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超こだわりの“一筋メーカー”探訪記 この分野なら任せなさい!

岩鋳

南部鉄器一筋111年!
    鉄瓶を作り続ける三代目清茂

約400年の歴史を持つ南部鉄器。岩手県の伝統的な工芸品だ。老舗の岩鋳は欧米への輸出も盛んで、カラフルなキッチン用品も開発している。その南部鉄器の元祖は南部鉄瓶。20年前、この鉄瓶に魅せられた男がいた。

(取材・文・撮影 総研スタッフ/高橋マサシ) 作成日:13.03.18

鉄瓶一筋20年、伝統工芸士が工房を案内する

大学を出て教師になるはずが南部鉄器の職人に、「ドストライク」

鉄瓶

釜焼きから上げたばかりの南部鉄瓶

「お客さんには南部鉄瓶の全工程を65と説明していますが、細かな作業を入れると優に120はあると思っています。ただ、その120工程を終えても完成ではないんです。人に使ってもらって初めて『完成』するものですから」
こう語るのは、南部鉄器の老舗である株式会社岩鋳の伝統工芸士、八重樫亮氏だ。「三代目清茂」の号を持つ南部鉄瓶の職人である。地元岩手県の出身だが、子供のころからこの仕事を目指していたわけではない。地元の大学の文学部で学び、教員免許を取得した彼は、卒業を控えて「なんとなく先生になるのかな」と感じていたという。

ただ、スーツにネクタイが性に合わないという気持ちもどこかにあった。そんなとき、大学時代にずっとバイトをしていた居酒屋のマスターから、「就職活動がてらに見学に行ったら?」と勧められたのが岩鋳。出かけていって引き寄せられたのが、高熱で溶けた鉄が鋳型の中に注ぎ込まれ、真っ赤に焼けた鉄瓶へと変わっていく様。
「『すごい』ではなく、『作りたい』と思いました。もう、ドストライク(笑)」
20年にわたる職人人生がここから始まった。

南部鉄瓶の製作工程、デザインを起こして鋳型をつくる

岩鋳

株式会社岩鋳
伝統工芸士
三代目清茂
八重樫亮氏

しかし、鉄器のことも素材のことも全くの門外漢。理系学部であれば材料の知識も多少はあっただろうがそれも皆無。まさにゼロからの出発だったが、地道に努力を重ねて2010年に「伝統工芸士」となった。
「国の伝統工芸品の指定第1号は南部鉄瓶なんです。この南部鉄瓶を弊社のように別の鉄器へと展開することで、南部鉄器が地場産業として拡大しました。ですから私は、南部鉄器=南部鉄瓶だと思っています」
八重樫氏に南部鉄瓶の製作工程を見せてもらった。

製作はデザインから始まる。どんな鉄瓶にするかを原寸大の図面に起こして、次に厚さ1.5ミリ程度の「木型」に切り抜く。昔は木製だったので今でも木型と呼ぶが、現在の材料は鉄板だ。
次が鋳型づくり。鋳型の外側は繰り返し使うレンガ質。その内側に川砂と粘土汁を混ぜ合わせたものを入れ、木型を回転させながら、鉄瓶の形となる型をつくっていく。
「粘度汁は粘土層から取り出した粘土を水に浸して緩くしたものです。粘土汁を私たちは埴汁(はじろ)と呼ぶのですが、大切なのは川砂の細かさと埴汁の濃度のバランスです。最初は粗い砂と埴汁、次は少し細かな砂と埴汁と徐々に砂を細かくして、3〜6段階くらい砂の粗さを分けて、型を徐々に作っていきます」

手作業で続ける鉄瓶作り、オレンジ色に溶けた鉄が流れる

岩手の気質が生む「文様捺し」、震災のときは坩堝を守った

型が乾燥しないうちに「文様捺し」をする。岩鋳の南部鉄瓶の工房でも、この作業は八重樫氏と親方、もうひとりの職人しかできないそうだ。それもそのはずで、文様で有名なのが「アラレ文様」だが、これは真鍮の細い棒を使って、型に何千個もの小さなくぼみをつけていく作業。鉄瓶の大きさにもよるが丸1日はかかるという。動植物などの吉祥文様などを描くこともある。

「アラレはひとつひとつを手で作っていく地道な仕事。これが私は盛岡の人の気質に合っていると思います。大阪の人には、『何や、機械でやれば早いやんか』と言われたこともありますが(笑)」
アラレ文様が描かれるのは、南武鉄瓶が茶道の「茶の湯釜」に始まっているから。茶の湯釜に注ぎ口と取手を付けたのが南部鉄瓶であり、そのデザインが今でも踏襲されているのだ。

鋳型は上下に分割されるようになっており、その中に「中子」を入れる。鉄は鋳型と中子の隙間に流し込むので、この間が鉄瓶の厚みとなる。中子は川砂を用いて手作業で作る場合もあるが、量産した「シェル中子」を使うこともあるという。
そして、鉄を流し込む。材料となる鉄は銑鉄で、仕入れた銑鉄を鉄瓶に適した成分に調整して使う。鉄を溶かすのは電気炉である「坩堝」(るつぼ)だ。坩堝の中には20キロほど鉄が入るという。

「東日本大震災では坩堝を守ることを考えました。もっと言えば、坩堝の内部に巻かれた電気コイルです。震災で停電になったので、中の鉄をすべて出して、教えられていた対処法をしました。オーダーメイドなので、替えがないのです」
鉄を溶かすには以前はキューポラを使っていたが、1日に何度もできないことから電気炉に変えたという。

鉄瓶

デザインから起こした木型

文様

細かな手作業によるアラレ文様

炉

電気炉である「坩堝」

鉄を鋳型に流し込み、真っ赤になった鉄瓶を取り出す

鉄瓶

鋳型を並べて板を掛ける

鉄瓶

鉄を4つの鋳型に順に流し込む

鉄瓶

「返し湯」を湯汲みで受ける

坩堝に鉄片を入れて15〜20分、1400度ほどで溶けた液状の鉄を、「湯汲み」という柄杓に移す。そのまま鋳型まで運び、上から流し込む(鋳込み)。溶解した鉄のオレンジ色は小さな溶鉱炉のようだ。
「私たちは鉄を流し込む作業を『吹き』と呼びます。古式で鉄を流し込んでいたときはふいごで風を送って温度を上げていたことから、この名が付いたようです」

鋳型が4個置かれ、各々の鋳型の左右に板が掛けられた。この板は上に職人が乗って、鋳型に圧力を掛けるためのものだ。中子は中が空洞になっているので、鉄を流し込むと浮力で上に上がる。それを押し下げるための方法である。
「溶けた鉄は流動率が高いので細かな隙間まで入り込みます。その鉄を流れ出さないようにする役目もあります」

八重樫氏が4個の鋳型に続けて、一杯まで鉄を流し込む。鋳型の上まで注ぐのは、鉄自体の重みで圧を掛け、隙間の隅々まで鉄を行きわたらせるためだ。こうしないと、細かい模様がはっきり出ないという。
次に別の職人が鋳型を傾けて、中の鉄を八重樫氏の湯組みへと戻していく。これは「湯返し」と呼ばれ、必要のない鉄を坩堝に戻して再利用するためのものだ。ちなみに「湯汲み」や「湯返し」の湯とは鉄を意味している。

鋳型を移動させて上の部分を外すと、鉄瓶の尻の部分が出てくる。これは中子を上下逆に入れているためだ。そして下の部分を分解して「型出し」を行い、中子の砂を落とす「砂落とし」を終えると、熱で赤くなった鉄瓶が姿を現す。
「自分のイメージした形にならないときは、つらいというより切なくなります。今ではようやく、一通りの及第点をつけられるような鉄瓶になりました」

使われてこそ南部鉄瓶、使い手と作り手の気持ちが交差する

釜焼きから着色へ、漆を塗った後で「お歯黒」を塗るわけ

鉄瓶をしばらく冷ましてから、木炭で熱した釜に入れる。これは「釜焼き」と呼ばれ、鉄瓶の内部に酸化被膜を施すための工程。こうすることでさびを防止でき、沸かした湯がまろやかな味になるという。
仕事を終えた湯汲みには、木炭の粉末を水で溶いた「黒味」を付ける。湯汲みに溶けた鉄の不純物が付着するのと、溶けた鉄の焼き付けを防ぐためだという。
「炭は鉄そのものをつくるのにも、型を焼くのにも使いますし、型の保護にも木炭の粉を使います。先人からの知恵ですが、炭の力は本当にすごい。隅に置けません(笑)」

後日着色をする。鉄瓶を約250度に加熱し、全体に「くご刷毛」で漆を焼付ける。次に100〜150度の温度で、錆び水と煎茶を混ぜた「お歯黒」を塗る。これは漆の艶をわざと消すためだという。
「今までの工程もそうですが、これも昔からの製法です。漆だけだと光沢が強いので、色を落ち着かせるためにわざとそれを消しているのです。私も着色をしますが、やはり職人によって色の差が出ますね」

その後で取手を取り付け、鉄瓶と同様の工程でつくられた蓋を載せると、ようやく南部鉄瓶が出来上がる。この工房では多いときで月に200個ほどの南部鉄瓶をつくり、サイズ違いも含めると鉄瓶の種類は80ほどもあるそうだ。
「今は南部鉄瓶のデザインが幅広くなり、アラレ文様や吉祥文様をあえて付けないものも生まれています。ただ、私は昔ながらの文様と着色でつくります」

鉄瓶

上部の型を外すと、鉄瓶の尻が見える

鉄瓶

鉄瓶を型から出し、砂を落とす

使い手の生活が見える修理のときが、作り手の醍醐味

鉄瓶

姿を現した鉄瓶

鉄瓶

八重樫氏がつくった南部鉄瓶

八重樫氏が仕事のやりがいを感じるのは、「お客さんからの直しがきたとき」。南部鉄瓶は「孫の代まで使える」という持ちの良さが特徴のひとつだが、空焚きを続けて水が漏れるようになったり、漆がはげてしまうなどもある。そうしたときに修理の依頼がくるのだ。ただ、南部鉄瓶は一般的に高価で、数万円するものも珍しくない。修理にも5000円や1万円がかかるという。

「南部鉄瓶は衝動買いではなくある種の決断をして購入する商品。修理の費用だけでも程度のよいやかんがいくつも買えますよね。それでも買っていただき、使っていただいて、直してまた使おうと思ってくださる。だから、修理のときが作り手冥利に尽きるんです。とてもうれしいんです」

鉄瓶は何年、何十年と使い続けると、その人なりの個性が出てくるという。例えば、台所で長く使えば油が付くし、居間で使用してふきんなどで拭き続ければきれいな状のままだ。
「使われ方はどうでもよいんです。私の鉄瓶なんて台所でタフに使っているので油まみれですから(笑)。どんな状態でも鉄瓶が頑張っておいしいお湯を沸かし、長い時間を掛けて使い手の生活を移し取っていく。直しで預かるのはそれが見える瞬間です」

「納戸にあったんだけど使えますか」と古い鉄瓶が持ち込まれたり、震災の後には「塩をかぶったのだけどもう一度使いたい」と、津波に飲まれた鉄瓶を持ってきた人が大勢いたという。
「工芸品は使ってもらってナンボ。お客さんに使ってもらって初めて完成するのだと思います」

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