電通マンが公務員になって気づいた「共通する仕事観」とは?

地方の広告代理店から東京の大手広告代理店、電通へと転職したのち、Uターンして地方公務員になった荻田聖久さん。異色のキャリアチェンジを経て、荻田さんが考える仕事とは、これまで培ったスキルの生かし方をお伺いしました。

荻田 聖久さん

静岡県富士市生まれ。信州大学繊維学部感性工学科卒業。長野県と東京の広告代理店で8年間にわたる民間企業勤めを経て、2013年富士市役所に入庁。現在は富士山・観光課に所属し、富士山麓地域の光るモノゴトヒトを多くの人に観てもらうべく、公務にあたる傍ら、市内まちづくり団体の企画アドバイザーや、まちおこしイベントを開催するなど、公私ともに富士市の振興に携わっている。
富士市役所
富士山登山ルート3776(#ROUTE3776)

長野県の広告代理店から、東京の電通へ

——どうして広告代理店に就職したのですか

そもそもは服飾デザインをやりたくて、繊維学部のある信州大学に入学しました。専攻した感性工学は、人の心を知ってプロダクトデザインに反映させるといった学問です。例えば、人が服を着た時に素材によってどのような感覚を得るかといったことをモノづくりに生かすわけです。いわゆるマーケットインのモノづくりですね。

しかし、いいモノをつくってもそのよさが伝わらなければ売れません。しだいに「どうやったらよさを伝えられるか」、「どうやったら人の心が動くのか」ということに興味が移っていきました。ゼミの担当教授が広告代理店の元社長という経歴だったので、広告プロモーションや、キャッチコピーのつくり方、キャンペーンの組み立て方などを学ぶことができました。そして長野県の広告代理店に就職するに至りました。

——その後、電通へ転職していますね

長野の広告代理店では、長野県全体の大きなプロモーションの仕事から、地元新聞の小さな葬儀欄までさまざまな仕事を2年間経験しました。いずれも売るべきモノゴトヒトの距離がとても近く、まさに地域密着型でした。

転機となったのは、長野県のサッカークラブ「AC長野パルセイロ」の仕事です。当時はまだ北信越の地域リーグ所属でしたが、Jリーグ入りを本格的に目指すことになり、ユニフォームの胸広告のスポンサー獲得や試合の運営などに携わりました。当然、潤沢な予算はなく、自分たちが持っているリソースでなんとかするしかありません。頭を使い、自分の手を動かして形にするという毎日で、僕がスタジアムDJをやったりもしました(笑)。

おかげさまで広告スポンサーも得て、地元のサポーター組織も徐々に拡大。地域を巻き込むスポーツビジネスの面白さにハマり、もっと広い視野でこの仕事をしたいと考えるようになりました。そんな折、東京の大手広告代理店である電通で「サッカービジネスの経験がある人材を求めている」と知り、転職しました。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

激務の中で先輩たちから学んだ、プロの仕事術と心意気

——電通ではどんな仕事をしていましたか

電通では営業局に配属となり、主にアジア圏のサッカーに関する権利を持つスポンサーを担当しました。ミッションを実現するために、スポンサーだけでなく、電通社内の関係セクション、日本サッカー協会やJリーグなどのライツホルダー、全国のサッカー競技場などへも足繁く通い、各担当者との人間関係の構築から行いました。長野時代はあまり出張がなかったのでそれだけでも楽しかったし、日本サッカーの最前線で、一流の人たちと一緒に仕事ができることは本当に刺激になりました。若干クセが強い人もいましたが(笑)、心から尊敬できる人ばかりでしたね。各所で輝く人たちと一緒のチームで仕事ができたことはまるで宝探しのようでした。

大手での営業職は「分業」だと聞いていましたが、実際は違いましたね。営業はプロジェクト全体を統括する役目がありますから、全体を知っておく必要があります。案件の大小に関わらず、チームメンバーの状況、個々の性格や想いまでを把握するように心がけました。電通のビジネスは細やかなコミュニケーションが肝というか。クライアントの想いを汲むだけでなく、チームみんなの想いを取りまとめて調整するチームビルディングも一つのプロダクト。このあたりは大学で学んだ感性工学にもつながっています。

長野時代と同じく、電通でもクライアントとの近さを感じました。社員一人ひとりから広告業やクライアントへの愛がにじみ出ていたことは衝撃を受けるほど。激務と言えば激務でしたが、プロの仕事とはこういうものだと、語らずとも教えてくださるよき先輩や仲間たちにも恵まれて、自分自身が大きく成長できたと思っています。

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電通マンから公務員へ。毎日ワクワクが止まらない

——そこから一転。富士市の公務員になったのは何がきっかけですか?

仕事で調べ物をしている時に、たまたま地元である富士市のウェブサイトで中途採用の情報を目にしたのがきっかけです。年齢制限は30歳で、当時僕は29歳。結婚、子育て、マイホーム購入など、将来を考えるとこのまま東京で生活をすることに漠然した不安がありました。そこでこの募集を見たときは、「公務員なら地元で安定した生活が送れるのではないか」と今考えると本当に甘ったれた考えで応募しました。

一次試験を通過したころ、電通社内で「アイディア×アクションで地域はマジで変えられる」というワークショップがあったんです。ゲストは「ローマ法王に米を食べさせた男」として有名になった石川県羽咋市のスーパー公務員 高野誠鮮さんでした。ワークショップで高野さんの第一声は「世の中には役に立たない役人が多すぎる」。衝撃でした。さらに「人の役に立ってこそ役人である」という高野さんの言葉に感銘を受け、そこで最初に思い描いていた公務員への甘い考えを入れ替え、地元のために何ができるか考え始めたのです。その後の採用試験では、これまで得た経験や人脈を地元の富士市にどれだけ還元できるか、自分の想いをしっかりと伝えました。ありがたいことに内定をいただき、2013年の4月から富士市の役人としてのキャリアがスタートしました。

——富士市役所での初仕事は建設部での「測量」だったそうですね

「なぜ測量の仕事?」と思いました(笑)。ただ、視点を変えるとスキルを生かせることはたくさんありました。資料を見やすくつくり直したり、出席率の悪かった市民説明会をプロデュースし直すなど、広告代理店で培ったスキルをどんどん使っていきました。みうらじゅんさんではありませんが、まさに“一人電通”状態です(笑)。また、土木のプロ、法令のプロなど、役所にはそれぞれプロフェッショナルがいます。役所もまた人材の宝庫だったんです。しかし縦割りでそれをつなげる人がいない。自分がその役割をできると思いました。意外かもしれませんが、毎日ワクワクしかなかったですね。

——これまでとは仕事の進め方やスピード感など、違いがありそうです

役所では何事も議会の承認が必要です。当然、書類へハンコを押してもらうスタンプラリーも存在するわけですが、これはその先に市民がいますから必要なことだと思っています。しかし、予算は使わず自分の手足を動かすことでやれることは事後報告でもいいかなと思っています。これはスーパー公務員 高野さんの教えですが(笑)。

その事後報告案件の最たるものが、外国人向けのキャンプ(グランピング)です。
僕の趣味がキャンプでFacebookにグランピングの写真をアップしていたところ、電通時代の先輩から台湾人向けにアレンジしてほしいと依頼がきたのです。時代はインバウンドの盛り上がりもあるしと、試しに受け入れてみました。役所内のプロフェッショナルな職員のアドバイスを得ながらも、あくまで個人的な活動として行いました。実施してみると相当反響がよく、その後2回、3回と継続していきました。これは富士市の魅力のひとつにもなるし、事業化もできるじゃないか?と思っていたところ、タイミングよく観光課(現 富士山・観光課)へと異動の辞令がありました。現在はその案件は民間企業が事業化することになり、僕は行政としてサポートしています。今シーズンは4カ月で約300人もの外国人客が富士市でグランピングを楽しまれました。

歩みを止めなければゴールはできる

——今はどんなプロジェクトを進めていますか?

海抜ゼロからスタートする富士登山「富士山登山ルート3776」です。昔から富士市では海から山頂まで富士登山をする文化があり、その現代版です。体験された方からは人生観が変わったという声も多いですね。富士登山では歩幅を大きくして急いで登ると高山病になってしまいます。山頂まで到達する秘訣は小さな歩幅でゆっくり登ること。歩みを止めさえしなければ、例え小さな歩みだとしても必ずゴールできます。とにかく前を向いて一歩踏み出すことが大切なんです。

これは壁にぶつかったときにも当てはまります。例えばクレーム応対のとき、お怒りの言葉であっても、きちんと話を聞き、何かできることを探すことで一歩踏み出すことができると思っています。その時心がけているのは、自分が嫌われたとしても、相手を嫌わないことです。本当は嫌われたくはないですが、こちらが嫌ってしまうと、そこですべてが終わってしまうんです。もったいないですよね。人生で出会える人の数は限られています。人との話の中にさまざまなニーズや課題が隠れていますから。

——富士山・観光課へ異動して、さらに水を得た魚のようですね

そうですね。最初は役所内で異端児扱いでしたけど(笑)。

役所は 3〜4 年で異動があり、内部では「転職」と呼んでいるほど仕事内容がガラリと変わります。どの部署でも「課題」があり、どんな仕事でもこれまでの経験は生かせると思っています。前向きに謙虚な気持ちで取り組み、歩みを止めずに「課題解決」の精度を上げていけたらと思っています。行政マンは電通マンと同じであくまでも黒子、クライアントである市民が主役です。これからもクライアントの想いを汲み取り、役所内のプロフェッショナルな職員とともに富士市のモノゴトヒトの役に立っていきたいです。

取材・文:タナカ トウコ 撮影: 刑部 友康
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