“一番得意で好きなこと”が仕事にならない…そう分かった時、私の「本当の道」が開けた|料理研究家 ヤミーさん

いつも楽しそうに仕事をしている人を見ると、「自分も好きなことを仕事にしてみたい」と、憧れにも似た気持ちが湧いてきます。ただ、誰しも仕事として成功するに至るまでには、人知れず流した汗があるものです。
今回、好きなことを仕事として成功するための秘訣について、無名のアルバイト店員からフリーの人気料理研究家へと華やかな転身を遂げたヤミーさんにお話をおうかがいしました。個人ブログ開設から半年足らずでブロガーとしてテレビ出演。1年後にはブログが書籍化され、3カ月で10万部を超えるベストセラーに。有名ポータルサイトの検索ワード1位となったり、各局の情報番組でとりあげられたりしました。現在、著書は海外翻訳版や共著も合わせると約50冊にもなるのだとか。
そんなヤミーさん、じつは昔から目指していた道は料理ではなかったとのこと。いったいどういうことなのでしょうか。

料理研究家 ヤミー

世界中の料理を「3ステップ」の簡単レシピにしてお届けする料理研究家。輸入食材店に勤務するかたわら、2006年1月に1口コンロのキッチン発の料理ブログをスタートし、レシピの簡単さと面白さからたちまちネットやテレビで話題に。翌年ブログを書籍化した「ヤミーさんの3STEP COOKING」(主婦の友社)が発売されると、ベストセラーとなる。現在は料理研究家として雑誌やTV、本、広告、企業やカフェのメニューアドバイザー、料理教室など多方面で活躍の他、著書多数。輸入食材の知識を生かして、世界中の料理を日本の家庭で作れる簡単レシピにするのが得意。ヤミーズクッキングスタジオ主宰。

オフィシャルブログ「大変!!この料理簡単すぎかも…☆★3STEP COOKING★☆」

成功したい“何か”を模索する日々、読んだビジネス書は200冊

—— 当初目指していたのは、芸術家だそうですね。

私は子どものころから絵を描くことが好きで、いくつも賞をいただき、いずれはアーティストになりたいと思って美大へ進学しました。美大の同級生には、卒業後すぐにフリーのアーティストになる人もいましたが、私はひとまずテキスタイル、つまり織物のデザイン会社に就職。その会社はハードワークで、新人の私でもブランドのプロデュース・デザイン・生産管理までマネージャー的な仕事を経験させてもらいました。3年半働きましたが、やはり忙しすぎて自分の時間がとれなかったこと、デザインの知識はあっても世間知らずな若い女性ということで努力が水の泡になることもあり、違う場所で社会勉強をしようと思って退職しました。

その時点では、大学の友人らのように「独立して“何か”で成功できたらいいな」と考えていました。その“何か”とは何らかのアーティスト活動であって、まだ料理という選択肢はありませんでした。まずは勉強のためにビジネス関係の本を1年で100冊読むと決めて実行しながら、“何か”を探っていました。しかしながら無職では生活が立ち行きません。とりあえずは好きなところで働いてみようと考えて、学生時代から気に入っていた輸入食材店のKALDIでアルバイトをはじめたんです。

—— そのとりあえずが、道を開くことになったのですね。

KALDIでのアルバイトをはじめた当初は依然として、どうやったら独立して成功できるのかずっと模索していました。アート関連の企画をあれこれと考えてみても、いまいち自分の心が動かない。“何か”がみつからないまま2年が経ち、読み終えたビジネス関連の本は合計200冊にもなっていました。

そのころの私はお金も時間もなかったので、お弁当代わりに食材を持って行き、店の休憩室の電子レンジのみで料理をしていたんです。それがみんなに「面白い」とウケていたので、そのレシピをブログで発信してみようかなとふと思い立ちました。匿名で開設した個人ブログでしたが、そのブログがきっかけとなり、ほどなくして注目され、テレビ出演から出版へとうまい具合に動き出したのです。決して料理研究家を目指してアルバイトを始めたわけではなかったのですが、KALDIでの出来事や出会いが今に大きく影響しているのは確かです。

ブログをきっかけに、人生が大きく動き始める
自分の“何か”は、絵ではなく、料理だった

—— 開設から半年足らずで超人気ブログになったそうですが、その秘策はありますか?

ブログを始めたのは2006年1月1日。KALDIで働きはじめて4年目になる頃でした。逆にいうとそれまでの3年間は、自分に何ができるのかがわからず、ずっと模索していた時期になります。その間にビジネス書をたくさん読んだおかげで、ブログスタートからの展開は非常に早く進んだと思います。

例えば、ブログをスタートさせる前の1カ月はコンセプト決めとネタづくりに費やしました。そして「3ステップ」という簡単な手順で「世界の料理」レシピを紹介するというコンセプトに決定。プロフィールには「某輸入食材店勤務」とだけ公開し、なぜ世界の料理なのかという裏付けとなるようにしました。

また、読者の人気を得るための作戦として、下記のような投稿の際の自分ルールを決めました。

・最低でも半年間は毎日更新する

・投稿内容はコンセプトに沿ったレシピのみ

・へぇ〜と思う専門的なこと、なぜそうなのかの理由も入れる

・読みやすく、伝わりやすい言葉で書く

ただやみくもに発信するのではなく、伝える相手をイメージして期待に沿った発信をすることが大切なんです。更新頻度が高いこと、もしくは曜日や時間を決めた定期更新などもルーティンで読んでもらえる秘策ですね。こうして、最初にきっちりと戦略を練ってコンセプトを整理しておいたおかげで、たくさんのアクセスがある人気ブログになりました。

—— ブレイクのきっかけはなんだったのでしょうか?

2006年5月に有名ポータルサイトで私のブログが紹介されたことですね。開設して半年足らずの時期でした。「たった一畳半のキッチンで、世界中の料理が3ステップで完成。使うのは一口コンロ、電子レンジ、オーブントースターだけ」といったことが当時は斬新で注目を浴びました。

その年の11月にはテレビ番組に出演。料理ブロガー同士の料理対決で優勝しました。その後、出版のオファーは3社からいただいて、2007年6月にブログを書籍化した「ヤミーさんの3STEP COOKING」(主婦の友生活シリーズ)が発売になりました。その3カ月後には10万部を超えるベストセラーに。おうちごはんを変えた「エポック料理本」として雑誌や各局の朝の情報番組で紹介され、類似書籍が多数出版されたり、料理雑誌で「3ステップ」が流行したりしました。

この時、私は30歳。前の会社を辞める時、30歳までになんとかならなかったら実家に帰ると母と約束していたんです。ギリギリでクリアできたわけです(笑)

—— この時点で、アーティスト志望から料理研究家へと心の切り替えはできていたのですか?

まだしばらくは、フリーランスのデザイナーやイラストレーターなどクリエイティブ関連の道も探っていました。美大を出ているので、芸術家への道が一番自然な流れだったのです。でも、どんなにもがいてもその道は開けることがありませんでした。そして芸術家への道を手放した時、本当の自分が見えてきました。

職業にするつもりはなかったけれど、食に対する興味は昔からありました。それで、好きだった輸入食材店のKALDIに入ったわけですし、それを機に料理という道が開けて、自分は料理が好きなのだとあらためて気がつきました。料理ブログをスタートさせてから12年。今も飽きずに続けられています。これって、結局のところ、天職は“料理”だったということですよね。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

ホームがあるからこそ、肩の力を抜いて自分らしく自由に飛び立てる

—— 料理の仕事が本格化してきて、意識や生活に変化はありましたか?

当時も今も、料理研究家としてなんとしても成功するぞといった強いこだわりはないんです。ただ楽しいと思うことやへぇ〜って思うことをみんなに共有したい。そういう気持ちでずっと取り組んでいます。

例えば、1冊目の書籍の撮影の時、ベテランスタッフさんたちが効率よく繰り出す技の数々に感動したんです。ベーグルを横にまっすぐスライスする方法だとか、しなしなになったハーブを復活させる技だとか、ほんのちょっとしたコツなのですが当時の私は知らないことばかりでした。最初の一年間は自分が実験を重ねてつくったレシピでしたが、そのあとは仕事を通して吸収したことや楽しいと思ったことを共有できるレシピに変化していきました。

生活の面での変化は、休みがなくなったことです(笑)。KALDIの仕事を続けながら、年に4〜5冊のペースで本が出ていました。最初のレシピ本が出てから6年間くらいは休みらしい休みをとれなかったですね。2010年にはフジテレビの朝の情報番組でのレギュラーコーナーも始まりました。ずっと顔を出さずに活動してきたので当初は出演を悩みましたが、KALDIの上司から「そんなチャンスが巡ってくるひとは世の中にどれだけいると思う? ダメだったらここに戻ってくればいい」と、強く後押しをしてもらいました。

—— 生放送のレギュラーコーナーとは、大変だったのでは?

趣味の延長線上にあって楽しいといった気分でのぞんでいましたね。というのも、私はテレビ無し生活を20年も続けていて画面に映る自分の姿をみることがなく、テレビに出ているという意識がなかったのです。生放送というだけあって裏方のフードコーディネーターさんはできる人ばかり。本当に学ばせてもらいました。なんといっても生放送はハプニングが付き物。火傷をしたり、メガネが壊れたりなどもありましたが、その場でネタとして笑いに変換してもらって乗り切りました。

そういう臨機応変な対処はKALDIで日々培ってきた接客スキルや、最初の会社でのハードワークのスキルが役に立っていたかなと思います。これまでにやってきたことは何ひとつとして無駄になっていないなと。その時は大変でも次に生きるというか、その場の損得で物事は計れないものです。失敗も楽しめれば失敗じゃなく終わるし。特に私の場合は、失敗しても自分を受け止めて認めてくれるKALDIの仲間がいた安心感が大きかったかもしれません。

その生放送のレギュラーコーナーは3年続いて、2013年3月で終了しました。それまで慌ただしく休みなく仕事をしていたのですが、やっと落ち着いてゆっくり考える時間ができた時、この料理の仕事を続けていきたいと再認識しました。そしてKALDIのアルバイトを辞め、ブロガーという肩書きをはずし、料理研究家としての覚悟を固めたのです。

—— 完全なるフリーランスになって、まずしたことはなんですか?

KALDIとのダブルワークのころは、相当な数の仕事をお断りしていたので、フリーランスになって、いただける仕事は全部受けることにしました。

これは独立前の話なのですが、初めての雑誌の仕事で、当時発信していなかった「お弁当」のレシピの依頼がありました。自分にできるのかなと思いましたが、先方から「ヤミーさんが作るお弁当に興味があるんです」と言われて、あぁそっか、それでいいんだ、と思ったのです。一見、自分にできるとは思えなかった仕事でも、先方は私ならできるとイメージしてオファーをくれているわけですし、やってみたら思いがけなくいい結果になって道が開けることもある。自分の枠を決めずに取り組むことで仕事が続いていきました。だから「自分らしさ」を見失わないことは気をつけています。例えば、鍋レシピの依頼の場合には、フランス風といったように外国のテイストを入れるなど、私への依頼はブログをみてある程度のイメージ(期待)を持って依頼されるケースがほとんどですのでイメージを裏切らない仕上げにすることが依頼者の期待にこたえることになると思っています。

—— フリーランスの苦しさはどんなどころでしょうか?

自己管理の難しさですね。何時に家を出て、などの制約がない日々を送ると、つい時間の使い方がルーズになってしまうんです。今までは会社に行って働いていたので、この隙間時間に試作をして、などと考えながらスケジュールを立てていましたが、完全フリーになると、そのころよりも無駄な時間の使い方をしてしまう。こうした制約が嫌だからフリーになる人もいると思いますが、私の場合は、制約がないとダメでした。KALDIという自分の居場所をなくした不安もあり、何かが必要だと思いました。そこで、まず自分を律するために、毎日朝ごはんをブログにアップすることに決めました。読者の反響を励みに続けて2年になります。また、料理研究家は立派なものを食べているように思われがちなので、あえて飾り気のない普段ごはんを公開して親しみを感じてもらおうとの意図も含んでいます。

そして、自分のホームとして2017年に料理教室「ヤミーズクッキングスタジオ」をスタートさせました。現在は月に18クラスが稼働しており、主婦の方はもちろん、食関係のプロや研究者、料理講師を目指しているひとも通ってくれています。今はこの料理教室が私の心の拠り所です。当初は私に料理教室が務まるだろうかと不安でしたが、はじめてみると何よりも生徒さんとの交流が楽しいのです。思えばKALDIでの接客も、ブログでの反響も、「誰かが喜んでくれる」という関わりがモチベーションになっていたのだと思います。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

「好きなこと」と「仕事にできること」は違う

—— ズバリ、好きなことで成功するためのポイントはなんでしょう?

自分が楽しいと思っていることに人を巻き込めるかどうか、自分が言ったことに対して「それ面白い!」と目を輝かせてくれる人がいるかどうかだと思います。それは、楽しさを表現する力があるかどうか、言葉で伝える力があるかどうかなんです。それができれば評価もされる。また、それによって他の人が喜んでくれたり、感動してくれたりすることを、自分も嬉しいと思えるかどうか。そう思えるならば、それはやるべき仕事だと思います。

そして寝る間も惜しんで真剣に取り組めれば、その道は1年で何かしらが動きはじめると思います。しかし、何年やってもダメな時や、黙々と自分の世界で楽しみたいと思うようなことであれば、それは「趣味」であり、もしかしたら仕事にするべきことではないのかもしれません。私が好きで得意だと思っていた絵やアートの分野で、仕事への道が開けなかったように。「頭で好きだと思うこと」と「心が動く好きなこと」は違うことのような気がしています。

取材・文:タナカ トウコ 撮影: 刑部 友康
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