暑い季節は涼しいところへ、寒い季節は暖かいところへ。快適な環境を求めて移動しながら、どこでも同じように働けることをめざす「渡り鳥プロジェクト」。
連載第5回(前回はこちら)は、苦い思い出話をひとつ。フリーランスとして働く者として、決してやってはいけなかった「事件」を振り返りつつ、なぜそれが起きたのか、どうすれば良かったのかを考えていきたいと思います。その考察が、ひいては渡り鳥生活を始めるにあたっての「気をつけたいポイント」になるはずです。決してフリーランスの人だけに限らない、社会で働く誰しもが他人事ではいられないお話。デザイン会社も経営するフリーライターの松岡厚志がお送りします。
信用を失った、苦い過去の記憶
あれは上京してまだ日が浅い頃。フリーライターとしては順風満帆、やり遂げた仕事の評判が次の仕事を呼ぶという好循環にありました。そんな中、現在は仕事のパートナーでもある妻と出会い、家族を呼び寄せてハワイで結婚式を挙げました。帰国後は友人たちと東京湾をクルーズする派手な結婚パーティーを開催。船内はイケイケのクラブと化し、ウェディングドレス姿の妻も上機嫌でワイングラスをくゆらすなど、この世の春を謳歌していました。要するに、公私ともに絶好調だったわけです。
その勢いのまま、今度はグアムに行こうと画策。ハワイで式を挙げてからまだ幾月も経っていないのに、さらなるリゾートを求めて国外に飛び出しました。今にして思うと完全に浮かれまくっていたんですね。3泊4日と短い日程ながら、南の海で呑気にぷかぷか浮かんでいました。
そうしてグアムから成田空港に帰ってきた僕は、グアムとは真逆の気候に辟易しつつ、バッグからケータイ(当時はガラケー)を取り出して電源をオンにしました。すると留守番メッセージが何通も入っていました。同じ人から何回も電話があったようで、あるメディアの編集者Tさん(仮名)の名前が表示されていました。メッセージを順番に再生してみます。
ピー。「Tです、お仕事をお願いしたい案件がありますので、折り返しご連絡いただけますでしょうか」
ピー。「Tです。お仕事の件です。お電話聞かれましたら連絡ください」
ピー。「Tです。折り返しお電話ください」
ピー。「電話ください」
・・・あかん、めっちゃ怒ってる。吹き込まれたメッセージの語気がどんどん強まって、「なんで電話つながらないんだよ」という先方の怒りが息づかいから伝わってきます。「なんで無視するんだ」「わたしの仕事から逃げているのか」と。世の中には生活がだらしなく、人間関係も疎かにして、ある日突然「飛ぶ(=音信不通になる)」ライターも珍しくありませんが、僕の場合は逃げも隠れもしておりません。ただ、グアムでスカイダイビングに興じていただけです。ただ空を飛んでいただけです。
まじめな話、なぜ電話がつながらなかったのか。その理由は3つあります。
1つめは、国際ローミングの設定をしていなかったこと。その当時はまだ国際通話の料金が高く、スマホやWi-Fiがほとんど普及していなかったため、国外の通信契約を結ぶにはややハードルが高かったこと。2つめは、せっかくの休日なのでケータイもオフにして、世俗から逃れてのんびりしたい気持ちが強かったこと(あ、やっぱり逃げてたのかも)。そしてこの3つめが一番のポイントなのですが、そもそもTさんに海外に行くから音信不通になる旨をあらかじめ伝えていなかったこと。
Tさんの立場からすれば、理由がスケジュールであれ気分的なものであれ、仕事を受けられないなら「受けられない」という意思を早く伝えてほしいもの。声をかけたいライター候補は他にもいますから、ダメならダメで次の候補に依頼するまでです。それなのに最初に声をかけた僕への電話がつながらないものだから、次のアクションをなかなか起こせず、やきもきされたわけですね。編集者的には仕事を受けてくれないライターよりも、連絡がつかないライターの印象の方が悪いです。というより、最悪です。
この「グアム音信不通事件」以来、Tさんからふたたびお仕事の依頼が来たことはありません。それまで悪くない仕事ぶりで積み上げてきたはずの信用を、この一件で台無しにしましたから。それまでTさんからいただいていたお仕事はどれも面白い案件ばかりだっただけに、関係を損なってしまって心から悔やまれます。ああ、なぜ僕はTさんに「旅行に行く」と伝えておかなかったのか。
お休みを伝えるべきは誰か?
なぜあのときの僕は、Tさんに「しばらくお休みします」と伝えていなかったのか。僕なりに理由があります。
旅行や何かで一定期間不在にするとき、取引先のお相手に「不在にする」旨を伝えるのは、社会人として最低限のマナーです。然るべき人にきちんと伝えて、必要があれば代役を用意するなどフォローをしておく必要があります。サポートしてくれる会社の同僚がいないフリーランスの身であればなおのこと。それは当時の僕も理解していて、ちゃんと「旅行に行くからこの期間は日本にいない」と伝えてあった人もいます。そう、伝えていた人もいたのです。では、なぜTさんには伝えてなかったのか。単純に忘れてしまったのか。いえ、Tさんは「ゾーン3」の人だったからです。
次の図を見てください。
これはお仕事に取り組むにあたって、取引先の人との「関係性の深さ」を示した図です。
ゾーン1は、日頃から頻繁にお仕事させてもらっている人。依頼を受けてなんぼのフリー稼業の身としては、足を向けては寝られない大切な存在です。不在にするのであれば、今後の良好な関係を維持するためにも絶対に伝えなければならない相手です。もちろんメールで一方的に伝えるのではなく必ず肉声で、どこか申し訳なさそうに話すなど「伝え方」も配慮する必要があるでしょう。自分のことを買ってくれている恩人ですから、穴を空けること自体がマイナス(と受け取る相手もいます)。慎重に、そして必ず本人に直接伝えておくべき方々です。
ゾーン2は、いつもというわけではないけれど、そこそこお仕事させてもらっている人。定期のお仕事はないものの「不定期の仕事が定期的にある」といったレベルでしょうか。次のお仕事がいつになるかは分からなくても、機会があれば必ず頼りにする、される関係にあります。この方々にもあらかじめ不在を伝えて然るべきでしょう。少数であればゾーン1と同じく本人に肉声で不在を伝えた方が良いですし、大勢いるのであればメールで送っても大丈夫。ただし文面を丁寧にして、一斉送信ではないかたちで個別に送るくらいの配慮をしたいお相手です。
問題はTさんが属するゾーン3。ここの方々はスポット的にお仕事をくれます。次の案件があるかもしれないし、ないかもしれません。たまたま何かあったら電話があるかもしれないし、ないかもしれない、それくらいの薄めの関係です。ここのゾーンはきっとたくさん該当者がいるでしょうから、事前に不在を伝えるのはメールで、何なら一斉送信でも大丈夫でしょう。メールでの連絡を嫌がりそうなタイプの方だけ気をつけて、あとは「さらり」で良いと思います。時と場合によっては伝えなくても差し支えないかもしれません。
当時の僕は、Tさんをはじめとするゾーン3の方々に「連絡しない」という選択をしました。連絡することのメリットよりもデメリットの方が気になってしまったからです。
というのも、次があるかも分からない、たまにしかお仕事しない関係の方にわざわざ「旅行に行きます」とこちらから連絡をするなんて、先方からしたら「で?」って感じがしませんか。行き先が海外であれば、いよいよいやらしく聞こえませんか。不在の連絡にかこつけて「次の仕事はありませんか」と催促しているようにも見えませんか。「あなたが仕事をくれないから旅行にいく時間ができちゃったじゃないですか」と、いくらか嫌味を含んでいるようにも受け止められませんか。
僕は考えすぎでしょうか。
旅行の日程が3泊4日と短かったことも判断を鈍らせました。1週間も不在にするわけでもないし、わざわざ嫌味な連絡をしなくてもぎりぎりいける。当時はそう踏んだんですね。ところが結果は、最悪。
今の僕であれば「やっぱり連絡はしておくべきだった」と考えます。不在期間が短いからといって「連絡する、しない」のぎりぎりのラインを見極めるチキンレースに挑まずとも、真摯に伝えれば悪く思う人はいないでしょうし、もしも悪く思うような人であれば今後も良い関係には発展しないはずだからです。伝えるべきは伝える、伝えるべきか迷ったら伝える、ただそれだけで良いのです。
ゾーン3に不在を伝えるためにできること
最後に自戒を込めて、ゾーン3の方にも不在を伝える(伝わる)ためのポイントを記しておきましょう。
・不在の期間に関わらず、メールなり電話なりで「あらかじめ」伝えておく(書き方に気をつければ一斉メールも可)。
・前もってメールの署名欄にさらりと不在期間を添えて、積極的に伝えずとも伝わるようにしておく(何かメールをする機会があるのなら)。
・自身のウェブサイトやソーシャルメディアに不在期間を記しておく。連絡がとれない理由も添えてあると親切。
あと、やはり国際ローミングはできれば設定しておくべきですね。貴重なオフということで、気分的に避けたいのであればその限りではありませんが、ひと昔前に比べれば料金的にもそこまで負担ではありませんから。
それでも難しいのであれば、せめて留守電の応答メッセージに自分の声で不在にしていることを吹き込んでおきましょう。先方が腹立たしいと思うのは「不在を事前に知らされていなかったこと」に加えて「なぜ不在なのかの理由が分からないこと」。前者の課題をうまくクリアできなかったことしても、後者を対処しておけば、ほとんどの方は理解を示してくれるはずです。自動応答メールで返信するのもアリですね。
旅行にいくこと、オフを取ること、不在にすること。それらが悪いわけでは決してありません。お休みを取るのは大切なことで、どこに、どのくらい行こうが、人にとやかく言われる筋合いはありません。大切なのはそれを「周りにちゃんと伝える」こと、それだけです。
渡り鳥になるなら一声かけて
暑い季節は涼しいところへ、寒い季節は暖かいところへ。渡り鳥生活は「お休み」ではありませんが、それでも「元々いた場所を一時的に離れる」という意味では同じ。きちんとその旨を周りに伝えてから羽ばたくべきでしょう。いつまでいないのか、なぜいないのか、事前に聞かされているだけで周囲は安心するものですし、生身で会えないなら会えないなりの関わり方を先方も提示してくれるはずです。
思えばご近所さんとの付き合いにおいても、しばらく留守にするときは伝えておくじゃないですか。都市部はそうでもないかもしれませんが、地方はだいたいそうします。無言で不在にしていると「最近あそこのお宅いないみたいだけど、どうしたのかしら」「夜逃げかしら」「借金やな」などと邪推されても仕方がありませんが、ただ一言伝えておくだけで妙な誤解は生まれません。
そうそう、義理の両親がしばらく留守にしていた間、そのことを聞いたご近所さんは頼まれもしないのに、毎晩、わざわざ雨戸を外から閉めてくれていたそうです。防犯上のことを考えて。そういう人たちの善意を邪険に扱わないためにも、不在の際は一言ことばを添えておきたいものです。
昔の人もこう言っていたではないですか。「お出かけは、一声かけて、鍵かけて」。お仕事のお相手に対しても、きっと同じことですよね。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
文:松岡厚志
1978年生まれ、ライター。デザイン会社「ハイモジモジ」代表。主な移動手段は電車と自転車。バイク並にタイヤが太い「FAT BIKE」で保育園の送り迎えを担当し、通りすがりの小学生に「タイヤでっか!」と後ろ指をさされる日々。
イラスト:Mazzo Kattusi