「マネジメントって?」何も知らなかった彼が今、リーダーとして目指す組織のあり方

電気・水道CADなどの事業を中心に展開する株式会社プラスバイプラス。代表取締役社長の室田茂樹は、社長就任以来、6期連続の増収増益を記録しています 。しかし、室田が目指しているのは業績向上ではありません。室田が目指す組織の姿を、これまでの軌跡とともに語ります。

※本記事は、「PR Table」より転載・改編したものです。

とにかく目立ちたかった学生時代

▲プラスバイプラス創業直前、29歳の室田と創業社長

私たちプラスバイプラスは電気・水道・空調・ガスなど、設備工事業の方々に向け、業務効率の向上を促進するCADソフト「plusCAD」の販売と、人材育成に関するコンサルティングを行なっています。

こんなことを言うと、あまりイメージが良くないかもしれませんが、私自身は建設業界での経験があるとか、もともと建設業界を盛り上げたいという動機は持ち合わせていなかったんです。

でも、私たちがここまで成長できたのは、設備業のお客様があってのことです。本当に成長させていただいたという想いが強いからこそ、設備業界に少しでも恩返しをしたいというのが、私が建設業にこだわって経営している理由です。

そもそも、私がこの業界に飛び込んだのは26歳のとき。シュッとしたビジネスマンになりたいと思って就職活動していると、「君もITの営業マンにならないか」 というキャッチコピーをたまたま見つけました。そのとき、「なんとなくかっこいいイメージの業界の営業マンになれる!目立てそう!」と思ったんです。

というのも、過去の私の軸はいかに目立てるかだったんです。

高校生のときは、特に目立たない真面目な少年だったんですけど、大学入学を控えたある日「目立ったほうが稼げるし、モテるし得だ!」とひらめいてしまって。

そこからはとにかく目立つことをしていました。毎年1000人の新入生が加入するイベントサークルの代表をしたり、ダンスパーティで800人を集めたり、時代もありますが派手なことをしていました。

全く覚えていませんが、そのころから「社長になる」と言っていたみたいです。その後、大学を休学して、芸人目指して上京して、夢破れて関西に戻って、中退して、そして入社したのが前職のCAD販売会社でした。

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「PDCAってなに?」といっていた自分が経営者を志した原点

▲2年半で2店舗展開した「陳麻家」の売り上げは好調

その会社では、営業部に配属されたのですが、新人に対してあまり干渉しない部署でした。そうした考え方もあるとは思いますが、「結果を残しても認めてもらえない」と、当時の自分は感じていたんです。目立って、チヤホヤされたいと思っていた自分にとっては、正直楽しくない、くすぶった日々を送っていました。

働き始めて3年目の2000年に当時の常務に「独立するからついて来ないか」と声をかけられました。

当時、常務とは距離が近いわけではなかったので、どうして俺が?という印象でした。でも、新しいことができるなら何でもよかったのかもしれません…すぐに退職を決意しました。それで独立して立ち上げたのが今のプラスバイプラスです。

この業界のお客様は特にソフトの操作に対して手厚くサポートする必要があり、参入障壁は高く、大手や他社が入りにくい市場だと考えました。また、競合のほとんどが開発専門の会社で、自分たちのような泥臭い営業をやっている会社はほとんどありませんでした。

それに加えて自分たちなら売れるという根拠のない自信が加わり、設備業専用CADは売れると確信していました。なので、それを主軸にすることは決まっていましたが、販売するソフトがない状態でした。ソフト探しに奔走する中で、今のOEM委託先の会社と出会いました。駆け出しの会社を信じてソフトを販売させてくださって、本当に感謝しています。

そんな良いソフトを抱えつつも、半年くらいは売り上げが厳しい状況が続きました。当時の社長が3カ月間、社長自身の給料をカットしていたことは忘れられません。その後、広い販路を持っている建材屋さんに助けてもらい、一気に売り上げが伸びて会社が軌道に乗っていきました。

2007年のこと。 創業者が「飲食店をやりたい」と言い出したので、「陳麻家」のフランチャイズをスタートして、私はその事業部長兼店長を任されました。

今振り返ると、そこが私の経営者としての原点だったと思います。当時の社長からその話を受けたときは強烈に「このままじゃあかん。絶対経営者にはなれへん」って思ったんです。

それまでは、経営の勉強もしたことなかったですし、「マネジメントって何?」「PDCAって何?」って。

本当にそんな状態だったんですよ。人と接するのだけはずば抜けて得意だったんですけど、本当にそれだけでした。楽しい友達みたいな人と働けて、給料もそこそこもらって、でもこんなんじゃだめだって心の底では気づいていたんですけど、目をそらしてたんですよね。

その気持ちに事業部長の話がきたときに、思いっきり向き合わされました。

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突然訪れた会社の危機、それでも自分は立ち上がった

▲M&A直後の全体会議、旧本社での様子。全体での四半期会議は創業以来今も続く大事なイベント

それで、とにかく焦って、勉強しなきゃ!と思っていたときに、当時の社長に紹介されたのが田坂広志氏の「未来を拓く君たちへ」でした。

その本の一節に「成功は約束されないけど、成長は約束されている」という言葉があって、それで「チャレンジして、学び続けていたら成長できるんや!」って強く思ったんです。

そこからいろんなチャレンジや、学びやトレーニングをするごとに心が豊かになっていくんですよ。前の自分はすごく短気で、すぐに「最悪や」「ムカつく」って言っていたんですけど、今は言わなくなったり…。

この出来事で、「人の変化成長」が自分にとって一番重要で、最も関心があることになりました。

しかし設立9年目の2008年。CADソフト事業も飲食事業も順調な中、 私にとって大きな転換点となる出来事が起こったんです。

当時の社長が突然、今の親会社である株式会社ビーイングとのM&Aを決めて、私たちはビーイングの傘下に入りました。当時、私はナンバー2的なポジションでしたので、私にだけ直前に教えてくれましたが、ほかのスタッフにとっては晴天のへきれきだったと思います。すぐに親会社から新社長が出向で来ました。

M&Aの経緯や理由を知らされていなかった私たちは、親会社に敵対意識を持っていて、これからどうなっていくのかという不安でいっぱいでした。不安そうなスタッフたちの顔を見ていると「みんなを守れるのは俺だけや」という気持ちが湧いてきたんです。

とはいえ、 それと同時に出向で来る新社長もひとりで乗り込んで来るのは不安なんじゃないか…とふと思ったんです。

そこで私はプラスバイプラスの良さを残しつつ、新社長がやりたいことをサポートできるように、彼としっかり会話し、スタッフから不満がでてきたら火消しにまわるという動きをしていました。そういった姿勢が評価されたのか、社長は1年ほどで親会社に戻り、私が社長に任命されました。

これからは建設業界の社長にも頼りにされる会社を目指していく

▲見た目はイケてる今風の会社、中身は義理人情を大切にする昭和な会社であり続けたい

私がこれからも一番興味があるのはプラスバイプラスのメンバー全員の変化成長です。

メンバーには今よりももっと柔軟に変化を楽しんでほしい。私は変化に自ら飛び込んでいくことで、成長をしていきました。自分がなりたい自分に近づくたびに心が豊かになっていく感覚を得ました。メンバーにもそういった感覚を味わってほしいと思っています。

そしてプラスバイプラスを今後さらに愛を持って周りの人を大切にし、メンバー全員が成長できる組織にしていきたいです。そのために、メンバー自身がひとりでは何もできないことを理解し、周りに感謝する。そういう企業であれば、自ずと建設業界の社長に頼りにされる会社になっていくのではないかと思っています。

最近は、建設業界のお客様に鍛えていただいたメンバーが自身の得意分野で、お客様の課題を解決するような動きが増えてきたように感じます。

例えば、社長の問題解決を促すコンサルティングや販促グッズなどのデザインのサービスを新たに提供するようになりました。これからも採用、育成、マネジメント、経理会計、組織改善、社長の役割、などを建設業界に特化したコンテンツとして提供していきたいと考えています。

プラスバイプラスで変化成長し自立したメンバーがもっと新しい事業を生み出してほしい。それが社会から確かに求められるものであればいいと思っています。

会社説明会では語られない“ストーリー“が集まる場所「PR Table

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