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アルキメデス、ケプラー、チューリング、ジョブズ、横井軍平… 暗殺、死刑、自殺、孤独死… 理系の天才15人の最期
技術者、科学者、数学者、物理学者、天文学者、化学者……偉大な功績を残した理系の天才たち。天寿を全うした者が多数だが、不運な死、不慮の死、謎の死を遂げた人たちもいる。ただ、どんな死に方であっても、それは彼らの功績を傷つけるものではない。
(取材・文/総研スタッフ 高橋マサシ)作成日:12.03.01
真相は闇の中、語られる天才たちの謎の死
「決闘」で死んだ若き天才数学者、不遇に煩悶した日々
「ガロア理論」で知られるフランスのエヴァリスト・ガロアは、決闘で撃たれて21歳で夭折した。死後に天才数学者として高い評価を受ける彼の短い生涯は、偶然による不幸の連続だった。
 パリの名門リセ(高等中学校)に入学し、数学の才能に目覚めるも、教師たちに理解されない。理工系エリートの養成機関である理工科学校を受験するも失敗。「試験官の知力のなさ」が原因とされる。数学の大家であったコーシーに論文を送れば、彼は約束を忘れて論文も紛失。続いて再受験の失敗、父親の自殺、新しい論文を学士院に出すと受取人が急死して論文も紛失……。

 こんな不遇な環境に悶々としていた1830年、ガロア19歳のときに勃発したのが7月革命だ。これまでの不満をぶつけるように彼は革命運動へと傾倒していく。
 1831年、危険分子とみなされたガロアは二度目の逮捕(一度目は無罪)を受け、刑務所で6カ月の禁固刑となる。釈放後はすぐに「愛国者」たちに因縁をつけられ、決闘を受けてしまう。あまりにタイミングがよいので、彼らは国から命令された暗殺者ではなかったかという疑いもあるのだが、この決闘までの間に走り書きされたのが「ガロア理論」である。

エヴァリスト・ガロア
エヴァリスト・ガロア
(1811年〜1832年)
 そして腹部を撃たれ、放置され、数時間後に農夫に発見され病院に運ばれるが、腹膜炎で死亡する。駆けつけた弟に彼はこう語ったという。
「泣くな。20歳で死ぬのにはかなりの勇気が要るのだから」
「5次方程式の解を代数的に求める」というガロア理論は難解で、当時の数学者で理解できる者は少なかった。彼の理論が確立されたのはその死から約40年が過ぎた1870年と言われる。
第三の映画発明者は、エジソンによって「消された」?
オーギュスタン・ルプランス
オーギュスタン・ルプランス
(1841年〜1890年?)
 映画の発明者は誰か?覗き見方式のキネトスコープを作ったアメリカのエジソンか、スクリーンに投影するシネマトグラフを開発したフランスのリュミエール兄弟か。その真偽は別にして、実は彼ら以外にも多くの技術者が「映画の実現」に取り組んでいた。そのひとりがフランスのオーギュスタン・ルプランスだ。彼はリュミエール兄弟の発明前に撮影機と映写機を開発していた。

 しかし、開発直後の1890年、パリに向かう列車に乗り込んだまま行方不明になる。アメリカに向かう途中で、撮影機などの設計図や特許関連の書類を持っていたとされるが、ここにエジソンの関与を指摘する声がある。ルプランスの技術を奪い、彼を殺したというものだ。「技術は盗むもの」と豪語し、強引な手法で数々の特許を取得したことも、「やりそうだ」と思わせる理由なのだろう。

『映画の考古学』を書いたC・W・ツェーラムはこう述べている。
「ルプランスが仕事を続けていたならば、5年もたたないうちに装置を完成し、映画の発明競争において対抗者のない完全な勝者になったことは疑いない」
旅の途中で死んだ天才天文学者は、殺人犯だったのか?
 惑星の軌道は楕円であるなど「ケプラーの3法則」で知られるドイツの天文学者、ヨハネス・ケプラー。彼は旅の途中で発熱して死亡するのだが、注目したいのはその死因ではなく、彼の恩師とも呼べる天文学者、デンマークのティコ・プラーエの死因である。
 なぜなら、ケプラーがプラーエを殺害したとする本があるからだ。ケプラーはプラーエの研究助手であり、家族で生活の面倒も見てもらっていた。

 プラーエは尿毒症のような症状で54歳で急死。当時から死因に謎があったようだが、1996年に行われた毛髪の化学分析により、水銀の値が通常の100倍という結果が出た。プラーエは夕食の直後に不調を訴えてその11日後に死亡したが、このときの食事と死の13時間前に、「毒(水銀)を盛られた」のだと書籍は説明する。

 その理由はプラーエの40年に及ぶ精密な天文観測記録だ。眼が悪く病弱で天体観測ができないケプラーは、資料欲しさにプラーエに近づいたが、細かな計算をやらされるだけで資料を提供してもらなかった。そのために彼を殺し、死後に資料を奪ったのだという。ケプラーの法則はプラーエの記録を基にしたと知られてはいるが、この犯罪が本当なら世紀のミステリーだ。
ヨハネス・ケプラー
ヨハネス・ケプラー
(1571年〜1630年)
事故、自殺、暗殺? ディーゼルエンジン発明者の謎の死
ルドルフ・ディーゼル
ルドルフ・ディーゼル
(1858年〜1913年)
 燃費のよさや低速トルクの強みなどで、船や大型車両を中心に普及が進んだディーゼルエンジン。このエンジンの発明者がドイツのルドルフ・ディーゼルだ。そのディーゼルは1913年、ベルギーからイギリスに向かうフェリーの航海中に行方不明になる。そして約3週間後に海で遺体が発見されるのだが、事故か自殺かはいまだに不明。殺されたという噂もある。

 1913年と言えば第一次世界大戦の前夜。ドイツ帝国は潜水艦などの開発でディーゼルエンジンの特許独占をディーゼルに迫ったが、彼は拒否して特許の公開を主張。敵対するイギリスに技術を渡すまいと、彼を暗殺したというのだ。

 彼の死後、ディーゼルエンジンの利用は乗用車にも広がり、現在ではヨーロッパの乗用車の半数弱がディーゼル車、CO2排出量の少なさから日本でも改めて注目されている。ディーゼルの死因は不明でも、彼の技術は現在でも発展を続けている。
可哀そうな最期を遂げた歴史に残る天才たち
「図形に触るな」で殺された古代ギリシャの大天才
「理系の天才ランキング」を作ればベスト10の常連は確実。古代ギリシャのアルキメデスは、科学者、数学者だけでなく、物理学者、技術者、天文学者、武器開発者でもあった。アルキメデスの「王冠」「円周率」「鉤爪」「スクリュー」など法則の発見や発明は数多く、その最期は数学者らしいこんな逸話で語られている。

 アルキメデスはシシリー島のシラクサにいたが、そこをローマ軍が占領した。その際にアルキメデスは図形を地面に描いて、何かを解こうとしていたという。ローマ軍は彼の「生け捕り」を命じており、ある兵士が彼を連行しようとした。
 しかし、熟考中のアルキメデスはそれを拒否し、図形を踏んでいた兵士に「私の図形に近寄るな」と怒鳴ったという。それに怒った兵士がアルキメデスを殺してしまったというものだ。

 その死は今から2200年以上も前のことだが、数学のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞の受賞メダルに描かれているのは、アルキメデスの横顔だ。
アルキメデス
アルキメデス
(紀元前287年〜紀元前212年)
ギロチンで切断された「質量不変の法則」の頭部
アントワーヌ・ラヴォアジエ
アントワーヌ・ラヴォアジエ
(1743年〜1794年)
 化学反応の前後でその質量に変化はないという、「質量不変の法則」を発見したフランスのアントワーヌ・ラヴォアジエ。この偉大な化学者の首はギロチンで切断された。時代が悪かったとしか言いようがない。

 ラヴォアジエは政府の代理として税金を取り立てる「徴税請負人」をしていた。悪辣な方法で取り立てる者もおり、市民からは忌み嫌われていた職業だったが、そこにフランス革命が起こった。ラヴォアジエが所属する科学アカデミーは廃止され、1794年に他の徴税請負人と共に逮捕されてしまう。

 革命裁判所の判決は死刑。ラヴォアジエは(現在の)コンコルド広場でギロチンにかけられた。裁判長は「共和国には化学者は必要ない」と言ったそうだ。だが、ラグランジュ力学で知られるルイ・ラグランジュはこう語って嘆いたという。
「彼の頭を打ち落とすのにほんの一瞬だが、同じ頭を作り出すには100年でも無理だろう」
ニューヨークのホテルで孤独死した「電気の魔術師」
 交流モーター、無線トランスミッター、点火プラグなどの発明者であり、約100年前の電流戦争(配電電流として主流になるのは直流か交流か)でエジソンに勝利した「電気の魔術師」が、セルビア出身のニコラ・テスラだ。
 ただ、日本での知名度はさほど高くなく、マッドサイエンティストとして描かれることが多い。

 電磁波による送電装置や高周波兵器の開発に取り組んだこと、潔癖症でエキセントリックな性格などが理由だろうが、実際の彼は研究熱心で真面目な性格だったようだ。
 おまけに190p超の長身でハンサムだから女性にモテたそうだが、生涯を独身で通し、晩年は孤独だった。他人とかかわらず鳩を友人として過ごす中、ニューヨークのホテルで孤独死する。発見者はホテルのメイドだった。

 彼の名はあちこちで見かける。母国セルビアにはベオグラード・ニコラ・テスラ空港や、同国最大のニコラ・テスラ火力発電所があり、磁束密度の単位はテスラ、米国電気電子学会(IEEE)にはニコラ・テスラ賞がある。彼がマッドサイエンティストではなく、努力家の天才だった証拠だろう。
ニコラ・テスラ
ニコラ・テスラ
(1856年〜1943年)
自ら命を絶った天才たち、それぞれの理由
占星術で死期を予言、叶わず自殺した博打打ちの数学者
 三次方程式の解の公式を導き出し、虚数を発見し、確率論の基礎的理論を確立した数学者。さらに腸チフスを発見した医師でもあると聞けば、「天才」と称されて当然だろう。
 例え彼、イタリアのジェロラモ・カルダーノが家族に迷惑を掛け続けた奇人で、金遣いの荒いギャンブラーだったとしても。ちなみに長男は殺人罪で死刑、次男はやはり博打好きで全財産をなくし、長女は梅毒で若死にしている。

 カルダーノは占星術者でもあり、かなりの確率で予言を的中させていたと言われる。キリストのホロスコープを作って法王庁から自宅軟禁されるなどのハプニングもあるが、自らの命日は1576年9月21日と予言もしていた。そして、それが実現しなかったためか、当日に命を絶ってしまうのである。
 カルダーノが数学に熱中したのは、ギャンブルの必勝法を探すためだったと言われる。そして彼はその「解」をこう語っている。
「ギャンブルの最大の利益は、それを行わないことで得られる」
ジェロラモ・カルダーノ
ジェロラモ・カルダーノ
(1501年〜1576年)
青酸カリのリンゴで自殺した現代コンピュータ学の父
アラン・チューリング
アラン・チューリング
(1912年〜1954年)
 機械に人工知能にあるかどうかの「チューリングテスト」で知られ、第二次大戦中はドイツ軍の暗号機「エニグマ」の設定を解読する機械を開発した、イギリスのアラン・チューリング。「現代コンピュータ科学の父」と呼ばれる彼は、同性愛者だった。

 現在では考えられないことだが、当時のイギリスで同性愛は犯罪で、チューリングはその罪で逮捕されてしまう。刑務所か矯正かを選択された彼は後者を選ぶのだが、その方法とは女性ホルモンを注射するという屈辱的なものだった。
 この仕打ちと失職のためか、2年後の1954年に彼は自殺する。リンゴに青酸カリを塗って食べたと見られている。

 しかし彼の死後、その名誉を回復させる運動がイギリスで起こり、2009年にブラウン首相(当時)の謝罪という形で結実した。首相はこう述べた。
「彼の偉大な功績がなければ第2次世界大戦の歴史は変わっていただろう。彼に対する当時の扱いは全く不当だった。アラン、本当に申し訳ない」
精神を患い、絶食で餓死した偉大な数学者
「数学は無矛盾であることを証明できない」とする「不完全性定理」。20世紀最大の発見とも呼ばれるこの定理を発表したのは、「アリストテレスと肩を並べる」と称された数学の巨人、クルト・ゲーデルだ。
 彼はナチスを嫌ってオーストリア(現在)からアメリカへと渡り、プリンストン高等研究所の教授となった。同僚のアインシュタインと親しく、アインシュタインは彼の永住のために奔走している。

 そんなゲーデルの晩年は精神を病んでいたようだ。外出せずに自宅にこもり、「毒殺」されることを恐れていたという。妻の作った食事しか摂らず、医師の治療を拒み、妻が入院している間の絶食で病院に運ばれる。このときの体重が約30sだったというから、症状がどれほど深刻だったかが察せられる。

 死因は「人格障害による栄養失調および飢餓衰弱」。論理学者として「(ゲーデルの)神の存在証明」を書き残したが、生前に公表されることはなかった。発表されたのはゲーテルの死から9年後のことである。
クルト・ゲーデル
クルト・ゲーデル
(1906年〜1978年)
交通事故、白血病、肺炎、天才たちに訪れた不慮の死
任天堂を世界企業にしたゲーム開発者、交通事故で死す
「ゲームボーイ」や「ゲーム&ウオッチ」を生み出し、任天堂が世界企業となる礎を築いたエンジニア、横井軍平。「ウルトラハンド」「ラブテスター」「光線銃SP」などのヒット商品も手掛け、「ファミリーコンピュータ」のリモコンの十字キーも彼のアイデアである。
 そんなゲーム作りの天才技術者がこの世を去ったのは1997年、北陸自動車道での交通事故死だった。

 同乗していた車が前を走行する軽トラックに追突、そのトラックを路肩に押し出そうとしている最中に、後続車に衝突されたという。それは横井が任天堂を退職して会社を設立した、わずか1年後のことだった。以前から「55歳で独立」を考えていたという彼は、商品開発についてこう語っている。

「先端技術を使わなければ売れる商品を作れないと考える人が多い。しかしアイデアとは本来そういうものではなく、どこにでも転がっているもの。しかも先端技術にこだわり過ぎることが、逆に商品を売れにくいものにしてしまっている。『枯れた技術』を使うというのが私の持論。広く普及した安価な技術でも娯楽という分野に生かせば、全く新しい商品が生み出せる」
 横井が存命であったら日本のゲーム業界、いや日本の産業が変わっていたかもしれない。
横井軍平
横井軍平
(1941年〜1997年)
放射線を浴び続けて白血病になったキュリー婦人
マリー・キュリー
マリー・キュリー
(1867年〜1934年)
 夫のピエールと夫婦でノーベル物理学賞を受賞し、彼の死後は単独でノーベル化学賞を受賞したキュリー夫人こと、ポーランドのマリー・キュリー。彼女の偉大な功績とその死因は密接に関係している。
 ポロニウムやラジウムなどの放射性元素が研究対象であり、長期間にわたって放射線を浴びたために、白血病で亡くなったのだ。そして、彼の娘のイレーヌ・キュリーは夫のフレデリックと共に人工放射性元素の研究を続け、2人でノーベル化学賞を受賞するが、相次いで白血病で亡くなっている。

 また、福島原発事故で知られるようになった放射能量の単位「ベクレル」は、フランスの物理学者であるアンリ・ベクレルに由来する。彼は放射線の発見者であり、マリーらとともにノーベル物理学賞を受賞するのだが、やはり彼も放射線被曝により死亡したと言われる。
 当時は放射性物質の危険性が認知されておらず、手でつかんでの作業や、有毒なガスが満ちた部屋で長時間実験が珍しくなかったからだろう。

 昨年はマリー・キュリーのノーベル化学賞受賞から100年目に当たり、国連は2011年を「世界化学年」と決めた。先に「当時」と書いたがわずか100年前。人類が放射能と関わった歴史はあまりにもに短い。
雨に濡れたままの講義、急死した代数の権威
 論理学を数式で表わす「ブール代数」で知られるイギリスのジョージ・ブール。商人の子として生まれた彼は「独学の人」であり、数学者とともに教育者としても知られる。
 少年期から独学で数学と語学を学び、16歳で小学校の助教師となる。そして、何と19歳の若さでリンカーンに自分の学校を設立するのだ。高等教育を受けられなかった経験がなせたことだろう。

 その後は寄宿学校も設立、自身も数学の教授になり、ダブリン大学やオックスフォード大学名誉学位を取得、王立協会特別研究員にもなる。そんな彼は49歳の若さで亡くなるのだが、その最期は教育者そのものだった。
 土砂降りの中を学校まで歩き、濡れたままの姿で講義を行い、そのまま帰宅。肺炎を発症して死亡したのである。

 ブール代数では10進数ではなく2進数を用いることが大きなカギ。「0」「1」の2つの変数を用いるこの手法がコンピュータの論理回路の設計に使われていることは、あまりに有名である。
ジョージ・ブール
ジョージ・ブール
(1815年〜1864年)
昨年亡くなった偉大なエンジニアに合掌
世界中が悼んだ、アップルのスティーブ・ジョブズの死
 アップル前CEOのスティーブ・ジョブズが亡くなった。同社の創業者で「Apple II」を爆発的にヒットさせ、1985年に会社を追われるものの1996年に復帰。業績不振だった同社を「iMac」などのヒット商品で回復させ、その後も「iPod」「iPhone」「iPad」など生み出して時代を作った。

 彼は純粋なエンジニアではないかもしれないし、むしろエンジニアへの業務命令は苛烈であったとされる。しかし、彼は世界中のエンジニアから愛されていた。なぜなら、常に一生懸命で独創的なアイデアを持つ彼が、カッコよかったからだ。

 そんな彼も病魔には勝てなかった。すい臓がんを病み、入退院を繰り返すが、昨年8月にCEOを退任。治療に専念するも10月5日に56歳で亡くなった。その約1カ月後の10月30日、妹のモナ・シンプソンによる追悼文が、ニューヨーク・タイムズ誌に掲載された。彼の最期の言葉は次のものだったという。

「船出をする前、彼は妹のパティを見て、長い間子供たちのことを見て、人生のパートナーであるローリンを見て、そして、彼らの肩越しに目をやったのです。スティーブの最期の言葉はこうでした。“OH WOW. OH WOW. OH WOW.”」
スティーブ・ジョブズ
スティーブ・ジョブズ
(1955年〜2011年)
プログラミングの父、C言語とUNIXのデニス・リッチー死す
デニス・リッチー
デニス・リッチー
(1941年〜2011年)
 スティーブ・ジョブズの死から3日後、C言語とUNIXを開発したエンジニア、デニス・リッチーが亡くなった。かつての同僚だったロブ・パイクがSNSでその死を発表。10月12日に自宅で死亡しているのが見つかり、亡くなったのは10月8日だったという。闘病生活を送っていたようだ。

 リッチーはベル研究所でオープンソースのOS「UNIX」を開発。高級言語のC言語を同僚のケン・トンプソンと開発し、UNIXの言語をアセンブラからからC言語へと書き換えた。
 この業績は非常に大きく、UNIXはメーカーが管理していた大型汎用機を一般プログラマへと開放し、C言語はプログラミング言語の主流となって、多くの言語デザイナーにも影響を与えた。

 また、共著の『プログラミング言語C』は1978年の出版以降、現在でも多くのエンジニアに読み継がれており、例文で載せた「hello, world」は「プログラミングの最初の例題」として定着した。彼はUNIXをこう語っている。
「小さな集団で、誰のためでもない、自分たちで使うために、極めてシンプルに作った。その結果としてUNIXは、長い間利用されるシステムになったと思う」
 彼の死がジョブズほど取り上げられないのが不思議である。
※記事の内容は書籍などからの情報によるものですので、事実と完全に一致していない場合もあります。
※ご紹介した方の敬称は略させていただきました。
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高橋マサシ(総研スタッフ)からのメッセージ 高橋マサシ(総研スタッフ)からのメッセージ
この記事を作るに当たって著名な人たちの「死」を探しました。その前に知っていた場合もありましたが、初めて接して驚いた死因もあります。何十人を調べていくうちに、少しずつ気持ちが重くなりました。それから、どんな人でも精一杯に生きたのではないかと思うようになりました。そんな皆さんに合掌したいと思います。

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