自分の“取り柄の芽”を育てるんよ
僕が一番言いたいのはね、「誰一人として取り柄のないヤツはいてないんや」ってこと。人も花と一緒で、取り柄の芽、つまり長所の芽というのが誰にでもある。その芽が小さいからみんな見落としてしまうけど、ちゃんと見つけて水をあげて育てれば、花開くようになるんよね。大きな花を咲かせた有名人ばかりを見て比べるから、自信をなくしてしまうんよね。
取り柄の芽は、「内面的な優しいさ」とか「実際に走るのが速い」など、いくらでもあるんよね。たとえ気が小さくて物怖じしているような人でも、その人が絞り出す言葉には、雄弁な人より誠実さが伝わることだってあるしね。長所と短所は表裏一体だから、気づかんこともたくさんある。だから、偉そうな意味じゃなく、僕が君を3時間くらいインタビューできたら、いくらでもその芽を見つけてあげられるくらい、他人のほうが君の良さに気づいてることもよくあるよね。
世の中がどうであろうと「どうでもいいや」という若者が増えてきてる中、「影響力を持ちたい」と考えていること自体に、君のモチベーションの高さが僕は嬉しいし、期待してます。大志を抱くという意味ではとてもいいことやと思うけど、その前に「取り柄がない」と、自分のことさえ見えていない君が、人に影響力を持とうというのは順番が違う気がするなあ。「自分にはこんなええとこがあるんや」と取り柄の芽を見つけたら、あとは影響力があるかどうかは人が決めることやからね。君に会った人が「あなたのおかげで助かりました」とかね。
自分の目の前、あるいは周りにいる人を見てみよう
実は、僕は10代の頃、ミュージシャンになりたかったんよね。単純に大きいステージに立って、自分がつくった歌を一人でも多くの人に聞いてもらいたいと思ってた。それ自体は別に悪いことじゃないけど、ただ、多くの人に影響力がないとイケてないとか、影響力があるから偉いとか、「モテたい」「目立ちたい」と、それのみが目的になっていくと、いつしか勘違いになって、いろんなことがわからなくなってしまう。
僕にもそういう時期があってね。ところがちょうどそのころ、アメリカンバーの店でアルバイトをしていて、暇なときがあったんよ。そのとき、先輩がほかのバイトの子たちに、ネタばればれのちょっとふざけた手品をしてみせたんよね。退屈だったその場が笑いに包まれ、すごく和むのを見て「この先輩、素敵やなあ〜」と思ったわけですよ。僕は「すごいミュージシャンになって、デカいステージで歌って、みんなを幸せにするんや、なんて偉そうに言ってても、目の前にいる子を楽しませることすらできへんねや」って、自分の中の矛盾に気づいて反省したんです。
だから、「単純作業がつまらない」とか「影響力のある人間になりたい」と言う前に、そうやって自分の目の前でつまらなそうにしている人をちょっと和ませてあげるとか、悩みを聞いてあげるとか、あるいはただ優しい表情で人と会うこととか、自分の持つ“取り柄の芽”で目の前にいる人に影響を持つ自分の素敵さに気づいてほしいと思います。足元を照らす光がないのに、自分の目標とか、まして人の足元なんか照らすことはできないからね。