どちらのストレスなら受け入れられるかで考えてみる
これは、どっちが正しいという答えはないんです。それぞれ一長一短。どちらの派閥にも入らず、つまはじきにされて孤独を感じても、自分らしく過ごせなくなるよりはいいと思うか、それとも孤独を感じると会社にいづらくなるし、どちらかの派閥に入って人の悪口を言う自分に甘んじるか…。そのどちらも正しい訳じゃないんです。「正しいのはこっち」とは誰にも言えない。
まず、あなたはどちらのストレスなら引き受けられるでしょうか。つまり、どちらかの派閥に入れば、とりあえず孤独ではなくなる。人の悪口を言うことで仲間意識が強固になって、その間はみんなと心がひとつになる(笑)。でも、そんな自分を許せなくなるし、それを続けることもストレスですよね。まあ、悪口を言うことに慣れる人もいますけど。一方、派閥に入らないことを選べば、自分を曲げずにすむけど、仲間がなくて孤独だというストレスはある。どちらが自分で引き受けやすいか、それはあなた自身でしか決められないことなのです。
私は昔、ある分裂をした出版社から小説を出していたことがあります。社内の派閥が新しい会社を作って「どちらで仕事をしますか」と尋ねられたので、「おたくの内部事情でこうなったのに、なぜ社外の人間が選択を迫られなくてはならないのか。私は両方で仕事をする」と答えました。たとえ私の言い分が冷静に考えれば正論であっても、当事者たちは自分たちの明暗を分ける争いで熱くなってるので、非常に勇気のいる発言だったわけです。でも、私が大事にすべき相手は読者なので、自分の立場を守り、読者をがっかりさせない方法を選ぶしかなかったのです。
あなたもお客さんの所を回っている外交員の仕事をしているのですから、一日中会社にいて派閥の様子を窺ってるわけじゃありませんよね。それなら、どうやったらあなたの仕事と立場を守れるのかを優先して考えてみるべきじゃないでしょうか?
選択を迫られた時は、自分のことを知るチャンス
こうやって迷うということは、自分のやり方が固まっていないかもしれないので、自分がどういうスタイルの人間なのか決めてみるチャンスかもしれませんよ。「一匹狼でいたい」と思ったなら、あなたはそういう個人主義の人なのだし、「それを貫きましょう」ということになる。「このまま派閥に入らなければノイローゼになりそうだ」と感じるなら、あなたはきっと一人では生きていけない人だから、「人に寄り添って生きていきましょう」ということになる。こういった二者択一する時は、自分が何を選ぶかを知るいい機会でもあるんです。
後悔や反省のない選択ってないと私は思うのです。どんな選択も、どちらかを選べば失うものは必ずある。なので、結局はどのみち後悔すると考えるなら、どっちの後悔が後々の自分の負担にならないかで判断する。どちらかを選べば失敗することもあるけれど、それは必ず今後の糧になるので恐れなくていいと思うんです。失敗することがゲームオーバーではありません。自分が選んだことがたとえ失敗だったとしても、「正解だった」と思えるようなものを獲得してしまえばいいわけですから。