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プロジェクトメンバーが語る、通信の独自網化に賭けた10年とは
ウィルコムの自社IP網収容プロジェクト開発ストーリー
2012年9月、ウィルコムは全ての通信を自社IP網に収容するプロジェクトを達成した。今後のサービス拡大とコスト削減に多いに寄与するだろう。エンジニアたちを奮い立たせたITXプロジェクトの10年をたどる。
(取材・文/広重隆樹 総研スタッフ/宮みゆき 撮影/栗原克己)作成日:12.12.12
見直されるPHSサービス。契約数は過去最高に

「2011年3月11日、東日本大震災の直後、ウィルコムのPHSはPHS同士ならもちろん、他社の固定電話ともすいすいつながりました。ほかの携帯はつながらなかったので、会社の連中に貸したら大人気でした」
 これは2011年の3月、とある価格比較サイトに書き込まれたクチコミの一部だ。

「加入者が少ないからつながるんじゃないか」というスレ主の推測に、「そうじゃない。マイクロセル方式という携帯電話とは違う方式で基地局を展開しているからだ」という事情通のコメントが続く。マイクロセル方式は、携帯電話に比べて同じ面積当たりの基地局数が多いことからトラヒックが分散され、1つの基地局に対する負担が低い。そのため、基地局に対する輻輳が起こりにくい──という特徴を指摘したものだ。
 東日本大震災によって、PHSのインフラとしての強さが示された。その後、地方自治体の中には、学校や公民館など災害時には避難所にもなる施設にPHS端末を配備するところが増えている。

 PHSサービスの供給を行うウィルコムは、同社の災害支援プロジェクトの一環として固定電話型デザインのPHS「イエデンワ」の自治体への導入をサポートしている。設置工事が不要で、乾電池でも長時間使えるなどのメリットがあるという。
 現在、日本で全国的に音声・データ通信のPHS事業を行っているのはウィルコムのみ。ウィルコム自体は、2004年米カーライル・グループによる買収を経て、2010年には事業分割の上、ソフトバンクから再生支援を受けることになった。

 一時は携帯、スマートフォン(以下スマホ)に比べれば影が薄くなっていたPHSサービスだが、東日本大震災はその存在を見直すきっかけにもなった。通話品質の高さ、料金の安さやバッテリーの持ちのよさなどは、以前から魅力の一つだ。
 親は携帯だが小さな子どもにはPHSとか、スマホとPHSの2台持ちをするビジネスパーソンなど、携帯端末の複数台使用というシーンが増えており、その存在があらためて注目されている。スマホにかかってきた電話をPHSで受けたり、スマホ給電できるPHSなど、スマホ連携が可能な新機種も発売、発表されている。

 ソフトバンクの再生支援を受けてからの技術とサービスの革新はウィルコムの経営再建にも好影響を与えている。「だれとでも定額」や「もう1台無料キャンペーン」などの施策も奏功し、2011年1月には契約数が純増に転じた。そして12年9月には累計契約者数が過去最高の500万件を突破するなど、ウィルコムのPHSは完全に息を吹き返したのである。

他社依存を脱し、すべてを自社IP交換機に切り替える
野 清治氏
ウィルコム・技術本部開発運用統括部
技術開発部部長
野 清治氏

「PHSは死んでいない」──そんなことはウィルコムの技術者たちにとっては自明のことだ。1995年「ポケット電話」としてのサービス開始から数えて17年。モバイル通信の急激な技術革新を乗り切ってきた自信が彼らにはある。

 だが、災害対応力や魅力的な新型端末、多様なサービスなどがユーザーに評価されるためには、その前提となるネットワーク品質の向上が欠かせない。そして、どのようなネットワークを構築するかは、サービス品質はもちろんのこと、経営戦略にも大きな影響を与える。ネットワーク構築に中長期的な技術投資を行って、会社としての収益体質を高めることが、これからの永続的な事業継続には必須なのだ。

 中でもこの数年、社内で重要な技術課題となっていたのが、ウィルコム独自のIP加入者交換機「ITX」の開発だった。
「一般の人はご存知ないと思いますが、これまでウィルコムのPHS通信はすべて他社の通信網を利用していたんです。しかし、他社の通信網を利用せず、そこをバイパスする形で、回線費用の安いIP網に接続し、データ通信と音声通信を行うことが求められていました。これは当社にとって、今後のサービス拡大とコスト削減を実現するために欠かせない課題でした」
 と語るのは、ITX開発プロジェクトリーダーの野清治氏だ。

ITX導入の考え方

 野氏らが国内大手のコンピュータベンダーと共に開発したITXは、PHS基地局からの音声・データ通信をIP化してIP網に送出する装置。モノそのものは巨大なサーバーラックのような形をしている。
 開発に着手したのは2002年から2003年にかけて。そのベンダーが北米で製品化していたビジネス電話システムのハード・ソフト資産を利用したとはいえ、当のベンダーにとっても、もちろんウィルコムにとっても、IP交換機を開発するのは初めての経験だった。ウィルコムのチームは一人あたり2〜3年はベンダーの開発室に常駐。先方の技術者と共に毎日レビューを重ねた。

 完成したITX装置はまずは東京、横浜、川崎に配備され、音声定額サービスなどにも対応、2005年にはウィルコムの通信サービスの多くを占める、東名阪を中心とした都市部のトラヒックを“巻き取る”ことができるようになった。

ITX
ウィルコム独自のIP中継交換機「ITX」

 通信業界ではこうしたネットワークの更新や切り替えに伴う作業を「巻き取り」と呼ぶことがある。
 しかしここでプロジェクトが終わったわけではない。
「次の課題は、ITX配備の全国化でした。最後に残ったのは警察や消防などへの緊急連絡など特殊な通信(緊急呼)の巻き取りです。これは関係機関との個々の調整作業が必要で時間がかかります。それらがすべて終了し、切り替えが全面的に終わったのが、2012年9月末のことでした」

 全国に配備されたITXはシステム数で数千台以上にも上る。基本仕様設計から配備終了まで約10年かかったが、それでもこれだけの規模にしては短期間だったといえる。
「私自身、それまでは基地局の開発をしていたエンジニア。それが交換機の開発までをやるとは思ってもみなかったですね。交換機を自らの手で開発することで、これまで他社の装置に依存し、重要な部分がブラックボックスになっていた状態が解消され、技術開発の自由度が高まったことは確かです。エンド・トゥ・エンドまで完全に自前の通信網を持つに至ったことで、これからは新しい技術やサービスをよりスピーディーに打ち出すことができるようになるはず」
 と、野氏は語る。

ITXの役割
大プロジェクトをやりきった経験。それを次世代の技術者に伝える役目

 技術開発部の平本武司氏も、もともとはPHS端末の開発者。交換機はもちろん、基地局の開発も未経験。2002年のITXプロジェクトへの異動は青天の霹靂だった。ベンダーの工場に通い詰める中で、IP交換機とはどういうものか、ベンダーとの共同作業はどのように進めるべきかを、一から学んでいった。
「最初は知らないことだらけ。しかし、わからないことはそのまま放っておけない性格なんでしょうか。理解していないと安心ができないんです。食らいつくような気持ちで勉強を重ねていきました」

 直接の担当は通信をつなぐコア技術、呼制御の部分。今回の巻き取りにあたっては、IP網からの呼を適切な基地局に送るルート制御を行った。
「切り替え制御がうまくいかないと、お客さまは突然通話ができなくなります。巻き取りの前後でプロトコル変換のミスが起きないように、最大限の注意を払いました」

 ノード開発部の井部晃宏氏は主にセンター側装置におけるユーザー認証技術のシステムを開発した。ユーザー認証では、基地局からの呼を適切なITXに導くようにルーティングを行うが、ITX導入の初期には全ての呼がITXに巻き取られず、一部、従来の通信網に流れてしまうものがあった。
「こうしたイレギュラーがなぜ起こるのか。その究明を通して、少しずつIP交換網のシステムに習熟していきました」
 と、井部氏は語る。

 まだ学生っぽさの残る20代の半ばに、わけもわからずITXプロジェクトに投入されたエンジニアたち。いまは、すっかり中堅技術者に育った。
「何もわからないところからスタートして、それをやりきったという経験はなにものにも替えがたい。そういう馬力が自分たちにはあるんだ。その自覚は、いまの自分たちの自信につながっていますね」
 と、平本氏。

 ソフトバンクグループの傘下に入ったとたんに、次々に打ち出される新サービス。それを支える技術開発には、もしかすると、これからは10年もかけられないかもしれない。しかしITXプロジェクトで培った馬力があれば、そうした新体制のスピーディーな展開にも十分対応が可能だ。ウィルコムならではの馬力とスピード。それをこれからの若い技術者たちに伝える役目が彼らにはある。

平本 武司氏
開発運用統括部 技術開発部
交換システム開発課
平本 武司氏
井部 晃宏氏
開発運用統括部 ノード開発部
センタ1課
井部 晃宏氏
最後の数千局を乗り切ったパワー。トラヒックがそこにある限り
山石 輝一氏
開発運用統括部 伝送技術部
アクセス設計課
山石 輝一氏
佐藤 智弘氏
技術管理統括部 技術企画部
ネットワーク企画課
佐藤 智弘氏

 巻き取りプロジェクトは、開始当初は東名阪を中心とした都市部だけで十分という認識だったといわれる。トラヒックの多くがそこに集中しているからだ。しかしそれでは不十分だ、全国津々浦々にまで展開し、100%独自網に収納すべきだと方針が強化されたのは、2010年ソフトバンクの再生支援が入ってからである。この思い切った経営方針と設備投資意欲は、PHS事業の将来に対する新経営陣の大きな期待の表れでもあった。

 エンジニアとて、中途半端に巻き取りを終えてしまうと、コストメリットは限定されるという計算くらいはできる。できるものなら完璧を目指したいと考えるのも、技術者ならではの特性だ。

「2012年3月までに全ての基地局をITXに収容しきるんだ」という方針に舵が切られたとき、奮い立ったのは伝送技術部の山石輝一氏だ。全国を回って、一つひとつ工事スケジュールを詰めていった。ITX導入当初はたったの4人で回ったが、最終的には業務委託などを使い50人規模の部隊になっていた。
「他社の局舎に装置を置くだけならそう難しいことではないんです。しかし地方にいくと局舎が狭いなどの理由で物理的に置けないところが出てきました。それでも基地局からの通信を自社ITXに全部収容するという方針は揺るがない。基地局のアンテナ装置と一緒にITXのリモート装置を置くとか、ITX間を光ファイバーで結ぶとか、さまざまな技術的工夫を凝らしました」

 ウィルコムは全国に多数の基地局を張り巡らせており、それらを続々とITXに収容していった。そこまで快調だった進捗スピードがガクンと落ちたのは、基地局数が残り数千局になったころだ。
「地図を見ると小さな町や村、山奥や離島でトラヒックも少ないんですよね。これらを切り捨てるという判断もあったかもしれませんが、それでも通信が発生している。『夏場はトラヒックがないけれど、ここスキー場だよね、冬になったらお客さんが来るよね』。地図を眺めながら同僚とそんな話をしました。ウィルコムのお客さまがそこにいる限りは、全部収容しなくてはと」

 スケジュール表を片手に「いつまでならできるんだ」と山石氏ら設置部隊をまとめていたのが、技術企画部の佐藤智弘氏だ。スケジュール達成のための社内各部署の調整や、緊急呼などを巻き取るための各接続事業者との調整が主任務だった。
「いま思えば大変な事業でしたけれど、一度決めたら全社挙げてやりきるというのは、僕らのDNAの中にちゃんとあるんです」と、プロジェクトの推進力となったウィルコムのエンジニアたちの頑張りを振り返る。

「ウィルコムの長い歴史の中では、経営が苦しいからあんまりお金を使うなと言われた時代もありました。だが、ソフトバンクの再生支援以降は投資すべきところには投資するという方針。会社全体の雰囲気も前向きなりました。もともとやりきる根性だけは負けていない。そこに、他の技術領域で仕事をしてきたエンジニアが入ってきて、新しい経験を加えてくれると、もっと面白いことができそうです」
 と、転職者たちへの期待を語る。

「全国独自網巻き取りが終わっても、ITXプロジェクトはまだまだ続きます。光対応の基地局の収容やネットワークの増強など、これからの課題も多い。プロジェクトが一段落して暇になるかなと思ったら、全然そんなことはないんです」
 と、山石氏は苦笑する。だからこそ、仲間として働いてくれる技術者が欲しいのだと。

 PHSの未来を担う新しい仲間たちへ語り継ぐITXプロジェクト。技術者一人ひとりの汗が刻印のように結晶化されて、そこには刻まれている。

技術管理統括部 技術企画部 ネットワーク企画課 佐藤 智弘氏
各呼種(緊急呼など)を巻き取るために、各接続事業者との調整を実施。1999年入社
開発運用統括部 伝送技術部 アクセス設計課 山石 輝一氏
ITXを全国に配備し、全基地局を収容。2003年入社
ウィルコム・技術本部 開発運用統括部 技術開発部部長 野 清治氏
プロジェクトリーダーおよびIP交換機(ITX)の開発を担当。1995年入社
開発運用統括部 技術開発部 交換システム開発課 平本 武司氏
ITXの心臓部となる呼制御機能の開発を担当。1998年入社
開発運用統括部 ノード開発部 センタ1課 井部 晃宏氏
トラヒックルーチングを決める加入者管理装置の開発を担当。1998年入社
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