プロ論。

なぜ、あの人はいい仕事ができるのか。 第一線で活躍する人物の「こだわりの仕事術」を紹介します。

凡作を恐れないこと。傑作はたくさんの凡作があって生まれるんです

山本兼一さん(作家)
やまもと・けんいち●1956年、京都府生まれ。80年同志社大学文学部卒業後、海外を放浪。帰国後、上京し、出版社に就職。業界誌の記者となる。その後編集プロダクションを経て、30歳でフリーライターに転向。93年からは住居を京都に移し、時代小説の執筆に入る。99年『弾正の鷹』で小説NON創刊150号記念短編時代小説賞佳作。その後『白鷹伝』『火天の城』『千両花嫁』など時代小説を上梓。2009年、『利休にたずねよ』で第140回直木賞受賞。
2009年2月25日

小説家を目指す人は多い。
それだけに、食べていくのは至難の業。
今年1月『利休にたずねよ』で
直木賞を受賞した山本氏は、
何が違っていたのだろうか。

迷ってもいい。でも最終目標は定めておくこと

サラリーマンになるのが嫌だったんです。プータローの元祖のようなものでして(笑)。大学卒業後は就職もせず、1年間、世界を旅して回りました。いわゆるバックパッカーですね。「何かが変わるかもしれない」と思って行ったんですが、結局、何も変わりませんでした。

日本に帰ってきたら、留年して5年生になっていた友達もちゃんと就職が決まっていて。「オレも社会復帰しないとまずいぞ」と、急いで上京し仕事を探したんです。

昔から「いつかは小説家に」と思っていましたから、少しでも文章を書ける仕事に就こうと、オフィス家具の業界誌の記者になりました。

ところが、いざ記者になってみると、書くことで食べていきたいなんて、とんでもなかった。文章も下手でしたが、それ以前に物を知らなかった。業界知識もない上に社会人としての常識もない。取材に行ってもろくに話が聞けなかったんです。恥ずかしい思いをたくさんしましたね。

20代は目の前の仕事をこなすことに必死で、特に展望はありませんでした。20代は迷うこと、多いでしょう。それでいいんだと思います。

ただ、一つ言っておきたいのは、最終的な目標を定めておいたほうがいいってこと。目標さえ持っていれば、達成できるかどうかはわからないけど、少しずつ近づいていくことはできる。正直に言うと、駆け出し記者のころは、小説家になれるとは思ってなかったこともあった。でも、徐々に文章が書けるようになって、作家という最終的な夢のほうに少しずつ向かっていったんです。

30歳の時にフリーライターになったのもそのためなんですよ。フリーならば、仕事を選べますからね。それで徐々に読み物や署名原稿で書かせてくれるルポの仕事なんかを増やしていくようになったんです。

時代小説を書くまで、何度も落選を経験

36歳のとき、母親が亡くなって、父親が一人になったんです。それで京都の実家に居を移しました。父も、孫と一緒に住めると嬉しいでしょうからね。

それに東京って家賃が高いでしょう。家族もいましたから、家賃のためにたくさん仕事をしなくてはならなかった。だけど実家なら家賃はいりませんよね。その分小説を書く時間がとれるわけです。引越には、そんな目論見もありました。

そこからは空いた時間で小説を書き続けました。最初は時代小説ではなく、現代小説を書いていたんです。新人賞にどれだけ応募したか。箸にも棒にもかからなくて、何度も何度も落選しました。

そんなある日、気づいたんです。自分のことを書いても面白くないんじゃないかって。現代小説って、自分を投影して書きますよね。でも自分の話なんて、誰も聞きたくないんですよ。よっぽど波瀾万丈の人生を送った人なら別かもしれませんけど、普通に生きている人の生き様なんて、他人が聞いても面白くない。

でも、歴史上にはとんでもなく魅力的な人がいっぱいいるでしょ。そういう人のことを書けばいいんじゃないかと。自分の弱さではなく、他人の強さを書くことにしたんです。

幸い京都に住んでいましたから、歴史の残影は近くにたくさんあった。まだ誰も書いてないテーマを見つけやすかったんです。

この選択は功を奏し、出版社に認められました。『弾正の鷹』という信長暗殺をもくろむ女鷹匠の話です。これで『小説NON』の短編時代小説賞の佳作になりました。43歳のときです。

実は、時代小説を選んだのには、もうひとつ理由があります。それは書き手が少ないこと。ミステリーや恋愛ものだと書き手が多いでしょう。そこから芽を出すのは難しい。その点、時代小説なら、確実にファンはいるのに書き手が少ないんですよね。

これは実は、以前取材した大きなホテルの中華料理の料理長から聞いた成功論なんです。その人になぜ中華料理を選択したかうかがうと、フレンチや日本料理に比べて、なり手が少ないからだとおっしゃっていた。「早く役員になりたいから」とわざと伸び盛りの二部上場企業に就職した社長もいた。希望者が少ない分野の方が早く出世できる。これも、ひとつの方法だと思いますよ。


稀代の茶人である千利休をはじめ、
鷹匠、大工、道具屋と、
山本氏はエキスパートを
題材に選ぶことが多い。
それはなぜか。

仕事に就いたら、最低1年は続けること

だって、カッコいいでしょ、エキスパートって。何かを極めた人って、とってもピュアなんですよ。話していても、非常に気持ちがいい。

人間って、35歳までにやってきたことで、人生が決まるんだと思います。35歳までにベースとなるものを築いておかないと、やりたい仕事に就きたいと思っても難しくなる。

だから、35歳までは基礎作りの時期だと思って、目の前の仕事に真剣に向き合っていかないとダメですよ。すぐ仕事を辞めてしまう若い人が多いと聞くけど、仕事に就いたら最低1年は続けること。1年やっていたら、次の会社に移るとき、どんなことが身についているのか、話をすることができますから。

僕も会社を1度辞めたけど、その転職がステップアップになるかどうかが大きな問題ですよね。最悪なのは、人が嫌いで会社を辞めること。人間関係が悪いとか、上司が嫌いなんていう理由で辞めても、何のプラスにもなりません。

仕事って、どんなものでも何かしら学ぶことがあるんです。私がフリーライターをしていたときにも、いろんな人から、たくさんヒントをもらった。それが小説を書くようになった今、非常に役立っているんです。

いい仕事をするためのヒントって、実は周りにたくさん転がってるんですよ。でも、真摯な態度で臨まないと、ヒントをヒントだと気付かない。自分のものにできないんです。

ある日、目覚めたらいきなりトップになっている、なんてことはありません。小説の世界だってそうですよ。「オレが書いたら…」なんて、1作目から賞をもらえると思っている人が多いけど、そんな人はめったにいません。なかにはいるかもしれませんけど、ごく稀です。ほとんどの人が、凡作をたくさん書いて、少しずつ修正して徐々にいいものが書けるようになるんです。

だから、凡作を出すことを恐れてはいけないんです。作品には、幸せな作品と不幸な作品があるんですよ。いろんなことがうまく回ったとき、傑作が生まれる。だから、凡人は数を出さなきゃダメなんですよ。

information
『利休にたずねよ』
山本兼一著

千利休はなぜ切腹をしなくてはならなかったのか。一茶人にとどまらず、秀吉の参謀として天下統一を支えた利休。その鋭さ、聡さゆえに、秀吉にうとまれた。利休の審美眼に秀吉が嫉妬した。これまでさまざまな解釈がなされてきた秀吉と千利休の確執を、「利休の恋」をテーマに新たな側面から描く。「利休好みの水指を見て、わびさび=枯れた世界だとする解釈に疑問を感じた」という山本氏。エネルギッシュで恋心の強い新しい利休像を浮き彫りにした意欲作。第140回直木賞受賞作品。PHP研究所刊

EDIT/WRITING
高嶋千帆子
DESIGN
マグスター
PHOTO
栗原克己

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