努力はしないほうがいい
努力するのはよしましょうよ。別にあなたは、仕事が嫌になったわけじゃないんでしょう。だったら、わざわざ自分にムチ打つことはない。努力して良くなるなら、世の中みんな良くなってるはずですよ。努力してもいいことはない。
今までちゃんと生きてきたんだから、世間一般で言う努力があなたには合わないだけで、必ずどこかで一生懸命やってきたことがあるはずなんです。たとえば、眠い朝でも起きて遅刻しないように出勤する。これは努力に値することでしょう。誰でも終電に乗り遅れそうになったら走るでしょ。それだって、努力して走ったんじゃないのかねえ(笑)。
第三者から見れば、女性を口説くのに「それじゃあダメだ。こうしなきゃ」っていうことがあったとしても、どうしてもその人の性分で、できないってことがある。あなたが求めているのはさ、そういう領域のことじゃあないのかな。
言われなくても自然にしてしまうもの
天才と呼ばれる野球選手を見てみると、コーチや監督に「努力しろ」なんて言われな くてもやってるでしょ。私の知ってる引退した著名選手は、バーで酒を飲んでいても、ふっと出てって素振りをしていた。それでひょいと戻って来て、また飲む。有名選手と 名もない選手の差は、努力ではなく、才能と「好きであること」の度合いが違うってことなんですよ。
ピッチャーはブルペンに立つと、まずは何球か投げますね。演奏家はステージでチューニングから始める。それを念入りにやる演奏家は、聞いてて嫌になっちゃうけどさ。でも、その人はこだわりがあるからやっているわけで、努力をしてるわけじゃない。こっちは「そんなの出てくる前にやって来い」って言いたいけどね。落語家が一旦お客さんの前に出たら「えーえー、これからお笑いを、えー」なんて言ってらんないもの(笑)。
つまり、好きでこだわりがあることには、努力なんて言葉以前に、自然とやってしまうはずなんですよ。努力という字は「奴(やっこ)の力」と書くんです。私の“談志語録”の中には「努力とは、馬鹿に与えた夢である」というのがあるくらい。そういうものなんですよ。
努力をして、何かしらやり方や方法に気づくことはあっても、他にいいことないでしょう。後は感性の問題なんです。たとえば、「注意一秒、ケガ一生」って標識を見たとして、自分の中にピンと来るものがあれば気づくけど、なければ何も気づかないですよね。それは、生まれ育ってきた環境の中で、感性が取捨選択をしてきたから。私が時事関連の話題をすぐネタにできるのは、わざわざネタを探して歩いたり、努力してるわけじゃない。常日頃から自分の持っている見方と、国家とのギャップやパロディを、この面から攻めてやろうって視点でいるからなんです。
あなたは周りの人に「努力しなくちゃ」なんて、自分から言ったんじゃないか?だとしたら、「そうだよ、努力しなきゃ」って言い返されますよ。ヤツらはそう言って、 自分たちが努力しているかのような優越感に浸りながら、実は努力してないんだ。もし もあなたが努力して、上に行ったら、ヤツらは後悔するんだよ。「言わなきゃよかった」 ってね。だから、周りの人の言うことなんか、気にしなくていいんです。