貧困・紛争をなくし、助け合う世界をつくりたい!

世界の問題と本気で闘う「社会起業家」という働き方

国内外の社会問題に直面し、「何とか自分の手で解消したい」「社会の不平等をなくしたい」という高い志を持って、自ら行動に移している人がいる。本業のかたわら社会活動を続ける人、会社を飛び出しNPOを設立した人…彼らを駆り立てたものは、何だったのだろうか?それぞれの想いを持って問題解決に取り組む4人の「社会起業家」を取材した。

2012年4月11日

「経済的理由などによる教育格差をなくしたい。子ども一人ひとりと
向き合える志の高い教育者を増やしたい」

特定非営利活動法人Teach For Japan 松田悠介さん

特定非営利活動法人Teach For Japan
代表理事
松田悠介さん(28歳)

経済的理由などさまざまな事情で十分な教育を受けられない子どもが多くいる地域に、熱意と志ある若者を教師として派遣している。

特定非営利活動法人Teach For Japan 代表理事
松田悠介さん(28歳)
大学3年生のときに教師を目指して私塾を立ち上げ、卒業後は体育教師として勤務。米ハーバード大学大学院で教育学修士号を取得し、帰国後にコンサルティング会社に勤務。その後、2010年7月にTeach For Japanの前身であるNPO法人Learning for Allを設立。教育機会の不平等を是正し、すべての子どもたちの可能性を活かす社会を実現するために「教師派遣事業」と「学習支援事業」を展開しているTeach For Japan。創設者であり、代表理事の松田さんは、「日本の教育システムを根底から変えたい!」という想いを持って、今日も全国を飛び回っている。
http://teachforjapan.org/teacher/

教師を目指したのは、一人の先生との出会いがきっかけでした。中学時代、私は体が小さく運動も苦手で、同級生からのいじめの対象になっていました。それを見かねた体育の先生が、体を大きくするため毎朝トレーニングに付き合ってくれて。すると、面白いように身長が伸びて体も大きくなり、運動も得意科目に。気づけば、いじめっ子たちにからかわれることもなくなりました。
この原体験から、「体育が嫌いな子に好きになってもらいたい」と体育教師を志望し、大学卒業後に都内の中高一貫校に就職。しかし、教育の現場で感じたことは、「授業の中で置き去りにされてしまっている子どもがこんなにも多いのか」ということでした。学校崩壊が叫ばれて久しいですが、それは決して子どものせいではなく、子どもに向き合う時間を十分に持てていない先生・学校の問題でもあり、ひいては日本の教育システムそのものの問題だと気付いたんです。
日本の教育システムを、もっと上流から変えなければならない。そう決意して、米ハーバード大学教育大学院で教育リーダーシップを学ぶために留学し、そこでTeach For America(TFA)に出会いました。
TFAは、教育機会の不平等などといった教育問題の解決のために、一流大学の卒業生を2年間、貧困地域や教育困難地域にある学校に赴任させる…というプログラムを実施している教育NPO。TFAでの2年間では、教師としてのスキルだけでなく、リーダーシップや課題解決力など、さまざまなスキルが磨かれます。そのため、プログラム終了後は約7割の人が引き続き教育分野に進み、志が高く優秀な教育者になっていますが、残り3割の人も政治家になって教育問題に取り組んだり、大手企業に入社して教育への投資を行うなど、教育を変えるハブとして活躍しています。「これを日本でも実現できたら教育が変わる!」と確信しました。
帰国後、TFA実現のためにビジネススキルを身につけようと考え、コンサルティング会社に入社しましたが、働きながらも常に「教育問題は深刻なのに、こんなことをしていていいのか?一刻も早く着手すべきではないのか?」と焦りを感じていました。そして、自分でNPOを立ち上げたほうが、TFAの考えを実現する近道なのではないかと考え、1年で退職。2010年7月にNPOを創設しました。

「50年後に日本の教育格差をなくす。すべての子どもが、夢を実現するために一歩踏み出せる世の中にする」が私の目標です。そのためには、教育問題に対して当事者意識を持って、解決に臨める教育者を一人でも多く生み出したいですし、法律改正に取り組んでくれる政治家も輩出したい。
今の私の重要なミッションの一つは、日本の教育システムに対する「課題意識やビジョンを発信」して、賛同者を集めること。本気の想いや覚悟に触れると、人は心を動かされます。講演会やSNS、ブログなどさまざまな方法で、私が抱き続けてきた問題意識を本気で発信することで、仲間がどんどん増えています。
情報発信のかたわら、教育プログラムの作成、賛同してくださるスポンサー開拓、教師派遣を受け入れてくれる自治体の開拓…やらねばならないことは山ほどあります。朝は5時起き、夜は夜中まで。休んでいる暇はありません。でも、毎日がめちゃくちゃ楽しい。子どもたちの笑顔、教師が成長する姿に、夢に向かって一歩ずつ進んでいることを実感できるんです。

「食材がひと目でわかるから、安心。外国人もアレルギーの人も、
笑顔で食生活を送れる社会を作りたい」

INTERNASHOKUNAL(インターナショクナル) 菊池信孝さん(26歳)

INTERNASHOKUNAL(インターナショクナル)
代表理事
菊池信孝さん(26歳)

飲食店での食材ピクトグラム利用例。宗教やアレルギーなどの理由で「食べてはいけないもの」がある人も、安心して食事を楽しめる。

INTERNASHOKUNAL(インターナショクナル) 代表理事
菊池信孝さん(26歳)

大阪大学外国語学部時代に、宗教上の理由で日本料理が食べられなかった外国人研修生と出会い、誰もが安心して食生活を送れる社会を作るために「食材ピクトグラム」を発案。在学中の2006年にインターナショクナル設立。卒業後、広告代理店に勤めるも、あまりの多忙さから「二足のわらじ」生活を断念。1年で会社を辞め、2010年からは活動に専念。
http://www.i-nsl.org/

きっかけは2005年春、大学時代に体験した国際ボランティアでした。サウジアラビア人の研修生に大阪の観光案内をすることになったんです。宗教上の理由で豚肉が食べられないことは知っていたので、寿司やそばなど、素材がシンプルな日本料理の店をいくつか想定しておきました。
しかし、彼は極めて厳格なイスラム教徒で、私が案内する飲食店を「何が入っていかわからないから不安で食べられない」と拒み続け、結局ファーストフード店でフィッシュバーガーを食べることに。それが、彼が唯一、安心して口にできるものだったのです。「日本の料理が食べたかったのに…」。彼の悲しげな表情が、胸に突き刺さりました。
この出来事は、私の視点を大きく変えるきっかけになりました。私が通っていた外国語学部には、海外からの留学生が多かったのですが、「彼らも食事に困っているのではないか」と心配に思うようになったんです。彼らが安心して、日本の食事を楽しめるための活動がしたいと、翌年にインターナショクナルを創設し、さまざまな食材表示方法を模索しました。
同年、試験的な挑戦として、大学の学園祭の飲食模擬店で、多言語による食材成分表示を実施。日本語のほか英語、中国語、韓国語で、メニューに含まれている食材を表記しました。「今までありそうでなかった」「とても助かる」などの声が挙がり、手ごたえを得た一方で、「日本語も英語もわからないから利用できなかった」という留学生の声も多く、多言語表示の限界を痛感。そこで、「食材をピクトグラム(絵文字)表示にしたら、日本語がわからない外国人も安心して食事を取れるのではないか」と思いついたんです。
当時出席していた授業で、このアイディアを発表したところ、教授に学外のビジネスプランコンペに参加するよう言われ、進められるがままに応募。すると、並みいるビジネスプランを差し置いて優秀賞を受賞しました。ビジネスとしては再考の余地があるものの、課題設定が面白いと認められたんです。それまでは、学業のかたわらマイペースに進めようと思っていたのですが、この受賞で逃げられなくなり(笑)、ピクトグラムの作成に本格的に着手。留学生や在日外国人約30人を集め、どの食材のピクトグラムが必要か、どんな絵だったらわかりやすいのかをヒアリングし、少しずつ数を増やし、精度を上げ、ピクトグラムを完成させました。
次に取り組んだのは「普及」です。大学近くのコンビニに働きかけ、サンドイッチとパンの棚にピクトグラムをつけさせてもらい、売り上げ動向を調査しました。すると、新規来店客が増え、売り上げが50%も増加したんです。
その後、知り合いのカフェや、地域の交流イベントなどでも使ってもらったのですが、好意的な声の一方で、「メニューにつけるには色味が悪い」との声が聞かれました。わかりやすさを追求し、白黒の記号のような体裁で作っていたのですが、普及のためには、料理に合う色味で、かつ温かさを感じるよう改善すべきだと考え、外国人1500人に理解度調査を行いながら、09年から約1年かけてリニューアルしました。どの国の人が見ても、同じ食材をイメージできるようデザインを何度も練り直し、オレンジと茶の温かみある色味に変更しました。
ピクトグラム普及のため、あらゆるシーンで行政に働きかけていましたが、2010年にはAPECのレセプションパーティー、関係者の宿泊先ホテルなどでピクトグラムが採用。世界各国の来賓から「助かった」「役に立った」との声を得ることができました。

われわれが目指しているゴールは、「日常のすべてに食材ピクトグラムがある生活」を実現すること。そのための第一弾がAPECなど国際会議での実績づくりでした。これを実現した今、次に目指すのは外国人観光客が利用する施設やレストランへの導入。国際空港やみやげ店、高速道路のSA、ターミナル駅などに重点的にアプローチしており、関西国際空港や西日本のSA、PAにはすでに導入されています。その次のステージが、スーパーやコンビニなどの小売業への導入や、食品パッケージへの表示です。
ピクトグラムが徐々に普及してきたことで、外国人はもちろん、食物アレルギーを持つ人にも感謝されるようになりました。これからのハードルはさらに高いですが、われわれの手で「食のユニバーサル化」を実現するため、普及拡大の努力をし続けたいと思っています。

「世界の貧困・紛争は決して人ごとではない。皆が当事者意識を持ち、
解決のために行動できる仕組みを作りたい」

GLOBE PROJECT 菅原 聡さん(28歳)

GLOBE PROJECT
代表理事
菅原 聡さん(28歳)

被災地でプロを目指すサッカー少年を日本代表戦に連れて行ったときのもよう。子どもたちの弾ける笑顔が、菅原さんの原動力になっている。

GLOBE PROJECT 代表理事
菅原 聡さん(28歳)

大学2年から1年間、世界一周の旅に出て、貧困・紛争地で世界の社会問題を目の当たりにする。帰国後、大学3年のときにスポーツを通じて社会問題解決を目指すGLOBE PROJECTを創設。フットサル大会「kick the Mine Cup」を開催し、大会参加費の一部を大会で使用したコートと同じ面積の地雷原の地雷を除去している。2006年の第1回開催以来、10万名が参加し、フットサルコート90面分の地雷原除去に成功。大学卒業後は事業運営を学ぶためにリクルートに入社、働きながら活動を続けている。
http://globe-project.jp/staff_entry

2005年、大学2年生のときに、1年かけて世界一周の旅をしました。きっかけは、高校2年のときの父の急逝。そのとき「自分は何のために生きているのか」をすごく考えたんです。それまではいい大学、会社に入れば幸せだと思っていましたが、死んだらおしまいだと気付き、将来が見えなくなってしまって…。そこで「世界で、できるだけ多くのものを見て体感してみよう」と考えたんです。さまざまな国に足を運びましたが、特に貧困地や紛争地、難民キャンプを意図的に選び、NGOや国連機関でボランティアをしながら旅を続けました。
「紛争地域」というと、どんな風景を想像しますか?テロが頻繁に勃発し、人々が泣き叫んでいるイメージでしょうか。確かに、テロの脅威には日々さらされていますが、子どもたちは道端で遊び、家族そろってご飯を食べる。ごくごく日常の風景がありました。彼らは僕らと同じ人間なのに、この地の紛争をすごく遠くの出来事のように捉えていたことに気付かされました。
旅の途中、ウガンダの貧困の村で出会った15歳の少年のことが忘れられません。彼に夢を聞くと、「自分の村を襲った部族に仕返しに行くこと」というのです。言葉が出ませんでしたね。慌てて質問を変え、「何をしているときが楽しい?」と聞くと、目を輝かせて「サッカー」と言う。そのときたまたまサッカーシャツを着ていたので、プレゼントすると、大喜びしてくれました。でも、彼のためにするべきことは、本当はこんなことじゃない。
貧困状態にあるコンゴは、携帯電話に使われるレアメタル「タンタル」の埋蔵量が世界の80%と言われます。しかし、それを巡って紛争が起き、人の命が奪われています。つまり、コンゴの紛争には、私たちの豊かな生活が関係しているということ。決して「遠い国で起きている話」ではないんだと、愕然としました。世界で起きている貧困、紛争といった問題に、まずは私たちが関心を示すことが大切だと、そのとき痛感したのです。
帰国後、皆の興味・関心を引くために、何ができるのかを熟考しました。世界一周で訪れる先々で、子どもたちに夢を聞きましたが、多くの子どもが「スポーツ選手になりたい」と言います。そこで、「スポーツを軸に、皆の興味を引き、変化につなげられるムーブメントが起こせないか」と考え、生まれたのが「参加すれば地雷原が減らせる」フットサル大会「kick the Mine Cup」。フットサルコート分の地雷原を除去するというわかりやすい仕組みにすることで、「スポーツを楽しみながら、誰かを幸せにできる」ということを皆に実感してもらえているのではと思っています。

今後、GLOBE PROJECTが目指すのは、「スポーツを通じて社会問題を解決するプラットフォームになる」ということ。現在、いくつかの大学と連携し、体育祭の公式行事としてフットサル大会を実施、僕が直接関わらなくても「kick the Mine Cup」が回るようになってきています。参加した人が、「フットサルで地雷がなくなるならば、自分だったらこんなことができるな」などと考え、社会問題の解決につながるような行動が連鎖していけばいいなと思っています。
なくすのは地雷原だけではありません。昨年より、被災地の子どもに向けたフットサル大会「Dream Ticket CUP」を継続的に開催していますが、この参加費はサッカー選手を目指す被災地の少年を、日本代表戦に連れていくために使われます。被災地への継続的な支援は難しいものですが、この方法ならばできるとの声をもらっています。これらの活動を通じて、「自分の行動が社会問題の解消につながっているんだ」と皆に気づいてもらいたいと思っています。
ただ、私自身は、より影響力の大きな方法で貧困問題を解決するために力を発揮したい。そのためには、事業として組織も活動内容もブラッシュアップしていかなくてはならないと思っています。現在の勤務先では、医療領域の新規事業をいくつか経験し、営業やマーケット開発、経営戦略などを学びました。これらの経験を活かして、「フットサル×地雷除去」よりも問題解決の規模が大きい取り組みを、考えていきたいと思っています。

「人間関係が希薄な社会に危機感。暗闇の中で感覚を研ぎ澄まし、
人とのつながりや人の尊さを感じてほしい」

一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ 志村季世恵さん

一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ
理事長
志村季世恵さん

東京・外苑前にある「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の常設会場。この奥に非日常の、暗闇のエンターテインメント空間が待っている。

一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ 理事長
志村季世恵さん

幼少期から身近な人の死や差別を体験。同時期に演劇活動を始めるが、結婚を機にセラピストに。主に末期癌の患者と向き合う「ターミナル・ケア」に関わり、死の直前に実感する「人として生きることの尊さ、素晴らしさ」を一人でも多くの人に伝えたいと決意。その方法を模索する中で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(DID)と出会う。1999年に日本での開催を実現。「見えないソーシャルエンターテインメント」として知名度が高まっている。
http://www.dialoginthedark.com/

20年以上前から、セラピストとして働いています。今までに4万人以上の人と接してきましたが、末期癌を患う人へのターミナル・ケア(終末期医療・看護)の機会が増え、死にゆく彼らからのメッセージを受け取り続けてきました。
人は死を目前にすると、生きることの尊さ、素晴らしさを実感します。そして、「なぜ、元気なときに、生きることの素晴らしさに気づけなかったのか」と言い、そのことを元気な人に伝えてほしいと望みます。そんな「心からの声」を、一人でも多くの人に届けたいと思い、本を書いたり、講演会などを行ってきました。でも、一人の活動では限界があります。どうしたら、多くの人に伝えられるのだろう…模索する日々が続きました。
1993年のこと。活動を共にしてきた金井真介さん(現DID代表)が新聞の片隅に小さく載っていたドイツのDIDの紹介記事を見つけ、「志村さんと同じような志を持っている人だし、経済的にも成功している。やりたいことは、これで実現できるのでは?」と私に教えてくれました。
完全に光を遮断した暗闇の中にグループで入り、視覚障がい者のサポートを得ながらさまざまな体験をするなかで、視覚以外の「四感」が研ぎ澄まされ、人と人とが触れ合うことの大切さも認識できる。大いに興味を惹かれましたが、何より金井さんが本体への働き掛け、国の認可、会場探しなどに奔走し、日本での開催にこぎつけました。
正直言って、効果のほどについては半信半疑でした。しかし、参加した人の声を聞いて、心底驚かされました。皆、口々に、末期癌の彼らと同じことを言うのです。「私、こんなに人が好きだったんだ」「人のことが好きだと感じたら、自分っていいなと思えた。これまで自分のことが好きになれなかったけれど、もっと愛せるようになりたい」「人と人との間には、壁なんてないんだ」と、伝えてくれるんです。ときには、涙を流す人もいるほど。「これだ!DIDこそが人として生きることの尊さ、素晴らしさを多くの人に伝える最良の方法だ!」そう確信し、活動の軸足をセラピストからDIDに移すことを決意しました。
スタート時は、会場を借りての短期開催でした。でも、すべての人がかけがえなのない存在であることを認識し、ともに助け合う社会を作るためには、いつでもDIDを体験できる常設会場が必要だと考えました。視覚障がい者の雇用を確保したいという思いも強かったです。DIDにおいては、彼らはなくてはならない存在であり、ヒーローです。しかし、開催期間が終わると、いち障がい者に戻ってしまう。「そのギャップが辛くてしょうがない」という声にショックを受け、一度は「そんな思いをさせるぐらいならば、DID自体を止めるべきではないか」とまで思い詰めました。しかし、常設会場を作ることが、彼らの雇用を守り、モチベーションを維持する最良の方法ではないかと考え直しました。
常設会場を設けるのは、資金確保が難しいわれわれには相当な覚悟がいることです。皆に気軽に参加してもらうためには、辺鄙な場所ではダメですし、「見えないソーシャルエンターテインメント」を謳うからには、スタイリッシュさも重要。それだけコストがかさみますが、資金協力のスポンサー探しに奔走し、ときには企業の経営陣にも体験してもらってDIDの良さを伝え、2009年3月にようやく東京・外苑前に常設会場をオープン。今までに6万5000名のかたに体験してもらいました。

暗闇で体験できること、得られることはとても多いです。満員電車では、ギューっと押されるたびに「ちっ」と舌打ちしてしまう人でも、暗闇の中では、できるだけ人と触れ合っていたい、人の存在を感じていたいと思うものです。暗闇の中で口にする食事やアルコールは感覚を刺激し、視覚以外の感覚の可能性に驚かされます。仲間の声、存在感、ぬくもりなど、視覚以外でモノを見て、体感することで、人と関わることの大切さ、支え合うことの大切さに気付かされるのです。
今の日本は、人と人との関係性が希薄になり、助け合いの精神が失われていると感じます。自分には存在価値がない、周りに何も影響を与えないないと、自信を失っている人も少なくありません。しかし本来、すべての人は尊く、素晴らしく、愛すべき存在。今の状態を一刻も早く是正するためにも、私はDIDを「社会インフラ」にしたいと考えています。

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伊藤理子
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平山 諭/刑部友康

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