




テレビで見ない日はないくらい、
大人気のカンニング竹山氏。
意外にも遅咲きで、
ブレイクしたのは30歳のとき。
それまでは、家賃2万5000円の
風呂なしアパート暮らし。
売れるきっかけは何だったのか。

「器用だけど面白くない」と言われ続け、ついには借金450万円
売れるにはいろんな要素が必要なんです。人との出会いとか、運とか。でも、一番大切なのは、やっぱり「本気度」なんですよ。
21歳で相方の中島とカンニングを結成したんだけど、売れたのは30歳になってから。それまでは仕事がなくて、何度も事務所をクビになりました。芸人じゃ食っていけないから、いろんなアルバイトを転々として。貯金なんかもちろんなくて、借金が450万円ありました。
よく「20代は大変なご苦労されて」なんて言ってくれる人がいますけど、今考えたら、でたらめな生活ですよ。努力なんか何にもしてなかった。450万円の借金も、全部ギャンブルとか遊びでつくったものですから。アルバイトだって、どれも長続きしなくて。接客業が多かったんだけど、仕事がつまんないとか言ってね。そんなことで簡単に辞めちゃってました。
ただ、26歳くらいから、だんだんアルバイトが長続きするようになってきたんです。このころは、配達の仕事をしていたんだけど、仕事が面白くなってきたわけじゃない。「オレは芸人だ」っていう意識が強くなってきたからです。売れてないですよ。売れてないけど、意識だけはどんどん強くなっていた。「本業は芸人、アルバイトは生活のため」。そう割り切るようになって、アルバイト先の人とも話さず、仕事だけを黙々とするようになりました。
でも、肝心の芸人のほうは相変わらずさっぱりで、何やってもダメだった。漫才やっても「うまいけど、面白くない」とか「器用だけど、笑いとしてはどうかな」とか、そんなことばかり言われてましたね。
そんなある日、事務所に呼ばれて会議室に入ったらマネージャーがずらっと並んでいて、「カンニングと仕事したい人、手を挙げてください」と。誰もいませんでした。僕の事務所には変なシステムがあって、1年に一度、マネージャーが自らつきたい芸人を選ぶんです。選んでくれる人がいなければ、その場でクビ。誰からも手が挙がらなくて、ああ、もう終わりだと思ったら、たまたまその場にいた先輩芸人が助けてくれました。「誰もカンニングの良さがわからないようだけど、俺は何かあるんじゃないかと思う」と。結局、その先輩預かりという形で、クビがつながったんです。でも、そこからは腫れ物に触るような扱いで。クビ一歩手前でしょ。居場所がなくて辛かった。
それが28歳の時です。そこから僕たちは本気になったんです。あと1年やってダメだったら辞めよう。でもその代わり、今までやらなかった分、必死でやろうと。上京して8年、やっと「本気」というスイッチが入ったんです。
かっこつけず、本当に面白いものを探した結果が、「キレ芸」
本気になって何が変わったのか。まず、かっこつけるのを辞めようと。それまではできもしないのに「お笑いはこういうものだ」なんて、形ばかり気にしていた。そうではなく、自分たちができること、そして本当に面白いと思っていることを、思いっきりやってみようと。それでテレビに全く映らなくってもいいやって、完全に開き直ったんです。
2人で必死に考えた末、電車の中で怒ってたり、居酒屋で店員に説教してるおじさんとか面白くねえか、という話になりました。見てる方は半分バカにしてるんですけど(笑)、つい見ちゃう。それで、漫才の中にキレているおじさんを入れれば、面白いんじゃないかってことになって。
それが今のキレ芸につながるんですけど、芸として固まるまで2年ほどかかりました。最初は誰に向かって怒ればいいのかわからなくて、客席の女子高生に毒づいて泣かして、会社に苦情がきたりね(笑)。笑いは取れないわ、文句は言われるわで、さんざんでした。自社ライブで「カンニングを出さないでくれ」とアンケートに書かれたこともありましたよ。
何度も失敗して、最終的にたどり着いたのが「自分にキレること」です。今の状況にイライラしている自分らに怒りをぶつければ、人を傷つけなくても笑いがとれる。そこから、キレ芸が一気に完成していったんです。



徐々にライブでウケるようになった「キレ芸」。
30歳で、人気番組「虎の門」の
オーディションに合格。
番組プロデューサーから、
プロとしての基本を教わったという。

幽体離脱したみたいに、自分のことを俯瞰で見られなくちゃダメ
2年かけて開発していったキレ芸が、ライブでだんだんウケるようになり、その後、いろんなお笑いグランプリで優勝するようにもなりました。そんなとき、当時人気だったテレビ番組「虎の門」のオーディションに受かったんです。
そのプロデューサーからは、テレビで求められる人とそうでない人の違いを教わりました。それは、「視聴者が自分に望んでいること」をちゃんとわかっているかということ。素人は自分がやりたいように振る舞うだけだから、1度きりしか呼ばれない。でも求められる人は違う。自分の役割を知っています。そのためには、自分のことを俯瞰で見られなくちゃならないんです。まるで幽体離脱したみたいにもう一人の自分がいて、ありのままの姿を常に観察している。それがプロなんです。
でも、多くの人はそれができていない。僕たちもそうでしたけど、自分を実際以上にかっこよく思ってしまうんです。僕らは同級生よりも老けてたし、イケメンでもない。それなのに、僕らはテレビに出るからって、しゃれたジャケット着てみたり、ハンチングかぶってみたりして、かっこつけてたんです。
そんな僕らを見た「虎の門」のプロデューサーからは、こう言われました。「誰がそんなのを望んでるんだ?」と。「お前らは田舎から出てきて、東京でなかなか芽が出なくって、そんなあか抜けないお前らが、汚い格好で自分たちのことを自虐的に毒づくから面白いんだ。それなのに、かっこつけちゃってどうするんだ」ってね。
残酷ですよ。でも、そこからが成長なんです。「なりたい自分」ではない「ダメな自分」を認め、そのなかから「お客さんが自分に求める役割」を真摯に考えていく。自分の勝手な理想を追うんじゃなくてね。それが「仕事に本気になる」ってことなんです。僕の場合なら、自分自身のどうしようもない生き様そのものが、「求められている芸風」なんだってことです。それがわかってから「自虐芸」という自分の形ができあがっていったんです。
仕事を楽しむためには、嫌なことをあえてやってみるといい
「仕事が面白くない」っていう若い人が多いと聞きます。極論で言えば、僕だって仕事なんかしたくない。一生ボーっとして暮らせればその方がいい。でも、そうはいかないわけです。生活していかなくちゃならないんだから。しかも僕らの仕事は、いつも崖っぷち。いつ仕事がなくなるか、気が気じゃない。だからといって、そればっかり気にしていてもつまらないでしょ? だったら、何とかして楽しんだほうがいいと思っています。
竹山さんは辛くないんですか、何でそんなに打たれ強いんですか、ってよく言われますけど、僕だってもともとは普通の人間です。 その普通の人間がタフになるために一番いいのは、「嫌だと思うことを、あえてやってみること」なんです。
例えば、出演者が大物ばかりのときは、自分に何かできることがあるのかな、なんて、不安に思うときもあるんですけど、そういう辛い仕事こそ、思い切ってやってみると発見が多いんです。「こうやったら、大御所でも結構からめるんだ」とかね。そして、そんな予想外の経験を蓄積していくことで、「あの時も大丈夫だったから」って、いろんなことを渡れる「大人力」みたいなものが、徐々に身に付くんじゃないかと思うんですよ。そして、その「大人力」が身に付くと、多少の失敗も引きずらずに、気持ちの切り替えができるようになる。
みんな失敗したくないって言うけど、気持ちの切り替えさえできれば、失敗なんて大したことではないんですよ。そのためにも、嫌なことでも何でも「進んでやってみる」ことが大事なんだと思いますよ。


2008年から2013年まで毎年、単独ライブ「放送禁止」を開催しているカンニング竹山氏。2008年〜2012年の単独ライブ「放送禁止」はすでにDVD化されており、その内容の過激さから、毎回大きな話題となっている。
最新作「放送禁止2012」では、これまで、テレビなどで一切話してこなかった相方・中島忠幸氏の死をカンニング竹山氏が初めて語る。中島氏が亡くなった後、「ぽっかり大きな穴が開いた」と語る竹山氏。その後、2008年から始まった単独ライブで、芸人として自分がやるべきことを追求していった。さまざまなタブーに挑戦するその姿は、真の芸人魂を感じるとともに、観る者に勇気と笑いを与えてくれる。特に自身の半生をつづった「放送禁止2011」。そして相方・中島氏の死を語った「放送禁止2012年」は必見。「相方の死を笑いにする」という禁断のネタを扱った驚愕ライブ。見て絶対、損しない作品だ。
- EDIT/WRITING
- 高嶋ちほ子
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 栗原克己


自分の「こだわり」を活かせる企業に出会うために、
リクナビNEXTスカウトを活用しよう
リクナビNEXTスカウトのレジュメに、仕事へのこだわりやそのこだわりを貫いた仕事の実績を記載しておくことで、これまで意識して探さなかった思いがけない企業や転職エージェントからオファーが届くこともある。スカウトを活用することであなたの想いに共感してくれる企業に出会える可能性も高まるはずだ。まだ始めていないという人はぜひ登録しておこう。