転職なら社会人のための転職サイト【リクナビNEXT】|求人、転職に関する情報満載! 2019/12/13 UPDATE 毎週水・金曜更新!

転職・求人 トップ > 転職成功ノウハウ > 転職コラム > 【小柳津林太郎さん】バチェラーがきっかけで歩み始めた「パラレルキャリアの道」

【小柳津林太郎さん】バチェラーがきっかけで歩み始めた「パラレルキャリアの道」

20人の女性が1人の男性を奪い合う婚活サバイバル番組「バチェラー・ジャパン」で、2代目バチェラーとして人気を集めた小柳津林太郎さん。番組に参加中は、新卒で入社したサイバーエージェントで幹部を務めていたが、今年に入って独立。現在は引き続きサイバーエージェントとプロジェクトベースで仕事をしながら、トレンダーズの顧問、オンラインサロンの運営、YouTubeチャンネル運営、事業会社経営、エンジェル投資家、そしてビジネスタレントとしても活動するなど、「7足のわらじ」を履いて活躍している。

そんな小柳津さんは、自らパラレルキャリアを推し進めつつ、「複業を持ち、イキイキと働くハイブリッドなサラリーマンを日本に増やしたい」と話す。

なぜこのような働き方を進めているのか、そして思いを抱くに至った理由は何か、詳しく伺った。

小柳津林太郎さんインタビューカット

プロフィール

小柳津林太郎さん

1981年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、サイバーエージェントに新卒入社。マーケティングプランナーを経て、入社3年目で子会社「CyberX」の社長に就任。29歳のときには米国子会社の立ち上げにも関わる。2018年、Amazon Prime Videoが手掛ける婚活サバイバル番組『バチェラー・ジャパン』に2代目バチェラーとして登場、人気を博す。その後、AbemaTVアナウンス室部長などを経験し、2019年に独立。現在は、DMMオンラインサロンにて、「ハイブリッドサラリーマンズクラブ」の運営や、”Stay Gold TV”というYoutube チャンネルの立ち上げ、複数社の顧問業に従事している。

就活するか、役者の道に進むか、悩み抜いた大学時代

――新卒で入社した会社は、サイバーエージェント。昨年末まで社員として13年間勤務し、今年からはプロジェクトベースに切り替え、引き続き同社とも仕事をしている。大学時代は演劇に打ち込んでいたという小柳津さんは、なぜサイバーエージェントを選んだのか?

大学時代は、慶應義塾大学英語会のドラマ部門に所属し、英語演劇に打ち込んでいました。そのため、卒業後の進路を決める際、就活するか、役者の道に進むか…でかなり悩みました。役者の道は現実的ではないとわかっていたものの、寝食を忘れてとことん演劇に打ち込んできたので、なかなか諦めることができなかったのです。

ただ、浪人も留年も経験したので親にこれ以上心配をかけたくなかったし、もしも役者を目指すにしても、会社員の役をするには会社勤めを経験したほうがいいのではないかもと考え、就活することを決めました。

英語力が活かせそうな総合商社や、演劇経験が役立ちそうなテレビ局のアナウンス職などに応募しましたが、友人が「面白い就活セミナーがある」と誘ってくれたのがサイバーエージェント。何をしている会社なのかもわからぬまま応募したのですが、選考が進むにつれ「この会社の人との相性は良さそうだ」と感じるようになりました。

最終面接は、藤田晋社長。そのとき、「表現者として大成したい。死ぬまで表現技法と哲学をさまざまな形で追求したい」と伝えたら、「じゃあ経営者になればいい。私は会社を通して社会に対して表現している」と。その言葉にしびれ、一気にこの会社に惹かれました。

実は内定獲得後も、まだ少し迷いがあったのですが、内定者同士仲良くなって飲みに行ったり、当時スポンサーをしていたサッカーチームの試合を見に行ったりしているうちに考えが変わりました。みんな一見チャラいけれど、視座が高くて素直なやつばかり。何をやるかよりも、誰とやるかを大事にしたいと考え、入社を決意。「まずは3年限定で働いてみよう、そして3年後にもし違うと感じたならば、改めて役者の道を目指そう」と決めました。

入社2年目で「コンペで負けなし」のトップマーケッターに

小柳津林太郎さんインタビューカット

――しかし結果的には、サイバーエージェントで13年もの間働くことになる。どんどん仕事が、ビジネスが、楽しくなっていったためだ。

入社してまず配属されたのは広告部門のマーケティング。マーケティングプランナーとして大手クライアント相手にプロモーションを考え、提案するという役割でした。新卒入社者の中でマーケティング部門に配属されたのは自分一人で、ほかは全員営業職でした。「素直でイキのいい奴がいるから、目立つところに入れてやれ」という藤田社長の鶴の一声による、異例の配属だったようです。

始めはマーケティングのマの字もわからず、先輩たちを見てまねるのが精一杯でしたが、だんだんとコツをつかみ、2年目になるころには、強豪とのコンペで負けることはほとんどありませんでしたね。
勝因は、提案内容の中に、競合には出せないプランを必ず1つ入れておくこと。9割は他社でもできること、でも1割だけは絶対にまねできない。そして「これが小柳津スペシャルです」と提案する。これで負けなしでした。

ヒントにしたのは、トップ営業の先輩。なぜ受注が取れているのか見ていると、他の会社の営業が持っていけない提案を持って行っている。これを真似しました。「他社ができない」枠を確保するために、メディア枠自体を開拓して、「自分にしか用意できない特殊調整枠だ」と自信を持って提案しました。

3年目に子会社社長に抜擢、「経営者は表現者」を体現する

小柳津林太郎さんインタビューカット

――「コンペ負けなし」の実績が評価され、入社3年目には子会社の社長に就任する。ある日突然社長に呼び出され、「携帯サイトの制作会社を作るから、社長をやらないか?」と言われたとか。若手にチャンスを与えるサイバーエージェントにおいても、当時としては異例の大抜擢だが、小柳津さんは「戸惑った」という。

マーケティングの仕事は楽しいし、ちょうどマネージャーに昇格したばかりで脂が乗っていたころでした。今の役割から離れがたくて「一週間考えさせてほしい」とお願いしたら、「今決められないやつは来週になっても決められない」とズバリ言われてしまい…。すぐに当時の上司に相談したら、「取締役ではなく、代表取締役をやれるチャンスならば乗ったほうがいい。代表は見える景色が全然違う」と言われ、3時間後に「やります」と返事をしました。

実際、社会人人生13年を振り返ってみても、一番充実していて楽しかったのは経営者時代でした。責任は重いですが、仲間と一緒に大きな目標に向かって走ることができる喜び、やりがいは何物にも代えがたかったですね。

「経営者は表現者である」という藤田社長の言葉も実感しました。メンバーに対する発信も、プロダクトを通しての社会に対する発信も、経営者の役割。特にメンバーへの発信は、メンバー一人ひとりの価値観につながり、会社のカラーを決定づけるため、「自分の思いを常に伝える」ことに力を注ぎました。

立ち上げ期は、毎日本当に忙しかったですが、メンバー全員が楽しく、やりがいを持って仕事ができるよう、環境づくりを常に意識して動いていました。そんな毎日を過ごしているうちに、当初決めた「3年の期限」はあっという間に超えてしまい、期限を「30歳まで」に延ばしました。その後も、どんどんビジネスにのめりこみ、29歳のときにはニューヨークでの新規事業立ち上げを任され、単身で乗り込み子会社設立に奔走。しかし、事業が軌道に乗らず、わずか1年で畳むことに。ちょうど30歳のころでしたが、「2ケタ億単位の大失敗をした後に辞めるわけにはいかない」と、またも期限を延長することになりました。

その後、入社3年目から任されていた子会社も、32歳のときに畳む決断をしました。ガラケーからスマホのブラウザ、スマホのアプリと事業ドメインが変化する中で、アプリへのシフトで同業他社に出遅れたことが決断の背景。事業としては営業黒字トントンでしたが、優秀なエンジニアを多数抱えていたので、適材適所を考えほかの子会社で活躍してもらったほうが、本人のためにも会社のためにもメリットが大きいと判断しました。

事業環境が厳しいときも共に頑張り、未来を信じてついてきてくれたメンバーばかりだったので、会社を畳むのはつらい決断でしたが、メンバーにも、チャレンジさせてくれた会社にも、感謝しかありませんでしたね。

会社を3カ月休んで、「バチェラー・ジャパン」に参加

小柳津林太郎さんインタビューカット

――その後は、ゲーム事業部の横断組織の統括として活躍していたが、2018年、「バチェラー・ジャパン」シーズン2への参加を決める。責任ある役割を背負っていたときの、大きな冒険だった。

友人が「バチェラー・ジャパン」のキャスティングの手伝いをしていて、声をかけられたのがきっかけ。シーズン1は観ていませんでしたが、番組の存在は知っていました。社内の女子が、キャーキャー言っていたので(笑)。

何度か断ったのですが、「一度話だけでも聞きに来ませんか?」と言われて断り切れずに出向いたら、がっつりオーディション。僕は隠し事をしない性格なので、オーディションの場でも仕事内容や年収、資産、恋愛遍歴などを包み隠さず全部しゃべったら、とんとん拍子で決まってしまった。でも、決まったことでそれまで全く出る気がなかった番組に、どんどん興味が湧いてきました。

ただ、「3カ月間、休めますか?」と言われたときは迷いましたね。責任ある立場にいるし、3カ月間穴をあけるわけにはいかないと。でも、以前は役者志望であり、民放のゴールデン番組並みの予算をかけて作られている番組の主人公になれる機会なんて、おそらく金輪際ない。「今自分は社会人12年目。12年は、144カ月。144カ月のうち3カ月なんて大したことないし、この3か月間で何らかの進化を遂げて帰ってくれば、会社に還元できるものはたくさんあるはずだ」と参加を決断しました。

藤田社長に報告すると、初めは「ホントに出るつもり?呆れるわ…」と言われましたが、「でもまぁ、奥さんが好きな番組だから、見ようかな」とボソッと。そっと背中を押してくれました。

バチェラーを機に、パラレルキャリアを意識するように

小柳津林太郎さんインタビューカット

――果たして、「バチェラー・ジャパン」シーズン2は大きな話題に。小柳津さんも一躍時の人となった。

参加していた3カ月は、とても贅沢な期間でした。生きていると、仕事のことやキャリアのこと、家族、お金、恋愛…などいろいろなことを同時に考えなければなりませんが、この3か月間は結婚のことだけにひたすら向き合うことができた。「一つのことだけしか考えなくていい期間」って、大人になるとなかなかないものですからね。
そして、物事に真剣に向き合うならば、これぐらいとことん向き合い、考え抜くべきなのだということも思い出させてくれました。

配信後は、街で声をかけられることが増え、「常に見られているという意識」を持つようになりました。他人にどう見られたいか考えたうえで立ち居振る舞いを考えなければならないし、人のプラスになるような存在にならなければいけない…とも思うように。それまでも、社長として言動には注意を払ってきましたが、より意識が強まりました。

――そして、「バチェラー・ジャパン」を機に、初めてパラレルキャリアを意識するようになったという。

それまでは、サイバーエージェントでの仕事にひたすら集中していました。若手のころからさまざまな貴重な経験をさせてもらい、複業するヒマもなければ、必要性も感じたことがなかったのです。

しかし、「バチェラー・ジャパン」参加後、広告にキャスティングされたり、テレビ番組に呼ばれたり、雑誌のインタビューを受けたりするなど、本業以外の仕事が増えてきました。この時初めて、本業だけでなくこれらの仕事とも真剣に、きちんと向き合いたいという気持ちが芽生えたのです。

サイバーエージェントでは、オンリーワンな存在になりたいとずっと思い続けていました。出世を目指すだけが道ではない、「自分にしか進めない道」を開拓するのも一つの選択肢であると、自分の生き方をもって後輩たちに伝えたかった。それが、「バチェラー・ジャパン」に参加を決めた一つの理由でもあるのですが、「本業と、それ以外の役割を両立しながら、イキイキ働く人になりたい」と考えるようになりました。

そんな僕が、会社員を辞めて独立したのは、もっと大きなチャレンジをしたいと思ったから。「バチェラー・ジャパン」参加後は、AbemaTVでアナウンス室と次世代プロデュース室の室長に就任しましたが、迷いが多かったですね。AbemaTVは立ち上げたばかりの会社であり、世間からも注目され、目指すものも大きかったのですが、「そろそろ会社のふんどしでチャレンジするのではなく、自分自身のふんどしでチャレンジするタイミングなのではないか」と思うようになったんです。

今までは、「I」より「WE」を優先していて、仲間のために、メンバーのために、会社のために走り続けてきました。でもそろそろ、「I」を優先する時期なのではないかと。「バチェラー・ジャパン」を経験し、自分自身ととことん向き合う経験をしたことで、人生の視点が変わったのかもしれません。

本業以外に複数の役割を持ち、多方面でイキイキ輝く人を増やしたい

ハイブリッドサラリーマンズクラブ

――そして現在、思い描いていたパラレルキャリアをまさに実現しようとしている。サイバーエージェント(プロジェクトベース)、トレンダーズの顧問、オンラインサロン運営、YouTubeチャンネル運営、事業会社経営、エンジェル投資家、そしてタレント活動。「どれも自分にとって大事な役割」というが、中でも力を入れているのは、オンラインサロン「ハイブリッドサラリーマンズクラブ」の運営だ。本業以外にも複数の仕事や役割を持つ人たちが、自身の生き方を発信することで、イキイキ働くハイブリッドサラリーマンを世の中に増やしたい、と意気込む。

組織人として、本業を全うすることは大切です。ただ、興味の幅が広く、一つの組織、一つのミッションだけでは収まり切れないという人は多いですし、本業を頑張りつつも他のやりたいことも実現できる人生のほうが絶対に楽しい。そのほうが個人としての市場価値も高まるはずで、万が一勤務先が潰れるなどして本業がダメになっても、生きていける能力が指数関数的に身に付くとも思っています。

特に若手時代は、目先の成果に追われがちですが、社外での人脈づくりや外に向けてのポジティブな発信を行ってほしいですね。

1企業に所属して、ミッションもそう変わらず、ジョブローテーションもないという環境は、「箱の中に閉じこもっている」のと同じ。でも、中にいるとその事実になかなか気づけない。社外と関わりを持つことで、視野を社外に広げることができれば、「箱に入っている自分」を俯瞰して捉えることができるようになります。そうすれば、見えてくる景色も変わり、「自分がやりたいこと」に気づけたり、一歩踏み出そうという勇気が湧いてきたりするはずですよ。

EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:刑部友康