就活に出遅れ、2度のリストラ経験する―そこから「自分で選択する」キャリアを掴むまで

キャリアチェンジには、自らの希望によるものもあれば、そうでない場合もあります。今回お話をうかがった瀬田川史典さんは、20代にして勤務先の業績悪化に伴い2度のリストラを経験。予期せぬ理由により転職を繰り返しながらも、自らの気持ちに耳を傾け、難関資格を取得するなどの行動により、現在のキャリアを切り拓いてきました。全2回の記事の第1回は、瀬田川さんのキャリアの変遷を追います。

社会起業大学 事業統括 瀬田川 史典(せたがわ ふみのり)氏

中小企業診断士 キャリアコンサルタント。生涯学習開発財団認定 キャリア診断士。塾講師、教育系ベンチャー企業、IT人材育成企業を経て、P.F.ドラッカー氏が終身名誉顧問を務めるグローバル人材育成プロバイダーに参画し営業・サービス戦略立案に従事。過去2社において会社が傾き2度のリストラを目の当たりにする。
その中で、「これからの時代は、一人ひとりが自らのキャリア形成に責任を持ち、会社に依存せず自立的に生きていく時代になり、誰もが起業家的に生きることが求められる」と考えるに至り、社会起業大学に参画。事業統括として、スクール運営全般に従事。授業および個別キャリアカウンセリングを担当。

就活に熱心な同級生に“引いて”しまった大学時代

――瀬田川さんは、最初の就職先をどのように選ばれたのでしょうか?

実は大学生の時、私は就職活動をまったくしなかったんです。当時の私は大学よりもむしろ塾講師のアルバイトに力を入れていたこともあり、久しぶりに大学に顔を出すと、既にまわりの同級生が就活をはじめていました。完全に出遅れましたね。

でも、だからといって慌てて就活をする気も起きず、そのまま卒業してしまいました。当時、周りのみんなが髪の色を黒く染め、リクルートスーツを着ているのを目の当たりにして、それまでとすっかり変わってしまったことに若干引いてしまったところもあったかもしれません。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

「実務経験ゼロ」の壁を突破した就職先で、予期せぬリストラに

――そこから、どのように就職先をみつけたのでしょう。

ひとまず塾のバイトを続けながら過ごしていて、転職サイトにも登録したのですが、条件が「実務経験3年以上」のものばかりで、なかなかスムーズに就職先は見つかりません。それでも、ある会社を通じて就職先を紹介してもらうことができ、教育系のベンチャーに就職することになりました。会社の規模としては20人くらいだったと思います。

当時は「Eラーニング」というパソコンをベースにした学習がちょうど世の中に認知されはじめていて、「内定者フォロー」といった取り組みも増えていた時期です。私が入った会社では、新入社員同士がコミュニケーションできる電子掲示板や、ワードやエクセルなどを学べるシステムを作り販売していました。

私は自社のコンテンツの販売先を新規開拓する営業担当になったので、テレアポや飛び込み営業も、業種関係なくいろいろな会社にアプローチしていましたね。

――当時を振り返って印象に残っていることはありますか?

社員が少ないベンチャーなので、当然ながら忙しかったですし、社長もとても厳しかった。どうも、私は生意気だと思われていたようで、社長から毎日のように怒られていたんです。「君は何も意見を言わない方がいい」とまで言われていました(笑)。

今思えば、私に対する期待があってのことだったのかもしれませんが、結局その答えを知ることもなく、私はその会社を辞めました。2年半ほど勤めた頃に会社の経営が厳しくなり、早期退職になったんです。

当時はリーマンショックで世の中が騒がれていた頃だったのですが、その打撃をモロに受けました。やはり教育費は最初に削られるものなので、売上が目に見えて落ち込んでいましたね。

――その時点で次の仕事は何か考えていたのですか?

いえ。次のことはまったく決まっていない状態で辞めたので、「どうしたらいいんだろう」という感じです。それで、すぐに就活をして、いくつかの会社の採用面接を受けました。そうして入社したのが、IT系の人材育成企業でした。

そこはIT系エンジニアのトレーニングをしている会社で、私はやはり営業として入社しました。会社の規模は100人を超えていたので、教育業界としては大きな方だと思います。

入社日には、「オフィスが広い」とびっくりしました。売上の規模も前の会社よりも大きく、前の会社では飛び込み営業ばかりをやっていたのに、お客様の会社に呼ばれて経営陣にプレゼンするような営業スタイルに変わりましたね。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

「わからん……」と押し黙る顧客を納得させ大型受注を達成

――でも、金額の大きな取引になると成約させるのも難しそうですね。

そうですね。当時のことで印象に残っているのは、新規の営業先に行って新人研修を提案したときのことです。部屋で待っていると、人事担当者の人が出てきたんです。その人がすごく怖い雰囲気で(笑)。

私から商品の説明をすると、「わからんわ……」としか言わないんです。いくら繰り返し説明しても、「この商品でどうやったら社員が育つのかがわからん」と繰り返されてしまって。その日は最後まで納得してもらえませんでした。

それでも「チャンスをください」と言って食い下がると、その後何度かお話する機会をいただき、最後にはご納得をいただくことができたんです。それが何千万円規模の受注につながりました。

しかも、その会社が学生向けの就活雑誌に「人材育成に力を入れている企業」の1位になりました。もちろん、私たちの名前が出ていたわけではありませんが、その会社の新人研修やOJTトレーニングなどは私たちが提供していたものなので、自分の仕事の成果のように嬉しかったですね。

転職先で2度目のリストラを受け、難関資格取得を目指す

――なるほど。そうした中、再び転職されていますが、他にやりたいことが見つかったのでしょうか?

いえ、実は2社目でもリストラがあったんです。入社して1年くらいの頃でした。まだリーマンショックの影響が続いていたところにインフルエンザの流行が重なって、研修業界が全体的に落ち込んでしまって……。

私のいた会社も、事業再生の一環として社員数を3分の2に減らすことになり、先輩や上司も一気にいなくなってしまいました。私自身はまだ会社には残されていたのですが、その後、経営者が変わり事業再生させていく過程の中で、新たなグループ会社に移ることになったんです。

ですから、転職とは言いつつも、仕事は同じく営業を続けることになりました。ただ、それまで扱っていたITをメインとした社員教育から、マネジメントやヒューマンスキル寄りに変わった感じですね。

――その頃に中小企業診断士の試験を受けられたとのことですが、これはどういう理由だったのでしょう?

やはり2回のリストラを経験しましたから、「自分の力でキャリアを作りたい」と思ったんです。あとは、多少の学歴コンプレックスもあったので資格を取れば解消できるかもという気持ちがありました。それで、最初は法人向けのコンサルティングをすることを意識して中小企業診断士の取得を目指したんです。

さらに、今後は「個人の時代」になるとも思っていたので、中小企業診断士を取得した翌年には「キャリアデベロップメントアドバイザー」(CDA)という、今は国家資格のキャリアコンサルタントに統合されたキャリアカウンセラーの実務家向けの資格も取りました

――仕事と勉強の両立は大変ではなかったですか?

中小企業診断士は一般的に1000時間の勉強が必要だとされており、確かに大変でした。毎週資格学校に通って、平日は帰宅後に2時間、土日は各5時間の勉強をしていましたね。当時は必死で、本当に遊ぶ時間はなかったです。

「自分のやりたいこと」を考えていたら、次の仕事に導かれる

――資格を取ってからは独立に向けて動き始めたんですか?

いえ。当時は会社でもいろいろな改革をしていて、新たに立ち上がった部署の仕事も任されるようになったので、学んだことを会社の仕事に活かしたいと思っていました。ただ、忙しくなりすぎて体調を崩してしまったんですよね……。

それで、あらためて働き方を見直すことにしました。そのため年末にひとりきりで温泉宿にこもり将来について考えていて、思い至ったのは「自分がやりたいのは、個人の成長を応援すること」というものだったんです。

それで、キャリアコンサルタントなどの資格を活かして個人に寄り添った仕事をしたいと思ったのですが、具体的に何をすればいいのか思いつきません。そんなときに声がかかったのが、私が今働いている社会起業大学だったんです。

もともと社会起業大学の人とは個人的につながりがあったのですが、その人から何年ぶりかの電話をもらったんです。そこで、「うちに来ない?」と言われました。ちょうど仕事について悩んでいたときだったので、すごいタイミングですよね(笑)。

社会起業大学はビジネススクールですし、私がオファーされたのは事業総括という立場だったので、「自分にできるのか?」というプレッシャーも感じましたが、教育業界で長く仕事をしてきた自負もありましたし、資格を取ったことも自信になっていましたから、「とにかくやってみよう」と、転職を決意しました。

文・小林 義崇 写真・刑部友康

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