




約5200人の外国人タレントが所属する
「稲川素子事務所」。
設立は今から25年前。
稲川氏が50歳のときだった。

専業主婦から一転、事務所社長へ
自分から芸能事務所を立ち上げようと思ったわけではないんです。私はずっと専業主婦で、熱中していたことといえば娘のスパルタ教育くらい(笑)。娘をピアニストにするために、片時もそばを離れず厳しくレッスンさせていたんです。
転機は50歳のとき。ピアニストになった娘に、たまたまテレビ局からドラマへの出演依頼がきて。私は付き添いで収録に立ち会ったんです。そしたら監督が、次の映画に出てくれるフランス人を探していたんです。ずいぶん困っていらっしゃるようだったから、「フランス人なら知り合いがいますけど…」って、つい言ってしまった。そしたらすごく喜ばれて。でも、帰宅後、そのフランス人に電話をしてみたら、彼はすでに帰国していたんです。
このとき「見つかりませんでした。申し訳ございません」と監督に言っていたとしたら、今の私はなかったと思います。私は一度引き受けたものは何があっても放り出せない性格。どうしたらいいか悩んでいたところ、娘から「だったら探せばいいじゃない」と言われて。それで方々に電話をかけて、フランス語の学校でやっと適任者を見つけました。その方はフランスの文化庁から派遣されていた元俳優。それはそれは素晴らしい演技をされ、監督さんも大喜び。それ以来、「稲川さんに言えば、いい人を紹介してもらえる」と、次々と依頼がくるようになったんです。
外国に遊学していた父の影響もあり、語学は得意でした。でも、特に外国人の知り合いが多いわけではなかったんです。それでも頼まれると断れないから、皆さんのご期待にそえるようになんとか探して。
2年間はお金をとらず、ボランティアで外国人を紹介していたのですが、ある日テレビ局のプロデューサーの方から「会社組織にして本格的にやってもらえないか」と言われたんです。それまで主人には内緒でやっていたでしょ。家に帰って突然「会社を設立したい」って言ったら、「会社は"ごっこ"じゃないんだ」って、全然相手にしてもらえなかった。だけど、義母が「語学を勉強してきたあなたに向いている仕事じゃないかしら」と、応援してくれたんです。それから、85歳の義母と娘と3人で六本木の自宅をオフィスにしてプロダクションを始めました。
ディスコのお立ち台からスカウト
出演依頼は多いものの、登録者はゼロ。知名度もありませんから、こちらから探さないとなりません。外国人をスカウトするために、六本木の街頭に毎晩立ち続けました。
ディスコにも行きましたよ。お立ち台の上に立って、役にぴったりの外国人を探すんです。見つけたら腕をつかまえて外にひっぱっていった。だって中じゃ、うるさくて話なんかできないでしょ(笑)。
それで、「どうかどうか、明日必ずスタジオに来てください。あなたが来てくれないと本当に困るんです」と何度も頭を下げて頼み込むんです。不思議と来ない人はいませんでしたね。それだけ必死の形相だったのだと思います(笑)。
私はどんな端役であっても、自分で会って納得した人じゃないと紹介しませんでした。一度「すごくきれいな人よ」と知人から言われて、会わずに現場に来てもらったら、大失敗だったことがあったんです。それ以来、必ず自分の目で確かめることが信条となりました。
それで気に入らなければ、何時間かかっても探し続けた。どうしてそこまでやったのか。凝り性だというのもあるけど、何より、適材を紹介するのが私の使命だと思っていたからでしょうね。
街頭で人探しをしてるとね、うっかり「本物」を捕まえてしまうことも結構あるんです。あなたの風格は社長役にピッタリだと、ある有名なコンピュータ会社の社長さんに声をかけてしまったり、教授役をしてみませんかと、イギリスの著名な大学教授をスカウトしてしまったり…。
顔は履歴書なんですね。肩書を名乗らなくとも、内面からにじみ出てくるものがある。そういうものは、なかなか身につかないものだけど、皆さんに共通しているのは、一途だってこと。信じていることを疑わず、ひたすらそれに向かって頑張る。途中でダメかなと思うことがあっても、あきらめないし、決して辞めない。
継続は力なりっていうけど、本当にその通りなんですよね。マラソンでもそうでしょ。偉いのは、最初にトップを走っている人ではない。最後まで走り続けた人ですもの。



夢は「暗いうちに寝ること」だという。
多忙な生活の中、75歳で東京大学大学院
修士課程を修了し、博士課程に進んだ。
専攻は国際関係論。
さまざまな外国人と関わってきた稲川氏には
うってつけの学問だ。

3回目にやっと受かった東大受験
後期高齢者なのに、学割も使えるのよ(笑)。実は私、19歳のとき大学を中退しています。原因は盲腸の手術を受けた際の医療ミス。右半身が不随になりました。65歳になって、やり残したことはないかと考えたとき、中退していた大学に復学することを思いついたんです。学生時分に取得していた66単位のうち、認められたのは22単位だけ。結局4年半かかって、70歳で卒業しました。
鉄は熱いうちに打て、じゃないですけど、それからすぐに東京大学の大学院を受けたんです。でも、難しくて見事に落ちました。それで、東大の研究生となって必死に勉強を続けて、3度目でやっと受かりました。その後も仕事を続けながら論文を書いて。この仕事を始めてから、睡眠時間は平均2時間なんだけど、このときばかりは、疲労で目が見えなくなった。寝たら直りましたけど(笑)。
なんでその年になって、勉強するのかと聞かれますが、私にとって、勉強は心の栄養剤なんですね。この仕事をしていると、自己主張の強い外国人と、あいまいな日本人とのあつれきに、ほとほと疲れて果ててしまうんです。外国人は言うことなんか聞きやしません。義理なんかも通じません。親切にしてあげても勝手なことをする。最初はこれが辛くてね。
人って、何かしてもらったことを覚えておくことはできるんです。でも、相手にしてあげたことを水に流すのは難しい。これは自分で自分を律して、心の訓練をしないとなかなか身につかない。そのためにも、勉強することって大切なんです。とはいえ、しょっちゅう無心してくる人にはさすがに辟易しますけど(笑)。

- EDIT/WRITING
- 高嶋千帆子
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 友野正


自分の「こだわり」を活かせる企業に出会うために、
リクナビNEXTスカウトを活用しよう
リクナビNEXTスカウトのレジュメに、仕事へのこだわりやそのこだわりを貫いた仕事の実績を記載しておくことで、これまで意識して探さなかった思いがけない企業や転職エージェントからオファーが届くこともある。スカウトを活用することであなたの想いに共感してくれる企業に出会える可能性も高まるはずだ。まだ始めていないという人はぜひ登録しておこう。