「対話」をしないから“生産性”が上がらず、忙しいのだと思います――『ナラティブ・アプローチ』研究者の宇田川元一氏に聞く“生産的コミュニケーション”

若手リーダーとして、コミュニケーションをとることは大事だと分かりつつも、業務効率化が求められる中で思うようにコミュニケーションが取れず、モヤモヤを抱えている人も多いのではないでしょうか? イノベーティブな組織の実践に、“ナラティブ・アプローチ”の観点から研究をする、埼玉大学大学院准教授の宇田川元一先生に、組織が生きて自分も生きるために必要な視点と考え方について聞きました。

宇田川 元一(うだがわ もとかず)
埼玉大学大学院人文社会科学研究科 准教授
1977年東京都生まれ。早稲田大学助手、長崎大学経済学部講師・准教授、西南学院大学商学部准教授を経て、2016年より現職。専門は組織論、経営戦略論。イノベーティブな組織をいかに創り実践するかについて、社会構成主義に基づくナラティブ・アプローチの観点から研究を行っている。2008年度経営学史学会賞(論文部門奨励賞)受賞。東京・神田にある埼玉大学経済経営系大学院で社会人教育に携わる傍ら、Biz/Zineをはじめとするさまざまなメディアへの執筆、講演多数。

“ナラティブ・アプローチ”は対等な関係性を築き、対話を生む

—宇田川先生が組織づくりの研究に取り入れている“ナラティブ・アプローチ”という方法とは、どのようなものなのでしょうか。

社会構成主義という思想の実践の方法で、もともとは医療や臨床心理の分野で1990年代から展開されてきました。それまでは医師やカウンセラーなど(専門家)が、専門家の立場を崩さずにクライアントの問題を解釈することが良い支援であると考えられてきました。つまり、支援者は正しいことが分かっていて、クライアントはそれがわからない人、という暗黙の了解がそこにはあったわけです。しかし、専門性がかえってクライアントの語り得ない苦しみを理解する妨げになっていることに一部の実践者たちが気付き始めました。そこで、「専門性を一度脇において、クライアントの語りをまずは正しいものとして聴いてみよう」という新たな思想が生まれました。そうすることで、対話が可能になり、今までとは全く違う語りが生みだされ、それによって問題の解消が可能になってきたのです。こうした新しい語りをどう生成していくかを考え、実践的な対話の促進や、対話が生じる関係性について研究するのがナラティブ・アプローチです。

—その方法は、医療現場以外の組織の人間関係にも用いることができるというわけですね。具体的にはどのような場面でナラティブ・アプローチの方法が生かせるのでしょうか。

組織の中でどちらも正しいが故に対立してしまうということはよくありますね。そのような場面で、どちらも自分を正当化することだけを考えていると、対立が深まってしまいます。それを避けようとして、暫定的に自分を押し殺し、話を進めようとすると、モヤモヤした思いはずっと残りますし、そういう形で進めたものは自分でも納得がいかずに進まないものです。そのような場合、一旦、自分の正しさを保留し、意見が違う相手には「相手なりの正しさがある」ことを認めてみます。すると、今まで自分が正しく相手が間違っているという理解の相対化がなされ、対話を行う準備ができます。この状況になると、かなり語ることが変わってくることは想像に難くないでしょう。自分の立場を変えずに相手だけ変えようと説得をすることはよくありますが、それは実は実践的ではないのです。

—ナラティブ・アプローチを取り入れ、違う正しさがあることを認め合い、新しい問題への取り組みの方向性が開かれていくのですね。

ビジネスシーンにおけるナラティブ・アプローチの生かし方

—組織の中で対話的な関係を築く難しさを感じている人が少なくありませんが、ビジネスシーンにおいて、ナラティブ・アプローチの観点をどのように生かすことができるでしょうか。

企業に勤めている方から、「自分が考えていることを上司がわかってくれない」「部下に全然危機感が足りない」などの相談をよく受けますが、ナラティブ・アプローチの観点から答えるならば、「その上司(部下)のことをどれだけわかっているのか」と、問いたいですね。なぜなら、その考え方には「自分が正しくて相手が間違っている」という考え方が前提となっているからです。上司であろうと部下であろうと、相手にはその人の考えに至るプロセスがあります。相手が何に引っかかっているのかということを知らずして、自分の正当性だけを主張するということをやっていては、何も物事が進みません。

—ここで「自分の正しさ」を保留し、語る内容自体を主張するよりも「語ること」そのものを大事にすればいいのでしょうか。

はい、「語る行為そのものの重要性」がナラティブ・アプローチの概念で強調したいことです。相手の思いをちゃんと認識できているかどうかでしょう。そして、相手が明確にできないでいるのは何かを理解しようと努め、それを言葉にして自分のしたい事との接点をきちんとつくることです。お互いに意味のあるものにしなければ、組織として動くことはできないということです。ナラティブ・アプローチが主に対象とする「語り」とは、語り得ないことを語ろうとすることに力点が置かれているのです。明確に伝えたい何かを伝達するために語るということではなく、むしろ、「明確化され得ないことを意味づけようとして、なんとか言葉を紡ぎ出そうとする人間の営為の大切さ」に注目してみてください。

—お互いの考えの接点を探ることが重要になってくるのですね。具体的にはどんなことに配慮したらいいのでしょうか。

相手の語りをよく聴くことです。この「聴く」というのは、相手が語っていることをちゃんと受け止めるということだけでなく、相手の状況も含めて相手をよく知ることを意味します。自分とは違う考えのときは特に「なぜこの人はこういうことを語っている(考えている)のか」と興味を持ってみるといいでしょう。そのときに「自分もその立場なら、同じ考えや行動をするかもしれない」ということを受け入れてみると、全然違ったことを自分も語るようになるかもしれません。

それに加え、理解に困ったときには「どう理解したらいいかわからない。教えてください」と、素直に言ってみることも良い方法です。

—互いの考え方を聴くことにもっと注力し、自分がわからないで困っているならそのことを伝える努力をした方が良いということですね。

そうです。「このままではまずいのではないか」「噛み合っていない」など、違和感があるのなら、その「違和感の存在を認める」ということをもっと大切にするべきです。お互いに理解し合えているかわからないままに出した結論に、表面的に同意するような姿勢からは、対話は生まれません。そこで行っていることは、自分の考えか相手の考えにその場を押し込めているだけだからです。本来は「お互いをわかっていない」と同意することから対話の一歩が始まるのです。

——違和感を見逃さず、対話を重ねることが重要なのですね。

対話をすることで見えてくる真の課題

—しかし、対話に時間を費やすことは、生産性が下がってしまわないかという懸念もありますが…。

そもそも対話をしないから生産性が上がらず、忙しいのだと思います。お互いによくわかってもいないのに、面倒くさいからと対話に挑まずにいれば、複雑だけれど重要な問題には取り組まなくなり、結果的には、常に目先のことで追われてしまう悪循環に陥っているのではないですか。違和感をほったらかしにして、何でやらなければならないかを考えないでいたら、やる気も出ませんし、問題も表に出ない。結果、何も変わらないですよね。みんなが解こうと挑んでいる問題は、そもそも何のために解かなければならないのか? それを考えないで目先の問題をとりあえず解決していると、問題の発生源から問題を解消することができなくなります。

—“対話”をすることで、真に向き合うべき課題が見えてくる、ということでしょうか。

そうです。「わかっていない」ということを認めた上で、これまで語り得なかった違和感や苦しみを語るということは、旧来のドミナント(支配的な)・ストーリーに対してあらがうことになります。すると、解決が簡単にできない問題だということがお互い見えてきて、共に語り合っていく必要性が見えてくるというわけです。

—語り合うことで、新たな施策やアイデアは生まれてくるものですか。

みんながモヤモヤしているときに、「そう!それなんだよ」とみんながしっくりくる「言葉」が出ると、その言葉からそれぞれが語れるようになるという経験はありませんか?組織の中で起きる問題は、対立する意見の双方ともに正しいということはよくあります。表向きの考えや言葉の対立ではなく、なぜお互いにそう考えたり、言ったりするのかを知っていくと、必ずどこかに接点は見えてくるものです。その接点からもう一度課題に向き合ってみることで、それをする以前とはまた違うアイデアが芽生えたり、具体的な方策も出て来るはずです。

対話を上手く導くためにやっておきたい事

—もともとある関係性や社内の雰囲気から、なかなか“対話”に導くことが難しいという人も少なくないと思いますが……。

ビジネスパーソンに講演などで、語ることの重要性を述べると、必ずと言っていいほど「うちの会社ではそれができない」と返ってきます。その理由の多くは、「そういうことを言える組織ではないから」。しかし、言える環境が来るのを待っていても、来ないと思います。語らないでいることは、「自分もその環境を再生産している、共犯者になっている」と認識した方がいい。会社がどうであれ、自分がやる必要があると思ったことは、突破してやっていく――そうやっていけば、いずれ会社って相対化されて変わるものですよ。その突破のプロセスに対話する観点を生かしてほしいものです。

—自分の考えをきちんと語れるかどうかということですね。

語れるということは、見えにくいけれども、より優れたビジネスパーソンとして必要なスキルのようです。ですから、普段からどうやって人との接点を生み出せるように語れるかをもっと意識した方がよいでしょう。断片的な知識を寄せ集めただけではダメですよ。本を読んだり情報を得たり、何かを体験した時には必ず自分に何か反応が起きています。その反応を大切にして、それを言葉にしてほしいです。もっと自分のセンサーを信じて大事に使った方がいい!そうでないと自分の違和感感知のセンサーがどんどん退化していってしまいます。

—自分自身が考えたことや感じたことは、なんとなくやり過ごしていることも多く、それをあえて言葉にするには、どんなことに気をつけたらよいですか。

言葉にすることは、鍛えていくしかないでしょう。何よりも深い教養がそれを助けます。また、それを用いられるように、日頃から自分に起きたことを語る練習をして、“言葉のストック”を持っておくことです。何かあった時に、準備が整っていれば語ることができるようになります。良い語りは人との接点を生み出し、組織を動かします。いわば、リーダーシップの本質と言いてもいいでしょう。それを表現する能力は、鍛えなければ得られませんから、日々そういうことを練習しておくということは、意味があると思います。

—「自分に起きたこと」を語るのは、難しいと感じる人もいると思いますが……。

自分がユニークな存在であることを大事にしてほしいですね。誰一人として、全く同じ経験をして、全く同じ葛藤を抱えている人間はいないのですから。自分が嫌なことや、おかしいと感じることを大事にする人が増えると、クリエイティブでイノベーティブな社会になるはずです。

—その人たちが語れるようになったら、とても面白い対話が生まれそうですね。日々考え、臆せず語ることで、自分自身の方向性も見えてくるものでしょうか。

「わかってもらいたい!」と、もがいている人も多いでしょうが、大いにもがいたらいいと思います。もがくことを通じて、自分が嫌だと感じることや大切にしたいことが何なのかが見えてきます。それは、自分なりの偏りがはっきりしてくることだと言っていいでしょう。偏っているというのは、悪いことのように思いますが、実は偏っていることに価値があります。先に述べたとおり同じ経験をしている人間はいないという意味で、人間は誰でも絶対偏っているのですが、そうした偏りを抱えた人間同士が対話をすることで、新しいアイデアや価値が芽生えるのです。

また、偏った存在同士なのだから、最初から分かり合えないのは当たり前のことです。しかし、自分の偏りがわかれば、「お互いに偏っているのだから、分かり合えていないことは同じだ」ということがわかります。互いに同じ苦労を抱えている人間なのだという観点から、是非、単に表面を撫でるだけではない、真の対話に挑んで行ってほしいと思います。

文:Loco共感編集部 後藤菜穂

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