今回はIT業界の女帝と呼ばれ、数多くの企業のスタートアップに携わってきた奥田浩美さんに、「大きな仕事が回ってくる法則」について、教えていただきました!
大きな仕事を掴んだ人と、そうでない人の違いはなんでしょう?
同じように頑張っているはずなのにあの人とこの人ではどうしてチャンスの得方が異なるのでしょう?
一方で、大きな仕事を任せてほしいのに、いざ任されると自信がない。そんな悩みを抱える方々に、「ワクワクすることだけ、やればいい!」の書籍の内容の一部を交えながら、私の会社員時代の経験をお話ししたいと思います。
白羽の矢が立つっていいこと?悪いこと?
まずは私の背景をお話しましょう。今でこそ「IT業界の女帝!?」という妙なニックネームを持つ私ですが、ITの世界とは一切関係ない、教育と福祉というバックグラウンドを持ち、国際会議のコーディネータとして社会人生活をスタートしました。
修士を終えて就職後の25歳の頃のことです。入社してわずか数ヶ月後、私は予算二億円ほどの大きな技術系の国際会議のアシスタントとなりました。国際会議のアシスタントというとかっこいいですが、実際の業務は招待状の封入をして切手を貼ったり、委員会の資料をコピーしたり、会議プログラムの文字校正をしたり、数千人分の名札をカッターで切ってホルダーに封入したりといった本当に地味な作業の連続でした。
そのプロジェクトのアシスタントとなってわずか2ヶ月後、チーフコーディネータのベテランの先輩が、あまりのプレッシャーとストレス・過労で会社に突然来なくなってしまいました。その会議は、五十数か国から集まる技術会議で、そのころ複雑な招聘状を必要とするソ連や東欧諸国からも集まるというものでした。おそらくその年に開催された国際的な技術会議では最大級の会議だったのではないでしょうか。それを無事開催に導くというのは、ベテランの先輩とはいえ、相当な重責です。その前任者までもが倒れたといういわくつきのプロジェクトで、まさに火縄銃の2列目までが倒れてしまった状態でした。
突然、私が呼び出されました。「君がチーフコーディネータとしてやってくれ」と。わずか入社数ヶ月の自分に、会社で一番大きなプロジェクトが降ってくることとなったのです。「そんな大きなプロジェクトは無理」と「この子で大丈夫なのか」と、自分も周囲も驚きの渦です。なぜ私なのか?他にいないのか?という議論をする余裕もありません。なぜなら、急に来なくなった先輩に変わって委員会に出席する日まであと数日。そのうえ開催まで、実にあと数ヶ月というプロジェクトだったのです。
それを新人に任せるしかないというのは、会社も私も、どれだけ背水の陣だったことでしょう。
白羽の矢は、期待に応えたいという心の上に立つ
なぜ自分に白羽の矢が立ったのか
今、私は株式会社ウィズグループという会社と株式会社たからのやまという2つの会社を経営しています。自分が経営者としてマネージメントする側にになってわかったことですが、若いうちに登用されるということは能力があるからではなく、期待に応えようとする気持ちがあり、期待を汲み取ろうとする力があるからなのではないかと思っています。会社でやるべきことを必死に学び、やれることから一つずつやっていこうという姿勢があるかどうかです。
「白羽の矢が立つ」の語源を知っていますか?白羽の矢とは、人身御供を求める神が、その望む少女の家の屋根に人知れずしるしの白羽の矢を立てるという俗説から、多くの中から犠牲者として選び出されるというのが語源だそうです。つまり、元来、「白羽の矢が立つ」という言葉は「犠牲として選ばれる」というイメージを持った言葉であったわけです。今の時代、なにも会社の犠牲になれとここでは言いたいわけではありませんが、「白羽の矢」が立つということは、「忠実で正直な心がありそうだ、この子なら期待に応えてくれそうだぞ」という気持ちがどこかに見えるからではないかと思います。
そこでポイントになるのは、「何に忠実で正直であるか?」ということです。
単に忠実で正直であるというのは一歩間違うと“会社や上司に忠実な都合の良い存在”、私の嫌いな表現ではありますが、よく世の中で言われる“社畜”というイメージを持つかもしれません。しかしながら私が言いたいのはそれではありません。
私の二冊目の著書の「会社を辞めないという選択」の中にも書いているのですが、会社がやろうとしている事業・プロジェクトの最終目的、ビジョンに対して同意できるか?忠実であるか?正直であるか?ということです。
常に会社の”向こう側”にあるものを意識し、自分は何を社会に対して貢献できるのかを考えてみて、そこが一致しているのであれば忠実に「白羽の矢」が立てられることを受け入れよう、とことん貢献しようということなのです。
入社後すぐ全ての仕事をきちんとこなせる新人はなかなかいません。最初から能力が整っている社員だらけなわけではありません。だからこそ、会社が創りあげたいと思う事業・プロジェクト・一つ一つの作業まで、忠実に学ぼう、ちゃんと成果を出そうという姿勢を見せることで、だんだんとチャンスが増えていくのではないかと思います。
では、具体的にはどんな形でその姿勢を見せればいいのでしょう?今日は、まず一つだけ皆さんにお伝えしましょう。
質問はコミュニケーションを図るチャンス
質問は忙しい人に聞け
その時に突然降ってきた新しいポジションはプレッシャーだらけでした。なんといっても25年前の予算総額二億円の会議ですから。前任者がストレスで出社できなくなったというだけあって、業務量も半端ではありません。残業を終えて家に帰っても、「あっ、あの部分も翻訳を発注しなきゃ」とか「あの件の訂正をしなきゃ」と。寝ている間でも、ハッ!と目を覚ます始末です。ついには、枕元にメモ帳を置いて寝ないと心配でたまらない状況に陥りました。なんせネットもない時代ですから、メモは日々たまっていきます。そして開催日は、待ってはくれません。それでも日程は迫ってきますから、「とにかく前に進むしかない」という状況は、恐怖でもありました。そしてこのままでは、自分もつぶれてしまうと危機を感じはじめました。
極限の状況に陥った私を救った方法は、質問魔になることでした。それも、項目に合わせて“一番得意そうな先輩に聞く”方法です。実はいまの私の行動に繋がる考え方なのですが、質問はそのことに一番長けている人に相談をしようということです。もちろん一番長けている人は経験も知識もある人ですが、おそらく自分からは少し遠いポジションにいたりします。そこが“ミソ”なのです。質問は実を言うと最大のコミュニケーションです。コミュニケーションを図りながら自分のやる気を見せられて、さらには情報が得られます。まさに一石三鳥です。新人と上司では世間話はなかなかできません。でも、具体的に業務を前に進ませるための質問、会社のためになる質問ならばいくらでも聞いてくれるでしょう。よく『伸びる新人の条件』といった話題が出ますが、その中でも、質問・報告というポイントは上から見ても積極的な新人として印象に残ります。
例えば国際会議のパンフレットのコンテンツや作り方が不安だとしましょう。それが得意なA先輩に聞きます。「A先輩の○○の際の会議パンフレットはわかりやすくてセンスもよいと聞きました。どういうことに気を付けて作成すればいいでしょうか?」、相談すると、さすがの忙しいA先輩も、仕事の手を止めて相談にのってくれます。その分野に長けている人に、「何を」「どれくらいのスピードで欲しているか」を明確に発信することで、自分が求めているものや情報があっという間に揃うということに気がついたのです。さらには相手の得意な部分を明確に褒め、教えを請うわけですから忙しいさなかでも相手の上司もまんざらではないと思うのです。「仕事は忙しい人に頼め」という名言がありますが、まさに「質問は忙しい人に聞け」です。
忙しい人に聞くためには、聞く側も何を達成するために何の情報が必要なのかを明確に考えます。ただなんとなく曖昧に「やり方がわからないんです…」といった質問はできません。
20代の頃の未熟な私には「知恵」も「手段」も「能力」もないと思っていましたが、何をしたいかを示す「行先」と明確に達成したい「内容」と、最適な「水先案内人」さえ確保できて、熱意を持ってそれを伝えれば、会社はチームですから、ほとんどの行先にはいけることがわかりました。
そして、上司と仕事に対する軸でのネットワークができること、それが一番のチャンスなのです。チャンスは同じ方向を向いた仲間からもたらされることが一番多いと思います。
今の自分から考えると、あの頃の私は未熟で上司はきっとヒヤヒヤものだったと思います。それでも、たくさん上司に頼って、たくさん仕事をすることでたくさんのチャンスに出会ってきたのだと思います。
最後に、私の二十代のドタバタ劇、沢山の挑戦と失敗はこちらの本でお読みいただけます。
参考書籍:
奥田浩美著
PHP研究所
奥田 浩美
株式会社ウィズグループ・株式会社たからのやま
代表取締役
鹿児島生まれ。インド国立ボンベイ大学(現州立ムンバイ大学)大学院 社会福祉課程(MSW)修了。1991年にITに特化したカンファレンスサポート事業を起業し、数多くのITプライベートショーの日本進出を支える。2001年に株式会社ウィズグループを設立、代表取締役に就任。2012年に地域とITにフォーカスしたウェブメディア:fin.der.jp を立ち上げたことをきっかけに、徳島県の過疎地に「株式会社たからのやま」を創業。
限界集落を含む地方に高齢者のITサポートを行う拠点「ITふれあいカフェ」を設置。住民の日常のニーズを拾い上げ、開発現場に届けるIT製品共創開発事業を開始。開発現場からもっとも見えにくい「社会課題」をIT製品開発に繋げる仕組みづくりに取り組んでいる。
情報処理推進機構(IPA)の未踏IT人材発掘・育成事業の審査委員、「IT人材白書」委員をつとめイノベーティブな若い世代のチャレンジを支援している。
著書に「人生は見切り発車でうまくいく(総合法令出版)」「会社を辞めないという選択(日経BP)」、「ワクワクすることだけ、やればいい!(PHP研究所)」。