく働いていたので、結婚か妊娠をしたら、退職しなければならないと思っていました。でも、そのNPO法人に転職してみると多くの人が子育てと仕事に挑戦し、イキイキと働いていたのです。もちろん悩んだりもしていますが、その悩みと向き合っている人たちの課題解決の仕方や、仕事への優先順位のつけ方には、学ぶべきポイントがたくさんありました。

―その経験を通して、子育てしながら働くためのプラットフォームづくりのために「NPO法人ArrowArrow」を設立されたのですね。

由香里さん 「相手が求めている解決策を提案できること」というポータブルスキルは、起業してからさらに深めることができたと思います。自分の想いがあっても、クライアントである企業にもそれぞれの事情があります。本当に相手が何を解決したいのかを聞く姿勢は、新入社員のころに「相手のために」と電話していたころと変わりありませんから。

そして、これらのポータブルスキルに気がついたことで、“どう生きるか”の選択に自由度が増していくのを実感し、NPO法人の設立にまで至ったのだと思っています。

―仕事に挑む、本質的な姿勢がポータブルスキルの根底にあるということが見えてきました。智有さんは、家事シェア専門家として内閣府の調査委員や、メディアへの寄稿などのお仕事をされるかたわら、インテリアコーディネーターとしても活躍されています。現在はどのように仕事をされていますか?

智有さん 移住後、娘の幼稚園が始まるまでの間は、主夫業をすることになるだろと見通しがたっていました。それで、東京にいるうちから場所を問わずできる執筆業の段取りをし、京都に引っ越してからしばらくは、子育てと家事の合間で、執筆関連の活動をしていました。娘の延長保育が始まった5月からは、本格的に仕事を始動させ、京都で講演活動をし、現在は、そこから派生するクライアントと仕事をしています。

―智有さんは男性の家事参加について活動をされてきたことが、場所を問わない仕事のチャンスにつながっているのですね。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

夫婦の今後の目標は「理想の学校づくり」――共通の夢を追い続ける

―お二人とも、NPOの代表として仕事をされてきたので、その実績こそポータブルスキルとも言えそうですね。今後のさらなる夢はありますか?

智有さん 今は学校づくりに夢中だよね。

由香里さん 少し前ですが理想的な学校に出会って、新たな目標をみつけました。教育現場やカリキュラムを見ていたら「私もやりたいな」と、自分で学校をつくりたくなっちゃったんです。やれるかどうかわからないですし、今までにない未知のチャレンジですけど…。
これは「娘に自分たちでつくった理想の学校に行かせたい」というより、「自分たちでつくりたい」という欲求のほうが強く、自分のためにやっているといえますね。だから、もしも娘がその学校に「行きたくない」と言ったら、「それもあり」なことなんですよ。

―「つくりたくなっちゃった」から学校をつくる、というのが由香里さんらしい!今までのポータブルスキルを活かして、新たな挑戦ですね。智有さんも一緒につくるのでしょうか?

智有さん 教育現場の仕事に興味があるので、勉強中です。妻は経営側ですね。お互い興味の分野が違うのでそれぞれのフィールドを活かしながらやっていくつもりです。

由香里さん 失敗しても大丈夫。自分たちのチャレンジする姿を娘に見せたいのです。失敗してもそこから学びとり、またやり直せばいい。そんな風に家族と一緒に冒険を続けたいんです!

年少の娘が朝脱いだパジャマを自分でたたむと10円の報酬を渡し、貯金していく。お金への教育も体験に基づくのが三木家流

仕事を変えることなく地方移住ができた三木さん夫婦。そこには家族の幸せを一番に考えた、夫婦の丁寧な対話のプロセスとポータブルスキルの存在が、カギになっていました。

どんな業務でも、自分の仕事としてその先を見据えながら対応することが、代替不可能なスキルになってくる――業界・職種に関わらず、責任を持った仕事の仕方を身につけていくことが、場所にとらわれない働き方の一助となってくれそうです。

文:Loco共感編集部 渡辺みずき
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