28歳、マネジメント未経験なのに日本拠点代表に。チャンスを作り出すために必要な2つの信念

「売り上げを創る」マーケティングを実現し、BtoB企業における営業プロセス改革を支援するマーケットワン・ジャパン。2006年10月、アメリカのマーケットワンの日本拠点として創業以来、トップとしてビジネスを推進する代表山田理英子の足跡をたどります。

※本記事は、「PR Table」より転載・改編したものです。

好奇心からの渡米。ビザが切れる直前に運命の仕事と出会う

 

「一度、外国に住んでみたかった」マーケットワン・ジャパン代表の山田理英子が大学卒業後に渡米した理由。

行くからには実績を残したいと考えた山田は、ひとつの達成条件を自らに課しました。それは、Graduate School(大学院)に入学し学位をとり、その後1年間現地で働くこと。1年間アメリカで仕事をした実績を持ち帰り、日本で就職活動をするという計画です。

しかし、山田が大学院を卒業したのは2002年夏。そう、前年の同時多発テロ後のアメリカは不況で時代的に就職難。ビジネス経験がないことに加え、言語や就労ビザのハンディがあります。相当何かに秀でた理由がないと採用される要因はない。

企業へ送ったレジュメは50通では済まない。もちろん当時の留学生もみんな同じ状況。そこで山田は、より戦略的に活動を展開します。

山田「つまり、自分には雇ってもらう価値があると認められたかったんです。ゴールが“採用”の獲得に変わっていくなかで、だんだん現実が見えてくると、『自分の強みは何か』に考えがシフトしていきました。それはもちろん、日本もしくはアジアに関連する特性をとことん活かすこと。希望はいろいろとありましたが、まずは働くという経験を持たない限り何ごとも進まないと」

そして、とうとうチャンスをものにします。マーケットワンが日本向けのテレサービス開始にあたり、日本人のメンバーを募集したのです。ビザが切れるまであと数カ月という2003年3月、タイミング的に滑り込みでの就職。しかし、この大不況のアメリカで、同期の留学生の中で就職できたのは、実は山田たったひとりだったのです。

仕事漬けだった3年半。切り拓き続けた結果、日本代表に就任

 

ボストンにあるマーケットワンでの山田の始業時間は、日本時間に合わせて毎日17時。最初の業務は、日本企業の部長クラスに飛び込み電話をかけ、アポイントや情報を取得する仕事でした。

山田「ノウハウは、やりながら身につけました。試行錯誤でしたね。自分には営業やセールスの経験がなかったので、ビハインドスタートだった半面、逆に先入観なくがむしゃらに進むことができました」

その後、自身の仕事が軌道に乗り、メンバーが増えるなかでリーダー的役割を担うようになりました。一方、日本市場向けビジネスも少しずつ成長し、半年で数社獲得。しかし、ボストン郊外、かつ深夜にわたる仕事となると、コミット力のある新しいスタッフを見つけ、育てることは容易ではありませんでした。

結果、仕事はパンク状態。17時からの業務は、翌朝の28時ごろまで仕事をしないと回らない日々。「ボストンにいたまま、サービスのクオリティを維持できない。そして、日本でこのサービスは通用する」と判断した当時のCEOは、日本に拠点開設を決定。そして2006年10月、山田はマーケットワン・ジャパンの“代表”という役職を預かり、帰国します。

山田「実は長いキャリアを持っているほかの日本人もいましたが、代表のオファーを受けたのは、オフィスの立ち上げも営業チームをつくったこともなく、ビジネスのマネジメント経験もない28歳の私だったんです。経営者として勇気のある判断ですよね。実績ではなく可能性をみたということでしょうか。私が同じ立場になったときには、そういう機会を与えることができる人でありたいと思いました。これは私の人生の、確実に大きな転機になったのですから」

帰国したのは、マーケットワンで働き始めて3年半がたったころ。「卒業後1年で就業経験を持って帰国」という当初のプランからは後れをとりましたが、新しい日本法人の代表という立場を持って、アメリカ生活に終止符を打つことになりました。

“外資だからすべて欧米スタイル”ではない。和魂洋才の新しい形へ

 

現在、世界8カ所に拠点を置くマーケットワンにおいて、日本は第3の、かつ英語圏以外では初めての拠点でした。アメリカ本社は営業的なサポートはできても、日本独自の設立ノウハウはなく、人材採用、日本市場に合わせた拡販計画などは、すべてローカルで主導をとることになりました。

もちろん日本国内でも営業拡大が急務。やるべき課題は多く、とにかく山田はこの12年間をがむしゃらに走り続けてきました。新しい手法を積極的に取り入れ、新たなアイデア、新たな戦略のもと新しいサービスを発信し、あらゆるクライアントの課題を解決。結果、従業員数も十倍以上の50名に拡大し、劇的な成長を続けてきました。しかし、山田は過去を振り返りながら反省します。

山田「サービスの強化は勢いよく進めていたものの、人事などの組織づくりはおざなりになっていました…」

その過失は明確に数字に現れてしまいます。2017年に初めて実施したエンゲージメント(従業員満足度)調査で、極めて低い数字を叩き出してしまうのです。

山田「頭をガーンと打たれたような気持ちで。1週間、社員と口が聞けなかった。12年間、日本のトップとしてやってきたけど、私は何をしてきたのか…とすべてが否定された気持ちでした」

危機を感じた山田は、考えも行動も大きく変化させようと決意します。2017年は1年間かけて自身のマネジメントとしての行動を変えることを徹底し、人事制度の見直しに奔走しました。

がむしゃらに事業へコミットし、従業員の本音とも向き合い、組織改善にも努めてきた山田。そんな山田には、昔から信念として大切にしてきたことが、ふたつあります。

山田「ひとつは、“ロールアップスリーブ”。ひと肌脱いでという意味で、どのジョブレベルにいる人も強く持っているメンタリティです。まず自分が動いてみる、転んでもいいから走ってみよう!という強く前向きな挑戦です。
そして、もうひとつはロールアップスリーブ精神があるからこそ根付いている社員間の“リスペクト”。アメリカのマーケットワンという会社には年齢が離れていても階層に関わらずお互い非常にリスペクトがあります。入社して間もなかった私にも、CEO自身がリスペクトの態度で接してくれました」

そのうえでマーケットワン・ジャパンは “和魂洋才”を目指しています。日本人ならではの緻密さ、真面目さ、そして、ピンチのときの結束力…。人と人をつないだとき日本人は強くなります。欧米には上下を超えた人間関係や、オープンさと発想力、実行スピード、という強みがある。日本、そして欧米双方の強みをつなげていきたいのです。

若い人にチャンスを。自分が20代半ばで代表の座を得たように

 

事業、そして組織として成長を続けてきたマーケットワン・ジャパンですが、まだまだ満足などしていません。次に成すことは、人材育成の仕組みやキャリアパスをつくることです。

山田「大事にしたいのは、“個人のポテンシャルをみて、チャンスを与える”こと。チャンスをもらえたからこそ、日本での事業も私自身も飛躍的に伸びたと思います。ただし、経営者にとっては非常に難しく勇気のいる判断だとも思います。
だから、会社としての仕組みもつくらなければいけない。そのうえで機会も与える。社員一人ひとりも、先をみて意欲を持っていてほしい。機会が与えられるのを待つだけでなく、機会を獲りにくる、自ら創る。そんなインタラクティブな風土が生まれる組織をつくりたいです」

自分自身がチャンスを与えられ、人生にとってもキャリアにとっても大きな転機になったから。そしてマーケットワン・ジャパンもアメリカ本社から自治権のある運営というチャンスを与えられているから。サービスの幅もレベルも、自分たちでどんどん変えていける。それがマーケットワン・ジャパン。

山田「会社の次、その次を考えて事業を広げ、新しい人材や可能性のある人材を引き上げていくのが私たちの役目です。だからこそ社員にもそれを目指して、勝ち取ってほしい。そんなスピリットを持ってほしい」

そんな代表の熱いスピリットで日本企業のグローバル展開を支える、世界で勝てる企業として支える原動力になりたい。それがマーケットワン・ジャパンの想いです。

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