離島の若きリーダーに聞く。Iターンで来てほしい人とは?

九州本土から約40kmの沖合、東シナ海にうかぶ甑島(こしきじま)列島。いくつもの地層が走る断崖絶壁、恐竜の骨が見つかるなど、地球の営みを感じさせる神秘的な島です。北に位置する上甑島(かみこしきじま)は、日本テレビの『幸せ!ボンビーガール』で女優志望の女性が地域おこし協力隊の見習いとしてやってきて、ちょっと話題にもなりました。

とはいえ実際は、九州内でもあまり知られていないマイナーな離島。そこにいま、若者たちが各地からIターンで移住しています。今回九州新幹線、高速船甑島を乗り継いで、そんな若者たちを受け入れている島の仕掛人・山下賢太さんに話を聞きに行きました。

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上甑島の里港まで、ライターを迎えに来てくれた山下さん。軽トラで現れた。

16歳で夢破れ、無職で島へ

山下賢太さんは上甑島出身の31歳。豆腐店、民宿、観光案内、カフェを営む「東シナ海の小さな島ブランド株式会社」の代表取締役です。彼と働きたいという若者が各地からIターンでやってくる、というと順風満帆のようですが、これまでいくつもの挫折を味わっていました。

子どもの頃から競馬の騎手になるのが夢で、小学生の頃からトレーニングを積んだ山下少年。中学卒業後、受験者数700人中合格者15人という難関を突破して、千葉にあるJRAの競馬学校に入学しました。ところが騎手への道は想像以上に険しいものでした。馬への負荷を統一するため、騎手は体重制限が課せられます。当時の体脂肪率は5.2%、体重43.0キロ。成長期の男子にとっては過酷な減量の日々。

「心に穴があくってこれか、と思いました」。憔悴しきった山下さんは、減量に失敗し、体調を崩したことも重なり騎手の夢を諦めることになりました。中学の恩師と両親によって鹿児島へ連れ戻されるも、早くも後援会が発足していた島へ帰ることができず、鹿児島市内の親戚の家で引きこもりに。島の人たちを裏切ったと思いつめる日々。しばらくして、恩師からの一本の電話に背中を押されるように、帰島することができました。

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島の風景が失われていく様に、ショックを受ける

16歳で無職になった山下さんは、夜はキビナゴ漁船に乗り、再び恩師の尽力により、塾や教育サービスのない島で特別に中学へ通うことができました。2回目の島立ち(中学を卒業して島を出ること。甑島には高校がない)で、鹿児島市内の高校へと進学。

高3になる春休み。島へ帰ると、小さな港の工事が進んでいました。そこは、ガジュマルに似たアコウという樹の下で漁師たちが網の手入れをし、夕涼みに人々が集まってはおしゃべりを楽しむ日常の場所でした。

当たり前だった島の風景が失われていく現場に、建設会社に勤める父の姿が。何のためにしているのかと聞くと、「お前のためだ」と。言葉が出ませんでした。一番大切にしていた島の原風景を失って、私は生かされている。このことが、故郷について真剣に考える、最初のきっかけとなりました。

当時、島の産業の割合を調べると、最も多かったのは建設業でした。農業と漁業で成り立っていると思っていた山下さんには、意外な結果でした。

昔からある島の風景が、年々失われつつある。どうしてこんな世の中になったのだろう? 多くの公共工事に生かされてきた反面、島らしさを守り育てる選択肢もあったのでは? もし、アコウの樹の下に人々が集うような何でもない風景が、小さな経済と繋がっていたとしたら別の未来があったのではないか? 「人」「モノ」「場所」の関係が作り出す何気ない日常は、未来の甑島にとって大切な財産になるはず。

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玉石垣プロジェクト、若者が「島」にいる価値

上甑島の海岸は、波に削られた丸い石がゴロゴロとしています。その丸石が家々の垣根に使われ、「玉石垣(たまいしがき)」という島独特の風景となっています。山下さんは国交省の「島の宝100景」にこの風景を応募。見事100景に選ばれ、薩摩川内市においても景観重要資産であると認定されました。2008年からは、ブロックに変わっていた塀を、島出身の学生らと玉石垣を再生するプロジェクトもスタートさせました。

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玉石垣のつづく上甑島、里地区。

「ずっと島にいると何もないと思いがち。他の町を良いなと思うように、地元の良さに気づいてほしい。文化、歴史、環境、そのまちの背景を活かして、島の誇りを未来に繋げたい」
やるべき事を見つけた山下さんは、京都の芸術大学へと進学し環境デザインを学びます。そしてしばらく京都で、町づくりや景観計画等の仕事に携わりました。

いつか上甑島へ戻るときは、完璧なスキルを身につけてから、お金を貯めてから、と思いこんでいました。ある日のこと、「島で近所のばあちゃんに言われたんです。あっちで頑張るのも良い、でも島におるけんちゃんが好きよと。何者でもない、いまの自分でいいんですね。 その一言で、若者の自分が島にいる意味に気がつきました」。島にとって若者は、未来そのものだったのです。

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景勝地、長目の浜。平成27年3月「甑島長目の浜及び潟湖群の植物群落」として国の天然記念物に。

帰島、そして「島の誇りを未来へ」

上甑島に戻り、まず米作りを始めました。産業として成り立っていない島の農業では、飯は食えないからやめろと周囲は猛反対。しかし田んぼが無くなったら、島に生まれた子どもたちは、美しい田園風景を見ることも触れることも難しくなる。誰かが始めなければ…。そんな思いを抱き、始めた農業。半年後には少しの収穫を得ることができました。駐車場の無人販売におき、最初に得た月の収入は800円だったと言います。

山下さんの「島の原風景を未来につなげる」活動は、農業の他に、子どもの頃日常にあった豆腐店のある風景を再現した山下商店、釣宿を観光客向けの宿として再出発させた「island Hostel 藤や」、そして港の古いターミナルをリノベーションした公共施設「コシキテラス」の運営など、大きく拡大しています。会社が潰れかけた時期もあったそう。「スタッフに給料が払えなかったこともありました。それでも皆ついて来てくれた」と語ります。

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今春オープン。焼き立てパンとコーヒーが香るコシキテラス。

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コシキテラス名物、断崖バーガー。

現在、従業員数は14人。うち半数以上がIターンの若者たちです。旅行で島を訪れ、山下さんとの出会いから移住を決意した人、地域おこし協力隊でそのまま島に定着した人、島暮らしに憧れて甑島へとたどり着いた人など、様々。彼らは「人」「モノ」「場所」の関係の中で、島の誇りと未来づくりを仕事にしながら、人生を歩んでいます。

山下さんに聞く、Iターンで来て欲しいのはどんな人?

「人格は、求めません。そもそも悪い人間はいないと思っていますし。基本的には求めないけど、ただ、ここで働く人には真剣に自分自身と向き合ってもらいます」。見ず知らずの離島にきて、未経験で働き暮らしていたら、必ず悩みにぶつかります。そのとき、自分流の哲学や覚悟が必要です。

さらに「島では、あの人は何をしている人、何々ができる人と、分かりやすさが求められます。例えば、豆腐屋の息子だとか、誰々さんの孫だという風に」。Iターンでやってきた若者の多くは、お互いを知る機会がなければ、いつまでも「よそ者」でしかありません。カメラが得意、農業をやりたいなど、何か具体的に自分を島の人に知ってもらう、最初のきっかけを用意しておくことだと言います。

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コシキテラス、藤やのIターンでやってきたスタッフ。みな20代。

島の人たちは、知らないよそ者に不安を感じ、自分たちの生活が脅かされないかと考えます。地域に混ざり、膝をつきあわせて語りあう事が大切。コシキテラスで働く女性は今年3月に島へやってきたばかり。いまでは「テラスの子」として、地元の人に親しまれています。そんな彼女、彼らに山下さんは、「ひとりひとりの居場所を作ってあげたい」と語ります。

この小さな島で起こっている素敵な流れには、地域おこしに限らず、これからの働き方のヒントにもなりそうです。16歳で挫折して15年、いま、また転機だという山下さん。「これからは人を育てていきたい。そのために自分の経験や、“人は何にでも挑戦できる”ということを伝えていきたいのです」

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山下さんにとって仕事って何? 「分からない! そんなこと考えている暇がないです(笑)」

【プロフィール:山下賢太】
鹿児島県上甑島出身。JRA日本中央競馬会競馬学校中退後、キビナゴ漁船乗組員、鹿児島市内の高校を経て、京都造形芸術大学環境デザイン学科で地域デザインを学ぶ。帰島して2012年「東シナ海の小さな島ブランド株式会社」設立。農業、豆腐の「山下商店」、島宿「藤や」、ベーカリー&カフェ「コシキテラス」等運営しながら「甑島の原風景を未来へつなげる」ミッションに従事している。

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【執筆:永田知子】
ライター。福岡県出身。福岡大学人文学部卒。リクルート「九州じゃらん」、All About 等で編集と広告制作を担当。2009年よりフリーのライター・編集者となり、旅行、食、インタビュー等の分野で旅行誌、webメディア、企業広報誌等で執筆。2016年2月、17年の東京生活にピリオドを打ち福岡へUターン。ただいま福岡生活を謳歌中。

編集:鈴木健介

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