




漫画家になりたい人は多い。
しかし、長期にわたり
第一線で活躍できる人はごくわずかだ。
累計510万部を売り上げた『六三四の剣』など、
これまで数々のヒット作品を
世に送り出してきた村上氏は、
どうやって、人気漫画家となり得たのか。

仕事をするんだったら、好きなことをやらなきゃ
絵を描くことが好きな子どもでした。父が映画会社で絵師をやっていた影響もあって、将来は挿絵画家になろうかと思っていたんです。今でいうイラストレーターですね。それで高校を出たら美大に進もうかなと、漠然と考えていた。挿絵で食べていけるとまでは思っていなかったけど、僕はルーズな性格で、遅刻せずに学校に行くのも大変だったから(笑)、毎日決まった時間に出勤する仕事はできないだろうなと。とにかく家でできる仕事に就きたかったんですよ。
そんなとき、手塚治虫先生が創刊した漫画雑誌『COM』と出会って、すっかりはまってしまった。高校2年生のときでした。それからは漫画三昧。ひたすら漫画ばかりを描いていましたね。それで、いつの間にか美大に行く気が失せてしまって、進路が決まらないまま高校を卒業してしまうんです。
だからといって、毎日ブラブラするわけにもいかない。とりあえず建築製図の職業訓練校に行くことにしました。そこでいろんな人と出会うんです。家族もいるのに会社を辞めて学校に通い始めた人、高給取りだったのにやりたい仕事に転職しようとしている人。みんな夢を持っていてね。僕のようにふらふらしている人は一人もいなかった。それこそ人生をかけて真剣に勉強しているわけです。そのとき初めて、自分はこのままではダメだと思いました。仕事をするんだったら、好きなことをやらなきゃダメだと。
自分にとっていちばん大事なものはなんだろう。これまでの18年間をひも解いたら、やっぱり漫画だったんです。なれるものなら、漫画家になってみたい。そう強く思いました。それで、近くにお住まいだった望月あきら先生のもとに押しかけて、無理やりアシスタントにしていただいたんです。半年後事情があってアシスタントチームが解散になり、そこからは雑誌に漫画を投稿する日々が続きました。
打ち切りのショックで、1年半、描けない時期が続いた
当時、新人の登竜門として、『少年ジャンプ』の手塚賞という新人賞があったのですが、その賞と月例の賞と2本応募して、全部落ちまして(笑)。でも当時の編集長が「企画があるから描いてみないか」と声をかけてくれて、幸運にもデビューすることができたんです。21歳でした。周りからなかなかいいものを持っているなんて褒めてもらってね、なんとなく認められた気持ちにもなっていた。
その後、今度は自分の企画で連載を始めたんですが、どうも人気がでなくて。あっさり10週で打ち切りになってしまったんです。ショックで1年半、全く描けない時期が続きました。
実家にいたので、食うことには困らない。それゆえの甘えもあったんでしょうね。自分が面白いと思ってることが通用しない現実を突きつけられて、何が面白いのかわからなくなってしまった。「読者に何かを伝えたい」という気持ちを失ってしまったんです。精神的に追い込まれて、キツイ状況が続きました。
結局、「お、うまいじゃん」って言われて喜んでいるだけでは、一回で終わってしまうということです。これが「プロの壁」というものですね。締め切りに追われながらも、さまざまな技巧を凝らす。そして自信を持って「面白いです」と言えるものを出す。このレベルが保てて、プロとしてはギリギリセーフといったところでしょうか。
10週で打ち切りになって、僕はやっと「プロの壁」に気づいたんですね。単に気づいただけですよ。こういうのをスランプとはいいません。スランプとは、何かを成し遂げた人が陥るものですから。僕が本当のスランプを味わったのは、30歳過ぎてからですね。ちょうど『六三四の剣』が終わったころのことでした。



テレビアニメにもなった『六三四の剣』。
その後に発表した『龍−RON−』は
全42巻のロングセラー作品となった。
しかし、ヒットの裏には、
長い苦悩の日々があったのだという。

面白い作品が描けたからって、次も面白いとは限らない
『六三四の剣』が終わった後、何本か少年誌で連載をしているんです。でも本当は青年向けの漫画をやりたかった。でもいろんなしがらみがあって、できなかった。少年誌から心が離れているのに、少年誌を描き続けていたんです。そしたら、朝、仕事場に行きたくなくなってね。ついには吐き気がするようになった。そんな悶々とした苦しさの中で仕事を続ける日々が5年間続きました。本当は30代っていったら、いちばん張り切らなきゃいけない年齢なのにね(笑)。でも、その5年間は無駄じゃなかったと思う。苦しんだ分だけ、やりたいことが明確になったから。
『六三四の剣』がヒットして、これで自分もプロになれた、なんて思ったけど、安心した途端にスランプがきた。前の作品が面白かったからって、必ずしも次もいい作品が描けるとは限らないってことですね。やっぱり自分が「これ面白い、ぜひ描きたい」と思えるものを題材にしないとダメ。それで、若いころから描きたかった作品『龍−RON−』の連載を始めることにしたんです。
懸命に取り組めば、仕事はアイデンティティになる
『龍−RON−』の登場人物は、みな波瀾万丈の人生を歩んでいきます。人って、子どものころに思い描くものとは、全く違う人生を歩みますよね。それでもいいんです。大事なのは、そのときそのときを一生懸命に生きてきたかということ。生きている実感を得ながら毎日を過ごしているかということ。『龍−RON−』では、それを伝えたかったんです。
これは今、連載している『JIN−仁−』でもそう。外科医・南方はひょんなことから幕末にタイムスリップしてしまい、誰も知らない江戸の町で孤独に苦しむわけです。これから自分がどうなるか分からない不安の中、外科医・南方がすがったのは、自分が習得してきた医術だった。
人は、自分ではどうにもならない大きな運命の波にのまれてしまうことがある。でも、そんなときに自分を支えてくれるのは、仕事なんです。仕事とは、自分と社会をつなぐもの、アイデンティティなんですよ。
本気になって仕事をしているとね、何か起きたときに生きる力を与えてくれるんです。そしてそのうち、自分は仕事に生かされているんじゃないかと思うようになってくる。それが使命とか天命とかいわれるものなんだろうけど、でも、そんな大仰に考えなくてもいい。単純にかっこいいじゃない、プロフェッショナルって。「へえ、よく、知ってるね」って言われて、「プロだからね」って、答えられるのってステキじゃない。僕自身もプロフェッショナルでありたいと思うし、友達になりたいと思うのはそういう人なんですよ。


幕末の江戸にタイムスリップしてしまった脳外科医・南方仁。治療方法がないために麻疹やコレラで次々と死んでいく江戸の人々の苦しみに接し、現代医学の知識と経験を頼りに治療を始める。自分がしていることは歴史を変えてしまうのではないか。悩みつつも、治療を求める人々の声にこたえることで自らの存在意義を見出していく。00年より『スーパージャンプ』誌上で連載開始。08年5月には単行本11巻が刊行され、現在までに累計100万部を超えるベストセラーとなっている。仕事に迷いを感じている人にはぜひ読んでほしい一冊だ。集英社刊。
- EDIT/WRITING
- 高嶋千帆子
- DESIGN
- マグスター
- PHOTO
- 栗原克己


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